7 / 28
7
並木道での「偶然の再会」から三日後。
私は自室で、血が滲むような努力を続けていた。
「……違うわ。この角度じゃない。アラルク様の瞳の輝きを表現するには、もっと繊細な運針が必要なのよ……!」
手に持っているのは、アラルク様に「下手だ」と一蹴されたバラの刺繍。
悔しさをバネに、私は寝食を忘れて刺繍の特訓に励んでいた。もちろん、謹慎中なので時間は腐るほどある。
「お嬢様、顔が怖いです。それに、その刺繍……もはやバラというよりは、獲物を狙う肉食獣の口に見えますが」
マーサが紅茶を注ぎながら、冷淡なツッコミを入れる。
「失礼ね! これは情熱の赤よ! 殿下の心臓を射抜くための……」
その時、階下から尋常ではない騒がしさが伝わってきた。
執事の慌てふためく声、そして重厚な足音。
何事かと思って立ち上がろうとした瞬間、私の部屋の扉がノックもなしに勢いよく開かれた。
「――謹慎中の身にしては、ずいぶんと熱心なことだな、ルルノ嬢」
そこに立っていたのは、まばゆいばかりの陽光を背負った、第一王子アラルク様その人だった。
私は持っていた刺繍針を、危うく自分の指に刺しそうになった。
「あ、あ、アラルク様!? な、なぜ私の部屋に……!? ここは乙女の聖域ですわよ!」
「聖域というわりには、壁一面に俺の公務予定表が貼ってあるようだが?」
アラルク様の視線が、私が急いで隠し忘れた「アラルク様・追っかけマップ」に注がれる。
(……詰んだ。公爵令嬢としてのプライドが、今、音を立てて崩れ去ったわ!)
「……これは、その、王家の動向を把握することで、自らの過ちを省みるための、いわば反省の地図でして……!」
「ほう。俺が昨日、立ち寄ったカフェの店名まで書いてあるのが、どう反省に繋がるのか詳しく聞きたいものだ」
アラルク様は、私を追い詰めるように一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
彼の纏う冷たい、けれど情熱的な空気感に、私の思考回路は完全にショートした。
「そ、それで! 今日はどのような御用でしょうか!? わざわざ謹慎中の悪女に会いに来るなんて、殿下も物好きですわね!」
私は精一杯の悪役令嬢スマイルで誤魔化した。
アラルク様は私の机の上に置かれた、例の「肉食獣のようなバラ」の刺繍をひょいと持ち上げた。
「君の言う『風水』とやらを確かめに来た。……この部屋、妙に熱気がこもっているが、これも風水のせいか?」
「……私の情熱が、部屋の温度を上げているのかもしれませんわ」
「ふっ、相変わらず口だけは達者だな」
アラルク様はソファに無造作に腰掛けると、私にも座るよう促した。
その自然な仕草に、私の心臓はまたしても爆走を始める。
「……遊びに来たわけではない。セドリックの件だ」
アラルク様の表情から、微かに余裕が消えた。
「弟とマリアンヌ嬢だが……。君がいなくなった途端、セドリックが目に見えて腑抜けている。マリアンヌ嬢も、何やら困惑している様子だ」
(あら。あのバカ……失礼、セドリック様、早くもマリアンヌちゃんの良さに気づけなくなったのかしら?)
「あら、それは喜ばしいことですわ。二人の愛が試されているのでしょう?」
「他人事のように言うな。君が裏で手を引いていたんだろう? 彼らが次にどう動くべきか、君なりの見解を聞かせろ」
アラルク様の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
これは「試練」の進捗確認。そして、私の知性を試しているのだ。
私は扇子を広げ、ゆっくりと口角を上げた。
「アラルク様。男という生き物は、手に入れた瞬間に価値を忘れるものですわ。……セドリック様が必要としているのは、『守るべきヒロイン』ではなく、『立ち向かうべき困難』です」
「……困難、だと?」
「はい。ですから私、マリアンヌちゃんにアドバイスしておきましたの。――『たまには他の男性と仲良くする姿を、殿下に見せつけてあげなさい』って」
アラルク様は、一瞬呆然とした後、片手で顔を覆った。
「……君は、本当に悪女だな」
「最高の褒め言葉ですわ、殿下」
「……だが、その策。……嫌いではない」
アラルク様が顔を上げた時、その瞳には明らかな「愉悦」の色が混じっていた。
彼は立ち上がり、私の耳元に顔を寄せた。
「面白い。……一ヶ月の謹慎が終わったら、正式に王宮へ来い。君のその腐った性格、俺が直々に叩き直してやる」
(……きゃああああ! 叩き直される! アラルク様に! これは事実上の、個人的な専属指導の契約締結じゃない!?)
