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第12話:文化祭の熱狂と二人だけの時間
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秋の涼やかな風が、文化祭の熱気を運んでくる。
あれから数週間、俺たちの「喫茶店」は、クラス全員の努力の甲斐あって、見違えるような姿になっていた。
手作りの看板、温かみのある木目調の壁紙、生徒の手作りとは思えないほどしっかりとしたカウンター。
そのすべてが、俺たちの汗と、笑い声の結晶だ。
黒板の端には、誰かがチョークで描いたコーヒーカップの落書き。
窓際には色とりどりの花瓶が並び、そこに差されたガーベラやカスミソウが、室内のざわめきに合わせて小さく揺れている。
「本当に、文化祭の教室かよ……」
と呟いたのは、昨日の準備の終盤。
完成した店内を見渡したときのクラス全員の顔は、誇らしさと安堵が入り混じっていた。
そして迎えた当日。
俺たちの「カフェ・ド・ソレイユ」(太陽のカフェ、という意味らしい。もちろん命名は、太陽みたいに笑う神谷蓮だ)は、開店と同時に廊下まで続く長蛇の列ができた。
普段はガラの悪い野次が飛び交うむさ苦しい教室が、今はコーヒーの香ばしい香りと、人の熱気で満ちている。
注文を取る声、ミルクフォーマーの低い音、グラス同士が触れ合う軽やかな音が、次々に耳に飛び込んでくる。
慣れない手つきで注文を取り、コーヒーを運び、空いた皿を下げる。目の回るような忙しさだ。
俺も、クラスで揃えた黒いエプロンを身につけ、フロアを駆け回っていた。
「白石くん、3番テーブル、オーダーお願い!」
「悠真、こっちの皿、手伝ってくれ!」
クラスメイトたちから、当たり前のように名前を呼ばれる。
その一つ一つが、俺がこのクラスの一員であることを証明してくれているようで、くすぐったいような、誇らしいような気持ちになった。
教室の隅で、分厚い文庫本の世界にだけ閉じこもっていた頃の俺では想像もできなかった光景だ。
カウンターの奥で、蓮が笑いながらカップを拭いているのが見えた。
視線が合うと、奴は片目をつぶって軽くウインクを送ってくる。
心臓が跳ねたのは、きっと文化祭のせいだ。……たぶん。
「悠真、休憩!これ飲め!」
厨房の隅で壁にもたれて息を切らしていた俺の元に、同じくウェイター姿の蓮がやってきて、キンキンに冷えたスポーツドリンクを差し出してくれた。
その額には、玉の汗が光っている。
そして、ほんの一瞬だけ、その顔色が青白く見えたのは、気のせいだろうか。文化祭の熱気のせいか、それとも——。
「お前こそ、休めよ。ずっと動きっぱなしだろ」
「俺はいいんだよ。それより、悠真が倒れたら大変だろ。俺の恋人が働き者で可愛いのはわかるけどさ」
そう言ってニッと笑う顔は、いつもの太陽みたいな笑顔なのに、その瞳の奥には、俺だけを気遣う優しい色が浮かんでいる。
その視線に、忙しさで麻痺していた心臓が、またドクンと大きな音を立てた。
俺は「馬鹿言え」と呟いて、差し出されたドリンクをごくごくと一気に煽った。
乾いた喉に、冷たい液体が染み渡っていく。
午後になると、客足はさらに増えた。
外の廊下では他のクラスの呼び込みの声や、吹奏楽部の演奏の音が響き、店内はまるで小さな都会のカフェみたいに騒がしい。
蓮と肩がぶつかるたびに、小さな笑いが交わされる。
その一瞬一瞬が、忙しさの中でも不思議と胸に残った。
——そして、あっという間に時間は過ぎる。
校内に閉会を告げる放送が流れる。
「本日の文化祭は、これにて終了となります。ご来場、誠にありがとうございました」
そのアナウンスと共に、あれほど騒がしかった喧騒が、嘘のように潮が引いていく。
教室は、まるで祭りの後のように、静まり返っていた。
床には、紙くずやストローの袋が散らばっている。
残ったクラスメイトたちと協力して後片付けを進め、最後に残ったのは、やはり俺と蓮の二人だけだった。
