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第5話:夕暮れと本音
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季節は初夏に差し掛かり、日中はブレザーを着ていると少し汗ばむような日が増えてきた。
神谷蓮との「恋人ごっこ」は、もはや俺の学校生活において、否定しようのない日常としてすっかり定着してしまっている。
放課後になれば、教室の後ろのドアに蓮が当たり前のように迎えに来て、時にはコンビニでアイスを買い、時にはただ他愛もない話をしながら、並んで帰る。
小、中とは接点がないと思っていたが、学区が違うだけで、たまたま近所だということがわかった。
――それ以来、帰り道が少しだけ好きになった。
クラスメイトたちの
「今日も一緒か?」
「ラブラブだなー」
なんて冷やかしや好奇の視線にも、悔しいけれど、少しずつ慣れてきてしまった自分がいる。
人間は、良くも悪くも順応する生き物らしい。
その日も、俺たちはオレンジ色に染まり始めた夕暮れの道を、並んで歩いていた。
蓮はサッカー部の練習であったらしい他愛もない出来事を、大きな身振り手振りを交えて、実に楽しそうに話している。
俺はいつものように、相槌とも言えないような「へえ」「ふーん」という曖昧な返事を返すだけ。
でも、数週間前の自分と少しだけ違うのは、隣で響くその声を、もう不快だとは思わなくなったことだ。
うるさくて、強引で、何もかもがめちゃくちゃな男。
そのはずなのに、隣で弾む快活な声が、いつの間にか当たり前のBGMになっていた。
静かすぎた俺の世界に、無理やり持ち込まれた、騒々しくて、でもどこか心地よい音。
「――でさ、監督がマジでブチ切れちゃってさー。グラウンド30周!あれはマジでやばかったぜ」 「……ふーん」 「お前、ちゃんと聞いてる?」 「聞いてる。足、大丈夫なのか」
本当に聞いているのか怪しい俺の返事に、いつもなら茶化してくるところだが、今日は少し違った。
俺の言葉尻に、心配の色が滲んでいたのに気づいたのかもしれない。
蓮は一瞬きょとんとした後、ぷうっと子供っぽく頬を膨らませた。
「悠真が心配してくれるなら、あと30周走れるわ」 「……やめとけ」
そんな軽口に、思わず少しだけ口元が緩んでしまう。
まずい。
最近、こいつの前で表情筋が緩むことが増えてきた。
こいつは、本当に裏表がなく、太陽みたいにただひたすら明るいだけなんだろうか。
俺をからかうという、ただそれだけのために、こんな毎日を律儀に続けているのか?
その動機が、未だにわからない。
そんなことを考えていると、ふと、蓮が立ち止まった。
つられて俺も足を止める。
そこは、住宅街を静かに流れる小さな川にかかった、少し古びたコンクリートの橋の上だった。
部活帰りの自転車が時折通り過ぎるだけの、静かな場所だ。
蓮は何も言わず、欄干に軽く寄りかかって、朱色に燃える空をじっと見つめている。
さっきまでの、子犬みたいに騒がしかった姿とは打って変わって、ひどく静かだった。
夕日が蓮の横顔を鮮やかに照らし、いつもはキラキラと光って見える少し色素の薄い髪が、落ち着いたセピア色に見える。
その顔から、いつもの笑顔が消えていた。
それは、俺の知らない、どこか遠くを見つめる、儚げな表情をしていた。
「……神谷?」
その静寂に耐えきれず、思わず名前を呼ぶ。
俺の声に、蓮はゆっくりと視線だけを動かしたが、俺の目を見ることはなかった。
そして、ぽつりと、呟いた。
「俺、後悔しないようにしてんだ」
それは、今まで聞いたことのない、静かで、真剣な、心の奥底から絞り出したような声だった。
川のせせらぎと、遠くでカラスが「カァ」と鳴く声だけが、やけにクリアに聞こえる。
「……え?」
「やりたいことは全部やる。言いたいことは全部言う。会いたい奴には、会いに行く」
独り言のような、誰かに強く言い聞かせているような、不思議な響き。
