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季節はゆっくりと移ろい、辺境の地にも秋の気配が訪れ始めていた。
朝晩の冷え込みに、長年南の王都で暮らしてきたマリアは、とうとう風邪を引いてしまった。
「ゲホッ、ゲホッ…!お嬢様…申し訳ございません、このような大事な時期に…」
「いいから、マリアは黙って寝ていなさい」
カタリーナはベッドに横たわる侍女の額の手ぬぐいを、冷たい水で濡らしたものと交換してやった。
「あなたは働きすぎなのよ。たまにはゆっくり休むことも、仕事のうちですわ」
マリアの熱は高く、咳もひどい。
カタリーナは、薬草で何か滋養のあるものを作ってやれないかと考えた。
確か、解熱と咳止めに効く薬草がこの辺りの森に自生していると、本で読んだことがある。
「少し、森へ行ってくるわ。すぐに戻るから、大人しくしているのよ」
「お嬢様、いけません!お一人で森に入るなど、危険でございます!」
「大丈夫よ。うちの周りは安全だって、レオンハルト様も仰っていたわ」
心配するマリアを寝かしつけ、カタリーナは小さな籠を手に屋敷を出た。
しかし、いざ森に入ってみると、どこに目当ての薬草があるのか見当もつかない。
(困りましたわ…闇雲に探しても、迷子になるだけね)
途方に暮れたカタリーナは、一つの名案を思いついた。
森の専門家に、道案内を頼めばいいのだ。
彼女は、レオンハルトが住む辺境伯の館へと向かった。
幸い、彼はちょうど領内の巡察から戻ったところだった。
「レオンハルト様!ちょうどよかった、お願いがあるのですけれど!」
カタリーナから事情を聞いたレオンハルトは、わずかに眉をひそめた。
「…その薬草なら、東の森の沢沿いに生えている。だが、素人が一人で行くのは危険だ」
「でも、マリアが苦しそうで…」
レオンハルトは、カタリーナの心から侍女を心配する顔を見て、短くため息をついた。
「…分かった。俺が案内する。その方が早い」
「え、本当ですの!?ありがとうございます!」
「勘違いするな。お前に森で倒れられても、寝覚が悪いだけだ」
ぶっきらぼうにそう言い放つが、その瞳に宿る色が少しだけ優しいことを、カタリーナは知っていた。
レオンハルトと、彼の相棒フェンリルに先導され、カタリーナは森の奥深くへと足を踏み入れた。
木々の隙間から差し込む陽光が、きらきらと地面に模様を描いている。
「このきのこは猛毒だ。触るな」
「まあ、なんて綺麗な色なのでしょう。自然は、美しくて、そして少し怖いですわね」
「あそこに見えるのが、鹿の足跡だ。昨日の夜に通ったものだろう」
レオンハルトは、森の中では饒舌だった。
植物や動物について、彼は驚くほど詳しかった。
それは、彼がこの土地を深く愛し、理解している証拠だった。
カタリーナは、彼の領主としての、普段は見せない一面を垣間見て、胸が温かくなるのを感じた。
やがて、せせらぎの音が聞こえ、目的の沢へとたどり着いた。
「あったわ!これですわ、レオンハルト様!」
カタリーナは目当ての薬草を見つけ、嬉しそうに駆け寄った。
薬草は、少しぬかるんだ沢の岸辺に群生している。
彼女が、手を伸ばしてそれを摘もうとした、その時だった。
「きゃっ!」
濡れた苔に足を取られ、カタリーナの体がぐらりと傾く。
沢へ落ちる、と覚悟した瞬間、力強い腕が彼女の体をぐいと引き寄せた。
「危ないだろう」
低い声が、すぐ耳元で聞こえる。
気がつくと、カタリーナはレオンハルトの胸の中に、すっぽりと抱きかかえられていた。
彼の体は、驚くほどがっしりとしていて、そして温かかった。
「あ…」
「…すまん」
二人は、弾かれたように慌てて体を離す。
気まずい沈黙が、二人の間に流れた。
カタリーナの頬が、夕焼けのように赤く染まっている。
レオンハルトも、ばつが悪そうにそっぽを向いていた。
その後、二人は黙々と薬草を摘み、帰路についた。
気まずさは、いつしか心地よい静寂へと変わっていた。
屋敷の前で、カタリーナはレオンハルトに向き直った。
「あの…今日は、本当にありがとうございました。とても助かりましたわ」
「…ああ」
「それから…よろしければ、これからはわたくしのこと、カタリーナ、と」
思い切って言うと、レオンハルトは少し目を見開いた。
「…レオンハルトで、いい」
彼はそれだけ言うと、短く頷き、フェンリルと共に去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、カタリーナはそっと自分の胸に手を当てた。
先ほどから、心臓がトクトクと優しい音を立てている。
それは、薬草を手に入れた喜びだけが理由ではないことを、彼女自身、もう気づいていた。
