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バルディス帝国での生活にも、ようやく慣れ(諦め)が生じてきた頃。
私の日常は、「いかにしてルーカスの目を盗み、サボるか」という一点に集約されていた。
今日の私は、城の庭園にあるガゼボ(西洋風あずまや)にいた。
時刻は午後三時。
聖なるティータイムの時間だ。
「……ふぅ」
私はカップを持ち上げ、優雅に紅茶を啜った。
目の前には、私が開発(提案)した「フルーツサンド」が山盛りになっている。
生クリームとイチゴのハーモニー。
糖分が脳に染み渡る。
「平和だ……」
ルーカスは今、他国の要人との会議に出ている。
つまり、あと二時間は戻ってこない。
この隙に糖分を摂取し、そのままガゼボのベンチで昼寝をする。
完璧なプランだ。
鳥のさえずりが聞こえる。
風が心地よい。
ああ、このまま土に還りたい。
「見つけましたわよおおおおおっ!!」
その静寂は、突如として引き裂かれた。
耳をつんざくような金切り声。
工事現場のドリル音にも似た、不快な周波数。
私は眉間に皺を寄せ、音の発生源へと視線を向けた。
庭園の入り口付近で、衛兵たちと揉み合っている派手なピンク色の塊がある。
「通しなさいよ! 私は隣国からの賓客よ! アレン王子の婚約者、リリィですわよ!?」
「許可なき者の立ち入りは禁じられております!」
「うるさいわね! そこにいるんでしょう、ダリア! 隠れてないで出てきなさい!」
ピンク色の塊が、私を指差して叫んでいる。
フリフリのドレスに、これでもかというほど巻いた縦ロールの髪。
そして、無駄に大きなリボン。
(……誰だっけ?)
私は記憶の引き出しを開けようとしたが、錆びついていて開かなかった。
私にとって、自分以外の人間は「私の睡眠を妨害する敵」か「そうでないか」の二種類しかいない。
彼女は前者だが、個体名までは覚えていない。
「ダリアーっ! 無視するんじゃありませんわよ!」
衛兵をすり抜け(というより、衛兵が彼女のヒステリーに引いて道を開け)、ピンクの塊が猛進してくる。
私の目の前まで来ると、彼女は仁王立ちになり、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ふふん、やっと会えましたわね。惨めなダリア様」
「……こんにちは。どちら様でしょうか? 新手の道化師(ピエロ)ですか?」
「違いますわよっ!!」
彼女は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「リリィですわ! リ・リ・ィ! 貴女からアレン様を奪った、運命のヒロインですわよ!」
「ああ……」
私はポンと手を打った。
「王子の浮気相手の方でしたか」
「言葉を選びなさい! 『真実の愛の相手』ですわ!」
そういえば、そんな人がいた気がする。
私の婚約破棄の原因となり、結果として私をこのブラック職場へと追いやった元凶の一人。
ある意味では、私の人生の分岐点を作った重要人物かもしれない。
感謝はしないけど。
「それで、リリィ様。わざわざ隣国から、何のご用でしょうか? 見ての通り、私は今、クリームとイチゴの比率について思索を巡らせている最中なのですが」
「はあ? 相変わらず訳の分からないことを……。私が来たのは、貴女の無様な姿を見て笑って差し上げるためですわ!」
リリィは扇子を広げ、高笑いをした。
「オーッホッホ! 聞きましたわよ? 貴女、この野蛮な国に連れ去られて、酷い扱いを受けているそうですわね! 牢屋に入れられているとか、朝から晩まで働かされているとか!」
「……まあ、当たらずとも遠からずですね」
(『働かされている』の部分は否定できない)
「可哀想に! アレン様に捨てられ、こんな寒い国でボロ雑巾のように扱われるなんて! 私がどれだけ幸せか、見せつけに来てあげましたの!」
彼女は自分のドレスを自慢げに見せつけた。
「見てください、このドレス! アレン様に買ってもらいましたの。最新の流行ですわよ。貴女の着ているその……地味な服とは大違いですわね」