ほうきと塵取りを手に、最後のゴミを集める。
「……終わったな」
「ああ……」
二人並んで、窓の外を眺める。
夕日が、空き缶や段ボールが積み上げられた教室を、どこか懐かしいノスタルジックなオレンジ色に染めていた。
その光に包まれると、たった二日間の出来事が、何年も前からの記憶みたいに感じられる。
「なあ、悠真」
ぽつりと、蓮が呟いた。
「俺さ、今日、すげー楽しかった。今まで生きてきた中で、一番楽しかったかもしんねえ」
「……俺も。疲れたけどな」
「だろ? だからさ、来年も、また二人で……」
そこまで言って、蓮はハッと息を呑んで口をつぐんだ。
「来年」という、何気ない言葉。
その言葉が、俺たちの間にある「期限」という名の、分厚くて冷たい壁を、残酷なまでにはっきりと思い出させたのだろう。
気まずい沈黙が、夕暮れの部屋に重く落ちる。
さっきまであれほど心地よかった静けさが、今は鉛のように重い。
俺は、その沈黙を破るように、蓮の手をそっと握った。
驚いてこちらを見る蓮の瞳に、俺は精一杯の笑顔を向ける。
夏休みの水族館で、この関係が続けばいいと願ってしまった、あの頃の俺じゃない。
映画館で、あいつの涙を見てしまった俺は、もう覚悟を決めたんだ。
こいつが隠しているものごと全部受け止めてやると。
「……来年のことなんて、わからないだろ」
「悠真……」
「だから、今日が最高に楽しかったってことだけでいいじゃないか」
「未来」のことなんて誰にもわかりはしない。
だったら、俺たちが今できるのは、この一瞬一瞬を宝物みたいに大切にすることだけだ。
俺の言葉に、蓮は一瞬だけ泣きそうな顔で目を見開いた。
その瞳が夕日でキラリと光った気がした。
そして、すぐにいつもの悪戯っぽい笑顔に戻ると、俺の手を強く、強く握り返してきた。
「……だな。今日は、最高の一日だった」
夕日に照らされた二つの影が、教室の床に長く長く伸びている。
来年のことなんて、わからない。
でも、この温かい手の感触だけは、この最高だった一日だけは絶対に忘れない。
俺は、そう心に誓った。
この誓いが、未来の俺たちを、きっと支えてくれると信じて——。
あれから数週間、俺たちの「喫茶店」は、クラス全員の努力の甲斐あって、見違えるような姿になっていた。
手作りの看板、温かみのある木目調の壁紙、生徒の手作りとは思えないほどしっかりとしたカウンター。
そのすべてが、俺たちの汗と、笑い声の結晶だ。
黒板の端には、誰かがチョークで描いたコーヒーカップの落書き。
窓際には色とりどりの花瓶が並び、そこに差されたガーベラやカスミソウが、室内のざわめきに合わせて小さく揺れている。
「本当に、文化祭の教室かよ……」
と呟いたのは、昨日の準備の終盤。
完成した店内を見渡したときのクラス全員の顔は、誇らしさと安堵が入り混じっていた。
そして迎えた当日。
俺たちの「カフェ・ド・ソレイユ」(太陽のカフェ、という意味らしい。もちろん命名は、太陽みたいに笑う神谷蓮だ)は、開店と同時に廊下まで続く長蛇の列ができた。
普段はガラの悪い野次が飛び交うむさ苦しい教室が、今はコーヒーの香ばしい香りと、人の熱気で満ちている。
注文を取る声、ミルクフォーマーの低い音、グラス同士が触れ合う軽やかな音が、次々に耳に飛び込んでくる。
慣れない手つきで注文を取り、コーヒーを運び、空いた皿を下げる。目の回るような忙しさだ。
俺も、クラスで揃えた黒いエプロンを身につけ、フロアを駆け回っていた。
「白石くん、3番テーブル、オーダーお願い!」
「悠真、こっちの皿、手伝ってくれ!」
クラスメイトたちから、当たり前のように名前を呼ばれる。
その一つ一つが、俺がこのクラスの一員であることを証明してくれているようで、くすぐったいような、誇らしいような気持ちになった。
教室の隅で、分厚い文庫本の世界にだけ閉じこもっていた頃の俺では想像もできなかった光景だ。
カウンターの奥で、蓮が笑いながらカップを拭いているのが見えた。
視線が合うと、奴は片目をつぶって軽くウインクを送ってくる。
