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第1話:始まりは突然に
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昼休み特有の、ざわめきと購買のパンの匂い。
誰かが持ち込んだカップ麺の香りが混じり合った喧騒。
俺、白石悠真(しらいし ゆうま)は、教室の窓際、一番後ろの席で文庫本に目を落としながら、買ってきたメロンパンを静かにもそもそと食べていた。
うちの高校は、時代錯誤も甚だしい男子校だ。
当然、この教室にいるのは、むさ苦しい男だけ。華やかさなんてものは一切ない。
それでも、地味で極力目立たずに生きていたい俺にとって、この席は誰にも干渉されない聖域(サンクチュアリ)のようなものだった。
窓の外を眺めれば、グラウンドでサッカーをしている生徒が見える。
時折聞こえる乾いたボールの音と歓声が、読書のBGMとしてはちょうどいい。
この平穏が、ずっと続けばいいのに。
「――でさ、昨日の練習試合見たかよ!マジ神パス!」
「見た見た!蓮のアレはヤバかったって!完全に流れ変えたよな」
教室のちょうど真ん中あたり。
ひときわ明るい声が弾けている一団の中心に、そいつはいた。
神谷蓮(かみや れん)。
サッカー部の次期エースと噂され、誰にでも分け隔てなく笑いかける、絵に描いたような人気者。
少し色素の薄い髪はワックスで軽くセットされ、少し着崩した制服も様になっている。
ついでに言うと、顔もびっくりするくらい整っている。
少女漫画から飛び出してきた、なんて陳腐な表現がしっくりくる男。
彼が太陽なら、俺は教室の隅にひっそりと生えた苔だ。
光合成もろくにせず、湿った日陰で息を潜めているだけの存在。
同じクラスではあるけれど、まともに話したことなんて、入学当初の自己紹介と、数回の事務的なやりとりくらいしかない。
住む世界が違う。交わるはずがない。
そう思っていた、ほんの数分前までは……。
「なあ、白石」
突然、真上から声が降ってきた。
聞き覚えのある、少しだけ低い、よく通る声。
顔を上げると、そこにいたのは神谷蓮その人だった。
逆光で表情はよく見えない。けれど、太陽みたいに笑っていることだけはわかった。
彼が、俺の机に軽く手をついて、キラキラした瞳でこっちを見下ろしている。
一体、なんの冗談だ?
一瞬にして、教室中の視線が俺たちの席に突き刺さったのがわかった。
今までBGMだったはずの喧騒がピタリと止み、好奇の目が集中する。
「え? なんで神谷が白石に?」
「なんか用事か?」
そんな囁きが聞こえてくる。やめてくれ。
こっちを見ないでほしい。
ただでさえ目立ちたくないのに、学年の人気者の隣にいるなんて、拷問に近い。
「……なんだ、神谷。俺に何か用か?」
できるだけ平静を装って尋ねる。
心臓がドクドクとうるさいのは、きっと驚いただけだ。そうに違いない。
蓮は、周囲の喧騒も、突き刺さる視線も、まるで気にしていない様子で、にっと口角を上げた。
そして、爆弾を投下するかのように、とんでもないことを言い放った。
「俺と恋人になってくれ。期限は一年」
「…………は?」
時が、止まった。
教室を満たしていたざわめきが、嘘のようにシンと静まり返る。
全ての音が消えて、蓮の言葉だけが、俺の頭の中で何度も反響した。
俺の耳がおかしくなったんだろうか。
それとも、連日の夜更かしで、ついに幻聴が聞こえるようになったとか。
今、この男はなんと言った?
こいびと?期限付き?
