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88. かくして斧は振り上げられた
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処刑当日、夜も空けぬうちに作戦は開始した。
事前に情報を得ていた見張り交代に合わせ、塔へと向かう兵士を気絶させ成り代わる。何食わぬ顔で見張りと交代し、外部からの侵入を防ぐために全ての扉を施錠した。火を掲げ、地上で隠れて待機するプリヤに作戦の成功を告げる。
全ての塔は速やかにそして犠牲なく制圧が完了した。塔の確保はあくまで投石器や大型弩砲による妨害を受けないようにするためで、民や高官はもちろん、兵士にも向けることは決してない。
「もう完了したのですか…。流石は貴女の昔馴染みですね。皆、申し分のない腕です」
「ああ、多額の報酬を提示しただけあって、精鋭の中でも選りすぐりを送りこんだそうだ」
傭兵たちの腕に舌を巻くアサドに対し、守銭奴のプリヤは悔しそうに美しい相貌をしかめた。二人の身なりはいつもと違っていた。パルティカの民衆の中に紛れ込めるよう、質素な服装を身に纏っている。だが、プリヤが服の下に鎖帷子を着け、大小様々な武器を隠し持っている。
広場で処刑が開始されれば、民に扮した傭兵が一斉に突撃し、プリヤがオルヴァルを救う。未だ行方の知れないローディルは城内の牢に囚われていることを期待し、城下の騒ぎで混乱するであろう城内にも兵士が潜入し青年を保護する手筈となっている。獣形態のローディルを識別できるエミルは、そちらの部隊に加わっている。
ゆっくりと陽が昇るのを窓から眺めながら、アサドは懐に仕込んだ自衛用の短剣を服の上から撫でた。体の震えは寒さからくるものだと自分に言い聞かせ、落ち着きなく両手を揉んで冷えた強張った指先を温め解そうと試みる。しかし、いくら揉んで擦っても指先は冷えたままだ。
いつもよりも血色のない青白い手をぼんやり眺めていると、白く細い指に覆われた。
「アサド、大丈夫だ。オルヴァルもローディルも必ず助け出す。必ず上手くいく。そう信じろ」
女兵長の瞳には、迷いや不安など負の感情が一切浮かんでいなかった。いくつもの死線を潜り抜けて来た経験に裏打ちされた自信に満ち溢れている。朝日を背に受け、心強い言葉をかけるプリヤの姿は神々しいほどの美しさで、勝利の女神そのものにしか見えなかった。
女兵長の言葉には根拠が示されていないが、絶対の自信にあふれて揺らがないその姿こそが今のアサドには必要なものだった。彼女がそう言うのであれば、必ず上手くいくと何故だかそう思える。
重ねられた手から伝わるプリヤの熱が全身を巡って、アサドの硬直した体を解きほぐしていく。男は自分よりも細く小さな手を力強く握り返し、しっかりと頷いた。
太陽が完全に昇ると、王城前の広場に人だかりができ始めた。二人も民衆の中へ紛れた。視線を巡らせれば、同じく民に変装した傭兵たちがそこかしこに潜んでいる。
王城の巨大な扉へは緩やかな段差が敷かれ、段上ではダガット王やイズイーク王子を始めとした高官などの主要人物が集まっていた。設置された断頭台の傍には厳つい巨大な斧を携えた処刑執行人が控え、招集を受けた貴族も用意された椅子に着席している。その中には勿論ベネディクタスだけではなくトートルードもいた。
王子を罠にかけ今にも死に追いやろうとしている張本人が何食わぬ顔で、何なら顔に薄っすらと笑みをはりつけて座っている。憎い仇敵に、アサドはぎゅうと強く拳を握りしめた。
その時扉が開き、中から鉄の手枷と足枷で拘束されたオルヴァルが兵士に連れられて出てきた。まともな扱いを受けていたとは思えないボロボロの身なりで。乱れた髪の隙間から覗く顔に生気はなく、全てを諦めているかのようだった。
主君の痛々しい姿に胸が引き裂かれそうになる。
「パルティカの民よ!ここにおわすオルヴァル第二王子は、あろうことか父王であるダガット王を弑逆し、玉座を我が物にせんと画策した。貴族の一人であるトートルード卿を脅して何年にもかけて大量の武具を製造させかき集めさせたのだ。卿の勇気ある告発により、悪逆なその計画は白日の下に晒され、未然に防ぐことができたのです!」
