悪役令嬢の、お気楽すぎる辺境ライフ!

夏乃みのり

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王都を出発する日が、数日後に迫っていた。
クライスト公爵邸では、旅の準備が大詰めを迎えている。

「マリア!その刺繍道具は置いていっていいわ。代わりに、あっちの鍬と鋤を入れてちょうだい」

「お嬢様…わたくしは侍女でして、農婦ではございません…」

「辺境では自給自足が基本よ。さあ、それから薬草の本と、保存食の作り方の本も忘れずに!」

山と積まれたドレスや宝飾品のほとんどには目もくれず、カタリーナは実用的な(?)道具ばかりを荷物に詰め込んでいく。
そのあまりの熱意に、マリアは遠い目をするしかなかった。

そんな騒動の最中、執事が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。

「お、お嬢様!大変でございます!ベルク辺境伯様が、お嬢様にご挨拶をと、お見えになりました!」

「まあ、辺境伯様が?」

カタリーナは意外に思った。
辺境伯は滅多に王都に来ないと聞いている。
わざわざ挨拶に来てくれるとは、存外律儀な人物なのかもしれない。

カタリーナは一番地味なドレスに着替えると、応接室へと向かった。

部屋に入った瞬間、カタリーナは息を呑んだ。
そこにいたのは、噂に聞く人物のイメージ、そのものだった。

すらりと高い長身に、鍛え上げられた体躯。
夜の森を思わせる黒髪と、冬の湖のような鋭い銀の瞳。
その身に纏う空気は、北の永久凍土のように冷たく、一切の甘さを許さない。

レオンハルト・フォン・ベルク。
人々が『氷の辺境伯』と呼ぶ、その人だった。

そして、カタリーナの視線は、彼の隣に静かに控える存在に吸い寄せられた。

大きい。
普通の狼の二倍はあろうかという巨体。
月光を浴びた新雪のように輝く、白銀の毛並み。
賢そうな金の瞳が、じっとこちらを見つめている。

(まあ…!なんて、なんて立派なもふもふ…!)

カタリーナの心は、一瞬にして目の前の獣に奪われていた。

「ベルク辺境伯、レオンハルトだ」

地を這うような低い声が、カタリーナを我に返させた。

「貴殿が、我が領の隣接地を新たに治めることになったクライスト公爵令嬢と聞き、挨拶に伺った」

事務的で、無愛想で、体温の感じられない声。
その銀の瞳は、まるで値踏みをするようにカタリーナを観察していた。
王都で広まる悪評を、当然彼も耳にしているのだろう。

しかし、カタリーナはそんなレオンハルトの冷たい態度など、まったく意に介していなかった。

「ご丁寧にありがとうございます、辺境伯様。わたくしはカタリーナと申します」

彼女はにこやかに微笑んだが、その視線はレオンハルトを通り越し、完全に白銀の狼へと注がれていた。

(触りたい…!ああ、でも初対面でいきなりは失礼かしら。いや、でもこの機会を逃したら次はいつ会えるか…!)

カタリーナが内心で激しい葛藤を繰り広げていると、レオンハルトが訝しげに眉をひそめた。

「…何か、言いたいことでも?」

「え、ええ!その…隣にいらっしゃる、その…もふもふの方は、一体…?」

「もふもふ…?」

レオンハルトは怪訝な顔をしたが、すぐに相棒のことだと気づいたようだ。

「こいつはフェンリル。見ての通り、ただの狼だ」

「まあ、フェンリル様!素敵なお名前ですのね!」

カタリーナはうっとりとした表情で、一歩、狼へと近づいた。

「待て」

レオンハルトの鋭い制止の声が飛ぶ。

「こいつは人には慣れていない。下手に近づくと怪我をするぞ」

その言葉と裏腹に、巨大な狼フェンリルは、カタリーナを警戒するどころか、嬉しそうにふさふさの尻尾を振り始めた。
そして、自らカタリーナの足元にすり寄り、くんくんと匂いを嗅いでいる。

「まあ!なんてお利口さんなんでしょう!」

カタリーナは、もはや理性を失っていた。
しゃがみ込むと、ためらうことなくその白銀の毛並みに両手を埋める。

「ああ…!ふわふわですわ…!柔らかくて、暖かくて…最高のもふもふです!」

彼女は至福の表情で、フェンリルの首筋に頬ずりまでし始めた。
当のフェンリルも、気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らしている。

その光景を、レオンハルトは信じられないものを見るような目で、ただ呆然と眺めていた。
この相棒が、自分以外の人間、それも初対面の相手にこれほど無防備に懐くなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだった。

「…お前、一体何者だ?」

ようやく絞り出したレオンハルトの問いに、カタリーナはもふもふから顔を上げて、きょとんと首を傾げた。

「カタリーナですわ。見ての通り、ただのもふもふ好きですが、何か?」

悪びれもせず、にっこりと微笑む。
噂に聞く『傲慢で我儘な悪女』の姿は、そこにはどこにもなかった。

「辺境へ行くのが、ますます楽しみになりましたわ!ベルク辺境伯、これからどうぞ、よろしくお願いいたしますね!」

無邪気な笑顔を向けるカタリーナに、レオンハルトは何も言葉を返すことができず、ただ戸惑いの表情を浮かべるだけだった。
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