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第17話:砕け散る世界
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遠ざかっていくサイレンの音が、現実感を失った頭に鋭く突き刺さる。目の前で繰り広げられた光景が、まるで自分とはまったく関係のない、質の悪い映画の一場面のように見えた。
駆けつけた救急隊員が、手際よく蓮をストレッチャーに乗せていく。
先生たちが、何かを叫んでクラスメイトたちが、遠巻きに不安そうな顔でこちらを見ている。
俺は、何もできなかった。ただ、人垣の外側で、どんどん遠ざかっていく蓮の姿を、呆然と見送ることしか。
救急車の赤いランプが、校舎の窓ガラスに反射しながら点滅し、校門を出ていくのを、最後まで目で追った。
「白石、お前……大丈夫か?」
誰かが俺の肩に手を置いたが、それが誰なのかもわからなかった。
振り払うようにして、俺は走り出していた。どこへ行くかなんて、考える必要もなかった。
決まっている。あのお見舞いの日に見た、たくさんの薬袋。そこに印字されていた病院名は、この近くの大学病院だった。
あの時は、ただの風邪だという蓮の言葉を信じようとした。いや、信じたかった。でも、心のどこかで、ずっと引っかかっていたんだ。
◇◇◇
息を切らしながら、病院の大きな自動ドアを抜ける。独特の、消毒液の匂いが鼻をついた。総合受付に駆け寄り、カウンターに手をつく。
「あのっ!さっき、体育祭で倒れた高校生が運ばれてきたと思うんですけど!」
必死の形相で尋ねる俺に、受付の女性は冷静な、感情のこもっていない事務的な声で返した。
「恐れ入りますが、患者様の個人情報になりますので……ご家族の方でしょうか?」
その、あまりにも正論な言葉に、喉が詰まる。家族?違う。じゃあ、恋人?もっと違う。それは、ただのごっこ遊びだ。俺は蓮の……何なんだ?
「……いいえ、ただの……クラスメイト、です」
絞り出した声は、情けないほど震えていた。クラスメイト……その、ありふれた言葉が、俺と蓮の間に、分厚くて冷たい壁を作る。
「部外者」という見えない壁に、容赦なく突き放された気がした。
結局、俺にできることは何もなかった。待合室の、ひんやりと硬いプラスチックの椅子に、崩れるように座り込む。 ただ、時間が過ぎるのを待つことしか。
消毒液のツンとした匂い。白衣を着た人々が忙しなく行き交う足音。時折、天井のスピーカーから響く、無機質なアナウンス。そのすべてが、俺の不安をじりじりと、容赦なく煽っていく。
どうして?なんで?あんなに元気だったじゃないか。俺は無敵だからと、太陽みたいに笑っていたじゃないか。頭の中で、同じ言葉が壊れたレコードのようにぐるぐると回る。
『後悔しないようにしてんだ』
あの日、橋の上で見た、蓮の儚げな横顔が蘇る。
『一年後も、こうしていたらいいな』
文化祭の夜に見せた、寂しそうな笑顔が蘇る。
バラバラだった点と点が、最悪の形で繋がりそうになるのを、必死で否定した。やめろ!考えるな。そんなはずはない。
あいつは、ただの夏風邪をこじらせただけだ。体育祭で、少しだけ無理をしすぎただけだ。そうに決まってる。
どれくらいの時間が経っただろうか。30分か、一時間か。壁にかけられた時計を見ても、時間の感覚が麻痺していて、よくわからない。
不意に、目の前に影が差した。ゆっくりと顔を上げると、そこに立っていたのは見知った顔だった。蓮の妹だ。
制服姿のまま、肩で息をしている。学校から直接連絡を受けて、飛んできたのだろう。その顔は、血の気が引いて真っ白だった。
「……白石さん」
俺の姿を見つけると、彼女は驚いたように、けれどどこか納得したように目を見開いた。
「来てくれたんですね……。ありがとうございます」
震える声で、彼女はか細く礼を言う。その大きな瞳は、不安と恐怖で揺れていたが、その奥に、もっと別の……諦めにも似た、静かな色をたたえている気がした。
「蓮は……神谷は、どうなんだ」
「処置室にいると……。私も来たばかりで詳しいことは……何も」
言葉を交わしながらも、彼女の視線は虚空を彷徨っている。
まるで、こういう事態に慣れているかのように……いや、そんなはずはない。兄が倒れたんだ。慣れるなんてこと、あるはずがない。
でも、その妙に落ち着き払った(ように見える)態度が、俺の胸を嫌な形で締め付けた。
「あの……」
彼女は何かを言いかけて、ぎゅっと唇を噛んだ。
そして、覚悟を決めたように、絞り出すような声で、絶望的な言葉を紡ぎ始めた。
「兄ちゃんね、少し前に家で言ってたんです」
その声は、泣き出しそうに震えていた。
「白石さんといると、すごく楽しいんだって。毎日、学校に行くのが、本当に楽しいって……。だから……」
だから?
