借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの

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借金と同居の始まり

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終電を逃した夜の駅前は、やたらと眩しい。
コンビニのロゴも、居酒屋の提灯も、全部が俺の疲れ目を刺す。  
ポケットの中でスマホが震え、恐る恐る画面を覗けば青い文字で「最終通知」の四文字。心臓が一段落ちたみたいに冷える。

父が残した借金は、俺の毎日に絡みついて離れない。  
 
高卒で入った小さな会社が倒産したのは去年の春。
残ったのは勤怠アプリのアイコンと返済スケジュール表。

朝はコンビニ、昼はファミレス、そして夜は居酒屋。身体はボロボロだけど、足を止めるのが怖い。止まったら、全部押し潰してくる気がするから。

「……俺なんて、さ」

独り言が口から漏れて慌てて飲み込む。
幸せとか、贅沢とか、そんな言葉を口にする資格はない。  
父は優しかったけど現実に弱かった。俺は、弱さの後始末をしてるだけだ。

深呼吸をひとつ。
アスファルトに浮いたネオンの色が薄く滲む。

マンションの前、階段の陰に、黒い車が停まっていた。  
夜の空気に低く漂うエンジンの音。逃げるように視線を逸らしたとき、後ろから名前を呼ばれた。

「――おい、相沢」

振り向いた先で、街灯を背にした男が立っていた。
仕立ての良いスーツに、革靴まで光ってる。無造作に撫でつけた黒髪、薄い笑み。視線だけが鋭くて、背筋が勝手に伸びた。

「……どちら様、ですか」

「お前の借金の引き受け先。龍堂、龍堂弦也」

――りゅうどう。  

その苗字を聞いたことがある。ニュースの社会面。居酒屋の常連の噂話。だが、裏の世界を取り仕切る一族。  

喉がからからに乾く。
逃げたくても、足が床に縫い止められたみたいに動かない。

「話は早いほうがいい。乗れ」

後部座席のドアが、音もなく開いた。柔らかそうな黒革のシート。俺の人生に一番似合わない質感。  

逃げる? 
いや、逃げてどうする。借金は消えないどころか、こういう相手を怒らせたら――。

悔しいけど、俺は弱い。
弱いから座る。  

ドアが閉まると、外のネオンは一瞬で遮断された。まるで別世界だ。
車内は静かで香りがする。高いコロンの匂いじゃない。清潔な空気の匂い。

「相沢悠斗、二十一。高卒、小規模企業に就職するも倒産。
現職はコンビニとファミレス、居酒屋のトリプルワーク。返済滞納。
――間違いは?」

「……ない、です」

「素直でいい」

男、龍堂は目を細め、わずかに笑った。
笑顔が似合わない。いや、似合いすぎるから、かえって怖い。  
彼の横顔は、どこか冷たい彫刻みたいだ。角度も、視線も完璧に計算されている。そんな印象。