数十秒にも感じられた沈黙の後、誰かがこらえきれずに噴き出したのを皮切りに、教室は爆笑の渦に包まれた。
「ぶはっ!おい蓮、お前何言ってんだよ!」
「罰ゲームか?さすがにそれはキツいだろ、相手が白石じゃあ!」
「どんな罰だよ、それ!」
からかうような声と下品な笑い声が飛び交う。
その言葉に、ちくりと胸が痛んだ。
わかっている。わかっているけど、面と向かって言われるとさすがにへこむ。
俺はただ呆然と、目の前の男を見つめていた。
罰ゲーム。ああ、それなら納得がいく。
こんな地味で面白みのない俺をからかって、みんなで笑いものにするための、手の込んだ悪戯だ。
「……悪いけど、そういう冗談は間に合ってる」
俺はわざとらしくため息をついて、再び本に視線を落とした。
関わるだけ無駄だ。早くこの嵐が過ぎ去ってくれるのを、息を殺して待つしかない。
「冗談じゃねーよ。俺は本気」
しかし、蓮は諦めるどころか、俺が読んでいた文庫本をひょいと取り上げた。
指先が、俺の手に微かに触れる。その熱さに、びくりと肩が震えた。
「おい、返せ」
「じゃあ、恋人になってくれる?」
「なるわけないだろ。意味がわからない」
俺が睨みつけても、蓮はどこ吹く風だ。
それどころか、心底おかしそうに、楽しそうに笑っている。
「そっか。まあ、いいや」
彼はあっさりとそう言うと、俺の手から奪った本を、しおりが挟んであったページにパタンと閉じた。
そして、俺の空いている方の手に、その本をぐっと握らせる。
「じゃあ、そういうことで。よろしくな、悠真」
有無を言わさぬ口調。
そして、当たり前のように、下の名前で呼ばれた。
「は!?ちょっと待て、話は終わってな――」
俺が何かを言い募る前に、蓮はひらひらと手を振って、友人たちの輪の中へと戻っていく。
「おい、蓮!どういうことだよ!」という友人たちの声に囲まれながら、彼は楽しそうに笑っていた。
残されたのは、唖然とした俺と、クラスメイトたちの好奇と嘲笑が入り混じった視線だけ。
「おいおい、マジかよ蓮様」
「白石、どういうことだよ? お前、蓮の弱みでも握ってんのか?」
質問の雨が降り注ぐが、俺に答えられるはずもない。
俺が、俺が一番聞きたい。
昼休みの終わりを告げるチャイムが、無情に鳴り響く。
握らされたままの文庫本が、蓮の体温が移ったかのように、やけに熱を持っているように感じた。
神谷蓮。
クラスの人気者で、太陽みたいな男。
あいつのせいで、俺の平穏な毎日は、どうやら今日、終わりを告げたらしい。
最悪だ。
本当に、最悪だ。
明日から、俺は一体どんな顔をして学校に来ればいいんだ。
誰かが持ち込んだカップ麺の香りが混じり合った喧騒。
俺、白石悠真(しらいし ゆうま)は、教室の窓際、一番後ろの席で文庫本に目を落としながら、買ってきたメロンパンを静かにもそもそと食べていた。
うちの高校は、時代錯誤も甚だしい男子校だ。
当然、この教室にいるのは、むさ苦しい男だけ。華やかさなんてものは一切ない。
それでも、地味で極力目立たずに生きていたい俺にとって、この席は誰にも干渉されない聖域(サンクチュアリ)のようなものだった。
窓の外を眺めれば、グラウンドでサッカーをしている生徒が見える。
時折聞こえる乾いたボールの音と歓声が、読書のBGMとしてはちょうどいい。
この平穏が、ずっと続けばいいのに。
「――でさ、昨日の練習試合見たかよ!マジ神パス!」
「見た見た!蓮のアレはヤバかったって!完全に流れ変えたよな」
教室のちょうど真ん中あたり。
ひときわ明るい声が弾けている一団の中心に、そいつはいた。
神谷蓮(かみや れん)。
サッカー部の次期エースと噂され、誰にでも分け隔てなく笑いかける、絵に描いたような人気者。
少し色素の薄い髪はワックスで軽くセットされ、少し着崩した制服も様になっている。
ついでに言うと、顔もびっくりするくらい整っている。
少女漫画から飛び出してきた、なんて陳腐な表現がしっくりくる男。
彼が太陽なら、俺は教室の隅にひっそりと生えた苔だ。
光合成もろくにせず、湿った日陰で息を潜めているだけの存在。
同じクラスではあるけれど、まともに話したことなんて、入学当初の自己紹介と、数回の事務的なやりとりくらいしかない。
住む世界が違う。交わるはずがない。
そう思っていた、ほんの数分前までは……。
「なあ、白石」
突然、真上から声が降ってきた。
聞き覚えのある、少しだけ低い、よく通る声。
顔を上げると、そこにいたのは神谷蓮その人だった。
逆光で表情はよく見えない。けれど、太陽みたいに笑っていることだけはわかった。
彼が、俺の机に軽く手をついて、キラキラした瞳でこっちを見下ろしている。
一体、なんの冗談だ?