高らかに声を上げるゲルゴルグは身振り手振りで民衆の注目を引きつけた後、トートルードを振り返り称えるように拍手をした。名指しで言及を受けた初老の男は立ち上がると、わざとらしい所作でお辞儀をして見せた。
オルヴァルに対して野次を飛ばしていた民は一転、宰相に続くようにヘジャズ領主を拍手や歓声で賞賛した。
「オルヴァル王子は母君がアビエナとは言え、半分は王族と言う高貴な血。ゆえにこの世に生を受けてから純然なメルバの民よりも様々な恩恵を受けて来た。衣食住に一切困ることなく、国内最高峰の教育を受け、生涯を終えるまで何一つ不自由のない生活が保障されているにも関わらず!殿下は陛下に不満を抱き、癇癪を起こして王都を飛び出した!それからオルヴァル王子は生活はどうだったと?ラルツレルナに腰を据えても連日連夜娼館や賭場で遊びほうけ、王族の職責を放棄し続けていたのです!」
ゲルゴルグの語るあれそれは全てデタラメだった。アサドは怒りのままに否定の叫びをあげたかった。
確かに高貴な生まれのオルヴァルは一般国民よりも恵まれた環境にいた。だが、被差別部族の血が混じった出自ゆえに、常に偏見や差別に晒されてきた。優秀な兄のイズイークともずっと比較されながらも、王族の名に恥じぬよう陰で血の滲むような努力を続けてきた。ラルツレルナの領主となった後も、遊ぶことなく国や王、民のために自分が何をできるかを一番に考え、自身を二の次に身を粉にして働いてきたのだ。
一方で王都にいる宰相や高官たちはどうだ?パルティカの民たちが貧困や飢餓、治安の悪化に喘いでいると言うのに何もせず贅を貪るだけ。今も目の前で大仰な演技で民衆に語り掛けるゲルゴルグの指にはまった豪奢な指輪と交換に、どれだけの食糧が確保できるか。
しかし、周囲の民は一切気づかないようだった。ただひたすらにゲルゴルグの演説に呼応して、オルヴァルに対する憎しみを野次としてぶつけているだけだ。誰一人として目の前にある違和感に気づかないようだった。まるで洗脳を受けているかのようで、アサドはゾッとした。
「陛下から寛大な配慮をいただいているにも関わらず、オルヴァル王子は逆恨みを募らせ、遂に王殺しに手を染めるまでに至ったのです。親愛なるメルバの臣民よ、ご覧あれ!オルヴァル王子による悪逆非道の数々により憔悴しきったダガット陛下とイズイーク第一王子を!国の癌であるオルヴァル王子がいる限り、お二方にとってはいつまでも生き地獄が続くのです!」
「殺せ!」
「王族にアビエナの汚れた血なんていらないわ!」
絶えず飛び交う心無い言葉の数々に、オルヴァルは一切表情を動かすことはなかった。ただ項垂れるだけ。まるで生ける屍だ。
民衆の興奮が増す中、ベネディクタスが立ち上がり宰相に声をかけた。
「ゲルゴルグ殿、本当にオルヴァル王子が内乱を起こそうとしていた証拠が?それともトートルード卿の証言だけですかな?」
「ベネディクタス殿、裁判の結果をお疑いか?」
「……召喚状にはオルヴァル王子の罪状しか記載されていなかった。吾輩たち貴族には裁判の内容がどのようなもので判決に至ったか知る権利があるのでは?」
マルティアトという栄えた港町を治める貴族の発言に、動揺が広がる。他の貴族も困惑したように互いの顔を見合わせた。
「裁判は陛下を始め国の要人が集い、公平な状態で閉廷した!私はオルヴァル王子に脅され、何年も服従させられてきたのだ!証拠となる交易税の減税の書類も、大量の武具も証拠として上納した!陛下の忠臣たる貴殿が、まさか陛下の判決をお疑いになると言うのか!?オルヴァル王子の味方をすると!?……そう言えば、先般殿下が貴殿を内密に訪問されたという噂を耳にしましたな。たかが噂と一蹴していたが、その実オルヴァル王子に協力していたのでは!?」
「何を馬鹿な…っ!」
目を血走らせながら激昂するトートルードに、ベネディクタスはたじろいだ。旧知の男の鬼気迫る迫力と、いわれのない糾弾に虚を突かれたのだ。
「王子の協力者も同罪だ!」
「奴も処刑しろ!」
一瞬の静けさの後、群衆は爆発したかのように一斉に声を上げた。ベネディクタスをも処刑する声が大きくなり、アサドたちは目を見開いて周囲を見渡した。民からの声の後押しを受けた兵士がベネディクタスを拘束せんと近づく。
