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謹慎生活、十日目。
私は豪華な自室のソファで、ぐったりと項垂れていた。
「……マーサ。もう限界よ。私の体内の『アラルク様成分』が枯渇して、干からびてしまいそうだわ」
「お嬢様、まだ十日ですよ。あと二十日も残っています」
マーサは涼しい顔で、私の好物であるクッキーをテーブルに置いた。
「二十日!? 無理よ、死んでしまうわ! 手紙のやり取りだけじゃ、あの御方の立体的な美貌と、冷たい眼差しによるマイナスイオンが摂取できないじゃない!」
「眼差しでマイナスイオンが出るなんて、初めて聞きました」
私はガバッと起き上がり、壁に貼った「王都周辺地図・アラルク様公務予想ルート入り」を指差した。
「見て、マーサ。今日の午後、アラルク様は王立図書館の視察に行かれるはずよ。この公爵邸からは、馬車で十五分。……行けるわね」
「行けません。お嬢様は絶賛『謹慎中』です。門には護衛もいますし、何より旦那様にバレたら今度こそ北の修道院行きですよ」
「ふふふ。……甘いわね、マーサ。私が『悪役令嬢』として培ってきた人脈と、隠密スキルを舐めないでちょうだい」
私はクローゼットの奥から、地味な町娘風のドレスを取り出した。
といっても、隠しきれない気品(自称)が溢れてしまうので、あくまで「公爵家の使い走り」程度に見える変装だ。
「護衛の詰め所には、マリアンヌちゃんから預かった『お礼のワイン』を差し入れておいたわ。今頃みんな、良い気分で居眠りしているはずよ」
「……お嬢様、本当に悪知恵だけは働きますね」
「褒め言葉として受け取っておくわ! さあ、行くわよ。ターゲットは王立図書館前の並木道!」
私は裏口の生垣を潜り抜け(公爵令嬢としてあるまじき行為だが)、見事に脱走に成功した。
王立図書館前の並木道。ここはアラルク様が視察の帰りに必ず通る、絶好の「偶然スポット」だ。
私は並木道のベンチに座り、その時を待った。
手には、今日の作戦の要となる『刺繍入りの高級ハンカチ』を握りしめている。
(……きたわ!)
遠くから、王家の紋章が入った馬車と、騎馬隊の蹄の音が聞こえてくる。
私は素早く立ち上がり、アラルク様が馬車から降りるであろうポイントへと移動した。
視察を終えたアラルク様が、護衛を引き連れて図書館から出てくる。
今日の殿下は、深い紺色の軍服姿。……尊い。尊すぎて、思わずその場にひれ伏して拝みたくなったが、今は我慢だ。
私はわざとらしく、彼の数メートル前を通り過ぎる。
(今よ! 行け、私のハンカチ!)
ひらりと、シルクのハンカチを地面に落とす。
そして、気づかない振りをしながら三歩進む。
「……おい。そこの娘」
低く、重厚な声。
私は勝利の確信に震えながら、ゆっくりと振り返った。
「あら……? 私を呼び止めるなんて、どなたかしら……。――って、ア、アラルク様!?」
私は驚いたフリをして、大きく目を見開いた。
アラルク様は、地面に落ちたハンカチを部下に拾わせることもせず、自ら屈んでそれを拾い上げた。
「……これを落としたのは、君か?」
「ええ、まあ、その……。大切にしていたハンカチを、うっかり落としてしまったようですわ。……あ、ありがとうございます、殿下」
私はしおらしく、頬を赤らめてハンカチを受け取ろうとした。
しかし、アラルク様はハンカチを渡そうとはせず、それをじっと見つめている。
「……ルルノ嬢。君、今は謹慎中のはずではなかったか?」
「…………」
一瞬で、空気が凍りついた。
アラルク様の瞳が、面白いくらいに冷ややかだ。
「え、ええと。……これは、その……。あ、あまりにも反省の心が深まりすぎて、先祖代々の墓参りに行こうと……」
「公爵家の墓地はここから南に十キロ先だ。逆方向だな」
「……徳を積むために、落ちているゴミを拾いながら歩いていたら、いつの間にかここに」
「ハンカチを捨てて、ゴミを増やしているのは君の方だが?」
アラルク様が、一歩、私に近づいた。
周囲の護衛たちが、困惑したような顔で私たちを見ている。
「君、脱走したな?」
「……人聞きが悪いことを仰らないでくださいませ。私はただ、殿下の視察が滞りなく終わるよう、この地の風水を確認しに来ただけで……」
「風水だと?」
「はい。この並木道は、殿下の運気を高めるのに最高の方角ですわ! さすがアラルク様、お目が高い!」
私は全力の営業スマイルを浮かべた。
アラルク様は、はぁ……と深く、重いため息をついた。
「……やれやれ。君という女は、どこまで俺を呆れさせれば気が済むんだ」
アラルク様は拾ったハンカチを、私の手に押し付けるようにして返した。
その際、彼の指先が私の掌に触れる。
(……きゃっ! 指! 殿下の指先が触れた! これは実質、婚約指輪の交換と言っても過言ではないわ!)
