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カタリーナが辺境で新たな人生を謳歌している頃、王都の王宮では、重くよどんだ空気が流れていた。
第一王子アランの執務室。
彼は山と積まれた書類を前に、何度目か分からない深いため息をついた。
集中できないのだ。
頭に浮かぶのは、婚約を破棄したはずのかつての婚約者のことばかり。
そこへ、ノックもせずにはなやかなドレス姿の令嬢が入ってきた。
アランの新たな婚約者、リリアナ・アイビーだった。
「アラン様、まだお仕事ですの?わたくし、新しい宝石が見に行きたいと、先ほどから申し上げておりますのに」
リリアナは頬を膨らませ、不満を隠そうともしない。
婚約者という立場を手に入れた今、彼女の態度は日に日に横柄になっていた。
「リリアナ、すまないが、国務が立て込んでいる。買い物はまた今度にしてくれないか」
「また今度、また今度…!アラン様はいつもそればかりですわ!わたくしを一番に考えてくださると、あれほどおっしゃってくださったのに!」
「これは私の義務だ。未来の国王として、疎かにはできん」
アランが少し強い口調で言うと、リリアナは目に涙を浮かべた。
かつて、アランの心を掴んだのと同じ、儚げな涙。
しかし、今の彼には、それがただの我が儘を通すための武器にしか見えなかった。
「…カタリーナ様は、あんなに我儘だったのに、アラン様は優しくなさったではございませんか!わたくしでは、不満ですの!?」
またカタリーナの名前を出す。
リリアナは、自分の要求が通らないことがあると、決まってカタリーナを引き合いに出してアランを責めるのだった。
(我儘、だと…?)
アランは心の中で反芻する。
確かに、カタリーナは傲慢で、勝ち気だった。
だが、彼女が口にした要求は、常に王妃としての己を磨くためのものばかりではなかったか。
もっと優れた剣術指南を、とか。
帝王学の書物を閲覧させてほしい、とか。
新しいドレスや宝石をねだって、彼を困らせたことなど、ただの一度もなかった。
国務の邪魔をされたことなど、もちろん一度も。
「…少し、一人にしてくれないか」
アランが冷たく言うと、リリアナは悔しそうに唇を噛み、乱暴に扉を閉めて出ていった。
一人残された執務室で、アランは頭を抱える。
何かがおかしい。
いつから、歯車は狂ってしまったのだろう。
婚約破棄を告げたあの夜の、カタリーナの姿が脳裏に蘇る。
泣き叫び、許しを乞うと思っていた。
しかし、彼女は少しも動じず、ただ凛として、慰謝料という現実的な要求を突きつけ、そして誰よりも優雅に去っていった。
まるで、枷から解き放たれたとでも言うように。
その姿が、最近になって何度も、アランの心を締め付けるのだ。
そこへ、侍従が静かにお茶を運んできた。
「殿下、お疲れでございますか」
「…ああ。少しな」
「さようでございますか。…そういえば、最近、王都の貴族の間で、辺境から取り寄せたという珍しいお菓子が流行しているそうでございますな」
「辺境の菓子…?」
「はい。『辺境の恵みナッツタルト』とか申しまして。かのクライスト公爵令嬢が考案されたものだと、もっぱらの噂にございます」
「…カタリーナが?」
アランは、思わぬところで彼女の名前を聞き、目を見開いた。
あのカタリーナが、菓子作りなど…。
彼の知る彼女の姿とは、あまりにもかけ離れている。
侍従が下がった後も、アランはしばらくの間、動けなかった。
自分が捨てた女は、今頃、北の果てで惨めに暮らしていると、そう思っていた。
いや、そう思いたかったのかもしれない。
しかし、聞こえてくる噂は、自分の知らないカタリーナの姿ばかり。
領民に慕われ、子供たちに好かれ、新しい名物まで生み出しているという。
本当に悪女だったのは、一体どちらだったのか。
自分は、リリアナの涙に騙されて、本当に大切なものを見誤ったのではないか。
後悔という名の毒が、じわじわとアランの心を蝕み始めていた。
しかし、それに気づいたところで、もう遅い。
すべては、後の祭りだった。
アランは静かに立ち上がると、窓の外に広がる王都の景色を眺めた。
