【完結】期限付きの恋人契約〜あと一年で終わるはずだったのに〜

なの

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第7話:笑顔の裏側

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蓮が学校を休んでから、三日後の朝。

少しだけ気怠い空気が漂う教室のドアを開けた俺は、その喧騒に思わず足を止めた。

そこには、数日前まで失われていたはずの、見慣れた光景が広がっていた。

友人たちに囲まれ、馬鹿みたいにでかい声で笑っている、神谷蓮の姿が。

「お、悠真!おはよー!」

俺の姿を見つけるなり、蓮は「わり、ちょっと待ってて」と友人たちに声をかけ、人混みをかき分けるようにして、いつも通りにこちらへやってくる。

その顔色はすっかり元に戻っていて、肌には病み上がりとは思えないほどの艶さえある。

数日前に、薄暗い部屋のベッドで苦しそうに息をしていた男と、目の前の太陽みたいな男が、同一人物だとは到底思えなかった。

「……もう、いいのか」

ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど硬かった。

「おう!心配かけたな!お前が持ってきてくれたあのゼリーのおかげで、秒で治ったわ!」

そう言って、蓮は感謝の印だとでも言うように、俺の背中をバシン!と力強く叩いた。

「……っつ!」

鈍い衝撃が背骨に響く。

痛い。本気で痛い。

思わず呻き声を上げると、蓮は慌てたように、でも楽しそうに目を細めた。

「わりぃわりぃ。いやー、三日も寝てると体がなまってしょうがねえ」

屈託なく笑う蓮。

周りのクラスメイトも「病み上がりとは思えねー元気さだな」
「さすが蓮様、回復力も人間じゃねえ」と囃し立てて笑っている。

いつもの、日常の光景。

これが、俺たちの教室の当たり前の風景。

でも、俺だけがその光景にうまく馴染めずにいた。

頭の片隅に、あの日の光景が、古い映画のフィルムみたいに焼き付いて離れない。

苦しそうに歪められた蓮の顔。

荒い呼吸。

そして、サイドテーブルに無造作に並んでいた、大学病院の名前が入った、無数の薬袋。

あれは、ただの風邪じゃなかったんじゃないか?

その疑念が、胸の中でじわりじわりと黒い染みのように広がっていく。

でも、目の前で太陽みたいに笑う蓮に、どうやってそのことを切り出せばいいのかわからなかった。

「なあ、あの薬は何なんだ?」

そんなふうに聞けるはずもない。

それは、他人のテリトリーに土足で踏み込む行為だ。俺たちには、そんなことを許されるような関係性はない。

ただの、クラスメイトで、そして「恋人ごっこ」の相手なのだから。

◇◇◇

その日の放課後も、蓮は当たり前のように俺の席までやって来て、「帰るぞ」と声をかけた。

太陽はまだ高い位置でじりじりとアスファルトを焼いている。

俺たちは、黙って並んで校門を出た。

「なあ、お見舞い、マジでサンキュな」

しばらく無言で歩いていると、不意に蓮が言った。
いつもより少しだけ、落ち着いた、真面目な声だった。

「妹がさ、悠真がすげー心配してくれてたって、何度も言うんだよ。なんか、嬉しかったわ」

「……別に。クラスのよしみだ。誰かが風邪ひいたら、心配くらいする」

素直になれない自分が嫌になる。

本当は、いてもたってもいられなかったくせに。

「ふーん。照れてんの?」

からかうように、蓮が俺の顔をぐっと覗き込んできた。

その瞳があまりに真っ直ぐで、俺はとっさに顔を背けた。

心臓が、また勝手にどきりと大きな音を立てる。

「……お前、本当にただの風邪だったのか?」

気づけば、声に出ていた。
ずっと胸の奥で渦巻いていた言葉が、何の脈絡もなく、いとも簡単に口から滑り落ちる。

しまった、と思った。
聞いてはいけないと、自分に言い聞かせていたはずの言葉だったのに。

蓮の足が、ぴたりと止まった。

俺もつられて足を止める。

じいじいと鳴く蝉の声だけが、やけに耳障りに響いていた。

どんな顔をされるだろうか。

「何だよ急に」と怒るだろうか。
それとも、またいつものように冗談ではぐらかされるだろうか。
恐る恐る隣に視線を向ける。

ゆっくりと振り返った蓮は、一瞬だけ、俺の知らない顔をしていた。

夕暮れの橋の上で見た、あの儚げな表情によく似ていた。

すべての感情を削ぎ落としたような、空っぽの顔。

でも、それも本当に、瞬きをするほどの一瞬のこと。

次の瞬間には、いつもの神谷蓮に戻っていた。

わざとらしく肩をすくめて、大げさにため息をついてみせる。

「ひでーな悠真。俺のこと、そんなに信用ねーの?」

「……いや、そういうわけじゃ」

「ただの夏風邪だって。ちょっとこじらせただけ。お前、意外と心配性だよな。まあ、そんなとこも可愛いけどな?」

「……っ、かわいくない!」

俺が顔を真っ赤にして反論すると、蓮は「あはは!」と大きな声を上げて笑った。

その笑い声が、空虚に響く。

違う。
こいつは今、何かを隠した。

道化を演じるように。ふざけてみせることで、分厚い壁を作った。

笑顔で、冗談で、俺が踏み込もうとした領域から、無理やり話を逸らした。

確信があった。

でも、その壁の前で、俺は立ち尽くすことしかできなかった。

「じゃあ、あの薬は何だったんだ」という言葉は、喉の奥でつかえて、どうしても出てこなかった。

蓮は「ほら、帰るぞ」と、再び歩き出す。

その背中が、ほんの少しだけ、いつもより小さく見えたのは、西日のせいだろうか。

俺は、この「恋人ごっこ」の裏側にある、重くて暗い何かの存在を、はっきりと感じていた。

こいつが笑顔の裏に隠している秘密は何だ?

そして、俺は一体いつから、ただの「ごっこ」相手のことを、こんなにも本気で心配するようになってしまったんだろう。

答えの出ない二つの問いだけが気怠い空気に、ゆっくりと溶けていった。


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