一瞬にして、教室中の視線が俺たちの席に突き刺さったのがわかった。
今までBGMだったはずの喧騒がピタリと止み、好奇の目が集中する。
「え? なんで神谷が白石に?」
「なんか用事か?」
そんな囁きが聞こえてくる。やめてくれ。
こっちを見ないでほしい。
ただでさえ目立ちたくないのに、学年の人気者の隣にいるなんて、拷問に近い。
「……なんだ、神谷。俺に何か用か?」
できるだけ平静を装って尋ねる。
心臓がドクドクとうるさいのは、きっと驚いただけだ。そうに違いない。
蓮は、周囲の喧騒も、突き刺さる視線も、まるで気にしていない様子で、にっと口角を上げた。
そして、爆弾を投下するかのように、とんでもないことを言い放った。
「俺と恋人になってくれ。期限は一年」
「…………は?」
時が、止まった。
教室を満たしていたざわめきが、嘘のようにシンと静まり返る。
全ての音が消えて、蓮の言葉だけが、俺の頭の中で何度も反響した。
俺の耳がおかしくなったんだろうか。
それとも、連日の夜更かしで、ついに幻聴が聞こえるようになったとか。
今、この男はなんと言った?
こいびと?期限付き?
数十秒にも感じられた沈黙の後、誰かがこらえきれずに噴き出したのを皮切りに、教室は爆笑の渦に包まれた。
「ぶはっ!おい蓮、お前何言ってんだよ!」
「罰ゲームか?さすがにそれはキツいだろ、相手が白石じゃあ!」
「どんな罰だよ、それ!」
からかうような声と下品な笑い声が飛び交う。
その言葉に、ちくりと胸が痛んだ。
わかっている。わかっているけど、面と向かって言われるとさすがにへこむ。
俺はただ呆然と、目の前の男を見つめていた。
罰ゲーム。ああ、それなら納得がいく。
こんな地味で面白みのない俺をからかって、みんなで笑いものにするための、手の込んだ悪戯だ。
「……悪いけど、そういう冗談は間に合ってる」
俺はわざとらしくため息をついて、再び本に視線を落とした。
関わるだけ無駄だ。早くこの嵐が過ぎ去ってくれるのを、息を殺して待つしかない。
「冗談じゃねーよ。俺は本気」
しかし、蓮は諦めるどころか、俺が読んでいた文庫本をひょいと取り上げた。
指先が、俺の手に微かに触れる。その熱さに、びくりと肩が震えた。
「おい、返せ」
「じゃあ、恋人になってくれる?」
「なるわけないだろ。意味がわからない」
俺が睨みつけても、蓮はどこ吹く風だ。
それどころか、心底おかしそうに、楽しそうに笑っている。
「そっか。まあ、いいや」
彼はあっさりとそう言うと、俺の手から奪った本を、しおりが挟んであったページにパタンと閉じた。
そして、俺の空いている方の手に、その本をぐっと握らせる。
「じゃあ、そういうことで。よろしくな、悠真」
有無を言わさぬ口調。
そして、当たり前のように、下の名前で呼ばれた。
「は!?ちょっと待て、話は終わってな――」
俺が何かを言い募る前に、蓮はひらひらと手を振って、友人たちの輪の中へと戻っていく。
「おい、蓮!どういうことだよ!」という友人たちの声に囲まれながら、彼は楽しそうに笑っていた。
残されたのは、唖然とした俺と、クラスメイトたちの好奇と嘲笑が入り混じった視線だけ。
「おいおい、マジかよ蓮様」
「白石、どういうことだよ? お前、蓮の弱みでも握ってんのか?」
質問の雨が降り注ぐが、俺に答えられるはずもない。
俺が、俺が一番聞きたい。
昼休みの終わりを告げるチャイムが、無情に鳴り響く。
握らされたままの文庫本が、蓮の体温が移ったかのように、やけに熱を持っているように感じた。
神谷蓮。
クラスの人気者で、太陽みたいな男。
あいつのせいで、俺の平穏な毎日は、どうやら今日、終わりを告げたらしい。
最悪だ。
本当に、最悪だ。
明日から、俺は一体どんな顔をして学校に来ればいいんだ。
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