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1 ありえない婚約者
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「君との婚約は破棄させてもらう!」
「ええ!望むところよ!!」
脅し半分で叩きつけた婚約破棄は、それを上回る勢いで返ってきて、公爵令息は目を丸くして、たじろいだ。
まさかこんな些細なことで、令嬢自らも婚約破棄を望むとは、予想外だったらしい。しおらしく落ち込むだろうとタカを括っていた分、令息はショックでよろめいた。
クラリス・オルコット侯爵令嬢は仁王立ちして、こちらをまっすぐに睨んでいる。見たことがないほど、毅然と怒りを露わにしていた。その手には、小さな犬が抱かれている。
「か弱いワンコを足蹴にするような男、こっちから願い下げだわ!」
「な、なんだと!僕が動物嫌いなのは知ってるだろう!?その犬が勝手に近寄ってきたから、どけただけじゃないか!」
今まで動物の好き嫌いで何度か衝突はしたが、お茶会に紛れ込んだ子犬を令息が足蹴にしたことで、クラリスの怒りは爆発し、それに逆ギレした令息の売り言葉は、クラリスの買い言葉で実現に至ってしまった。
高貴な家柄の子女が集まる学園のお茶会は、水を打ったように静まりかえった。
ベルフィールド侯爵家にて。
「はぁ~~」
父親の長いため息を、クラリスは横目で見る。
「クラリスよ……公爵家と婚約破棄だなんて。もう各家に噂が回って、大騒ぎだよ」
「だってお父様。向こうから言い出しましたのよ?それにお父様は、結婚しても犬と一緒に暮らしたいという、私の夢を知っているでしょ?あんな動物嫌いの男、伴侶として最初から不適合でしたのよ!」
クラリスは自宅の大きなもふもふ犬を抱きしめながら、憤慨している。
「ワンコを蹴るなんて、人としてあり得ない!」
その怒りの勢いに、父は諦めて肩を落とす。
クラリスは聡明で見目も美しい令嬢と、社交界でも評判の自慢の愛娘であるが、度を超えた犬好きと、毅然とした意思の強さには、父もほとほと困っていた。
否と言ったら断固否だし、理論で筋を通してくる分、反論のしようが無い。
「しかしクラリス。婚約破棄はこれで2人目だよ?しかも1人目は……」
「王太子のことですね。お父様はあの事件を、許すべきだったと?」
「あ、いや、それは……」
「それこそ、人としてありえない所業でしたよね?」
「う、うーん……」
父が弱った隙に、クラリスはもふもふ犬を連れて、庭に駆け出した。
「私、お散歩に行ってきますわ!」
庭でワンコと戯れながら、クラリスは幸せな気持ちに満ちていた。
「ああ、やっぱりワンコが好き。こんなに可愛くて、賢くて、もふもふなんですもの。私はね、婚約の失敗が続いて、もう人間の男が嫌になってしまいそうよ」
首を傾げるワンコの額にキスをしながら、クラリスは子供の頃の記憶を思い出していた。
父の勤め先である宮廷に遊びに行ったあの日。
6歳だったクラリスは中庭の池に落ちて溺れたところを、警備にあたっていた軍用犬に助けられた。あと一歩遅ければ、自分は溺れ死んでいたかもしれない。命の恩犬である大きな犬が忘れられず、ずっと心の中で慕っているのだ。
銀色の毛に深い青の瞳が美しい犬が、自身の襟首を噛み掴んで引き上げる力強さ……思い出すだけで胸がときめいて、それは好きを通り越した熱恋だった。
以来、クラリスは無類の犬好きとなったが、あの恩犬は宮廷から辺境の警備に移動してしまったらしく、あれから2度と会えなかった。
「はぁ……あんなに美しくて格好いいワンコ……人間じゃ敵わないわ」
犬に溢す、犬への悲恋の嘆きは、重症だった。
数日後。
クラリスはまたしても、仁王立ちで怒っていた。
「婚約の、再度申し入れ!?」
ワナワナと震える娘の怒りに、父親は誤魔化すように目を逸らす。
「う~ん。どうやら君と公爵家との婚約破棄を、王室の関係者が聞きつけたみたいで。再度、王太子と婚約をしてほしいと……」
「あの、アシュリー王子と!?」
「う、うん」
「嫌ですわ!あんな事件があったのに、同じ相手と2度も婚約するなんて!」
父はまあまあ、とクラリスをなだめる。
「あの事件は子供の頃だったし、王太子殿下も立派に成長されて、きっと昔のことを後悔しているよ」
クラリスはありえない、と首を振る。
「私があの池に落ちて溺れている間、アシュリー王子は恐怖のあまり逃げ出して、誰にも助けを求めずに隠れたのですよ?しかも、その後も無視を続けて、一言の謝罪も無く!」
「う、うん。確かに……でも」
「それに世間であの王子が何と噂されているか、ご存知でしょう?」
「オホン、え~と」
「銀箔の王子、ですわ。見目が良いのは上辺だけで、ペラペラの箔のようだって。王族らしい銀髪と顔だけは美しいけれど、中身は人見知りのコミュ障で、女嫌い。しかも引き籠もりですって。婚約者として、最悪ですわ!」
父は弁解もできずに、手を合わせて拝んだ。