心臓が跳ねたのは、きっと文化祭のせいだ。……たぶん。
「悠真、休憩!これ飲め!」
厨房の隅で壁にもたれて息を切らしていた俺の元に、同じくウェイター姿の蓮がやってきて、キンキンに冷えたスポーツドリンクを差し出してくれた。
その額には、玉の汗が光っている。
そして、ほんの一瞬だけ、その顔色が青白く見えたのは、気のせいだろうか。文化祭の熱気のせいか、それとも——。
「お前こそ、休めよ。ずっと動きっぱなしだろ」
「俺はいいんだよ。それより、悠真が倒れたら大変だろ。俺の恋人が働き者で可愛いのはわかるけどさ」
そう言ってニッと笑う顔は、いつもの太陽みたいな笑顔なのに、その瞳の奥には、俺だけを気遣う優しい色が浮かんでいる。
その視線に、忙しさで麻痺していた心臓が、またドクンと大きな音を立てた。
俺は「馬鹿言え」と呟いて、差し出されたドリンクをごくごくと一気に煽った。
乾いた喉に、冷たい液体が染み渡っていく。
午後になると、客足はさらに増えた。
外の廊下では他のクラスの呼び込みの声や、吹奏楽部の演奏の音が響き、店内はまるで小さな都会のカフェみたいに騒がしい。
蓮と肩がぶつかるたびに、小さな笑いが交わされる。
その一瞬一瞬が、忙しさの中でも不思議と胸に残った。
——そして、あっという間に時間は過ぎる。
校内に閉会を告げる放送が流れる。
「本日の文化祭は、これにて終了となります。ご来場、誠にありがとうございました」
そのアナウンスと共に、あれほど騒がしかった喧騒が、嘘のように潮が引いていく。
教室は、まるで祭りの後のように、静まり返っていた。
床には、紙くずやストローの袋が散らばっている。
残ったクラスメイトたちと協力して後片付けを進め、最後に残ったのは、やはり俺と蓮の二人だけだった。
ほうきと塵取りを手に、最後のゴミを集める。
「……終わったな」
「ああ……」
二人並んで、窓の外を眺める。
夕日が、空き缶や段ボールが積み上げられた教室を、どこか懐かしいノスタルジックなオレンジ色に染めていた。
その光に包まれると、たった二日間の出来事が、何年も前からの記憶みたいに感じられる。
「なあ、悠真」
ぽつりと、蓮が呟いた。
「俺さ、今日、すげー楽しかった。今まで生きてきた中で、一番楽しかったかもしんねえ」
「……俺も。疲れたけどな」
「だろ? だからさ、来年も、また二人で……」
そこまで言って、蓮はハッと息を呑んで口をつぐんだ。
「来年」という、何気ない言葉。
その言葉が、俺たちの間にある「期限」という名の、分厚くて冷たい壁を、残酷なまでにはっきりと思い出させたのだろう。
気まずい沈黙が、夕暮れの部屋に重く落ちる。
さっきまであれほど心地よかった静けさが、今は鉛のように重い。
俺は、その沈黙を破るように、蓮の手をそっと握った。
驚いてこちらを見る蓮の瞳に、俺は精一杯の笑顔を向ける。
夏休みの水族館で、この関係が続けばいいと願ってしまった、あの頃の俺じゃない。
映画館で、あいつの涙を見てしまった俺は、もう覚悟を決めたんだ。
こいつが隠しているものごと全部受け止めてやると。
「……来年のことなんて、わからないだろ」
「悠真……」
「だから、今日が最高に楽しかったってことだけでいいじゃないか」
「未来」のことなんて誰にもわかりはしない。
だったら、俺たちが今できるのは、この一瞬一瞬を宝物みたいに大切にすることだけだ。
俺の言葉に、蓮は一瞬だけ泣きそうな顔で目を見開いた。
その瞳が夕日でキラリと光った気がした。
そして、すぐにいつもの悪戯っぽい笑顔に戻ると、俺の手を強く、強く握り返してきた。
「……だな。今日は、最高の一日だった」
夕日に照らされた二つの影が、教室の床に長く長く伸びている。
来年のことなんて、わからない。
でも、この温かい手の感触だけは、この最高だった一日だけは絶対に忘れない。
俺は、そう心に誓った。
この誓いが、未来の俺たちを、きっと支えてくれると信じて——。
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