私が本当に好きなのは、元婚約者の完璧すぎる兄上なんです

夏乃みのり

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 ガタンゴトンと揺れる馬車の中、私はついに、こらえていた感情を爆発させた。

「やったぁぁぁぁぁ! 自由よ! ついに手に入れたわ、独身貴族の座を!」

 ふかふかの座席に倒れ込み、足をバタバタさせる。

 公爵令嬢としてあるまじき無作法だが、今は誰も見ていない。

「お嬢様、はしたないですよ。……まあ、今日ばかりは目をつぶりますが」

 目の前に座る専属侍女のマーサが、呆れたようにため息をついた。

 彼女は私の数少ない理解者であり、この「婚約破棄計画」の共犯者でもある。

「だってお聞きになった? あのセドリック様の『二度と私の前に現れるな』という名台詞! 完璧だったわ。私の悪役っぷりが彼の正義感に火をつけたのよ!」

「はいはい。お嬢様の演技力は、王立劇団の看板女優も裸足で逃げ出すレベルでしたよ」

「そうでしょ! マリアンヌちゃんとの打ち合わせ通り、最高の結末だわ」

 私は窓の外に流れる王都の夜景を眺めながら、ここ数ヶ月の奮闘を思い返した。

 そもそも、私がセドリック様との婚約を解消したいと思った理由は、性格の不一致なんて生ぬるいものではない。

 ただ単純に、彼の兄である第一王子アラルク様が「推し」すぎて、他の男との結婚なんて耐えられなかったからだ。

 しかし、王家が決めた婚約を一方的に蹴ることは、公爵家としても許されない。

「……だからって、わざわざ嫌われ者になるなんて。普通ならもう少し穏便な方法を探しますよ」

 マーサが皮肉っぽく口を尖らせる。

「マーサ、あなたは分かっていないわ。セドリック様は『自分こそが正義』だと信じて疑わないお方よ? そんな彼に『本当はあなたのことが……』なんて申し訳なさそうに別れを切り出したら、どうなると思う?」

「……『君の愛は重すぎるけど、僕が支えてあげるよ』とか言い出しそうですね」

「正解! 寒気がするわ! あの手のタイプには、分かりやすい『悪』をぶつけるのが一番手っ取り早いのよ」

 だから私は、徹底的に「嫌な女」を演じた。

 マリアンヌちゃんとは放課後の図書室で、綿密な打ち合わせを重ねたものだ。

『いい、マリアンヌちゃん。私があなたのハンカチを汚すから、あなたは思いっきり泣いてちょうだい。それも、ただ泣くのではなく、健気に耐える風を装うのよ!』

『ルルノ様、それって私がいじめられているようにしか見えませんけど……。本当に大丈夫なんですか?』

『大丈夫よ! セドリック様は困っている女の子を助けるのが大好きだもの。これで彼の視線はあなたに釘付け。私は婚約破棄。ね、完璧な計画でしょ?』

 そう。私は、前世の記憶があるわけでも、物語の結末を知っているわけでもない。

 ただ、この世界で「一番効率よくアラルク様に近づく方法」を考え抜いた結果が、これだったのだ。

「でもお嬢様。アラルク様に正体がバレていたのは、大きな誤算ではありませんか?」

 マーサの言葉に、私はピタリと動きを止めた。

 パーティー会場の出口で、私の耳元に囁かれたあの冷ややかな声。

『実に見事な大根役者だな』

 思い出すだけで、顔から火が出そうになる。

「……あ、あれは、その……きっと何かの間違いよ。私の演技は完璧だったもの!」

「でも、あの殿下は『すべて把握している』と仰ったんでしょう?」

「うっ。……それはそうなんだけど。でも、よく考えてみて。アラルク様が私に興味を持って、わざわざ話しかけてくださったのよ? これって、むしろ計画以上じゃない?」

「お嬢様のポジティブさには、毎度驚かされます」

 マーサは深くため息をつき、手元の手帳に何かを書き込んだ。

 馬車が公爵家の屋敷に到着する。

 私は馬車を降り、夜空に浮かぶ月を見上げた。

「アラルク様……。冷徹で、美しくて、策士なあなた。……ふふ、待っていてくださいね。自由の身になった私が、今度は全力であなたを攻略しに行きますから!」

 私は屋敷の階段を、ドレスを翻して駆け上がった。

 まずは明日、アラルク様宛に「先ほどの非礼をお詫びする」という名目のお手紙を書かなくては。

 文面は、しおらしく、けれどどこか謎めいた雰囲気で。

 悪役令嬢としてのスキルは、こういう時にこそ真価を発揮するのだ。

「お嬢様、走ると転びますよ! ……全く、婚約破棄された夜に、あんなに嬉しそうにしている令嬢なんて、世界中でこの人くらいでしょうね」

 後ろからマーサの声が聞こえるが、今の私には心地よいBGMでしかない。

 部屋に戻った私は、すぐさま羽根ペンを手に取った。

「さて、まずは下書きよ。……アラルク様へ。月が綺麗な夜ですね。……いえ、これは古いわ。……殿下、昨夜の言葉の意味を、今一度お聞かせいただけませんか?……これよ! 誘い受けの美学!」

 私の妄想と執筆作業は、夜が明けるまで続いた。

 翌朝、私の目の下に薄いクマができていたのは言うまでもない。

 しかし、そんなことはどうでもいいのだ。

 なぜなら、ポストにはすでに、アラルク様からの「呼び出し状」が届いていたのだから。

「えええええええっ!? 早っ! 仕事が早すぎるわ、アラルク様!」

 私は朝食のティーカップを落としそうになりながら、その手紙を凝視した。

『昨夜の続きを話そう。本日午後、王宮の離宮にて待つ。――アラルク』

 ……どうしよう。

 まだ心の準備ができていない。

 でも、行かないという選択肢はない。

「マーサ! 勝負服よ! 一番『悪役っぽくないけど、どこか危うい魅力がある』ドレスを持ってきて!」

「お嬢様、そんな注文、服屋でも受け付けてくれませんよ」

 私の新しい戦いが、思わぬスピードで幕を開けた。
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