くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

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104. アルシュダの女王②

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 彼女の突然の告白に、オルヴァル一行は動揺を受けた。ローディル以外は僅かに眉を顰めただけだったが。
 しかし、ツェツェーリアが前王の血を分けた実の娘なのだとしたら、父子間で肉体関係を持っていたことになる。倫理観の欠片もなく、吐き気を覚える。

「おや、これは失礼しました。紛れもなく貴女もこの場に相応しい御方だったのですね。謹んで非礼をお詫びします」
「主君である私からも謝罪致しますわ、ツェツェーリア女王。私達は、ドルオン王の娘はマーガレット王女だけだと思っておりましたの」
「…………ダルモーネ女王の認識の通りじゃ。ドルオンの正式な子女はマーガレットのみ。妾は王の数多いる侍女との間に生まれた婚外子じゃ」

 両名からの謝罪にとりあえず溜飲が下がったようだが、アルシュダの女王は椅子に体を預けながら、吐き捨てるように言い放った。

「……ドルオン前王は、貴女の母上が貴女を妊娠していることをご存じなかったのか?」
「知っておった。それでなお、妾を宿した母を城から追放したのじゃ。民の間ではドルオンは民を想う善政を敷く王との評判だったがな、民にはその顔を巧妙に隠しておっただけで、そのじつ色狂いの独善的で俗悪な下郎じゃ」

 前王を語るツェツェーリアは、途端に苛烈な感情を露にした。目は激しい憎悪の炎が灯り、美しい相貌が恐ろしい形相へと変わる。机面に食いこむ長い爪は、滑らかな表面をえぐり取り不快な音を響かせる。

「国一番の権力者に捨てられた妾たち母子がどんな生活を送ったか想像できるか?辛酸を舐め、生きるためには何でもした。例えそれが家畜以下の扱いで恥辱にまみれたものであってもじゃ。そなた達には想像もつくまい。そうして久方ぶりにまみえた妾が実の娘だと全く気付くことなく、奴はなんと言ったと思う?そなたのような美姫は見たことがない。是非とも儂の愛人になっておくれ、といけしゃあしゃあと申しおったのじゃ」

 ツェツェーリアが言い終えた瞬間、音を立てて彼女の長い爪が折れた。爪先から血が流れていても意に介する様子もなく、話を続ける。

「閨の中の王はなんと饒舌だったことか。本来ならば口外不出の事柄も洗いざらい教えてくれたものじゃ。高官達の秘密や随獣の存在もな。奴にとって女はただの性欲処理の存在でしかなく、妾のような婚外子がたくさんいて数すら把握していないこと。……極めつけには妾の母のことを欠片も覚えていないこともな…っ!」

 女の薄紅色の瞳は今や真っ赤に血走っていた。憤怒に燃える眼差しを一人一人に向ける。

「どれ程の屈辱と絶望か、貴様らには決して分かるまい!随獣は王たる資質を持った者に仕えるだと……?かくも醜悪で救いようのない下衆を国の頂に置くなど、全く笑わせてくれる!随獣はこの世界に掬う病魔じゃ!」

 激しい憎しみの思いは、最終的にローディルに着地した。彼女の並々ならぬ気迫と威圧感に圧倒されてしまう。自分は随獣で人智を超えた力を持っているはずなのに、彼女から視線を逸らすことができない。指一本すらも動かすことができず、蛇に睨まれた蛙状態だった、
 だが突然オルヴァルが随獣を背に庇うように立ち上がったことで、女の意識は逸れた。

「ドルオン王の行為は決して許されるものではない。かくも過酷な境遇を送って来た貴女の心境は計り知れない。為政者の発言としては許されないことだろうが、貴女自身が弑逆を行ってしまう程に恨みを募らせてしまったことは無理のないことだとも思う。それだけのことを、ドルオン王はしでかしてしまった」

 だが、とオルヴァルは続ける。

「確かに貴女の境遇には同情する。しかし、その怒りと破壊衝動をメルバ、ひいては世界に向けるのはお門違いだと言わざるを得ない」
「そうかえ?メルバの前王は被差別部族の女を第二妃として迎え、そなたを産んだ。そなたら母子も血のせいで謂れなき中傷を浴び、幾度となく辛い思いをしてきたはずじゃ。兄とその母も、さぞ苦しんだはず。社会的地位が最下層の部族が己の次の地位に座り、己が子の弟となる者を産んだのじゃから。家族を苦しめるような者に王の資質ありと見出したのは、他でもない随獣じゃ。崇めるべき存在ではなく、奴らは唾棄すべきペテン師に他ならん」
「……確かに、俺と母の存在が多くの人々を苦しめたことと思う。それは否定しない。それに随獣が何を見て王としての資質を見出しているのかも、俺には分からない。だが分かるのは、王とて一人の人間だ。何もかもが完璧で非の打ちどころのない超人ではない。道を違えることだってある」
「ハッ、都合のいい弁明にしか聞こえぬな。自身にそう言い聞かせながらも、その身に流れる、火種にしかなりかねん血統を紡いでいくのじゃろう?」
「いや、しない」