「楽しみにしておりますわ、アラルク様」
私が頬を染めて答えると、彼は満足げに鼻で笑い、部屋を去っていった。
嵐のような訪問者がいなくなった後、私はその場に崩れ落ちた。
「マーサ……聞いた? 『直々に叩き直す』って。これ、愛のムチよね!? 絶対そうよね!?」
「……お嬢様、もう手遅れかもしれませんが、一度教会でお祓いを受けてきたほうがいいと思います」
マーサの呆れ声さえも、今の私には祝福の鐘のように聞こえていた。
私は自室で、血が滲むような努力を続けていた。
「……違うわ。この角度じゃない。アラルク様の瞳の輝きを表現するには、もっと繊細な運針が必要なのよ……!」
手に持っているのは、アラルク様に「下手だ」と一蹴されたバラの刺繍。
悔しさをバネに、私は寝食を忘れて刺繍の特訓に励んでいた。もちろん、謹慎中なので時間は腐るほどある。
「お嬢様、顔が怖いです。それに、その刺繍……もはやバラというよりは、獲物を狙う肉食獣の口に見えますが」
マーサが紅茶を注ぎながら、冷淡なツッコミを入れる。
「失礼ね! これは情熱の赤よ! 殿下の心臓を射抜くための……」
その時、階下から尋常ではない騒がしさが伝わってきた。
執事の慌てふためく声、そして重厚な足音。
何事かと思って立ち上がろうとした瞬間、私の部屋の扉がノックもなしに勢いよく開かれた。
「――謹慎中の身にしては、ずいぶんと熱心なことだな、ルルノ嬢」
そこに立っていたのは、まばゆいばかりの陽光を背負った、第一王子アラルク様その人だった。
私は持っていた刺繍針を、危うく自分の指に刺しそうになった。
「あ、あ、アラルク様!? な、なぜ私の部屋に……!? ここは乙女の聖域ですわよ!」
「聖域というわりには、壁一面に俺の公務予定表が貼ってあるようだが?」
アラルク様の視線が、私が急いで隠し忘れた「アラルク様・追っかけマップ」に注がれる。
(……詰んだ。公爵令嬢としてのプライドが、今、音を立てて崩れ去ったわ!)
「……これは、その、王家の動向を把握することで、自らの過ちを省みるための、いわば反省の地図でして……!」
「ほう。俺が昨日、立ち寄ったカフェの店名まで書いてあるのが、どう反省に繋がるのか詳しく聞きたいものだ」
アラルク様は、私を追い詰めるように一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
彼の纏う冷たい、けれど情熱的な空気感に、私の思考回路は完全にショートした。
「そ、それで! 今日はどのような御用でしょうか!? わざわざ謹慎中の悪女に会いに来るなんて、殿下も物好きですわね!」
私は精一杯の悪役令嬢スマイルで誤魔化した。
アラルク様は私の机の上に置かれた、例の「肉食獣のようなバラ」の刺繍をひょいと持ち上げた。
「君の言う『風水』とやらを確かめに来た。……この部屋、妙に熱気がこもっているが、これも風水のせいか?」
「……私の情熱が、部屋の温度を上げているのかもしれませんわ」
「ふっ、相変わらず口だけは達者だな」
アラルク様はソファに無造作に腰掛けると、私にも座るよう促した。
その自然な仕草に、私の心臓はまたしても爆走を始める。
「……遊びに来たわけではない。セドリックの件だ」
アラルク様の表情から、微かに余裕が消えた。
「弟とマリアンヌ嬢だが……。君がいなくなった途端、セドリックが目に見えて腑抜けている。マリアンヌ嬢も、何やら困惑している様子だ」
(あら。あのバカ……失礼、セドリック様、早くもマリアンヌちゃんの良さに気づけなくなったのかしら?)
