【完結】期限付きの恋人契約〜あと一年で終わるはずだったのに〜

なの

文字の大きさ
30 / 38

第29話:桜並木と一生分の約束

しおりを挟む
あれから季節は巡って俺、白石悠真は、どこにでもいる、ごく普通の大学生になった。

その日も、大学のキャンパスから最寄りの駅へと続く、長い桜並木を一人で歩いていた。

あれほど咲き誇っていた花は散りはじめ、花びらが静かに地面へ降り積もっている。桜並木はまだ淡い桃色を残しながら、足もとには薄い花の層が広がっていた。

この景色を見るのも三度目か……そんな感情に浸りながら友人たちと別れ、一人になった帰り道。

イヤホンからは、いつもの気怠いロックミュージックが流れている。

けれど、その音はなぜか遠く、まるで現実感がない。
ふと、俺の足がゆっくりと止まった。

理由もなく、胸の奥が大きく、大きく、ざわつく。
耳の奥で、自分の鼓動だけがドクン、ドクンと、やけに大きく響いていた。

あと一歩――その先へ踏み出すのが、なぜか、ひどく怖かった。

◇◇◇

視線の先、十数メートルほど離れた場所。
一本のひときわ大きな桜の幹のそばで、誰かが立っているのが見えた。

薄手のグレーのパーカーを着た、背の高い影。
空を見上げるその横顔は、高校の頃より少し大人びて、病の痕跡を感じさせる線の細さは残っている。

それでも、その佇まいには、確かな強さが宿っているように見えた。

――あまりに見覚えがありすぎて、息が止まった。

長い夜の間、何度も夢に見た。目を閉じればいつでもそこにいた。焦がれ続けた、その姿。

……幻だ。

会いたい、会いたいと願い続けた俺の記憶が、都合のいい幻影を見せているだけだ。
今までだって、何度もそうだったじゃないか。

雑踏の中に、電車の窓の向こうに、あいつの姿を探しては、心臓を掴まれるような期待と、それに続く深い落胆を繰り返してきたじゃないか。

今度も、きっとそうだ。期待してはいけない。

そう必死に自分に言い聞かせ、固く目を閉じて、もう一度開く。

けれど、幻は消えなかった。

その影が、俺の視線に気づいたかのように、ゆっくりと、本当にゆっくりとこちらを振り返った。

少し驚いたように、色素の薄い瞳が見開かれる。

そして――懐かしさと、愛おしさと、ずっと抱え続けた申し訳なさを全部ひとつにしたような、複雑な表情で、ふわりと、あの頃と少しも変わらない笑顔を浮かべた。

「よう、悠真」

胸の奥を、雷が鋭く貫いた。

その声を聞いた瞬間、俺とあいつの間を隔てていた、長い時間が、まるで存在しなかったかのように一瞬で消し飛ぶ。

止まっていた俺の世界が、再び大きな音を立てて力強く動き出し、
気づけば、俺は駆け出していた。

理屈も、体裁も、周囲を歩く学生たちの視線も、何もかもがどうでもよかった。
カバンが肩からずり落ちるのも構わず、桜の花びらを蹴り上げながら、ただまっすぐ彼のもとへ。勢いのまま、その胸に飛び込んだ。

受け止めてくれた体は、昔よりも少しだけ骨張っていたけれど、そこには確かな体温と、力強い鼓動があった。
昔と少しも変わらない、鼻先をかすめる、懐かしい匂い――陽だまりみたいに温かくて、ああ、ここにいるんだと心の底から分かる、蓮の匂い。