「残りの時間、全部使ってもいいくらいだって……」
その、不穏な言葉の響きに、俺は息を呑んだ。
「……残りの、時間?」
聞き返した俺の声を遮るように、彼女は続けた。その瞳から、ずっと堪えていた涙が一筋、白い頬を伝って流れ落ちる。
「兄ちゃん、『あと少ししか一緒にいられない』って……言ってたから……っ」
世界が、砕け散る音がした。
待合室の喧騒が、潮が引くように遠のいていく。妹の言葉だけが、頭の中で何度も何度も、木霊のように反響する。
あと少ししか、一緒にいられない。
一年。
期限は、一年。
あの男が、あの昼休みに俺に突きつけた『期限』。
その本当の意味が、最悪の形で、パズルのピースみたいに、ぴたりとはまっていく。
あれは、恋人ごっこのための期限じゃなかった。
神谷蓮という人間の、命の期限だったんだ。
足元から、地面が崩れ落ちていくような感覚。立っているのに、世界がぐらぐらと揺れている。呼吸の仕方を忘れてしまった。肺に、空気が入ってこない。
俺は、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。輝いていたはずの世界が、一瞬にして色を失い、モノクロの灰になって、足元からサラサラと崩れていく。そんな、絶対的な絶望の真ん中に、俺はたった一人で取り残されていた。助けを呼ぼうにも、声が出なかった。
駆けつけた救急隊員が、手際よく蓮をストレッチャーに乗せていく。
先生たちが、何かを叫んでクラスメイトたちが、遠巻きに不安そうな顔でこちらを見ている。
俺は、何もできなかった。ただ、人垣の外側で、どんどん遠ざかっていく蓮の姿を、呆然と見送ることしか。
救急車の赤いランプが、校舎の窓ガラスに反射しながら点滅し、校門を出ていくのを、最後まで目で追った。
「白石、お前……大丈夫か?」
誰かが俺の肩に手を置いたが、それが誰なのかもわからなかった。
振り払うようにして、俺は走り出していた。どこへ行くかなんて、考える必要もなかった。
決まっている。あのお見舞いの日に見た、たくさんの薬袋。そこに印字されていた病院名は、この近くの大学病院だった。
あの時は、ただの風邪だという蓮の言葉を信じようとした。いや、信じたかった。でも、心のどこかで、ずっと引っかかっていたんだ。
◇◇◇
息を切らしながら、病院の大きな自動ドアを抜ける。独特の、消毒液の匂いが鼻をついた。総合受付に駆け寄り、カウンターに手をつく。
「あのっ!さっき、体育祭で倒れた高校生が運ばれてきたと思うんですけど!」
必死の形相で尋ねる俺に、受付の女性は冷静な、感情のこもっていない事務的な声で返した。
「恐れ入りますが、患者様の個人情報になりますので……ご家族の方でしょうか?」
その、あまりにも正論な言葉に、喉が詰まる。家族?違う。じゃあ、恋人?もっと違う。それは、ただのごっこ遊びだ。俺は蓮の……何なんだ?