まさしく混沌としか言いようのない状況だった。理性の欠片もない民衆はもはや暴徒のようだった。
「止めろッ!」
鋭い叫びに、広場には再び静寂が下りた。制止の声を発したのは、オルヴァルだった。
「ベネディクタス卿は俺の協力者ではないし、何の関係もない。彼はダガット陛下の真の忠臣だ!咎は全て俺にある!……さっさと首を撥ねてくれ。それでお終いにしよう」
オルヴァルは鋭い睨みをトートルードに向けて黙らせると、続いてゲルゴルグに向かって小さく頷いた。
誰もが身動きできずに呆然とするなか、宰相はすいと手を挙げて兵士を促した。拘束された王子を断頭台の前に膝をつかせる。台に顎を乗せて頭を垂れる主人の姿にアサドは我を失い、民衆をかきわけて駆けつけようとした。
「殿下、駄目、駄目です…っ!貴方がいなくては、この国は…!」
「アサド!」
張り上げた声は、民たちの罵声にいともたやすくかき消されてしまう。自分の声と言葉は主には届かない。その事実が酷く男を絶望に突き落とす。
オルヴァルの悪い癖だ。自分が犠牲になれば全て丸く収まると、全てを諦めてしまっている。彼の出自が、環境が、オルヴァルの心をそう捻じ曲げてしまった。自分はそんな彼を支えたいとお仕えしてきたのに、肝心な場面で役に立つことができない。己の無力さに、頭が真っ白になる。
「おい、押すんじゃねえ!今いいところなんだよ、引っ込んでろ!」
行く手にいた男の脇をすり抜けようとすると、苛立った男に顔面を殴られた。だが寸でのところで体が後ろに傾いで、大したダメージはなかったのだ。プリヤが後ろに引っ張ってくれたおかげだった。
「しっかりしろッ!お前が冷静さを失ってどうする!荒事は私に任せて、お前はここで頭を冷やせ!」
額に血管を浮かせたプリヤから平手打ちを受ける。男の一撃よりもずっと強力で、アサドは痛みで強制的に我に返らされた。
驚きに目を瞬かせるアサドを一顧だにすることなく、女兵長は素早い身のこなしで民衆の間をすり抜けていく。
足が竦んで動けない間にも、処刑執行人が斧を頭上高くに振り上げる。アサドの目には、その動きが連続する静止画のように見えた。頭痛がしそうな程に騒がしい民衆の声も聞こえず、己の呼吸音と拍動しか聞こえなかった。
執行人の頭上で静止した斧が勢いよく振り下ろされるのと同時に、アサドはぎゅっと目を閉じた。
事前に情報を得ていた見張り交代に合わせ、塔へと向かう兵士を気絶させ成り代わる。何食わぬ顔で見張りと交代し、外部からの侵入を防ぐために全ての扉を施錠した。火を掲げ、地上で隠れて待機するプリヤに作戦の成功を告げる。
全ての塔は速やかにそして犠牲なく制圧が完了した。塔の確保はあくまで投石器や大型弩砲による妨害を受けないようにするためで、民や高官はもちろん、兵士にも向けることは決してない。
「もう完了したのですか…。流石は貴女の昔馴染みですね。皆、申し分のない腕です」
「ああ、多額の報酬を提示しただけあって、精鋭の中でも選りすぐりを送りこんだそうだ」
傭兵たちの腕に舌を巻くアサドに対し、守銭奴のプリヤは悔しそうに美しい相貌をしかめた。二人の身なりはいつもと違っていた。パルティカの民衆の中に紛れ込めるよう、質素な服装を身に纏っている。だが、プリヤが服の下に鎖帷子を着け、大小様々な武器を隠し持っている。
広場で処刑が開始されれば、民に扮した傭兵が一斉に突撃し、プリヤがオルヴァルを救う。未だ行方の知れないローディルは城内の牢に囚われていることを期待し、城下の騒ぎで混乱するであろう城内にも兵士が潜入し青年を保護する手筈となっている。獣形態のローディルを識別できるエミルは、そちらの部隊に加わっている。
ゆっくりと陽が昇るのを窓から眺めながら、アサドは懐に仕込んだ自衛用の短剣を服の上から撫でた。体の震えは寒さからくるものだと自分に言い聞かせ、落ち着きなく両手を揉んで冷えた強張った指先を温め解そうと試みる。しかし、いくら揉んで擦っても指先は冷えたままだ。
いつもよりも血色のない青白い手をぼんやり眺めていると、白く細い指に覆われた。
「アサド、大丈夫だ。オルヴァルもローディルも必ず助け出す。必ず上手くいく。そう信じろ」
女兵長の瞳には、迷いや不安など負の感情が一切浮かんでいなかった。いくつもの死線を潜り抜けて来た経験に裏打ちされた自信に満ち溢れている。朝日を背に受け、心強い言葉をかけるプリヤの姿は神々しいほどの美しさで、勝利の女神そのものにしか見えなかった。