その言葉の一つ一つが、鉛のように重く、俺の胸に沈んでいく。
心臓が、嫌な音を立てて大きく跳ねた。
いつもの冗負じゃない。
こいつは今、本気で話している。
「それ……どういう、意味だ?」
震えそうになる声をなんとか抑えつけて尋ねると、蓮はゆっくりとこっちを振り返った。
そして、さっきまでのシリアスな表情がすべて嘘だったかのように、にかっと歯を見せて笑う。
いつもの、神谷蓮の顔だ。
「んー?なんでもねーよ!ちょっとカッコつけてみただけ!」
そう言って、俺の頭をわしわしと、少し乱暴に撫でる。
「ほら、暗くなる前に帰るぞ!俺、腹減って死にそうだわ!」
蓮は再び歩き出し、まだ立ち尽くしている俺の背中をぐいぐいと押した。
まるで、さっきの会話を無理やり終わらせるように。
「なあ悠真、今日の晩飯なんだと思う?」 「……知らない」 「俺んちはカレーだって!昨日の夜、オフクロが言ってた!いいだろ!」
いつもの蓮に戻っている。
騒がしくて、能天気で、何も考えていなさそうな、いつもの。
でも、俺の頭の中では、さっきの静かな声と、見たことのない儚げな横顔が、何度も何度も繰り返し再生されていた。
『後悔しないようにしてんだ』
あれは、一体何だったんだろう。
一体、何に対しての後悔なんだ?
騒がしく隣を歩く蓮の背中を見ながら、俺は初めて、この男の底知れない部分に触れてしまったような気がしていた。
今まで俺が見ていたのは、分厚い雲に隠された、太陽のほんの一面に過ぎなかったのかもしれない。
ただのクラスメイトじゃなく、ただの「恋人ごっこ」の相手でもない。
神谷蓮という人間が、急にわからなくなった。
そして、わからなくなったその向こう側を、知りたいと思ってしまった自分に、気づいてしまった。
神谷蓮との「恋人ごっこ」は、もはや俺の学校生活において、否定しようのない日常としてすっかり定着してしまっている。
放課後になれば、教室の後ろのドアに蓮が当たり前のように迎えに来て、時にはコンビニでアイスを買い、時にはただ他愛もない話をしながら、並んで帰る。
小、中とは接点がないと思っていたが、学区が違うだけで、たまたま近所だということがわかった。
――それ以来、帰り道が少しだけ好きになった。
クラスメイトたちの
「今日も一緒か?」
「ラブラブだなー」
なんて冷やかしや好奇の視線にも、悔しいけれど、少しずつ慣れてきてしまった自分がいる。
人間は、良くも悪くも順応する生き物らしい。
その日も、俺たちはオレンジ色に染まり始めた夕暮れの道を、並んで歩いていた。
蓮はサッカー部の練習であったらしい他愛もない出来事を、大きな身振り手振りを交えて、実に楽しそうに話している。
俺はいつものように、相槌とも言えないような「へえ」「ふーん」という曖昧な返事を返すだけ。
でも、数週間前の自分と少しだけ違うのは、隣で響くその声を、もう不快だとは思わなくなったことだ。
うるさくて、強引で、何もかもがめちゃくちゃな男。
そのはずなのに、隣で弾む快活な声が、いつの間にか当たり前のBGMになっていた。
静かすぎた俺の世界に、無理やり持ち込まれた、騒々しくて、でもどこか心地よい音。
「――でさ、監督がマジでブチ切れちゃってさー。グラウンド30周!あれはマジでやばかったぜ」 「……ふーん」 「お前、ちゃんと聞いてる?」 「聞いてる。足、大丈夫なのか」
本当に聞いているのか怪しい俺の返事に、いつもなら茶化してくるところだが、今日は少し違った。
俺の言葉尻に、心配の色が滲んでいたのに気づいたのかもしれない。
蓮は一瞬きょとんとした後、ぷうっと子供っぽく頬を膨らませた。
「悠真が心配してくれるなら、あと30周走れるわ」 「……やめとけ」
そんな軽口に、思わず少しだけ口元が緩んでしまう。
まずい。
最近、こいつの前で表情筋が緩むことが増えてきた。
こいつは、本当に裏表がなく、太陽みたいにただひたすら明るいだけなんだろうか。
俺をからかうという、ただそれだけのために、こんな毎日を律儀に続けているのか?
