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第3話 新しい居場所
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翌朝、リオンは鶏の鳴き声で目を覚ました。
マリアが用意してくれた食堂の二階の小部屋は、宮廷の豪華な寝室にはなかった静けさと温もりがあった。
窓から差し込む朝日を浴びて、リオンは深呼吸した。
今日から新しい生活が始まる。
階下からは、既にマリアが朝の準備をする音が聞こえてきた。
「おはようございます」
階下に降りると、マリアが薪を焚べているところだった。
「おはよう、リオン。早いのね」
「はい。今日からお世話になります」
リオンは深々と頭を下げた。
「そんなに畏まらなくていいのよ。さあ、まずは厨房を案内するわね」
マリアに案内された厨房は、宮廷のそれとは全く違っていた。
石造りのかまどが一つ、木製の調理台が一つ。調理器具も最低限しかない。銅の鍋が三つ、鉄のフライパンが二つ、包丁は一本だけ。
「設備は古いけれど、一つ一つ大切に使ってるの」
マリアが愛おしそうに調理台を撫でた。
「この厨房で、四十年間料理を作り続けてきたのよ」
リオンは包丁を手に取った。刃は何度も研がれて細くなっているが、よく手入れされている。宮廷の銀の包丁とは違うが、この道具にも確かな歴史と愛情が込められていた。
「素晴らしいですね」
「ありがとう。さあ、今日の仕込みを始めましょうか」
「いつものメニューは何ですか?」
「野菜スープとパン、それから時々肉料理を出すの。今日は豚肉の煮込みを作ろうと思ってたんだけど」
マリアが食材を見せてくれた。人参、玉ねぎ、じゃがいも、そして豚の肩肉。
宮廷で使っていた高級食材とは程遠いが、どれも新鮮で良質だった。
「この豚肉、とても良い色をしていますね」
「たまに町外れの農家から直接分けてもらってるの。新鮮よ」
リオンは肉を手に取って確認した。適度な脂身、良い香り。これなら美味しい煮込みが作れそうだ。
「僕に作らせていただけませんか?」
「あら、いいの?」
「はい。マリアさんの厨房をお借りして、心を込めて作らせていただきます」
リオンは包丁を握り、野菜を切り始めた。包丁がまな板を軽やかに叩く音が、厨房に心地よく響く。
人参は一口大に、玉ねぎは薄切りに。
宮廷で身に付けた技術が自然と手に現れる。しかし、今度は見栄えのためではない。素材の味を最大限に引き出すため心を込める。
「まあ、上手な包丁さばきね」
マリアが感心しながら見ていた。
「母から教わったんです」
リオンの手が一瞬止まった。
母の記憶が蘇る。
「お料理はね、リオン。食べる人のことを思いながら作るものよ」
母の優しい声が聞こえるような気がした。
豚肉を焼いて焼き色をつけ、野菜を炒めると、香ばしい匂いが厨房に広がった。
「いい匂いね」
マリアが嬉しそうに笑った。
水を加えてコトコト煮込み始めると、湯気と共に豊かな香りが立ち上った。
宮廷では高価なワインを使って煮込んでいたが、今日は水だけ。でも、素材の味を丁寧に引き出せば、十分美味しくなるはずだ。
「隠し味に、これを少し」
リオンは持参した調味料の小瓶を取り出した。
「これは?」
「蜂蜜です。肉の臭みを取って、コクを出してくれます」
「そんな使い方があるのね」
二時間ほど煮込むと、肉は柔らかくなり、野菜も程よく煮えた。
味見をしたマリアの目が輝いた。
「美味しい!こんなに美味しい煮込み、久しぶりよ」
昼前に、最初の客がやってきた。農作業帰りらしい中年男性だ。
「マリアさん、いつものを頼むよ」
「今日は特別よ、ハンスさん。新しい料理人が作った煮込みがあるの」
ハンスと呼ばれた男性が、リオンを見る。
「あんた、新しい人か?」
「はい、リオンと申します。よろしくお願いします」
「都の人間だな、こんな田舎の料理、作れるのか?」
不安そうな表情を浮かべていた。その様子を見ながらリオンは黙って煮込みを盛り付けた。