女兵長の言葉には根拠が示されていないが、絶対の自信にあふれて揺らがないその姿こそが今のアサドには必要なものだった。彼女がそう言うのであれば、必ず上手くいくと何故だかそう思える。
重ねられた手から伝わるプリヤの熱が全身を巡って、アサドの硬直した体を解きほぐしていく。男は自分よりも細く小さな手を力強く握り返し、しっかりと頷いた。
太陽が完全に昇ると、王城前の広場に人だかりができ始めた。二人も民衆の中へ紛れた。視線を巡らせれば、同じく民に変装した傭兵たちがそこかしこに潜んでいる。
王城の巨大な扉へは緩やかな段差が敷かれ、段上ではダガット王やイズイーク王子を始めとした高官などの主要人物が集まっていた。設置された断頭台の傍には厳つい巨大な斧を携えた処刑執行人が控え、招集を受けた貴族も用意された椅子に着席している。その中には勿論ベネディクタスだけではなくトートルードもいた。
王子を罠にかけ今にも死に追いやろうとしている張本人が何食わぬ顔で、何なら顔に薄っすらと笑みをはりつけて座っている。憎い仇敵に、アサドはぎゅうと強く拳を握りしめた。
その時扉が開き、中から鉄の手枷と足枷で拘束されたオルヴァルが兵士に連れられて出てきた。まともな扱いを受けていたとは思えないボロボロの身なりで。乱れた髪の隙間から覗く顔に生気はなく、全てを諦めているかのようだった。
主君の痛々しい姿に胸が引き裂かれそうになる。
「パルティカの民よ!ここにおわすオルヴァル第二王子は、あろうことか父王であるダガット王を弑逆し、玉座を我が物にせんと画策した。貴族の一人であるトートルード卿を脅して何年にもかけて大量の武具を製造させかき集めさせたのだ。卿の勇気ある告発により、悪逆なその計画は白日の下に晒され、未然に防ぐことができたのです!」
高らかに声を上げるゲルゴルグは身振り手振りで民衆の注目を引きつけた後、トートルードを振り返り称えるように拍手をした。名指しで言及を受けた初老の男は立ち上がると、わざとらしい所作でお辞儀をして見せた。
オルヴァルに対して野次を飛ばしていた民は一転、宰相に続くようにヘジャズ領主を拍手や歓声で賞賛した。
「オルヴァル王子は母君がアビエナとは言え、半分は王族と言う高貴な血。ゆえにこの世に生を受けてから純然なメルバの民よりも様々な恩恵を受けて来た。衣食住に一切困ることなく、国内最高峰の教育を受け、生涯を終えるまで何一つ不自由のない生活が保障されているにも関わらず!殿下は陛下に不満を抱き、癇癪を起こして王都を飛び出した!それからオルヴァル王子は生活はどうだったと?ラルツレルナに腰を据えても連日連夜娼館や賭場で遊びほうけ、王族の職責を放棄し続けていたのです!」
ゲルゴルグの語るあれそれは全てデタラメだった。アサドは怒りのままに否定の叫びをあげたかった。
確かに高貴な生まれのオルヴァルは一般国民よりも恵まれた環境にいた。だが、被差別部族の血が混じった出自ゆえに、常に偏見や差別に晒されてきた。優秀な兄のイズイークともずっと比較されながらも、王族の名に恥じぬよう陰で血の滲むような努力を続けてきた。ラルツレルナの領主となった後も、遊ぶことなく国や王、民のために自分が何をできるかを一番に考え、自身を二の次に身を粉にして働いてきたのだ。
一方で王都にいる宰相や高官たちはどうだ?パルティカの民たちが貧困や飢餓、治安の悪化に喘いでいると言うのに何もせず贅を貪るだけ。今も目の前で大仰な演技で民衆に語り掛けるゲルゴルグの指にはまった豪奢な指輪と交換に、どれだけの食糧が確保できるか。
しかし、周囲の民は一切気づかないようだった。ただひたすらにゲルゴルグの演説に呼応して、オルヴァルに対する憎しみを野次としてぶつけているだけだ。誰一人として目の前にある違和感に気づかないようだった。まるで洗脳を受けているかのようで、アサドはゾッとした。
「陛下から寛大な配慮をいただいているにも関わらず、オルヴァル王子は逆恨みを募らせ、遂に王殺しに手を染めるまでに至ったのです。親愛なるメルバの臣民よ、ご覧あれ!オルヴァル王子による悪逆非道の数々により憔悴しきったダガット陛下とイズイーク第一王子を!国の癌であるオルヴァル王子がいる限り、お二方にとってはいつまでも生き地獄が続くのです!」