その動機が、未だにわからない。
そんなことを考えていると、ふと、蓮が立ち止まった。
つられて俺も足を止める。
そこは、住宅街を静かに流れる小さな川にかかった、少し古びたコンクリートの橋の上だった。
部活帰りの自転車が時折通り過ぎるだけの、静かな場所だ。
蓮は何も言わず、欄干に軽く寄りかかって、朱色に燃える空をじっと見つめている。
さっきまでの、子犬みたいに騒がしかった姿とは打って変わって、ひどく静かだった。
夕日が蓮の横顔を鮮やかに照らし、いつもはキラキラと光って見える少し色素の薄い髪が、落ち着いたセピア色に見える。
その顔から、いつもの笑顔が消えていた。
それは、俺の知らない、どこか遠くを見つめる、儚げな表情をしていた。
「……神谷?」
その静寂に耐えきれず、思わず名前を呼ぶ。
俺の声に、蓮はゆっくりと視線だけを動かしたが、俺の目を見ることはなかった。
そして、ぽつりと、呟いた。
「俺、後悔しないようにしてんだ」
それは、今まで聞いたことのない、静かで、真剣な、心の奥底から絞り出したような声だった。
川のせせらぎと、遠くでカラスが「カァ」と鳴く声だけが、やけにクリアに聞こえる。
「……え?」
「やりたいことは全部やる。言いたいことは全部言う。会いたい奴には、会いに行く」
独り言のような、誰かに強く言い聞かせているような、不思議な響き。
その言葉の一つ一つが、鉛のように重く、俺の胸に沈んでいく。
心臓が、嫌な音を立てて大きく跳ねた。
いつもの冗負じゃない。
こいつは今、本気で話している。
「それ……どういう、意味だ?」
震えそうになる声をなんとか抑えつけて尋ねると、蓮はゆっくりとこっちを振り返った。
そして、さっきまでのシリアスな表情がすべて嘘だったかのように、にかっと歯を見せて笑う。
いつもの、神谷蓮の顔だ。
「んー?なんでもねーよ!ちょっとカッコつけてみただけ!」
そう言って、俺の頭をわしわしと、少し乱暴に撫でる。
「ほら、暗くなる前に帰るぞ!俺、腹減って死にそうだわ!」
蓮は再び歩き出し、まだ立ち尽くしている俺の背中をぐいぐいと押した。
まるで、さっきの会話を無理やり終わらせるように。
「なあ悠真、今日の晩飯なんだと思う?」 「……知らない」 「俺んちはカレーだって!昨日の夜、オフクロが言ってた!いいだろ!」
いつもの蓮に戻っている。
騒がしくて、能天気で、何も考えていなさそうな、いつもの。
でも、俺の頭の中では、さっきの静かな声と、見たことのない儚げな横顔が、何度も何度も繰り返し再生されていた。
『後悔しないようにしてんだ』
あれは、一体何だったんだろう。
一体、何に対しての後悔なんだ?
騒がしく隣を歩く蓮の背中を見ながら、俺は初めて、この男の底知れない部分に触れてしまったような気がしていた。
今まで俺が見ていたのは、分厚い雲に隠された、太陽のほんの一面に過ぎなかったのかもしれない。
ただのクラスメイトじゃなく、ただの「恋人ごっこ」の相手でもない。
神谷蓮という人間が、急にわからなくなった。
そして、わからなくなったその向こう側を、知りたいと思ってしまった自分に、気づいてしまった。
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