「お前の借金は、うちが肩代わりした。今日この瞬間から、取り立ては俺だ」

「っ……!」

「安心しろ。取り立てるのは金じゃない」

意味がわからない。
けれど、どこかの神経が妙に熱くなる。  
龍堂は顔を向け、まっすぐ言った。

「相沢。今日からお前は俺のものだ。借金ごと、俺が面倒を見る。

代わりに――一生、俺のそばにいろ」

脅しの文句だ。
甘い言葉の形をした鎖。  

息が詰まるのに胸の奥にほんの少しだけ灯りが点いた気がして、そんな自分に嫌気が差す。

「……俺は、そういう――」

「選べる立場じゃないのは、理解してるはずだ」

低く、静かに。
彼の声は刃物の裏側みたいに冷えている。だけど、切っ先は見せない。  
降参の言葉は喉から出なくて、ただ、頷くことしかできない。

車は、街の明かりから遠ざかっていく。  
たどり着いた先は、映画でしか見たことのないような場所だった。

高い門。長いアプローチ。水面みたいに光る玄関ホール。大理石の床に、俺の安っぽいスニーカーが場違いに響く。

「……すご」

思わず漏れた。  
龍堂が靴を脱ぐ俺に手を差し出す。指が長い。
掴まれた手は驚くほど温かい。

「腹は?」

「あ、いや、平気――です」

「嘘つくな。今、鳴った」

恥ずかしさで死ねる。胃袋は正直者だ。  

気づけばダイニングの椅子に座らされ、目の前に置かれたのは、名前だけ知っているブランドの紙袋。中から現れた箱は、丁寧なリボンに包まれていた。

「……これ、スイーツ……?」

「お前のバイト先の近くに店がある。評判がいい。甘いのは嫌いか」

「嫌いじゃない、です……けど、こんなの、俺なんか――」

いつもの口癖が喉元まで上がって、そこで止まった。  
 
龍堂が椅子を引き、俺の隣へと座る。距離が近い。肩が触れそうだ。

彼はリボンをするりと解き箱を開ける。カットされたケーキが春の庭みたいに並んでいた。
苺の艶、ピスタチオの緑、クリームの白。

「食え。仕事終わりの糖分は必要だ」

「……いただきます」

一口。冷たくて甘い。
喉の奥がほどけていく。涙が出そうになるのを意地で飲み込んだ。

「うまいか」

「……はい」

「よし」

よし、ってなんだよ。  
笑いそうになって慌ててうつむく。こんな場所で笑うのは、似合わない気がした。

「風呂を用意させる。今日は寝ろ。明日から、俺の指示に従え」

「……仕事、は」

「朝のコンビニは辞めろ。昼のファミレスも夜の居酒屋も……。ここで生活を整えるのが先だ」

「そんな、俺……働かないと――」

「働く場所を用意する。
名目は臨時の事務補助でもいい。給与は出す」

「……なんで、そこまで」

気づけば出ていた疑問。
声が震えている。  

龍堂は少しだけ視線を落として薄く笑う。その笑みは、さっきより柔らかかった。

「言っただろう。お前は俺のものだ。俺のものは、満たす」

ずるい言い方だ。  
でもそのずるさに救われたいと思ってしまう自分が、いちばんずるい。

案内された部屋は、ホテルより広かった。肌に触れるシーツは、雲の端みたいに軽い。  
ベッドの端に腰を下ろしたとき、背後でノックの音がした。

「失礼する」

龍堂が入ってきた。手には、薬と水。  
近づいて、俺の額に手を当てる。温度計じゃないのに、測られているみたいだ。

「少し熱い。無理をしすぎたな」

「大丈夫、です」

「大丈夫じゃないから、顔が青い」

容赦のない指摘に、否定できない。差し出された錠剤を受け取り、水で流し込む。喉を通った瞬間、胸がすうっと軽くなった気がした。

「寝ろ」

「……龍堂さん」

弦也げんやでいい」

「……弦也、さん」

名を口にしただけで、距離が縮まるのが怖い。  

彼はベッドの端、俺の手の届くところに腰を下ろし、毛布を丁寧に整えた。掌が、髪に触れる。優しく撫でる動作は、あまりに場違いで、優しい。

「逃げようとするな。逃げ道は用意しない」

「脅しですか」

「現実だ。……代わりに、家では甘やかす」

「……」

「何がほしい」

問われて、答えが出てこない。
金? 地位? そんなものは似合わない。  
沈黙のまま視線を泳がせると、彼が少しだけ笑った。

「じゃあ、俺が決める。まずは睡眠。次に食事。最後に、笑顔」

「最後……」

「一番難しい。だから最後」

目を閉じろと言われたわけじゃないのに、瞼が重くなる。  

遠くで、春の雨の音がした気がした。実際には降っていない。耳鳴りだ。  

けれど、手の温もりは確かだった。髪を撫でるリズムが、子供の頃に戻ったみたいに眠気を連れてくる。

「おやすみ、悠斗」

不意に名前を呼ばれて、胸が痛いほど跳ねた。
俺は、幸せになっちゃいけない。――そう、思っていたはずなのに。

借金のカタに始まった関係。それなのに、どうしてこんなに優しいんだ。
与えられる甘さは、喉元まで来て、どうしても拒めなかった。

意識が沈む間際、低い声がもう一度、耳に届く。

「逃がさない。お前が安らげる場所は、俺が作る」

その言葉が、脅しではなく、誓いのように聞こえた理由を俺はまだ知らない。
ただ、差し伸べられたその手を、もう離したくないと思ってしまった。

――

翌朝。  
目を開ければ、天井が高い。白が眩しい。ここは、御曹司の豪邸。夢じゃない。  
起き上がると、テーブルにメモと紙袋が置かれていた。

『朝はこれを。仕事は十時に迎えに行く。無理するな。――弦也』

紙袋の中には、焼き立てのクロワッサンと透明な瓶の蜂蜜。隅には小さな保冷剤。  

ラベルにある店名を見て、思わず笑ってしまう。俺のバイト先の隣の、いつも見てるだけのパン屋だ。

「……ずる」

ほんと、ずるい。  
でも、胸の奥の何かが、ほんの少しだけ温度を取り戻していくのを、確かに感じた。

「龍堂――弦也。そう名乗ったその人は、俺の人生を変える借金の引き受け先だった。」

俺の新しい一日は、こうして始まった。
借金で繋がれたはずの同居は、甘さで首まで満たされる未来の予告編みたいだった。  

それが「溺愛」だと認めるのに、時間はかからないのかもしれない。


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