待合室

おりん

文字の大きさ
3 / 5

期待ととまどい

しおりを挟む
 目の前の王子様の瞳は深い慈愛に満ちていて、心を穏やかにしてくれる。
 王子様の手は繊細だが力強くもあり、お姫様をゆっくりと抱き上げ、まるで宝物を扱うかのように優しく、しかし確かな手つきでお姫様を腰から抱きかかえた。
 お姫様は嬉しくて顔が赤くなった。王子様もまた顔を赤らめて、お姫様の顔を見つめて笑った。

 先生が「今一番楽しいことを考えて」とか言うものだから、必死に楽しいことを考えようとしていたら、そんな夢を見てしまった。王子様は谷口さん。
 お姫様は私。自分で自分にひいてしまう。私の頭にはお花が咲いている。

 会社の人たちに迷惑をかけて、休ませてもらっている身でありながら、勝手で独りよがりで妄想いっぱいの夢を見てしまった。いや、夢は妄想だから良いのか。

 いやいや。

 私の今の立場で夢も妄想とかもないでしょ。私は勝手で我儘な人間かもしれません。

 でも、夢の中の私はとても幸せだった。すごく幸福感を味わっていた。こんな気持ちになるのは久しぶりだ。そして無性に谷口さんに会いたくなった。

 私は月に一回、傷病手当金の申請書を会社に郵送している。送り先は人事部の谷口様宛。
 モノクロで何の柄もない便箋を選んで、ペンを走らせる。

 ――お忙しい中、お手数をおかけしますが、どうぞ宜しくお願いします。

 すると、数日後、谷口さんからメールが来る。

 ――田宮さん。書類届きました。焦らずゆっくりと療養してくださいね。

 谷口さん、またお話ししたい。事務的なやりとりだと分かっていても、そう思ってしまう。

会いたい。

 そんな事を念じていたら、本当に会ってしまった。意外な場所。心療内科の待合室。

 私はいつものように、待合室の椅子に座っていたら、診察室から細身の男の人が出てきた。
 谷口さんに似ている人だなあとか思っていたら、谷口さんだった。

 びっくりした。

 私は見つからないように息を殺して慌てて椅子から立った。きょろきょろ周りを見たら、一つ後ろの観葉植物に隠れている椅子が空いていた。スルスルと摺り足で身体を滑らせて、その椅子に座り身を隠した。
 
 谷口さんは私がさっきまで座っていた椅子の前を通り過ぎて、受付に一番近い椅子へ座り込んだ。
 
 谷口さんは、他の社員のことかなにかで、心療内科に来ているのだろうか。それとも?

 観葉植物の葉の隙間から見える谷口さんは、いつもの違い元気が無さそうだ。ふうー、と溜息を何度かついていた。

 谷口さんもメンタル不調で通い始めたのだろうか。

 私は診察室の扉が開いて先生が私の名前を呼ぶ時間が、幾らかでも遅くなる事を祈った。先生、私を呼ばないで。

「谷口さん。お待たせしました」

 谷口さんが先に受付の職員さんに呼ばれた。会計を済ませながら、処方箋が出ていますので薬局で受け取ってくださいね。また来月の同じ日の同じ時間のご予約で良いですか。職員さんが谷口さんに話す声が聞こえる。

 やっぱり谷口さん、調子が悪いんだ。

「はい。来月の同じ日の同じ時間でお願いします」

 谷口さんが自分のスマホを見ながら、そう答えていた。
 私は葉っぱの隙間から、その様子を恐る恐る眺めていた。

「田宮優花さん、お入りください」

 先生が私の名前を読んだ時、谷口さんは既に待合室を出ていた。わあ良かった。見つからなくて良かった。

「どうして私、隠れたんだろ」

 私は先生に向かって唐突に言葉が出てしまった。少し息が上がっていた。先生は何の事か分からずに、ボカンと口を開けて私を見ていた。

 いや、何でもないです。先生の小さな瞳の中にクエスチョンマークが光っているのを見なかった事にして、私は診察室の椅子に座った。


 次の日。毎月送る谷口さん宛の便箋に、いつもと違う言葉を入れた。

 ――朝晩寒いですが、谷口さんお元気ですか。どうか。どうかご自愛下さいね。

 最後にハートマークを入れそうになったけれど、慌てて心を落ち着かせて、マルだけにしておいた。危なかった。

 数日後、谷口さんからメールが届いた。

 ――田宮さん。書類届きました。私は相変わらず元気にやっています。焦らずゆっくりと療養してくださいね。

 うそつき。私を心配にさせて。私はメールの中の谷口さんに向かって口を尖らせた。

 次の月の同じ日の同じ時間。私は心療内科の待合室の観葉植物の後ろの椅子に、隠れるように座った。診察室の中には谷口さんが入っているはず。

 これってストーカー行為なのだろうか、とか心配になった。でもそれよりも谷口さんは大丈夫だろうか? 一目だけでも様子を見たい気持ちの方が上回っていた。

「自分自身以外の誰かに気持ちを傾けることが出来たら、メンタルが安定する事もあります」

 いつだったか先生がそう言っていたのを思い出した。先月、谷口さんをここで見てしまってから、皮肉なことに私の調子は少しばかりだけれども、確実に良くなっていた。谷口さん、大丈夫だろうか? そう思う事が日に何度かあった。

 診察室の扉が開いた。谷口さんが出てきた。私は葉っぱの隙間から、谷口さんの顔をじっと見た。見つからないように見た。先月よりも調子が悪いように思えた。

 このまま谷口さんの前に出て行って、田宮です。谷口さん大丈夫ですか? て聞きたくなったけれど、谷口さんは会社にも隠して心療内科に通っているのかもしれない。そう思うと、隠れて見ているしか無かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

処理中です...