「……いいえ、ただの……クラスメイト、です」
絞り出した声は、情けないほど震えていた。クラスメイト……その、ありふれた言葉が、俺と蓮の間に、分厚くて冷たい壁を作る。
「部外者」という見えない壁に、容赦なく突き放された気がした。
結局、俺にできることは何もなかった。待合室の、ひんやりと硬いプラスチックの椅子に、崩れるように座り込む。 ただ、時間が過ぎるのを待つことしか。
消毒液のツンとした匂い。白衣を着た人々が忙しなく行き交う足音。時折、天井のスピーカーから響く、無機質なアナウンス。そのすべてが、俺の不安をじりじりと、容赦なく煽っていく。
どうして?なんで?あんなに元気だったじゃないか。俺は無敵だからと、太陽みたいに笑っていたじゃないか。頭の中で、同じ言葉が壊れたレコードのようにぐるぐると回る。
『後悔しないようにしてんだ』
あの日、橋の上で見た、蓮の儚げな横顔が蘇る。
『一年後も、こうしていたらいいな』
文化祭の夜に見せた、寂しそうな笑顔が蘇る。
バラバラだった点と点が、最悪の形で繋がりそうになるのを、必死で否定した。やめろ!考えるな。そんなはずはない。
あいつは、ただの夏風邪をこじらせただけだ。体育祭で、少しだけ無理をしすぎただけだ。そうに決まってる。
どれくらいの時間が経っただろうか。30分か、一時間か。壁にかけられた時計を見ても、時間の感覚が麻痺していて、よくわからない。
不意に、目の前に影が差した。ゆっくりと顔を上げると、そこに立っていたのは見知った顔だった。蓮の妹だ。
制服姿のまま、肩で息をしている。学校から直接連絡を受けて、飛んできたのだろう。その顔は、血の気が引いて真っ白だった。
「……白石さん」
俺の姿を見つけると、彼女は驚いたように、けれどどこか納得したように目を見開いた。
「来てくれたんですね……。ありがとうございます」
震える声で、彼女はか細く礼を言う。その大きな瞳は、不安と恐怖で揺れていたが、その奥に、もっと別の……諦めにも似た、静かな色をたたえている気がした。
「蓮は……神谷は、どうなんだ」
「処置室にいると……。私も来たばかりで詳しいことは……何も」
言葉を交わしながらも、彼女の視線は虚空を彷徨っている。
まるで、こういう事態に慣れているかのように……いや、そんなはずはない。兄が倒れたんだ。慣れるなんてこと、あるはずがない。
でも、その妙に落ち着き払った(ように見える)態度が、俺の胸を嫌な形で締め付けた。
「あの……」
彼女は何かを言いかけて、ぎゅっと唇を噛んだ。
そして、覚悟を決めたように、絞り出すような声で、絶望的な言葉を紡ぎ始めた。
「兄ちゃんね、少し前に家で言ってたんです」
その声は、泣き出しそうに震えていた。
「白石さんといると、すごく楽しいんだって。毎日、学校に行くのが、本当に楽しいって……。だから……」
だから?
「残りの時間、全部使ってもいいくらいだって……」
その、不穏な言葉の響きに、俺は息を呑んだ。
「……残りの、時間?」
聞き返した俺の声を遮るように、彼女は続けた。その瞳から、ずっと堪えていた涙が一筋、白い頬を伝って流れ落ちる。
「兄ちゃん、『あと少ししか一緒にいられない』って……言ってたから……っ」
世界が、砕け散る音がした。
待合室の喧騒が、潮が引くように遠のいていく。妹の言葉だけが、頭の中で何度も何度も、木霊のように反響する。
あと少ししか、一緒にいられない。
一年。
期限は、一年。
あの男が、あの昼休みに俺に突きつけた『期限』。
その本当の意味が、最悪の形で、パズルのピースみたいに、ぴたりとはまっていく。
あれは、恋人ごっこのための期限じゃなかった。
神谷蓮という人間の、命の期限だったんだ。
足元から、地面が崩れ落ちていくような感覚。立っているのに、世界がぐらぐらと揺れている。呼吸の仕方を忘れてしまった。肺に、空気が入ってこない。
俺は、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。輝いていたはずの世界が、一瞬にして色を失い、モノクロの灰になって、足元からサラサラと崩れていく。そんな、絶対的な絶望の真ん中に、俺はたった一人で取り残されていた。助けを呼ぼうにも、声が出なかった。
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