「本来なら即刻連行して父公爵に報告するところだが……。今日は俺も気分が良い。見逃してやる」
「……本当ですか!? さすがアラルク様、お優しい!」
「ただし。……そのハンカチに免じてだ」
アラルク様は、私の手元にあるハンカチを指差した。
そこには、私が夜なべして刺繍した『一輪の青いバラ』があしらわれている。
「……バラの刺繍、下手だな。歪んでいるぞ」
「ええっ!? これでも一生懸命……」
「だが、嫌いではない。……次は、もう少しマシなものを持ってこい。偶然ではなく、必然としてな」
アラルク様はそう言い残すと、颯爽と馬車に乗り込んでしまった。
走り去る馬車を見送りながら、私はその場にへなへなと座り込んだ。
「……聞いた? マーサ、今の聞いた!? 『次は、必然としてな』って! これ、デートの誘いよね!? 絶対にそうよね!?」
物陰から現れたマーサが、半眼で私を見下ろした。
「……たぶん、『次は堂々とアポイントメントを取れ』って意味だと思いますけどね」
「いいえ! あれは『次の逢瀬を心待ちにしている』という、殿下なりの熱烈な愛の告白よ!」
私は、殿下の体温が残る(気がする)ハンカチを胸に抱きしめ、幸せの絶頂に浸った。
謹慎脱走という大罪を犯しながら、私は確信した。
アラルク様の攻略ルート、確実に解放されているわ!
私は豪華な自室のソファで、ぐったりと項垂れていた。
「……マーサ。もう限界よ。私の体内の『アラルク様成分』が枯渇して、干からびてしまいそうだわ」
「お嬢様、まだ十日ですよ。あと二十日も残っています」
マーサは涼しい顔で、私の好物であるクッキーをテーブルに置いた。
「二十日!? 無理よ、死んでしまうわ! 手紙のやり取りだけじゃ、あの御方の立体的な美貌と、冷たい眼差しによるマイナスイオンが摂取できないじゃない!」
「眼差しでマイナスイオンが出るなんて、初めて聞きました」
私はガバッと起き上がり、壁に貼った「王都周辺地図・アラルク様公務予想ルート入り」を指差した。
「見て、マーサ。今日の午後、アラルク様は王立図書館の視察に行かれるはずよ。この公爵邸からは、馬車で十五分。……行けるわね」
「行けません。お嬢様は絶賛『謹慎中』です。門には護衛もいますし、何より旦那様にバレたら今度こそ北の修道院行きですよ」
「ふふふ。……甘いわね、マーサ。私が『悪役令嬢』として培ってきた人脈と、隠密スキルを舐めないでちょうだい」
私はクローゼットの奥から、地味な町娘風のドレスを取り出した。
といっても、隠しきれない気品(自称)が溢れてしまうので、あくまで「公爵家の使い走り」程度に見える変装だ。
「護衛の詰め所には、マリアンヌちゃんから預かった『お礼のワイン』を差し入れておいたわ。今頃みんな、良い気分で居眠りしているはずよ」
「……お嬢様、本当に悪知恵だけは働きますね」
「褒め言葉として受け取っておくわ! さあ、行くわよ。ターゲットは王立図書館前の並木道!」
私は裏口の生垣を潜り抜け(公爵令嬢としてあるまじき行為だが)、見事に脱走に成功した。
王立図書館前の並木道。ここはアラルク様が視察の帰りに必ず通る、絶好の「偶然スポット」だ。
私は並木道のベンチに座り、その時を待った。
手には、今日の作戦の要となる『刺繍入りの高級ハンカチ』を握りしめている。
(……きたわ!)