私は自分の服を見下ろした。
今日の服装は、動きやすさを重視したシンプルなチュニックだ。
フリルもレースもないが、肌触りは最高級のシルクである。
ルーカスが「脳の働きを阻害しない服を」と特注させたものだ。
「そうですか。よくお似合いですよ、その……桃饅頭みたいなドレス」
「桃……!? ピンクダイヤモンドの色ですわ!」
「それで、用件は自慢話だけですか? それなら手紙で十分だと思うのですが」
「くっ……相変わらず可愛くない女! 悔しくないんですの!? 泥棒猫って罵りなさいよ! 泣き叫んでアレン様を返せって縋りなさいよ!」
「いえ、返品不可ですので」
私は即答した。
あんなナルシスト王子、熨斗(のし)をつけて差し上げる。
クーリングオフ期間はとっくに過ぎているのだ。
「はぁ……。貴女って本当に、張り合いのない人ですわね」
リリィは不満げに唇を尖らせた。
彼女の思考回路は理解不能だ。
なぜわざわざ国境を越えてまで、嫌いな相手に会いに来るのか。
そのエネルギーがあれば、もっと有意義なこと(昼寝とか)ができるだろうに。
「まあいいですわ。せっかく来たんですもの、しばらくはこの城に滞在して差し上げます。貴女が虐げられる様子を特等席で見学させていただきますわ」
「滞在? 許可を取っているんですか?」
「アレン様の名代として来ていますの。外交特権というやつですわ!」
(面倒くさいことになった……)
私は天を仰いだ。
これ以上、騒音源が増えるのは御免だ。
なんとかして追い返せないものか。
その時。
背後から、氷点下の冷気を帯びた声が響いた。
「……我が城の庭で、何やら騒がしいな」
振り返ると、会議を終えたルーカスが立っていた。
不機嫌そうだ。
眉間の皺が深い。
これは「低血糖でイライラしている」か「愚かな発言を聞いてキレかかっている」ときの顔だ。
「ひっ……」
リリィが息を呑む。
ルーカスの放つ威圧感は、アレン王子のような温室育ちとは格が違う。
本物の捕食者のオーラだ。
「だ、誰ですの、この無礼な男は!」
リリィが震える声で叫ぶ。
彼女はルーカスの顔を知らないらしい。
「私はアレン王子の婚約者、リリィですわよ! 貴方こそ何者ですの!?」
「……俺の城で、俺に名を問うか」
ルーカスが冷笑を浮かべる。
その赤い瞳が、リリィを虫けらのように見下ろした。
「俺がルーカス・ヴァン・ハールだ。……そこなピンク色の物体、貴様こそどうやって侵入した?」
「ピ、ピンク色の物体……!?」
リリィがショックでよろめく。
だが、すぐに気を取り直して噛み付いた。
「公爵様でしたのね! ちょうどいいですわ! 貴方も迷惑しているのでしょう? このダリアとかいう陰気な女に!」
リリィは私を指差した。
「アレン様も仰っていましたわ。『あんな冷血女を押し付けてすまない』って! きっと役に立たなくて困っているんでしょう? 私が代わりに叱ってあげてもよくてよ!」
「……ほう」
ルーカスの目が、すぅっと細められた。
空気が凍る。
あ、まずい。
これは地雷を踏んだ音だ。
「ダリアが、役に立たないだと?」
「そうですわ! 可愛げもないし、愛想もないし、ただ暗いだけ! こんな女、さっさと追い出した方が……」
「黙れ」
一喝。
その一言で、リリィの言葉がかき消された。
物理的な衝撃波が発生したかのような圧力。
リリィが腰を抜かしてへたり込む。
「貴様ごときが、彼女の何を知っている」
ルーカスが静かに、しかし激情を孕んだ声で告げる。
「彼女は、我が国の頭脳だ。その知略は千の軍勢に勝り、その判断は神の如く正確だ。暗い? 馬鹿を言うな。あれは深淵なる思索の海に沈んでいる姿だ」
(いいえ、眠いだけです)
「愛想がない? 必要ない。彼女は媚びを売るような安っぽい女ではない。実力のみで俺を従わせる、孤高の覇者だ」
(従わせたつもりはないです。むしろ従わされています)
ルーカスの壮大な勘違いトークが止まらない。
リリィは口をパクパクさせている。
理解が追いついていないようだ。
無理もない。