その視線は、遥か北の、まだ見ぬ辺境の地へと向けられていた。
第一王子アランの執務室。
彼は山と積まれた書類を前に、何度目か分からない深いため息をついた。
集中できないのだ。
頭に浮かぶのは、婚約を破棄したはずのかつての婚約者のことばかり。
そこへ、ノックもせずにはなやかなドレス姿の令嬢が入ってきた。
アランの新たな婚約者、リリアナ・アイビーだった。
「アラン様、まだお仕事ですの?わたくし、新しい宝石が見に行きたいと、先ほどから申し上げておりますのに」
リリアナは頬を膨らませ、不満を隠そうともしない。
婚約者という立場を手に入れた今、彼女の態度は日に日に横柄になっていた。
「リリアナ、すまないが、国務が立て込んでいる。買い物はまた今度にしてくれないか」
「また今度、また今度…!アラン様はいつもそればかりですわ!わたくしを一番に考えてくださると、あれほどおっしゃってくださったのに!」
「これは私の義務だ。未来の国王として、疎かにはできん」
アランが少し強い口調で言うと、リリアナは目に涙を浮かべた。
かつて、アランの心を掴んだのと同じ、儚げな涙。
しかし、今の彼には、それがただの我が儘を通すための武器にしか見えなかった。
「…カタリーナ様は、あんなに我儘だったのに、アラン様は優しくなさったではございませんか!わたくしでは、不満ですの!?」
またカタリーナの名前を出す。
リリアナは、自分の要求が通らないことがあると、決まってカタリーナを引き合いに出してアランを責めるのだった。
(我儘、だと…?)
アランは心の中で反芻する。
確かに、カタリーナは傲慢で、勝ち気だった。
だが、彼女が口にした要求は、常に王妃としての己を磨くためのものばかりではなかったか。
もっと優れた剣術指南を、とか。
帝王学の書物を閲覧させてほしい、とか。
新しいドレスや宝石をねだって、彼を困らせたことなど、ただの一度もなかった。
国務の邪魔をされたことなど、もちろん一度も。
「…少し、一人にしてくれないか」
アランが冷たく言うと、リリアナは悔しそうに唇を噛み、乱暴に扉を閉めて出ていった。
一人残された執務室で、アランは頭を抱える。
何かがおかしい。
いつから、歯車は狂ってしまったのだろう。
婚約破棄を告げたあの夜の、カタリーナの姿が脳裏に蘇る。
泣き叫び、許しを乞うと思っていた。
しかし、彼女は少しも動じず、ただ凛として、慰謝料という現実的な要求を突きつけ、そして誰よりも優雅に去っていった。
まるで、枷から解き放たれたとでも言うように。
その姿が、最近になって何度も、アランの心を締め付けるのだ。
そこへ、侍従が静かにお茶を運んできた。
「殿下、お疲れでございますか」
「…ああ。少しな」
「さようでございますか。…そういえば、最近、王都の貴族の間で、辺境から取り寄せたという珍しいお菓子が流行しているそうでございますな」
「辺境の菓子…?」
「はい。『辺境の恵みナッツタルト』とか申しまして。かのクライスト公爵令嬢が考案されたものだと、もっぱらの噂にございます」
「…カタリーナが?」
アランは、思わぬところで彼女の名前を聞き、目を見開いた。
あのカタリーナが、菓子作りなど…。
彼の知る彼女の姿とは、あまりにもかけ離れている。
侍従が下がった後も、アランはしばらくの間、動けなかった。
自分が捨てた女は、今頃、北の果てで惨めに暮らしていると、そう思っていた。
いや、そう思いたかったのかもしれない。
しかし、聞こえてくる噂は、自分の知らないカタリーナの姿ばかり。
領民に慕われ、子供たちに好かれ、新しい名物まで生み出しているという。
本当に悪女だったのは、一体どちらだったのか。
自分は、リリアナの涙に騙されて、本当に大切なものを見誤ったのではないか。
後悔という名の毒が、じわじわとアランの心を蝕み始めていた。
しかし、それに気づいたところで、もう遅い。
すべては、後の祭りだった。
アランは静かに立ち上がると、窓の外に広がる王都の景色を眺めた。
その視線は、遥か北の、まだ見ぬ辺境の地へと向けられていた。
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