くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

XCX

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105. おかえり

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 前王ダガットが逝去した。
 洗脳が解けてからひと月も経たずしてのことだった。
 戴冠式以降、ダガットの体調は日に日に悪くなり、ベッドで一日を過ごすことが多かった。イズイークとオルヴァルは薬師に調薬を懇願したが、前王がそれを拒否した。
 日を追うごとに衰弱していく父親に息子たちはひどく心を痛めたが、父子の時間は圧倒的に増えた。空白だった年月の埋め合わせをするかのように、父親はそれぞれの息子と話をした。息子たちもまた、最後にたくさんの教えを賜った。
 そして最期の時は遂にやってきた。前王は皆に看取られながら、息を引き取ったのだった。
 慣例であれば葬儀は大々的に行い、国民も一定期間喪に服すことを求められる。だが故人の意向により、葬儀も小規模でひそやかに行われた。国民には前王逝去の報が流されたのみでなんの要請もなかったが、一部は進んで喪に服し死を悼んだ。
 亡骸は歴代の王族が王が眠る墓所へと埋葬された。ダガットの名が刻まれた墓石の隣には、ネアリアとミティスのものが並んでいる。
 埋葬が終わり墓地から人が少なくなった後も、オルヴァルの姿はそこにあった。じっと父王の墓石に視線を注いでいる。その表情からはどんな感情を抱いているのか窺い知ることができない。
 傍らに立つローディルは、主人の手にそっと自分の指を絡ませた。恋人の心配そうな表情に気づいたオルヴァルは、安心させるように微笑んだ。

「…まだ現実味はないが、きちんと受け止められている。思った以上に心の準備が出来ていたみたいだ」

 指を絡ませる形で手を握られる。優しくも力強い温もりに、オルヴァルの言葉に嘘がないのが伝わって来る。

「そう心づもりができたのも、ローディルのおかげだ。ローディルが救ってくれたおかげで、たくさん話をすることができた」
「……王様もそう思ってくれてるかな?もっと生きたかったって思ってたり…」
「そうだな。生への全く未練がなかったわけではないかもしれない。責任感の強い御方だったから、自分で後始末をつけてから、退きたかったことと思う」

 オルヴァルの言葉に、青年の表情はどんどん暗くなっていく。ローディルが自分の力不足を嘆き、責任を感じているのは明らかだった。俯き、地面を見つめる恋人を抱きしめる。

「だが、父上は納得して身罷られたと思う。…いや、絶対にそうだと断言できる。父上の死に顔はとても安らかなものだった。それに常々言っていた。最後のひと時を与えてくれたローディルには感謝しかない、と。だから、ローディルが責任を感じる必要は全くない」

 顎に指を添えて顔を上げさせる。美しい色をした瞳には悲痛が浮かんでいた。彼を取り巻く負の感情を取り去りたくて、オルヴァルは顔のあちこちに唇を降らせた。額、眉間、目尻、鼻、頬、そして最後は唇に。

「それ本当?王様そんなこと言ってたのか?」
「ああ、本当だとも。きっと今も、草葉の陰からローディルに感謝しているはずだ」

 ローディルはふとダガットの墓石に視線を向けた。その瞬間、柔らかな風が吹いた。青年の頬を優しく撫でていく。そんなはずはないのに、まるでオルヴァルの言葉を肯定するかのように思えた。

「オルヴァル、ありがとう。元気出た!本当は俺が慰めようと思ったのに、逆になっちゃった…作戦失敗だ」

 にっこり笑ったかと思えば、反省とばかりに胸元に頬を擦りつけてくる。ころころと変わる表情は見てて飽きず、自然と笑いがこぼれてしまう。

「十分慰めになった。俺の方こそ、ありがとう」

 一層強く抱きしめ、今度は頭に口づけを落とす。自分がいつも使用している石鹸と同じ香りがすることに、愛おしさが増す。
 青年の匂いを肺いっぱいに吸いこんでいると、くすぐったがる声が胸元から聞こえてきた。

 ***

 ある日ローディルは、セヴィリスに連れられて禁足地へとやって来ていた。
 ニルンの後継となる、メルバの新たな随獣が生まれそうだとイシュ=ヒシュから連絡があったのだ。
 陽の光を浴びて水面がきらきらと光る泉には、メルバを象徴する白い花が咲き、大きな蕾がなっている。

『新たな随獣は、生まれるのを待っているわ。ローディル、泉の中に入って呼びかけてあげて』

 ヒシュの指示に従い、青年は泉の中へと歩みを進めた。至近距離で見ると、蕾はローディルの上半身くらいにとても大きかった。手のひらを押しあてると、中から脈動を感じる。

(うわ…本当に、この中に命が宿ってるんだ…)

 途端、緊張に見舞われる。随獣が生まれた瞬間、責任が発生する。ニルンのように辛い思いをさせることがないよう、自分がきちんと導かなければならない。随獣としては異端の生い立ちである自身がきちんと役割を果たすことができるのか、不安はないと言えば噓になる。

(でも…俺にはオルヴァルがいるし、セヴィリスもラズレイもいる…!一人で完璧にできなくてもいいんだ。皆でたくさん愛情を注いであげるんだ。俺がじいちゃんや皆からしてもらったみたいに!)