私だって追いついていない。
「そ、そんな……。だって、アレン様は……」
「アレン王子の目は節穴か? これほどの宝石をドブに捨て、代わりに拾ったのが……そのピンク色の石ころとはな」
「い、石ころ……!」
リリィのプライドが粉々に砕け散る音が聞こえた。
「帰れ。貴様のような騒がしいだけの存在は、ダリアの思考(昼寝)の妨げになる」
ルーカスが手を払う動作をする。
衛兵たちがリリィを抱え上げる。
「は、離しなさい! 私は賓客よ! 外交問題にしますわよ!?」
「構わん。我が国の国益(ダリア)を害する者は、王族だろうと排除する」
「キーッ! 覚えてらっしゃい! アレン様に言いつけてやるんだからーっ!」
リリィの捨て台詞が、空の彼方へと消えていった。
ドナドナのように連行されるピンク色のドレスを見送りながら、私はサンドイッチの最後の一切れを口に入れた。
「……静かになりましたね」
「ああ。不快なノイズだった」
ルーカスが私の隣に座る。
そして、当然のように私の食べかけのサンドイッチに手を伸ばした。
「しかしダリア。君も人が悪い」
「はい?」
「あえて彼女を挑発せず、無視を決め込むとは。あれは『無視』こそが最大の攻撃だと計算しての行動だろう?」
「……ええ、まあ」
(ただ関わりたくなかっただけです)
「相手のプライドが高ければ高いほど、無関心は猛毒となる。君は一言も発せず、ただ紅茶を飲んでいるだけで、彼女の精神を崩壊させた。……見事な心理戦だ」
ルーカスが感嘆のため息をつく。
「敵を感情的にさせて自滅を誘う。君の戦い方は、いつも合理的で美しい」
彼は私の頬についたクリームを指で拭い、それを自分の口に運んだ。
「甘いな」
「っ……!」
不意打ちの色気に、私の心臓が変な跳ね方をした。
この男、無自覚にこういうことをするから困る。
ブラック上司のくせに。
「さて、邪魔者も消えたことだ。仕事に戻ろうか」
「えっ、休憩時間は……」
「今の騒ぎで目が覚めただろう? 隣国との通商条約の改定案、君の意見を聞きたい」
「……鬼」
「褒め言葉だ」
ルーカスは私の手を取り、強引に立たせた。
ガゼボの外では、まだリリィの喚き声が微かに聞こえる気がするが、今の私にはそれよりも目の前の書類の山の方が脅威だった。
リリィ様。
もし私に嫌がらせをしたいなら、次回はぜひ「ダリアを拉致して南の島に監禁(放置)する」という作戦を実行してください。
全力で協力しますので。
私は心の中で元ライバル(?)にエールを送りながら、再び社畜の戦場へと連行されていくのだった。
私の日常は、「いかにしてルーカスの目を盗み、サボるか」という一点に集約されていた。
今日の私は、城の庭園にあるガゼボ(西洋風あずまや)にいた。
時刻は午後三時。
聖なるティータイムの時間だ。
「……ふぅ」
私はカップを持ち上げ、優雅に紅茶を啜った。
目の前には、私が開発(提案)した「フルーツサンド」が山盛りになっている。
生クリームとイチゴのハーモニー。
糖分が脳に染み渡る。
「平和だ……」
ルーカスは今、他国の要人との会議に出ている。
つまり、あと二時間は戻ってこない。
この隙に糖分を摂取し、そのままガゼボのベンチで昼寝をする。
完璧なプランだ。
鳥のさえずりが聞こえる。
風が心地よい。
ああ、このまま土に還りたい。
「見つけましたわよおおおおおっ!!」
その静寂は、突如として引き裂かれた。
耳をつんざくような金切り声。
工事現場のドリル音にも似た、不快な周波数。
私は眉間に皺を寄せ、音の発生源へと視線を向けた。
庭園の入り口付近で、衛兵たちと揉み合っている派手なピンク色の塊がある。
「通しなさいよ! 私は隣国からの賓客よ! アレン王子の婚約者、リリィですわよ!?」
「許可なき者の立ち入りは禁じられております!」
「うるさいわね! そこにいるんでしょう、ダリア! 隠れてないで出てきなさい!」
ピンク色の塊が、私を指差して叫んでいる。
フリフリのドレスに、これでもかというほど巻いた縦ロールの髪。
そして、無駄に大きなリボン。
(……誰だっけ?)