「殺せ!」
「王族にアビエナの汚れた血なんていらないわ!」
絶えず飛び交う心無い言葉の数々に、オルヴァルは一切表情を動かすことはなかった。ただ項垂れるだけ。まるで生ける屍だ。
民衆の興奮が増す中、ベネディクタスが立ち上がり宰相に声をかけた。
「ゲルゴルグ殿、本当にオルヴァル王子が内乱を起こそうとしていた証拠が?それともトートルード卿の証言だけですかな?」
「ベネディクタス殿、裁判の結果をお疑いか?」
「……召喚状にはオルヴァル王子の罪状しか記載されていなかった。吾輩たち貴族には裁判の内容がどのようなもので判決に至ったか知る権利があるのでは?」
マルティアトという栄えた港町を治める貴族の発言に、動揺が広がる。他の貴族も困惑したように互いの顔を見合わせた。
「裁判は陛下を始め国の要人が集い、公平な状態で閉廷した!私はオルヴァル王子に脅され、何年も服従させられてきたのだ!証拠となる交易税の減税の書類も、大量の武具も証拠として上納した!陛下の忠臣たる貴殿が、まさか陛下の判決をお疑いになると言うのか!?オルヴァル王子の味方をすると!?……そう言えば、先般殿下が貴殿を内密に訪問されたという噂を耳にしましたな。たかが噂と一蹴していたが、その実オルヴァル王子に協力していたのでは!?」
「何を馬鹿な…っ!」
目を血走らせながら激昂するトートルードに、ベネディクタスはたじろいだ。旧知の男の鬼気迫る迫力と、いわれのない糾弾に虚を突かれたのだ。
「王子の協力者も同罪だ!」
「奴も処刑しろ!」
一瞬の静けさの後、群衆は爆発したかのように一斉に声を上げた。ベネディクタスをも処刑する声が大きくなり、アサドたちは目を見開いて周囲を見渡した。民からの声の後押しを受けた兵士がベネディクタスを拘束せんと近づく。
まさしく混沌としか言いようのない状況だった。理性の欠片もない民衆はもはや暴徒のようだった。
「止めろッ!」
鋭い叫びに、広場には再び静寂が下りた。制止の声を発したのは、オルヴァルだった。
「ベネディクタス卿は俺の協力者ではないし、何の関係もない。彼はダガット陛下の真の忠臣だ!咎は全て俺にある!……さっさと首を撥ねてくれ。それでお終いにしよう」
オルヴァルは鋭い睨みをトートルードに向けて黙らせると、続いてゲルゴルグに向かって小さく頷いた。
誰もが身動きできずに呆然とするなか、宰相はすいと手を挙げて兵士を促した。拘束された王子を断頭台の前に膝をつかせる。台に顎を乗せて頭を垂れる主人の姿にアサドは我を失い、民衆をかきわけて駆けつけようとした。
「殿下、駄目、駄目です…っ!貴方がいなくては、この国は…!」
「アサド!」
張り上げた声は、民たちの罵声にいともたやすくかき消されてしまう。自分の声と言葉は主には届かない。その事実が酷く男を絶望に突き落とす。
オルヴァルの悪い癖だ。自分が犠牲になれば全て丸く収まると、全てを諦めてしまっている。彼の出自が、環境が、オルヴァルの心をそう捻じ曲げてしまった。自分はそんな彼を支えたいとお仕えしてきたのに、肝心な場面で役に立つことができない。己の無力さに、頭が真っ白になる。
「おい、押すんじゃねえ!今いいところなんだよ、引っ込んでろ!」
行く手にいた男の脇をすり抜けようとすると、苛立った男に顔面を殴られた。だが寸でのところで体が後ろに傾いで、大したダメージはなかったのだ。プリヤが後ろに引っ張ってくれたおかげだった。
「しっかりしろッ!お前が冷静さを失ってどうする!荒事は私に任せて、お前はここで頭を冷やせ!」
額に血管を浮かせたプリヤから平手打ちを受ける。男の一撃よりもずっと強力で、アサドは痛みで強制的に我に返らされた。
驚きに目を瞬かせるアサドを一顧だにすることなく、女兵長は素早い身のこなしで民衆の間をすり抜けていく。
足が竦んで動けない間にも、処刑執行人が斧を頭上高くに振り上げる。アサドの目には、その動きが連続する静止画のように見えた。頭痛がしそうな程に騒がしい民衆の声も聞こえず、己の呼吸音と拍動しか聞こえなかった。
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