「あら、それは喜ばしいことですわ。二人の愛が試されているのでしょう?」
「他人事のように言うな。君が裏で手を引いていたんだろう? 彼らが次にどう動くべきか、君なりの見解を聞かせろ」
アラルク様の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
これは「試練」の進捗確認。そして、私の知性を試しているのだ。
私は扇子を広げ、ゆっくりと口角を上げた。
「アラルク様。男という生き物は、手に入れた瞬間に価値を忘れるものですわ。……セドリック様が必要としているのは、『守るべきヒロイン』ではなく、『立ち向かうべき困難』です」
「……困難、だと?」
「はい。ですから私、マリアンヌちゃんにアドバイスしておきましたの。――『たまには他の男性と仲良くする姿を、殿下に見せつけてあげなさい』って」
アラルク様は、一瞬呆然とした後、片手で顔を覆った。
「……君は、本当に悪女だな」
「最高の褒め言葉ですわ、殿下」
「……だが、その策。……嫌いではない」
アラルク様が顔を上げた時、その瞳には明らかな「愉悦」の色が混じっていた。
彼は立ち上がり、私の耳元に顔を寄せた。
「面白い。……一ヶ月の謹慎が終わったら、正式に王宮へ来い。君のその腐った性格、俺が直々に叩き直してやる」
(……きゃああああ! 叩き直される! アラルク様に! これは事実上の、個人的な専属指導の契約締結じゃない!?)
「楽しみにしておりますわ、アラルク様」
私が頬を染めて答えると、彼は満足げに鼻で笑い、部屋を去っていった。
嵐のような訪問者がいなくなった後、私はその場に崩れ落ちた。
「マーサ……聞いた? 『直々に叩き直す』って。これ、愛のムチよね!? 絶対そうよね!?」
「……お嬢様、もう手遅れかもしれませんが、一度教会でお祓いを受けてきたほうがいいと思います」
マーサの呆れ声さえも、今の私には祝福の鐘のように聞こえていた。
あなたにおすすめの小説
彼は亡国の令嬢を愛せない
黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。
ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。
※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。
※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
【完結】悪役令嬢はおねぇ執事の溺愛に気付かない
As-me.com
恋愛
完結しました。
自分が乙女ゲームの悪役令嬢に転生したと気付いたセリィナは悪役令嬢の悲惨なエンディングを思い出し、絶望して人間不信に陥った。
そんな中で、家族すらも信じられなくなっていたセリィナが唯一信じられるのは専属執事のライルだけだった。
ゲームには存在しないはずのライルは“おねぇ”だけど優しくて強くて……いつしかセリィナの特別な人になるのだった。
そしてセリィナは、いつしかライルに振り向いて欲しいと想いを募らせるようになるのだが……。
周りから見れば一目瞭然でも、セリィナだけが気付かないのである。
※こちらは「悪役令嬢とおねぇ執事」のリメイク版になります。基本の話はほとんど同じですが、所々変える予定です。
こちらが完結したら前の作品は消すかもしれませんのでご注意下さい。
ゆっくり亀更新です。
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
政略結婚の作法
夜宮
恋愛
悪女になる。
そして、全てをこの手に。
政略結婚のために身分違いの恋人のいる王太子の婚約者となった公爵令嬢は、妹の囁きを胸に悪女となることを決意した。
悪女と身分違いの恋人、悪女になるはずだった妹の物語。
【完結】公爵子息は私のことをずっと好いていたようです
果実果音
恋愛
私はしがない伯爵令嬢だけれど、両親同士が仲が良いということもあって、公爵子息であるラディネリアン・コールズ様と婚約関係にある。
幸い、小さい頃から話があったので、意地悪な元婚約者がいるわけでもなく、普通に婚約関係を続けている。それに、ラディネリアン様の両親はどちらも私を可愛がってくださっているし、幸せな方であると思う。
ただ、どうも好かれているということは無さそうだ。
月に数回ある顔合わせの時でさえ、仏頂面だ。
パーティではなんの関係もない令嬢にだって笑顔を作るのに.....。
これでは、結婚した後は別居かしら。
お父様とお母様はとても仲が良くて、憧れていた。もちろん、ラディネリアン様の両親も。
だから、ちょっと、別居になるのは悲しいかな。なんて、私のわがままかしらね。