朝晩の冷え込みに、長年南の王都で暮らしてきたマリアは、とうとう風邪を引いてしまった。
「ゲホッ、ゲホッ…!お嬢様…申し訳ございません、このような大事な時期に…」
「いいから、マリアは黙って寝ていなさい」
カタリーナはベッドに横たわる侍女の額の手ぬぐいを、冷たい水で濡らしたものと交換してやった。
「あなたは働きすぎなのよ。たまにはゆっくり休むことも、仕事のうちですわ」
マリアの熱は高く、咳もひどい。
カタリーナは、薬草で何か滋養のあるものを作ってやれないかと考えた。
確か、解熱と咳止めに効く薬草がこの辺りの森に自生していると、本で読んだことがある。
「少し、森へ行ってくるわ。すぐに戻るから、大人しくしているのよ」
「お嬢様、いけません!お一人で森に入るなど、危険でございます!」
「大丈夫よ。うちの周りは安全だって、レオンハルト様も仰っていたわ」
心配するマリアを寝かしつけ、カタリーナは小さな籠を手に屋敷を出た。
しかし、いざ森に入ってみると、どこに目当ての薬草があるのか見当もつかない。
(困りましたわ…闇雲に探しても、迷子になるだけね)
途方に暮れたカタリーナは、一つの名案を思いついた。
森の専門家に、道案内を頼めばいいのだ。
彼女は、レオンハルトが住む辺境伯の館へと向かった。
幸い、彼はちょうど領内の巡察から戻ったところだった。
「レオンハルト様!ちょうどよかった、お願いがあるのですけれど!」
カタリーナから事情を聞いたレオンハルトは、わずかに眉をひそめた。
「…その薬草なら、東の森の沢沿いに生えている。だが、素人が一人で行くのは危険だ」
「でも、マリアが苦しそうで…」
レオンハルトは、カタリーナの心から侍女を心配する顔を見て、短くため息をついた。
「…分かった。俺が案内する。その方が早い」
「え、本当ですの!?ありがとうございます!」
「勘違いするな。お前に森で倒れられても、寝覚が悪いだけだ」
ぶっきらぼうにそう言い放つが、その瞳に宿る色が少しだけ優しいことを、カタリーナは知っていた。
レオンハルトと、彼の相棒フェンリルに先導され、カタリーナは森の奥深くへと足を踏み入れた。
木々の隙間から差し込む陽光が、きらきらと地面に模様を描いている。
「このきのこは猛毒だ。触るな」
「まあ、なんて綺麗な色なのでしょう。自然は、美しくて、そして少し怖いですわね」
「あそこに見えるのが、鹿の足跡だ。昨日の夜に通ったものだろう」
レオンハルトは、森の中では饒舌だった。
植物や動物について、彼は驚くほど詳しかった。
それは、彼がこの土地を深く愛し、理解している証拠だった。
カタリーナは、彼の領主としての、普段は見せない一面を垣間見て、胸が温かくなるのを感じた。
やがて、せせらぎの音が聞こえ、目的の沢へとたどり着いた。
「あったわ!これですわ、レオンハルト様!」
カタリーナは目当ての薬草を見つけ、嬉しそうに駆け寄った。
薬草は、少しぬかるんだ沢の岸辺に群生している。
彼女が、手を伸ばしてそれを摘もうとした、その時だった。
「きゃっ!」
濡れた苔に足を取られ、カタリーナの体がぐらりと傾く。
沢へ落ちる、と覚悟した瞬間、力強い腕が彼女の体をぐいと引き寄せた。
「危ないだろう」
低い声が、すぐ耳元で聞こえる。
気がつくと、カタリーナはレオンハルトの胸の中に、すっぽりと抱きかかえられていた。
彼の体は、驚くほどがっしりとしていて、そして温かかった。
「あ…」
「…すまん」
二人は、弾かれたように慌てて体を離す。
気まずい沈黙が、二人の間に流れた。
カタリーナの頬が、夕焼けのように赤く染まっている。
レオンハルトも、ばつが悪そうにそっぽを向いていた。
その後、二人は黙々と薬草を摘み、帰路についた。
気まずさは、いつしか心地よい静寂へと変わっていた。
屋敷の前で、カタリーナはレオンハルトに向き直った。
「あの…今日は、本当にありがとうございました。とても助かりましたわ」
「…ああ」
「それから…よろしければ、これからはわたくしのこと、カタリーナ、と」
思い切って言うと、レオンハルトは少し目を見開いた。
「…レオンハルトで、いい」
彼はそれだけ言うと、短く頷き、フェンリルと共に去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、カタリーナはそっと自分の胸に手を当てた。
先ほどから、心臓がトクトクと優しい音を立てている。
それは、薬草を手に入れた喜びだけが理由ではないことを、彼女自身、もう気づいていた。
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