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第5章 赤い月の試練
Ep18:傷と誓い
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雪は炎に抗うように、ゆっくりと
森へ舞い降り続けていた。
だが、夜明け前の森は火の粉が吹雪のように宙を走り、音もなく黒い煙を飲み込んでいく。村人たちが放った炎は広がりながら森の樹々を焼き払っていく。
赤い月が血のしずくのように、夜空の真ん中でじっと見下ろしていた。
アシェルは血だらけの腕を押さえ、呼吸を整えながら必死でヴァルを探していた。
炎の向こうでは、完全に獣へ変貌したヴァルが暴れ回っている。爪が雪と泥を掻き散らし、咆哮が闇に轟く。かつて守るために使われたその力は、今や破壊のためだけに解き放たれていた。
誰も彼を止めることはできない。
炎も、村人も、森の獣たちにも――そして、何より自分自身にも。
絶望……過去への報復。
ヴァルは、何もかもなくそうとしていた。
「やめて!ヴァル」
アシェルは、小さな体で炎の中を走った。熱に焼かれながら、煙に咳き込みながら、それでも手を伸ばす。雪がチリチリと溶けて、赤く染まっていく。
森の主であるはずの男が、今は森の破滅を手伝っている――その現実が耐えがたかった。
「やめて!お願いだ、ヴァル!」
叫ぶ。声はかき消されても、それでも何度も。
そのとき、獣の瞳――血に染まったヴァルとアシェルの視線が交差した。
ヴァルは、もはや人間の言葉を理解できる状態ではなかった。だがアシェルの叫びは、なぜかほんの一瞬、ヴァルの耳へと届いた。
「……アシェル?」
荒れ狂う獣の心の奥に、かすかに人の名残が響く。
アシェルは、怪我で膝をガクガクと震わせていた。
何度も倒れそうになる。けれど目の前の背中を見ているだけで、どこからか力が湧いて歩み寄る。
「一人にしない、一人にさせないから――お願いだ、ヴァル、戻ってきて!」
炎が髪を焦がす。傷口が熱と雪でむき出しになる痛みも、何度も冬を越えてきた苦しみに比べれば……。
アシェルはヴァルに近づき、傷だらけの手で迷わずその巨大な体を抱きしめた。獣と化したヴァルの背に、必死に腕を回す。
「俺はあなたを一人にしない。どんなに怒りに飲まれても、どんなに傷ついても、絶対にそばにいる!」
声は震え、体も傷だらけ。けれど、その熱だけは炎のどんな輝きにも負けなかった。
ヴァルは、暴走する本能とアシェルの声とを行き来して、しばらく身動き一つしない。
獣性が、愛に、そして孤独に打ち勝とうとしていた。
「うう……っ、アシェル……」
つぶやく。その声音は人と獣の狭間で揺れている。
「あなたを、一人にしない」
アシェルは泣きながら、それでもしっかりとヴァルを抱きしめた。
「俺は生贄として生き残った。でも、あなたの隣にいるために、何度も守られる。だけじゃなく、あなたを守りたいって、本当に思えたんだ!」
炎が、雪が、夜が、ふたりを囲む。
世界が焼き払われても、この言葉だけは焼かれずに残る。
ヴァルの獣性はようやく収まり、腕の中で彼は悲鳴のような嗚咽を漏らした。
「……ごめん。俺は、また全部失うのが怖かったんだ」
「失くさせない。もう一人になんて、させない」
炎が森を包み、雪が静かにその上に降っていた。
夜が明ける時、森の片隅でふたりが肩を寄せ合って座っていた。
森も、ヴァルも、アシェルも焼け跡の中で傷ついているけれど、その誓いだけは揺るがない。
「あなたの隣に、俺はいるから」
それは、彼の決意の言葉だった。
森へ舞い降り続けていた。
だが、夜明け前の森は火の粉が吹雪のように宙を走り、音もなく黒い煙を飲み込んでいく。村人たちが放った炎は広がりながら森の樹々を焼き払っていく。
赤い月が血のしずくのように、夜空の真ん中でじっと見下ろしていた。
アシェルは血だらけの腕を押さえ、呼吸を整えながら必死でヴァルを探していた。
炎の向こうでは、完全に獣へ変貌したヴァルが暴れ回っている。爪が雪と泥を掻き散らし、咆哮が闇に轟く。かつて守るために使われたその力は、今や破壊のためだけに解き放たれていた。
誰も彼を止めることはできない。
炎も、村人も、森の獣たちにも――そして、何より自分自身にも。
絶望……過去への報復。
ヴァルは、何もかもなくそうとしていた。
「やめて!ヴァル」
アシェルは、小さな体で炎の中を走った。熱に焼かれながら、煙に咳き込みながら、それでも手を伸ばす。雪がチリチリと溶けて、赤く染まっていく。
森の主であるはずの男が、今は森の破滅を手伝っている――その現実が耐えがたかった。
「やめて!お願いだ、ヴァル!」
叫ぶ。声はかき消されても、それでも何度も。
そのとき、獣の瞳――血に染まったヴァルとアシェルの視線が交差した。
ヴァルは、もはや人間の言葉を理解できる状態ではなかった。だがアシェルの叫びは、なぜかほんの一瞬、ヴァルの耳へと届いた。
「……アシェル?」
荒れ狂う獣の心の奥に、かすかに人の名残が響く。
アシェルは、怪我で膝をガクガクと震わせていた。
何度も倒れそうになる。けれど目の前の背中を見ているだけで、どこからか力が湧いて歩み寄る。
「一人にしない、一人にさせないから――お願いだ、ヴァル、戻ってきて!」
炎が髪を焦がす。傷口が熱と雪でむき出しになる痛みも、何度も冬を越えてきた苦しみに比べれば……。
アシェルはヴァルに近づき、傷だらけの手で迷わずその巨大な体を抱きしめた。獣と化したヴァルの背に、必死に腕を回す。
「俺はあなたを一人にしない。どんなに怒りに飲まれても、どんなに傷ついても、絶対にそばにいる!」
声は震え、体も傷だらけ。けれど、その熱だけは炎のどんな輝きにも負けなかった。
ヴァルは、暴走する本能とアシェルの声とを行き来して、しばらく身動き一つしない。
獣性が、愛に、そして孤独に打ち勝とうとしていた。
「うう……っ、アシェル……」
つぶやく。その声音は人と獣の狭間で揺れている。
「あなたを、一人にしない」
アシェルは泣きながら、それでもしっかりとヴァルを抱きしめた。
「俺は生贄として生き残った。でも、あなたの隣にいるために、何度も守られる。だけじゃなく、あなたを守りたいって、本当に思えたんだ!」
炎が、雪が、夜が、ふたりを囲む。
世界が焼き払われても、この言葉だけは焼かれずに残る。
ヴァルの獣性はようやく収まり、腕の中で彼は悲鳴のような嗚咽を漏らした。
「……ごめん。俺は、また全部失うのが怖かったんだ」
「失くさせない。もう一人になんて、させない」
炎が森を包み、雪が静かにその上に降っていた。
夜が明ける時、森の片隅でふたりが肩を寄せ合って座っていた。
森も、ヴァルも、アシェルも焼け跡の中で傷ついているけれど、その誓いだけは揺るがない。
「あなたの隣に、俺はいるから」
それは、彼の決意の言葉だった。
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