陶器の深皿に豚肉と野菜、そしてパンを添えて。見た目は素朴だが、湯気が美味しそうに立ち上っていた。
ハンスが一口食べて、動きが止まった。
「これは……」
もう一口、また一口。あっという間に皿が空になった。
「美味い!こんなに美味い煮込み、食ったことない!」
ハンスの顔が輝いていた。
「肉が柔らかくて、野菜の甘みがすごい。それに、この深いコクは何だ?」
「蜂蜜を少し使わせていただきました」
「蜂蜜!そんな手があったのか」
マリアも嬉しそうに笑っている。
「どう?この子の腕前は」
「すげぇよ。マリアさん、いい人を見つけたな」
ハンスが帰った後、次々と客がやってきた。
「ハンスが美味い煮込みがあるって騒いでたぞ」
「新しい料理人が来たって本当か?」
小さな町だからか噂の広がりは早かった。
リオンは一皿一皿、心を込めて盛りつけた。
どの客も、一口食べれば表情が変わっていった。
「本当に美味しい」
「こんな料理、初めて食べた」
「また明日も来るよ」
嬉しい言葉が次々と聞こえてきた。
夕方、一日の営業を終えて、リオンとマリアは厨房で片付けをしていた。
「今日は大成功ね。こんなにお客さんが来たのは久しぶりよ」
「マリアさんのおかげです。素晴らしい食材と厨房を使わせていただいて」
「あなたの腕があってこそよ」
マリアが優しく微笑んだ。
「宮廷で作っていた料理と、今日作った料理。どちらが楽しかった?」
リオンは少し考えて答えた。
「今日の方です。お客さんの顔が直接見えて、喜んでくれる様子が分かって」
「それが料理の本当の喜びよ」
確かにその通りだった。
宮廷では、料理を食べる貴族たちの顔は見えなかった。でも今日は、一人一人の笑顔を見ることができた。
夜、リオンは二階の部屋で窓から外を眺めていた。静かな町に、星が美しく輝いている。宮廷の華やかな夜とは違う、穏やかな時間だった。
エドワード様のことを思い出そうとしたが、なぜか昼間の客たちの笑顔の方が鮮明に浮かんできた。
「……ここが、僕の居場所なのかもしれない」
そう思えた自分が、少しだけ誇らしかった。
マリアが用意してくれた食堂の二階の小部屋は、宮廷の豪華な寝室にはなかった静けさと温もりがあった。
窓から差し込む朝日を浴びて、リオンは深呼吸した。
今日から新しい生活が始まる。
階下からは、既にマリアが朝の準備をする音が聞こえてきた。
「おはようございます」
階下に降りると、マリアが薪を焚べているところだった。
「おはよう、リオン。早いのね」
「はい。今日からお世話になります」
リオンは深々と頭を下げた。
「そんなに畏まらなくていいのよ。さあ、まずは厨房を案内するわね」
マリアに案内された厨房は、宮廷のそれとは全く違っていた。
石造りのかまどが一つ、木製の調理台が一つ。調理器具も最低限しかない。銅の鍋が三つ、鉄のフライパンが二つ、包丁は一本だけ。
「設備は古いけれど、一つ一つ大切に使ってるの」
マリアが愛おしそうに調理台を撫でた。
「この厨房で、四十年間料理を作り続けてきたのよ」
リオンは包丁を手に取った。刃は何度も研がれて細くなっているが、よく手入れされている。宮廷の銀の包丁とは違うが、この道具にも確かな歴史と愛情が込められていた。
「素晴らしいですね」
「ありがとう。さあ、今日の仕込みを始めましょうか」
「いつものメニューは何ですか?」
「野菜スープとパン、それから時々肉料理を出すの。今日は豚肉の煮込みを作ろうと思ってたんだけど」
マリアが食材を見せてくれた。人参、玉ねぎ、じゃがいも、そして豚の肩肉。
宮廷で使っていた高級食材とは程遠いが、どれも新鮮で良質だった。
「この豚肉、とても良い色をしていますね」
「たまに町外れの農家から直接分けてもらってるの。新鮮よ」
リオンは肉を手に取って確認した。適度な脂身、良い香り。これなら美味しい煮込みが作れそうだ。
「僕に作らせていただけませんか?」
「あら、いいの?」
「はい。マリアさんの厨房をお借りして、心を込めて作らせていただきます」