遠くから、王家の紋章が入った馬車と、騎馬隊の蹄の音が聞こえてくる。
私は素早く立ち上がり、アラルク様が馬車から降りるであろうポイントへと移動した。
視察を終えたアラルク様が、護衛を引き連れて図書館から出てくる。
今日の殿下は、深い紺色の軍服姿。……尊い。尊すぎて、思わずその場にひれ伏して拝みたくなったが、今は我慢だ。
私はわざとらしく、彼の数メートル前を通り過ぎる。
(今よ! 行け、私のハンカチ!)
ひらりと、シルクのハンカチを地面に落とす。
そして、気づかない振りをしながら三歩進む。
「……おい。そこの娘」
低く、重厚な声。
私は勝利の確信に震えながら、ゆっくりと振り返った。
「あら……? 私を呼び止めるなんて、どなたかしら……。――って、ア、アラルク様!?」
私は驚いたフリをして、大きく目を見開いた。
アラルク様は、地面に落ちたハンカチを部下に拾わせることもせず、自ら屈んでそれを拾い上げた。
「……これを落としたのは、君か?」
「ええ、まあ、その……。大切にしていたハンカチを、うっかり落としてしまったようですわ。……あ、ありがとうございます、殿下」
私はしおらしく、頬を赤らめてハンカチを受け取ろうとした。
しかし、アラルク様はハンカチを渡そうとはせず、それをじっと見つめている。
「……ルルノ嬢。君、今は謹慎中のはずではなかったか?」
「…………」
一瞬で、空気が凍りついた。
アラルク様の瞳が、面白いくらいに冷ややかだ。
「え、ええと。……これは、その……。あ、あまりにも反省の心が深まりすぎて、先祖代々の墓参りに行こうと……」
「公爵家の墓地はここから南に十キロ先だ。逆方向だな」
「……徳を積むために、落ちているゴミを拾いながら歩いていたら、いつの間にかここに」
「ハンカチを捨てて、ゴミを増やしているのは君の方だが?」
アラルク様が、一歩、私に近づいた。
周囲の護衛たちが、困惑したような顔で私たちを見ている。
「君、脱走したな?」
「……人聞きが悪いことを仰らないでくださいませ。私はただ、殿下の視察が滞りなく終わるよう、この地の風水を確認しに来ただけで……」
「風水だと?」
「はい。この並木道は、殿下の運気を高めるのに最高の方角ですわ! さすがアラルク様、お目が高い!」
私は全力の営業スマイルを浮かべた。
アラルク様は、はぁ……と深く、重いため息をついた。
「……やれやれ。君という女は、どこまで俺を呆れさせれば気が済むんだ」
アラルク様は拾ったハンカチを、私の手に押し付けるようにして返した。
その際、彼の指先が私の掌に触れる。
(……きゃっ! 指! 殿下の指先が触れた! これは実質、婚約指輪の交換と言っても過言ではないわ!)
「本来なら即刻連行して父公爵に報告するところだが……。今日は俺も気分が良い。見逃してやる」
「……本当ですか!? さすがアラルク様、お優しい!」
「ただし。……そのハンカチに免じてだ」
アラルク様は、私の手元にあるハンカチを指差した。
そこには、私が夜なべして刺繍した『一輪の青いバラ』があしらわれている。
「……バラの刺繍、下手だな。歪んでいるぞ」
「ええっ!? これでも一生懸命……」
「だが、嫌いではない。……次は、もう少しマシなものを持ってこい。偶然ではなく、必然としてな」
アラルク様はそう言い残すと、颯爽と馬車に乗り込んでしまった。
走り去る馬車を見送りながら、私はその場にへなへなと座り込んだ。
「……聞いた? マーサ、今の聞いた!? 『次は、必然としてな』って! これ、デートの誘いよね!? 絶対にそうよね!?」
物陰から現れたマーサが、半眼で私を見下ろした。
「……たぶん、『次は堂々とアポイントメントを取れ』って意味だと思いますけどね」
「いいえ! あれは『次の逢瀬を心待ちにしている』という、殿下なりの熱烈な愛の告白よ!」
私は、殿下の体温が残る(気がする)ハンカチを胸に抱きしめ、幸せの絶頂に浸った。
謹慎脱走という大罪を犯しながら、私は確信した。
アラルク様の攻略ルート、確実に解放されているわ!
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