幻じゃない。夢じゃない。
本物の――蓮だ。

堰を切ったように涙が溢れ出し、声がぐしゃぐしゃになる。

会いたかった。声が聞きたかった。その手に、その体に、ただもう一度、触れたかった。

「なんで……!なんで今まで……っ!元気になったって……退院したって、なんで一言も……連絡してくれなかったんだよ……っ!」

子供のように、その胸を叩きながら責め立てる。その非難の言葉を、蓮は何も言わずに、ただ黙って受け止めていた。

大きな手が、俺の背中を、まるで壊れ物を扱うみたいに優しく、優しく撫でる。その腕は、昔よりも少しだけ、たくましくなっている気がした。

やがて、俺の嗚咽が少し落ち着いたのを見計らって、蓮は静かに口を開く。

「ごめん……本当に、ごめん、悠真」

その声は、俺が知らない、深く、そして少しだけ掠れた響きをしていた。

「怖かったんだ。またお前に辛い思いをさせるんじゃないかって。
中途半端な姿で会って、またお前を期待させて、もし駄目だったらって考えたら……。

ちゃんと、自分の足で、胸を張ってお前の前に立てるようになるまで……顔なんて、出せなかった。

昨日、退院したんだ。
それで、一番に、お前に会いに来た。妹に、お前がいつもこの道を通って帰るって聞いてたから。
ここで待ってれば、会えるって……信じてた」

胸の奥が、じわりと熱くなる。

こいつはずっと、そんなことを……。
一人で、あの白い部屋で闘いながら、自分のことよりも、俺のことばかり、考えてくれていたのか。

俺だけが辛いと思っていた。俺だけが、蓮のいない世界で苦しんでいると思っていた。

でも、違ったんだ。
こいつも、俺と同じくらい、いや、それ以上に、苦しんでいたんだ。

涙でにじむ視界の向こうで、蓮は困ったように笑っている。
そして、あの始まりの日みたいに、悪戯っぽく口の端を上げた。

「契約、更新してくれるか?」

息が詰まる。
俺たちの、全ての始まりだった、あの言葉。

蓮は、少しだけ真剣な顔になって続けた。

「今度は――、一生分だ」

三年分の空白。募るばかりだった不安。会いたくて、会いたくて、狂おしいほどだった想い。

そのすべてが、そのたった一言で、春の雪解け水のように溶けて、救われていく。

俺は、泣きながら、精一杯の力で笑った。
きっと、人生で一番、みっともなくて、最高に幸せな笑顔で。

「……当たり、前だろ」

蓮は「だよな」と、本当に満足そうに頷き、すっと腕を伸ばして、俺を再びその腕の中に、今度はもっと強く抱き寄せた。

顔を上げると、すぐ目の前に蓮の顔があった。真剣な眼差しが、俺を射抜く。

「悠真」

名前を呼ばれた瞬間、唇に柔らかくて少しだけ乾いた感触が触れた。
それが蓮の唇だと理解するまで、ほんの数秒かかった。

驚きで見開いた目から、またぽろりと涙が零れる。
でも今度の涙は、しょっぱくなくて温かい。嬉しさだけの涙だ。

それは、優しく触れるだけのごく短いキス。
それなのに、長い空白を埋めるには十分すぎるほどの想いが、そこには込められていた。

会いたかった。触れたかった。生きていてくれて、ありがとう――。

言葉にならない感情のすべてが、唇から伝わる確かな熱と鼓動に乗って、お互いの心に流れ込んでいく。

ゆっくりと唇が離れ、見つめ合う。蓮は耳まで真っ赤に染めて、照れくさそうに視線を逸らした。

「……やっと、できた」

その初々しい反応に、思わず俺も笑ってしまった。
どうにも落ち着かなくて、口をついて出たのは全然関係のないことだった。

「……少し背、伸びたな」

俺がそう言うと、蓮は少し驚いたように目を見開き、そして照れ臭そうに笑った。

「お前こそ、なんか……大人っぽくなった。俺の知らない間に」

その言葉に長い時間の重みと、それでも揺るがなかった想いの強さを感じた。

蓮はそっと俺の手を握った。昔よりごつごつして、少しだけ大きくなったその手は、世界で一番温かかった。

その時、蓮の視線が俺の通学カバンに付けられた、一つのキーホルダーに注がれた。少し色褪せた水色のイルカ。

俺は一度もこれを外したことはなかった。蓮との唯一の繋がりを、手放すことなんてできなかったから。

「……悠真。お前、まだ……持ってたのか」

信じられない、というように呟く蓮に、俺は少しだけ見せつけるようにカバンを揺らして言った。

「当たり前だろ。お揃いなんだから」

すると、蓮は言葉を失ったように一瞬だけ目を見開き、それから、まるで宝物を取り出すかのように、自分のパーカーのポケットから、同じ形の青いイルカのキーホルダーを取り出した。