リオンは包丁を握り、野菜を切り始めた。包丁がまな板を軽やかに叩く音が、厨房に心地よく響く。
人参は一口大に、玉ねぎは薄切りに。
宮廷で身に付けた技術が自然と手に現れる。しかし、今度は見栄えのためではない。素材の味を最大限に引き出すため心を込める。
「まあ、上手な包丁さばきね」
マリアが感心しながら見ていた。
「母から教わったんです」
リオンの手が一瞬止まった。
母の記憶が蘇る。
「お料理はね、リオン。食べる人のことを思いながら作るものよ」
母の優しい声が聞こえるような気がした。
豚肉を焼いて焼き色をつけ、野菜を炒めると、香ばしい匂いが厨房に広がった。
「いい匂いね」
マリアが嬉しそうに笑った。
水を加えてコトコト煮込み始めると、湯気と共に豊かな香りが立ち上った。
宮廷では高価なワインを使って煮込んでいたが、今日は水だけ。でも、素材の味を丁寧に引き出せば、十分美味しくなるはずだ。
「隠し味に、これを少し」
リオンは持参した調味料の小瓶を取り出した。
「これは?」
「蜂蜜です。肉の臭みを取って、コクを出してくれます」
「そんな使い方があるのね」
二時間ほど煮込むと、肉は柔らかくなり、野菜も程よく煮えた。
味見をしたマリアの目が輝いた。
「美味しい!こんなに美味しい煮込み、久しぶりよ」
昼前に、最初の客がやってきた。農作業帰りらしい中年男性だ。
「マリアさん、いつものを頼むよ」
「今日は特別よ、ハンスさん。新しい料理人が作った煮込みがあるの」
ハンスと呼ばれた男性が、リオンを見る。
「あんた、新しい人か?」
「はい、リオンと申します。よろしくお願いします」
「都の人間だな、こんな田舎の料理、作れるのか?」
不安そうな表情を浮かべていた。その様子を見ながらリオンは黙って煮込みを盛り付けた。
陶器の深皿に豚肉と野菜、そしてパンを添えて。見た目は素朴だが、湯気が美味しそうに立ち上っていた。
ハンスが一口食べて、動きが止まった。
「これは……」
もう一口、また一口。あっという間に皿が空になった。
「美味い!こんなに美味い煮込み、食ったことない!」
ハンスの顔が輝いていた。
「肉が柔らかくて、野菜の甘みがすごい。それに、この深いコクは何だ?」
「蜂蜜を少し使わせていただきました」
「蜂蜜!そんな手があったのか」
マリアも嬉しそうに笑っている。
「どう?この子の腕前は」
「すげぇよ。マリアさん、いい人を見つけたな」
ハンスが帰った後、次々と客がやってきた。
「ハンスが美味い煮込みがあるって騒いでたぞ」
「新しい料理人が来たって本当か?」
小さな町だからか噂の広がりは早かった。
リオンは一皿一皿、心を込めて盛りつけた。
どの客も、一口食べれば表情が変わっていった。
「本当に美味しい」
「こんな料理、初めて食べた」
「また明日も来るよ」
嬉しい言葉が次々と聞こえてきた。
夕方、一日の営業を終えて、リオンとマリアは厨房で片付けをしていた。
「今日は大成功ね。こんなにお客さんが来たのは久しぶりよ」
「マリアさんのおかげです。素晴らしい食材と厨房を使わせていただいて」
「あなたの腕があってこそよ」
マリアが優しく微笑んだ。
「宮廷で作っていた料理と、今日作った料理。どちらが楽しかった?」
リオンは少し考えて答えた。
「今日の方です。お客さんの顔が直接見えて、喜んでくれる様子が分かって」
「それが料理の本当の喜びよ」
確かにその通りだった。
宮廷では、料理を食べる貴族たちの顔は見えなかった。でも今日は、一人一人の笑顔を見ることができた。
夜、リオンは二階の部屋で窓から外を眺めていた。静かな町に、星が美しく輝いている。宮廷の華やかな夜とは違う、穏やかな時間だった。
エドワード様のことを思い出そうとしたが、なぜか昼間の客たちの笑顔の方が鮮明に浮かんできた。
「……ここが、僕の居場所なのかもしれない」
そう思えた自分が、少しだけ誇らしかった。
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