「クラリスよ、ご尤もだ!だが、雇い主である王家から頼まれた、私の立場も考えてほしい。せめて一度会ってはくれないか!ひと目でもいい!!」
「ええ!望むところよ!!」
脅し半分で叩きつけた婚約破棄は、それを上回る勢いで返ってきて、公爵令息は目を丸くして、たじろいだ。
まさかこんな些細なことで、令嬢自らも婚約破棄を望むとは、予想外だったらしい。しおらしく落ち込むだろうとタカを括っていた分、令息はショックでよろめいた。
クラリス・オルコット侯爵令嬢は仁王立ちして、こちらをまっすぐに睨んでいる。見たことがないほど、毅然と怒りを露わにしていた。その手には、小さな犬が抱かれている。
「か弱いワンコを足蹴にするような男、こっちから願い下げだわ!」
「な、なんだと!僕が動物嫌いなのは知ってるだろう!?その犬が勝手に近寄ってきたから、どけただけじゃないか!」
今まで動物の好き嫌いで何度か衝突はしたが、お茶会に紛れ込んだ子犬を令息が足蹴にしたことで、クラリスの怒りは爆発し、それに逆ギレした令息の売り言葉は、クラリスの買い言葉で実現に至ってしまった。
高貴な家柄の子女が集まる学園のお茶会は、水を打ったように静まりかえった。
ベルフィールド侯爵家にて。
「はぁ~~」
父親の長いため息を、クラリスは横目で見る。
「クラリスよ……公爵家と婚約破棄だなんて。もう各家に噂が回って、大騒ぎだよ」
「だってお父様。向こうから言い出しましたのよ?それにお父様は、結婚しても犬と一緒に暮らしたいという、私の夢を知っているでしょ?あんな動物嫌いの男、伴侶として最初から不適合でしたのよ!」
クラリスは自宅の大きなもふもふ犬を抱きしめながら、憤慨している。
「ワンコを蹴るなんて、人としてあり得ない!」
その怒りの勢いに、父は諦めて肩を落とす。
クラリスは聡明で見目も美しい令嬢と、社交界でも評判の自慢の愛娘であるが、度を超えた犬好きと、毅然とした意思の強さには、父もほとほと困っていた。
否と言ったら断固否だし、理論で筋を通してくる分、反論のしようが無い。
「しかしクラリス。婚約破棄はこれで2人目だよ?しかも1人目は……」
「王太子のことですね。お父様はあの事件を、許すべきだったと?」
「あ、いや、それは……」
「それこそ、人としてありえない所業でしたよね?」
「う、うーん……」
父が弱った隙に、クラリスはもふもふ犬を連れて、庭に駆け出した。
「私、お散歩に行ってきますわ!」
庭でワンコと戯れながら、クラリスは幸せな気持ちに満ちていた。
「ああ、やっぱりワンコが好き。こんなに可愛くて、賢くて、もふもふなんですもの。私はね、婚約の失敗が続いて、もう人間の男が嫌になってしまいそうよ」
首を傾げるワンコの額にキスをしながら、クラリスは子供の頃の記憶を思い出していた。
父の勤め先である宮廷に遊びに行ったあの日。
6歳だったクラリスは中庭の池に落ちて溺れたところを、警備にあたっていた軍用犬に助けられた。あと一歩遅ければ、自分は溺れ死んでいたかもしれない。命の恩犬である大きな犬が忘れられず、ずっと心の中で慕っているのだ。
銀色の毛に深い青の瞳が美しい犬が、自身の襟首を噛み掴んで引き上げる力強さ……思い出すだけで胸がときめいて、それは好きを通り越した熱恋だった。
以来、クラリスは無類の犬好きとなったが、あの恩犬は宮廷から辺境の警備に移動してしまったらしく、あれから2度と会えなかった。
「はぁ……あんなに美しくて格好いいワンコ……人間じゃ敵わないわ」
犬に溢す、犬への悲恋の嘆きは、重症だった。
数日後。
クラリスはまたしても、仁王立ちで怒っていた。
「婚約の、再度申し入れ!?」
ワナワナと震える娘の怒りに、父親は誤魔化すように目を逸らす。
「う~ん。どうやら君と公爵家との婚約破棄を、王室の関係者が聞きつけたみたいで。再度、王太子と婚約をしてほしいと……」
「あの、アシュリー王子と!?」
「う、うん」
「嫌ですわ!あんな事件があったのに、同じ相手と2度も婚約するなんて!」
父はまあまあ、とクラリスをなだめる。
「あの事件は子供の頃だったし、王太子殿下も立派に成長されて、きっと昔のことを後悔しているよ」
クラリスはありえない、と首を振る。
「私があの池に落ちて溺れている間、アシュリー王子は恐怖のあまり逃げ出して、誰にも助けを求めずに隠れたのですよ?しかも、その後も無視を続けて、一言の謝罪も無く!」
「う、うん。確かに……でも」
「それに世間であの王子が何と噂されているか、ご存知でしょう?」
「オホン、え~と」
「銀箔の王子、ですわ。見目が良いのは上辺だけで、ペラペラの箔のようだって。王族らしい銀髪と顔だけは美しいけれど、中身は人見知りのコミュ障で、女嫌い。しかも引き籠もりですって。婚約者として、最悪ですわ!」
父は弁解もできずに、手を合わせて拝んだ。
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