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第一章:密室の裏切り
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番契約が調ってから数週間後、ジークフリート王子は外交儀礼のため、エリアスの住むラティス公爵領を訪れていた。
公式の行事が続く中、エリアスは彼との距離を少しでも縮めようと、ささやかな贈り物を準備していた。
夜ごと、こっそりと指先に針を刺しながら仕上げた、青い勿忘草の刺繍が施された絹のハンカチ。
花言葉は
「僕を忘れないで」そして「真実の愛」
政略的な関係とはいえ、番となる人に誠意を尽くしたい。その一心だった。
もしかしたら、いつか本当の番になれるかもしれない。穏やかな朝を迎え、いつか家族として温かい時間を過ごせるかもしれない。
エリアスは、そんな淡い希望を胸に抱きながら、丁寧に最後の一針を刺した。
「ジークフリート様は、もうお休みだろうか……」
夜も更け、城館が静寂に包まれた頃。エリアスは人目を忍び、王子の滞在する客室棟へと足を運んだ。
廊下には、昼間、親友のオリヴァーがつけていた爽やかな柑橘系の香油の残り香が漂っている。
そういえば、オリヴァーは最近、ジークフリート様のお話をよくしていたな。
「素敵な方ですね」って、少し寂しそうな目をして……。
護衛の騎士に贈り物を渡すためだと伝え、彼の部屋の前までたどり着く。
扉をノックしようと手を上げた、その瞬間だった。
「んっ……ぁ、ジーク……もっと……」
ドアの隙間から漏れ聞こえてきたのは、甘く乱れた男の喘ぎ声。
エリアスの手が宙で止まった。心臓が嫌な音を立てて跳ね、喉の奥が急激に乾いていく。冷たい石の床が、足の裏から体温を奪っていくようだった。
恐る恐る、ほんのわずかに開いていた扉の隙間から中を覗き込んだ彼の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。
乱れた豪奢なベッドの上で、裸で絡み合う二つの影。
一人は紛れもなく婚約者であるジークフリート王子。そして、彼の腕の中で喘いでいたのは――エリアスの唯一の親友、伯爵子息のオリヴァーだった。
「本当に、あのエリアスと番になるつもりなのか?
あいつ、心から慕ってるんだぞ?」
オリヴァーの声には、わずかな罪悪感が混じっていた。しかし、ジークフリートの返答は残酷だった。
「まさか。目的は、あのΩが持つ『恵みの魔法』だけだ。
あれさえ我が物になれば、国中の農地を支配し、莫大な富を独占できる。用が済めば、適当な理由をつけて捨ててやるさ」
「ふふっ……」
オリヴァーの笑い声が、急に冷たくなった。
「純粋ぶってて滑稽だよな。まさか自分が利用されてるなんて夢にも思っていないんだろうな。
僕、ずっと我慢してきたんだ。あいつがちやほやされるのを見ているのが」
我慢?何を……?
「君の気持ちは分かる。だが、もう少しの辛抱だ。
魔法を手に入れたら、君を俺の隣に置いてやろう」
嘲りを含んだ会話が、鋭い刃となってエリアスの胸に突き刺さる。血の気が引き、指先から感覚が失われていた。膝が震え、今にも崩れ落ちそうになる。
希望、期待、そして親友への信頼……彼が抱いていたすべてが、音を立てて砕け散った。
「……っ!」
思わず漏れたかすかな嗚咽。その音に、中の二人がぴたりと動きを止めた。
ぎっ、と音を立てて扉が開かれ、悪びれる様子もなくガウンを羽織ったジークフリートと、シーツを腰に巻き付けたオリヴァーが姿を現す。
「なんだ、いたのか。聞き耳を立てるとは、趣味が悪いな」
ジークフリートの目は、氷のように冷たかった。
昼間、公式の場で見せていた優雅な微笑みは、どこにもない。隣でオリヴァーがくすくすと喉を鳴らして笑う。
「やあ、エリアス。そんな悲しい顔をしないでくれよ。君の代わりに、僕が王子を慰めてさしあげていたんだ」
「……どうして」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。喉が締め付けられ、息をするのも苦しい。
「どうして……僕たちは親友だったはずじゃ……」
「親友?」オリヴァーの整った顔が、醜く歪んだ。
「笑わせるな。いつも澄ました顔で、希少なΩだというだけで特別扱いされるお前が、僕は昔から妬ましかったんだ!