 大きく深呼吸をして気合いを入れたローディルは、蕾に両腕を巻きつけて抱きしめた。

「生まれてくるのを、皆待ってるよ」

 そう呼びかけた瞬間、蕾が一際大きく脈打った。同時に放たれた眩い光に、ローディルはたまらず目を細めて距離を取る。光の中、蕾がゆっくりと花開いていくのが見えた。
 発光が治まると、小さな人が花の上に鎮座していた。その姿に、ローディルはあっと大きな声を上げた。

 暫くの後、パルティカの城内に騒々しい足音が響き渡った。第一王子の名を繰り返し呼ぶ大きな声に、皆が何事かと足を止め、走り去る青年の姿を目で追う。
 自室で新王と国政に関する話をしていたイズイークは己の名前を呼ぶ声に気づき、室外へと顔を出した。

「イズイーク、いたっ!」

 布に包まれた何かを腕に抱えたローディルが駆けこんできた。額には玉のような汗が浮かび、息を切らせて時折咳き込んでいる。
 彼の主人であるオルヴァルは青年の背中をさすり、己の飲み物を勧めた。それを一息に飲み干したローディルは息が整わぬまま、目を丸くするイズイークに口を開いた。

「メルバの新しい随獣が生まれるって連絡があって、迎えに行ってたんだ。それで、その新しい随獣ってのが……」

 そこでローディルは腕に抱えていた布をゆっくりと開き、中身を見せた。布に包まれていたのは子供だった。肩まである真っ直ぐな赤みの強い茶色い髪に、緑色に灰色がかった丸い大きな目。
 見覚えのある姿にイズイークは鋭く息を飲み、今にも目がこぼれてしまいそうな程に大きく見開いた。そんな彼に、子供は不安そうな眼差しを向け、ローディルの首に回した腕に力をこめた。自己紹介をするよう促されても、大きな瞳に宿る不安は消えない。イズイークは揺れる瞳に微かな恐怖が浮かんでいることに気が付いた。

「……ニルン」

 長い沈黙の後、子供はようやく口を開く。とても小さな声で紡がれた名前は、目覚めることなく命を終えたはずの随獣のものだった。

「そんな…まさか…」

 イズイークがかろうじて発することができたのは、その二語だけだった。唇は戦慄き、見開いた目には水の膜が出来上がる。

「随獣には代々同じ名前がつけられるのか…?」
「ううん、そんなことはないってイシュ=ヒシュ様が言ってた。俺達もちゃんと自己を持った存在だから、皆違う名前がつけられるって」
「……だが、それにしても生き写しと言うにはあまりにも……まるで時が戻ったかのような……」

 兄ほどではないにしても弟のオルヴァルも呆気に取られ、まじまじとニルンを見つめた。ローディルだけが場にそぐわぬ満面の笑みを浮かべている。

「ニルンは、ニルンだよ。別の人格じゃなくて、ちゃんと同じ人格を持って、もう一回生まれて来たんだ!」
「そんなことが……」

 理外の出来事に言葉を失ってしまう。人知を超えた随獣の存在を認知したばかりだと言うのに、それ以上の奇天烈な事象を目の当たりにしている。このような奇跡は、劇作家でもまるで思いつかないだろう。

「ほらニルン、イズイークに言わなきゃいけないことあるだろ?」
「……でも……」
「大丈夫、イズイークなら絶対に受け止めてくれる。それにさっきたくさん練習したし!」

 ローディルから謎の励ましを受けたニルンは、尚も不安そうな表情のまま第一王子に目を向けた。

「イズ、イーク……たくさん、傷つけて、迷惑かけて、ごめんなさい…。僕、現実と向き合う勇気がなくて逃げたのに、もう一度イズイークに会いたくなって……」

 ニルンの大きな目に、みるみるうちに涙がたまっていく。今にもこぼれてしまいそうなそれを堪え、小さな舌でたどたどしく言葉を紡いでいく。

「もう一度、僕をイズイークの随獣にしてくれませんか……?」

 俯き加減だった幼い随獣は、意を決したように顔を上げ、真っ直ぐに第一王子の目を見据えた。眼差し、声、発言全てに強い意志がこもっていた。
 辛抱強く彼に耳を傾けていたイズイークは、目に浮かんだ涙を拭いながら破顔した。

「勿論だ、ニルン。私からも是非ともお願いしたい。もう一度、やり直そう。今度は何があろうと絶対に一人にしない。この命に賭けて約束する」

 そう言って両腕を広げるイズイークの元に、ニルンは飛び込んだ。号泣しながらひたすらに謝罪する随獣を、その半身はただただ強く抱きしめた。
 感動の再会に、ローディルもまた嬉しさから涙する。オルヴァルはそんな彼の肩を抱き寄せ、温かな眼差しを送るのだった。
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