私が本当に好きなのは、元婚約者の完璧すぎる兄上なんです

夏乃みのり

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 王宮の離宮へと向かう馬車の中で、私は何度目か分からない深呼吸を繰り返した。

 手元の鏡でメイクを確認する。

 今日のテーマは『改心しかけているが、まだ一癖ありそうな薄幸の美少女』だ。

 目の下にうっすらと入れた影は、昨夜のクマを隠すためではない。あくまで「婚約破棄にショックを受けて眠れなかった」という演出なのだ。

「お嬢様、顔が怖いです。あと、さっきから鼻息が荒いですよ」

 隣に座るマーサが、扇子で私の顔をパタパタと仰いだ。

「仕方ないでしょう! これからアラルク様とお会いするのよ。この国で一番尊い顔面に、至近距離で晒されるのよ! 心肺停止になってもおかしくないわ」

「昨夜はあんなに威勢よく『攻略してやる』とか言っていたのに、この体たらくですか」

「それはそれ、これはこれよ! あー、もう、離宮が見えてきちゃったじゃない……!」

 馬車が止まり、御者が扉を開ける。

 私は一瞬で「公爵令嬢ルルノ」へと切り替わった。

 背筋を伸ばし、わずかに伏せ目がちに、儚げな足取りで離宮へと足を踏み入れる。

 案内されたのは、美しい庭園が見渡せるサンルームだった。

 そこには、陽光を背に受けてソファに腰掛けるアラルク様の姿があった。

「――遅かったな、ルルノ嬢。待ちくたびれて首が伸びるかと思ったぞ」

 アラルク様は手元の書類をテーブルに置くと、私を射抜くような視線を向けた。

(ぎゃああああ! 逆光アラルク様! 神々しすぎて直視できない! 後光が差してるわ!)

「お呼び出しに応じ、参上いたしました。……お待たせしてしまったこと、深くお詫び申し上げますわ」

 私は膝を折り、完璧なカーテシーを披露した。

 立ち上がると、アラルク様は顎をしゃくって対面の席を指した。

「座れ。……その顔はどうした。昨夜の威勢はどこへ行った」

「……セドリック様に捨てられたショックで、一睡もできませんでしたの」

「嘘をつけ。朝食にクロワッサンを三つも平らげたと、公爵家の料理人から報告を受けているぞ」

(……諜報網が早すぎる。おのれアラルク様、公爵家の厨房まで把握しているなんて、ストーカー並みの執着心ね! あ、でもアラルク様にならストーキングされてもご褒美だわ!)

「……あら、食欲と悲しみは別物ですわ」

 私は扇子を広げ、口元を隠して優雅に微笑んだ。

「それで、私に何の御用でしょう? まさか、弟の元婚約者を慰めるために呼んだわけではございませんわよね?」

「ふっ、君を慰める? そんな無駄なことに時間を使うほど、俺は暇ではない」

 アラルク様は身を乗り出し、私の顔をじっと覗き込んできた。

 整いすぎた顔が近づいてくる。まつ毛の長さまで数えられそうな距離だ。

 心臓がドラムのように激しく鳴り響く。

「君がマリアンヌ嬢を使って、セドリックに婚約破棄をさせた。その目的を吐けと言っている」

「……目的、ですわか?」

「ああ。君ほど聡明な女が、ただの嫌がらせであんな杜撰な芝居を打つはずがない。セドリックを自由にさせ、自分も自由になる……その先に、何がある?」

 アラルク様のサファイア色の瞳が、私の本心を暴こうと鋭く光る。

 私はゴクリと喉を鳴らした。

 ここで「あなたが好きだからです!」と叫べば、おそらく彼は鼻で笑って追い出すだろう。

 アラルク様は「自分を狙う女」には慣れすぎている。

 なら、彼が最も興味を惹かれる「謎」を提供し続けるしかない。

「……アラルク様。私は、退屈だったのですわ」

「退屈だと?」

「はい。筋肉のことしか頭にないセドリック様の隣で、一生を終えるなんて耐えられませんでしたの。私は、もっと刺激的で、知的な……そう、例えばアラルク様のようなお方との『対話』を望んでいたのです」

 私はわざと指先で自分の唇をなぞり、挑戦的な視線を返した。

 アラルク様の眉が、ピクリと動く。

「俺との対話のために、国中の貴族が集まる場であんな大芝居を打ったというのか? 正気の沙汰ではないな」

「正気では、恋なんてできませんわよ?」

「……恋、だと?」

 アラルク様の声が、わずかに低くなった。

 彼は冷笑を浮かべ、私の手首を掴んで引き寄せた。

「君が俺に恋をしている? 面白い冗談だ。君の瞳には、恋などという甘い感情ではなく、獲物を狙う狩人のような執念しか見えないがな」

(……バレてる! 完全に『推しを狩るオタク』の目だってバレてるわ!)

 だが、私は動揺を見せなかった。

 掴まれた手首から伝わる彼の体温に、内心では狂喜乱舞しながら、表面的には涼しげな顔を保つ。

「あら、狩人と仰るのなら、獲物はどなたかしら?」

「言わせるな。……だが、いいだろう。それほどまでに俺の気を惹きたいというのなら、一つ試練を与えてやろう」

「試練、ですわか?」

「ああ。セドリックが、君を失った後にマリアンヌ嬢と幸せになれるかどうか。それを見届けろ。もし彼らが破局するようなことがあれば、それは君の『悪役』としての責任だ」

(えっ、それってマリアンヌちゃんを応援しろってこと? それとも、もっと邪魔しろってこと?)

「……もし、見届けた暁には?」

 私が問うと、アラルク様は私の手首を離し、意地悪な微笑みを浮かべた。

「その時は、君の望む『対話』の続きをしてやってもいい。……もっと深い場所でな」

(ひ、ひいいいいい! 深い場所!? 寝室!? 地下牢!? どっちにしても美味しいわ!)

「分かりましたわ。その試練、謹んでお受けいたします」

 私は深々と一礼した。

 アラルク様の真意は分からない。

 けれど、彼が私を「ただの悪役令嬢」ではなく「面白い女」として認識したことは確かだ。

 サンルームを後にする際、私は振り返らずに言った。

「アラルク様。次に会う時は、もっと驚かせてさしあげますわ」

「期待せずに待っているよ、悪女」

 背後で、彼が低く笑うのが聞こえた。

 私は離宮を出た瞬間、マーサに抱きついた。

「マーサ! 聞いた!? 『深い場所』よ! アラルク様が『深い場所』って言ったのよ!」

「はいはい、良かったですねお嬢様。……で、これからどうするんですか? セドリック様とマリアンヌ様、あの二人は放っておいても勝手に浮かれまくっているでしょうけど」

「ふふふ。……それがね、愛の力だけでなんとかなるほど、貴族社会は甘くないのよ」

 私は馬車に乗り込み、不敵な笑みを浮かべた。

 悪役令嬢ルルノの次なる仕事は、「元婚約者の恋路を全力で守ること」。

 それが、最愛のアラルク様に近づくための、唯一にして最短の道なのだから。
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