お前がいるせいで、僕はいつも二番手。
もう、うんざりなんだよ!」
そんな……僕は、オリヴァーのことを心から大切に思っていたのに……。
真実を突きつけられ、エリアスは立ち尽くすことしかできない。
彼の手から、心を込めて作ったハンカチがはらりと床に落ちた。ジークフリートはそれを無慈悲に踏みつけ、言い放った。
「お前のような男との番契約は、今この時をもって破棄する。せいぜい、家の恥として後ろ指をさされるがいい」
勿忘草の刺繍が、彼の靴底で無残に潰される。
真実の愛への願いが、文字通り踏みにじられた瞬間だった。
吐き捨てるような言葉を最後に、扉は無情にも閉ざされた。
廊下に一人残されたエリアス。何が起きたのか、すぐには理解が追いつかなかった。ただ、耳の奥で、自分の世界が崩壊していく轟音が鳴り響いていた。
そして、絶望の底で、彼の心の奥深くに、小さな炎がちらりと灯った。
それは、やがて復讐の業火となって燃え上がることになる、怒りの種火だった。
公式の行事が続く中、エリアスは彼との距離を少しでも縮めようと、ささやかな贈り物を準備していた。
夜ごと、こっそりと指先に針を刺しながら仕上げた、青い勿忘草の刺繍が施された絹のハンカチ。
花言葉は
「僕を忘れないで」そして「真実の愛」
政略的な関係とはいえ、番となる人に誠意を尽くしたい。その一心だった。
もしかしたら、いつか本当の番になれるかもしれない。穏やかな朝を迎え、いつか家族として温かい時間を過ごせるかもしれない。
エリアスは、そんな淡い希望を胸に抱きながら、丁寧に最後の一針を刺した。
「ジークフリート様は、もうお休みだろうか……」
夜も更け、城館が静寂に包まれた頃。エリアスは人目を忍び、王子の滞在する客室棟へと足を運んだ。
廊下には、昼間、親友のオリヴァーがつけていた爽やかな柑橘系の香油の残り香が漂っている。
そういえば、オリヴァーは最近、ジークフリート様のお話をよくしていたな。
「素敵な方ですね」って、少し寂しそうな目をして……。
護衛の騎士に贈り物を渡すためだと伝え、彼の部屋の前までたどり着く。
扉をノックしようと手を上げた、その瞬間だった。
「んっ……ぁ、ジーク……もっと……」
ドアの隙間から漏れ聞こえてきたのは、甘く乱れた男の喘ぎ声。
エリアスの手が宙で止まった。心臓が嫌な音を立てて跳ね、喉の奥が急激に乾いていく。冷たい石の床が、足の裏から体温を奪っていくようだった。
恐る恐る、ほんのわずかに開いていた扉の隙間から中を覗き込んだ彼の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。
乱れた豪奢なベッドの上で、裸で絡み合う二つの影。
一人は紛れもなく婚約者であるジークフリート王子。そして、彼の腕の中で喘いでいたのは――エリアスの唯一の親友、伯爵子息のオリヴァーだった。
「本当に、あのエリアスと番になるつもりなのか?
あいつ、心から慕ってるんだぞ?」
オリヴァーの声には、わずかな罪悪感が混じっていた。しかし、ジークフリートの返答は残酷だった。
「まさか。目的は、あのΩが持つ『恵みの魔法』だけだ。
あれさえ我が物になれば、国中の農地を支配し、莫大な富を独占できる。用が済めば、適当な理由をつけて捨ててやるさ」
「ふふっ……」
オリヴァーの笑い声が、急に冷たくなった。
「純粋ぶってて滑稽だよな。まさか自分が利用されてるなんて夢にも思っていないんだろうな。
僕、ずっと我慢してきたんだ。あいつがちやほやされるのを見ているのが」
我慢?何を……?
「君の気持ちは分かる。だが、もう少しの辛抱だ。
魔法を手に入れたら、君を俺の隣に置いてやろう」
嘲りを含んだ会話が、鋭い刃となってエリアスの胸に突き刺さる。血の気が引き、指先から感覚が失われていた。膝が震え、今にも崩れ落ちそうになる。
希望、期待、そして親友への信頼……彼が抱いていたすべてが、音を立てて砕け散った。
「……っ!」
思わず漏れたかすかな嗚咽。その音に、中の二人がぴたりと動きを止めた。
ぎっ、と音を立てて扉が開かれ、悪びれる様子もなくガウンを羽織ったジークフリートと、シーツを腰に巻き付けたオリヴァーが姿を現す。
「なんだ、いたのか。聞き耳を立てるとは、趣味が悪いな」
ジークフリートの目は、氷のように冷たかった。
昼間、公式の場で見せていた優雅な微笑みは、どこにもない。隣でオリヴァーがくすくすと喉を鳴らして笑う。
「やあ、エリアス。そんな悲しい顔をしないでくれよ。君の代わりに、僕が王子を慰めてさしあげていたんだ」
「……どうして」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。喉が締め付けられ、息をするのも苦しい。
「どうして……僕たちは親友だったはずじゃ……」
「親友?」オリヴァーの整った顔が、醜く歪んだ。
「笑わせるな。いつも澄ました顔で、希少なΩだというだけで特別扱いされるお前が、僕は昔から妬ましかったんだ!
お前がいるせいで、僕はいつも二番手。
もう、うんざりなんだよ!」
そんな……僕は、オリヴァーのことを心から大切に思っていたのに……。
真実を突きつけられ、エリアスは立ち尽くすことしかできない。
彼の手から、心を込めて作ったハンカチがはらりと床に落ちた。ジークフリートはそれを無慈悲に踏みつけ、言い放った。
「お前のような男との番契約は、今この時をもって破棄する。せいぜい、家の恥として後ろ指をさされるがいい」
勿忘草の刺繍が、彼の靴底で無残に潰される。
真実の愛への願いが、文字通り踏みにじられた瞬間だった。
吐き捨てるような言葉を最後に、扉は無情にも閉ざされた。
廊下に一人残されたエリアス。何が起きたのか、すぐには理解が追いつかなかった。ただ、耳の奥で、自分の世界が崩壊していく轟音が鳴り響いていた。
そして、絶望の底で、彼の心の奥深くに、小さな炎がちらりと灯った。
それは、やがて復讐の業火となって燃え上がることになる、怒りの種火だった。
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