私は記憶の引き出しを開けようとしたが、錆びついていて開かなかった。
私にとって、自分以外の人間は「私の睡眠を妨害する敵」か「そうでないか」の二種類しかいない。
彼女は前者だが、個体名までは覚えていない。
「ダリアーっ! 無視するんじゃありませんわよ!」
衛兵をすり抜け(というより、衛兵が彼女のヒステリーに引いて道を開け)、ピンクの塊が猛進してくる。
私の目の前まで来ると、彼女は仁王立ちになり、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ふふん、やっと会えましたわね。惨めなダリア様」
「……こんにちは。どちら様でしょうか? 新手の道化師(ピエロ)ですか?」
「違いますわよっ!!」
彼女は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「リリィですわ! リ・リ・ィ! 貴女からアレン様を奪った、運命のヒロインですわよ!」
「ああ……」
私はポンと手を打った。
「王子の浮気相手の方でしたか」
「言葉を選びなさい! 『真実の愛の相手』ですわ!」
そういえば、そんな人がいた気がする。
私の婚約破棄の原因となり、結果として私をこのブラック職場へと追いやった元凶の一人。
ある意味では、私の人生の分岐点を作った重要人物かもしれない。
感謝はしないけど。
「それで、リリィ様。わざわざ隣国から、何のご用でしょうか? 見ての通り、私は今、クリームとイチゴの比率について思索を巡らせている最中なのですが」
「はあ? 相変わらず訳の分からないことを……。私が来たのは、貴女の無様な姿を見て笑って差し上げるためですわ!」
リリィは扇子を広げ、高笑いをした。
「オーッホッホ! 聞きましたわよ? 貴女、この野蛮な国に連れ去られて、酷い扱いを受けているそうですわね! 牢屋に入れられているとか、朝から晩まで働かされているとか!」
「……まあ、当たらずとも遠からずですね」
(『働かされている』の部分は否定できない)
「可哀想に! アレン様に捨てられ、こんな寒い国でボロ雑巾のように扱われるなんて! 私がどれだけ幸せか、見せつけに来てあげましたの!」
彼女は自分のドレスを自慢げに見せつけた。
「見てください、このドレス! アレン様に買ってもらいましたの。最新の流行ですわよ。貴女の着ているその……地味な服とは大違いですわね」
私は自分の服を見下ろした。
今日の服装は、動きやすさを重視したシンプルなチュニックだ。
フリルもレースもないが、肌触りは最高級のシルクである。
ルーカスが「脳の働きを阻害しない服を」と特注させたものだ。
「そうですか。よくお似合いですよ、その……桃饅頭みたいなドレス」
「桃……!? ピンクダイヤモンドの色ですわ!」
「それで、用件は自慢話だけですか? それなら手紙で十分だと思うのですが」
「くっ……相変わらず可愛くない女! 悔しくないんですの!? 泥棒猫って罵りなさいよ! 泣き叫んでアレン様を返せって縋りなさいよ!」
「いえ、返品不可ですので」
私は即答した。
あんなナルシスト王子、熨斗(のし)をつけて差し上げる。
クーリングオフ期間はとっくに過ぎているのだ。
「はぁ……。貴女って本当に、張り合いのない人ですわね」
リリィは不満げに唇を尖らせた。
彼女の思考回路は理解不能だ。
なぜわざわざ国境を越えてまで、嫌いな相手に会いに来るのか。
そのエネルギーがあれば、もっと有意義なこと(昼寝とか)ができるだろうに。
「まあいいですわ。せっかく来たんですもの、しばらくはこの城に滞在して差し上げます。貴女が虐げられる様子を特等席で見学させていただきますわ」
「滞在? 許可を取っているんですか?」
「アレン様の名代として来ていますの。外交特権というやつですわ!」
(面倒くさいことになった……)
私は天を仰いだ。
これ以上、騒音源が増えるのは御免だ。
なんとかして追い返せないものか。
その時。
背後から、氷点下の冷気を帯びた声が響いた。
「……我が城の庭で、何やら騒がしいな」
振り返ると、会議を終えたルーカスが立っていた。
不機嫌そうだ。
眉間の皺が深い。
これは「低血糖でイライラしている」か「愚かな発言を聞いてキレかかっている」ときの顔だ。
「ひっ……」
リリィが息を呑む。
ルーカスの放つ威圧感は、アレン王子のような温室育ちとは格が違う。
本物の捕食者のオーラだ。
「だ、誰ですの、この無礼な男は!」
リリィが震える声で叫ぶ。