 嘲笑に歪むツェツェーリアの顔は、オルヴァルの返答に驚愕へと変わった。

「ツェツェーリア女王の懸念はもっともだ。俺自身が苦しんだからこそ、俺は生涯婚姻をせず、子ももうけぬことを決めた。この血は俺の代で終わらせる。そう民にも宣言したし、俺が王にふさわしくないのであれば引きずり下ろしてくれとも伝えた」
「……己の生殺与奪の権限を民に握らせるとは、なんと愚かな。民草が皆善性を持っているわけではないし、そなたの期待は必ず裏切られるぞ。傲慢で我が儘で身勝手だ。何かあれば王を不満のはけ口にし引きずり降ろされて、すぐにでもそなたの治世は終わる。お人好しはそなたの勝手だが、自ら破滅に向かうなど理解に苦しむ」

 アルシュダの女王は不快感を露に顔を顰めた。ゲルゴルグに向けられた視線よりも強い嫌悪がこめられている。
 彼女の敵意がローディルから自分に向いたことを認識したオルヴァルは再び椅子に腰をおろした。

「ご忠告痛みいる。危険は承知の上だ。それに、そういった事態にならないよう俺が一層精進すればいい。……人は変わる。今は正しくいられても、いつ何をきっかけとして今ある地位に胡座をかき、権力を振りかざすかは分からない。よって民に宣言することで自らの戒めにもしたんだ。俺自身が道を踏み外すことのないよう」
「…偽善にまみれた、とんだ独善者じゃな。バルブロの女王よ、かくも気が触れた王と同盟を結んで今や後悔しているのでは?そなたの国も青二才の絵空事に巻き込まれて害を被ることになるぞえ」

 ツェツェーリアは今度は挑発的な視線をダルモーネに送った。ここまであまり口を出さずに話し合いを静観していたバルブロの女王は、にこりと微笑んだ。

「歳を取ると、オルヴァル王のように熱い志にあふれた真っ直ぐな若者はとても眩しくうつりますの。若かりし頃の自分もそうだったと懐古すると共に、老いて消えかけた燭台に再び火が焚べられてしまったわ。バルブロはメルバの行先を見守り、寄り添うつもりですわ。だからよくよく心に留めておいてくださいな。尚もメルバに手を出すのであれば、バルブロをも敵に回すと」

 川のせせらぎを思わせる穏やかな声色だったが、実質の宣戦布告と言っても過言ではなかった。
 メルバとバルブロ、両国の関係に付け入る隙を見出そうとしていたアルシュダの女王は眉間に深いシワを刻んだ。

「先程から申しているように、妾は関与はおろか、何も知らぬ。そなたらが妾を黒幕と疑うのは勝手じゃが、物的証拠が何もないのであればこれ以上の問答は無用。むざむざ批判されるために足を運んだなど、なんたる屈辱。妾はこれで失礼する。そこな男も好きに処すがいい」

 ツェツェーリアは席を立ち、今だ床に崩れ落ちたまま放心するゲルゴルグを一顧だにすることなく船を後にした。心を通わせていると思っていた愛しい女王からすげなく見捨てられた男はただひたすらに女の名前を呼び、追いかけようとした。だがそれもプリヤの手に繋がる拘束用の鎖のせいで叶わなかった。
 正気を失った様子でツェツェーリアが出て行った扉に縋りつく姿は、狂気としか思えなかった。
 一行は会合用に準備された船から自分たちの船に戻った。往路とは異なり復路はバルブロ一行も一緒だ。
 オルヴァルは椅子に深く体を預けた。口から漏れる大きなため息には疲労が色濃くにじんでいる。

「……あれで良かったのでしょうか。悪戯にツェツェーリア女王を怒らせただけだったのでは……」
「確かにそうね。彼女は決して自分の関与を認めなかったけれども、感情的になる場面がいくつもあったわ。前王ひいては随獣をどれ程憎んでいるのかまで告白してくれた。こちらの指摘が図星だという証拠だと思うの。こちら側には彼女の意図は筒抜けだと知らせることで牽制になったはずよ。一筋縄ではいかないと知らしめたことで、ツェツェーリアも手を出しにくくなったはず。会合による一定の効果は見込めると思うわ」

 不安そうな表情を浮かべる若き王に、ダルモーネは安心させるように微笑んでみせた。

「それに、貴方の随獣が記憶を読み取ることができると知って、今頃は戦々恐々としているかもしれないわ」
「俺……何も見てないよ!いつでもどこでも好き勝手に見れるわけじゃないんだ…」

 突然自分のことが話題に上がったローディルは慌てて弁解したかと思うと、次の瞬間にはしょんぼりと肩を落とした。
 ツェツェーリアの記憶を見れてはいないが、そう伝えた後に本当は見れた方が役に立ったのかもしれないと思ったのだ。

「あらあら、気を落とさないでちょうだい。それで構わないのよ。かもしれない、と思わせるだけで大成功なのだから」

 一秒ごとにころころと表情を変える随獣に、ダルモーネは口元に手を当てて優雅に笑ったのだった。
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