俺のよりももっと色褪せて、あちこちに細かい傷がついたイルカ。
それは、彼が過ごしてきた時間の過酷さを物語っていた。

「俺も、ずっとこれがお守りだったんだ。痛くて眠れない夜も、リハビリが辛くて逃げ出したくなった時も、これを握って、お前のこと考えてた」

そう言って笑う蓮の顔を見て、俺はもう、涙を堪えることができなかった。俺たちが離れていたこの時間は俺たちは決して、独りじゃなかったんだ。

もう、二度と離さない。離れない。

舞い散る桜吹雪の中、俺たちはしっかりと手を繋ぎ、新しい未来へと歩き出した。
期限のない、一生分の約束を、その胸に強く、強く抱きしめて。

「なあ、悠真」

蓮が、少し悪戯っぽく笑う。

「腹、減らない?そういえば、お前の家どっち?一人暮らし始めたんだろ?」

俺は、そのあまりに日常的な言葉に、また涙が出そうになるのを堪えながら精一杯笑って答えた。

「こっち。……うまいメシ、食わせてやるよ」

俺がそう言うと、蓮は「マジで?やった」と、子供みたいに笑った。

俺たちは、しっかりと手を繋いだまま歩き始めた。
舞い続ける桜の花びらが、まるで俺たちの新しい門出を祝福してくれているかのようだった。

隣で笑う蓮の横顔を見る。もう、この手を二度と離すことはないだろう。長い、長い冬が、ようやく終わった。

二人で迎える、温かい春の始まりだった。



しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結済】俺のモノだと言わない彼氏

竹柏凪紗
BL
「俺と付き合ってみねぇ?…まぁ、俺、彼氏いるけど」彼女に罵倒されフラれるのを寮部屋が隣のイケメン&遊び人・水島大和に目撃されてしまう。それだけでもショックなのに壁ドン状態で付き合ってみないかと迫られてしまった東山和馬。「ははは。いいねぇ。お前と付き合ったら、教室中の女子に刺されそう」と軽く受け流した。…つもりだったのに、翌日からグイグイと迫られるうえ束縛まではじまってしまい──?! ■青春BLに限定した「第1回青春×BL小説カップ」最終21位まで残ることができ感謝しかありません。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する幼少中高大院までの一貫校だ。しかし学校の規模に見合わず生徒数は一学年300人程の少人数の学院で、他とは少し違う校風の学院でもある。 そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語

【完結】浮薄な文官は嘘をつく

七咲陸
BL
『薄幸文官志望は嘘をつく』 続編。 イヴ=スタームは王立騎士団の経理部の文官であった。 父に「スターム家再興のため、カシミール=グランティーノに近づき、篭絡し、金を引き出せ」と命令を受ける。 イヴはスターム家特有の治癒の力を使って、頭痛に悩んでいたカシミールに近づくことに成功してしまう。 カシミールに、「どうして俺の治癒をするのか教えてくれ」と言われ、焦ったイヴは『カシミールを好きだから』と嘘をついてしまった。 そう、これは─── 浮薄で、浅はかな文官が、嘘をついたせいで全てを失った物語。 □『薄幸文官志望は嘘をつく』を読まなくても出来る限り大丈夫なようにしています。 □全17話

推しにプロポーズしていたなんて、何かの間違いです

一ノ瀬麻紀
BL
引きこもりの僕、麻倉 渚(あさくら なぎさ)と、人気アイドルの弟、麻倉 潮(あさくら うしお) 同じ双子だというのに、なぜこんなにも違ってしまったのだろう。 時々ふとそんな事を考えてしまうけど、それでも僕は、理解のある家族に恵まれ充実した引きこもり生活をエンジョイしていた。 僕は極度の人見知りであがり症だ。いつからこんなふうになってしまったのか、よく覚えていない。 本音を言うなら、弟のように表舞台に立ってみたいと思うこともある。けれどそんなのは無理に決まっている。 だから、安全な自宅という城の中で、僕は今の生活をエンジョイするんだ。高望みは一切しない。 なのに、弟がある日突然変なことを言い出した。 「今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」 ありえない頼み事だから断ろうとしたのに、弟は僕の弱みに付け込んできた。 僕の推しは俳優の、葛城 結斗(かつらぎ ゆうと)くんだ。 その結斗くんのスペシャルグッズとサイン、というエサを目の前にちらつかせたんだ。 悔しいけど、僕は推しのサインにつられて首を縦に振ってしまった。 え?葛城くんが目の前に!? どうしよう、人生最大のピンチだ!! ✤✤ 「推し」「高校生BL」をテーマに書いたお話です。 全年齢向けの作品となっています。 一度短編として完結した作品ですが、既存部分の改稿と、新規エピソードを追加しました。 ✤✤

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

【完結】薄幸文官志望は嘘をつく

七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。 忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。 学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。 しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー… 認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。 全17話 2/28 番外編を更新しました

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

処理中です...