彼女はルーカスの顔を知らないらしい。
「私はアレン王子の婚約者、リリィですわよ! 貴方こそ何者ですの!?」
「……俺の城で、俺に名を問うか」
ルーカスが冷笑を浮かべる。
その赤い瞳が、リリィを虫けらのように見下ろした。
「俺がルーカス・ヴァン・ハールだ。……そこなピンク色の物体、貴様こそどうやって侵入した?」
「ピ、ピンク色の物体……!?」
リリィがショックでよろめく。
だが、すぐに気を取り直して噛み付いた。
「公爵様でしたのね! ちょうどいいですわ! 貴方も迷惑しているのでしょう? このダリアとかいう陰気な女に!」
リリィは私を指差した。
「アレン様も仰っていましたわ。『あんな冷血女を押し付けてすまない』って! きっと役に立たなくて困っているんでしょう? 私が代わりに叱ってあげてもよくてよ!」
「……ほう」
ルーカスの目が、すぅっと細められた。
空気が凍る。
あ、まずい。
これは地雷を踏んだ音だ。
「ダリアが、役に立たないだと?」
「そうですわ! 可愛げもないし、愛想もないし、ただ暗いだけ! こんな女、さっさと追い出した方が……」
「黙れ」
一喝。
その一言で、リリィの言葉がかき消された。
物理的な衝撃波が発生したかのような圧力。
リリィが腰を抜かしてへたり込む。
「貴様ごときが、彼女の何を知っている」
ルーカスが静かに、しかし激情を孕んだ声で告げる。
「彼女は、我が国の頭脳だ。その知略は千の軍勢に勝り、その判断は神の如く正確だ。暗い? 馬鹿を言うな。あれは深淵なる思索の海に沈んでいる姿だ」
(いいえ、眠いだけです)
「愛想がない? 必要ない。彼女は媚びを売るような安っぽい女ではない。実力のみで俺を従わせる、孤高の覇者だ」
(従わせたつもりはないです。むしろ従わされています)
ルーカスの壮大な勘違いトークが止まらない。
リリィは口をパクパクさせている。
理解が追いついていないようだ。
無理もない。
私だって追いついていない。
「そ、そんな……。だって、アレン様は……」
「アレン王子の目は節穴か? これほどの宝石をドブに捨て、代わりに拾ったのが……そのピンク色の石ころとはな」
「い、石ころ……!」
リリィのプライドが粉々に砕け散る音が聞こえた。
「帰れ。貴様のような騒がしいだけの存在は、ダリアの思考(昼寝)の妨げになる」
ルーカスが手を払う動作をする。
衛兵たちがリリィを抱え上げる。
「は、離しなさい! 私は賓客よ! 外交問題にしますわよ!?」
「構わん。我が国の国益(ダリア)を害する者は、王族だろうと排除する」
「キーッ! 覚えてらっしゃい! アレン様に言いつけてやるんだからーっ!」
リリィの捨て台詞が、空の彼方へと消えていった。
ドナドナのように連行されるピンク色のドレスを見送りながら、私はサンドイッチの最後の一切れを口に入れた。
「……静かになりましたね」
「ああ。不快なノイズだった」
ルーカスが私の隣に座る。
そして、当然のように私の食べかけのサンドイッチに手を伸ばした。
「しかしダリア。君も人が悪い」
「はい?」
「あえて彼女を挑発せず、無視を決め込むとは。あれは『無視』こそが最大の攻撃だと計算しての行動だろう?」
「……ええ、まあ」
(ただ関わりたくなかっただけです)
「相手のプライドが高ければ高いほど、無関心は猛毒となる。君は一言も発せず、ただ紅茶を飲んでいるだけで、彼女の精神を崩壊させた。……見事な心理戦だ」
ルーカスが感嘆のため息をつく。
「敵を感情的にさせて自滅を誘う。君の戦い方は、いつも合理的で美しい」
彼は私の頬についたクリームを指で拭い、それを自分の口に運んだ。
「甘いな」
「っ……!」
不意打ちの色気に、私の心臓が変な跳ね方をした。
この男、無自覚にこういうことをするから困る。
ブラック上司のくせに。
「さて、邪魔者も消えたことだ。仕事に戻ろうか」
「えっ、休憩時間は……」
「今の騒ぎで目が覚めただろう? 隣国との通商条約の改定案、君の意見を聞きたい」
「……鬼」
「褒め言葉だ」
ルーカスは私の手を取り、強引に立たせた。
ガゼボの外では、まだリリィの喚き声が微かに聞こえる気がするが、今の私にはそれよりも目の前の書類の山の方が脅威だった。
リリィ様。
もし私に嫌がらせをしたいなら、次回はぜひ「ダリアを拉致して南の島に監禁(放置)する」という作戦を実行してください。
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