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並木道での「偶然の再会」から三日後。
私は自室で、血が滲むような努力を続けていた。
「……違うわ。この角度じゃない。アラルク様の瞳の輝きを表現するには、もっと繊細な運針が必要なのよ……!」
手に持っているのは、アラルク様に「下手だ」と一蹴されたバラの刺繍。
悔しさをバネに、私は寝食を忘れて刺繍の特訓に励んでいた。もちろん、謹慎中なので時間は腐るほどある。
「お嬢様、顔が怖いです。それに、その刺繍……もはやバラというよりは、獲物を狙う肉食獣の口に見えますが」
マーサが紅茶を注ぎながら、冷淡なツッコミを入れる。
「失礼ね! これは情熱の赤よ! 殿下の心臓を射抜くための……」
その時、階下から尋常ではない騒がしさが伝わってきた。
執事の慌てふためく声、そして重厚な足音。
何事かと思って立ち上がろうとした瞬間、私の部屋の扉がノックもなしに勢いよく開かれた。
「――謹慎中の身にしては、ずいぶんと熱心なことだな、ルルノ嬢」
そこに立っていたのは、まばゆいばかりの陽光を背負った、第一王子アラルク様その人だった。
私は持っていた刺繍針を、危うく自分の指に刺しそうになった。
「あ、あ、アラルク様!? な、なぜ私の部屋に……!? ここは乙女の聖域ですわよ!」
「聖域というわりには、壁一面に俺の公務予定表が貼ってあるようだが?」
アラルク様の視線が、私が急いで隠し忘れた「アラルク様・追っかけマップ」に注がれる。
(……詰んだ。公爵令嬢としてのプライドが、今、音を立てて崩れ去ったわ!)
「……これは、その、王家の動向を把握することで、自らの過ちを省みるための、いわば反省の地図でして……!」
「ほう。俺が昨日、立ち寄ったカフェの店名まで書いてあるのが、どう反省に繋がるのか詳しく聞きたいものだ」
アラルク様は、私を追い詰めるように一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
彼の纏う冷たい、けれど情熱的な空気感に、私の思考回路は完全にショートした。
「そ、それで! 今日はどのような御用でしょうか!? わざわざ謹慎中の悪女に会いに来るなんて、殿下も物好きですわね!」
私は精一杯の悪役令嬢スマイルで誤魔化した。
アラルク様は私の机の上に置かれた、例の「肉食獣のようなバラ」の刺繍をひょいと持ち上げた。
「君の言う『風水』とやらを確かめに来た。……この部屋、妙に熱気がこもっているが、これも風水のせいか?」
「……私の情熱が、部屋の温度を上げているのかもしれませんわ」
「ふっ、相変わらず口だけは達者だな」
アラルク様はソファに無造作に腰掛けると、私にも座るよう促した。
その自然な仕草に、私の心臓はまたしても爆走を始める。
「……遊びに来たわけではない。セドリックの件だ」
アラルク様の表情から、微かに余裕が消えた。
「弟とマリアンヌ嬢だが……。君がいなくなった途端、セドリックが目に見えて腑抜けている。マリアンヌ嬢も、何やら困惑している様子だ」
(あら。あのバカ……失礼、セドリック様、早くもマリアンヌちゃんの良さに気づけなくなったのかしら?)
「あら、それは喜ばしいことですわ。二人の愛が試されているのでしょう?」
「他人事のように言うな。君が裏で手を引いていたんだろう? 彼らが次にどう動くべきか、君なりの見解を聞かせろ」
アラルク様の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
これは「試練」の進捗確認。そして、私の知性を試しているのだ。
私は扇子を広げ、ゆっくりと口角を上げた。
「アラルク様。男という生き物は、手に入れた瞬間に価値を忘れるものですわ。……セドリック様が必要としているのは、『守るべきヒロイン』ではなく、『立ち向かうべき困難』です」
「……困難、だと?」
「はい。ですから私、マリアンヌちゃんにアドバイスしておきましたの。――『たまには他の男性と仲良くする姿を、殿下に見せつけてあげなさい』って」
アラルク様は、一瞬呆然とした後、片手で顔を覆った。
「……君は、本当に悪女だな」
「最高の褒め言葉ですわ、殿下」
「……だが、その策。……嫌いではない」
アラルク様が顔を上げた時、その瞳には明らかな「愉悦」の色が混じっていた。
彼は立ち上がり、私の耳元に顔を寄せた。
「面白い。……一ヶ月の謹慎が終わったら、正式に王宮へ来い。君のその腐った性格、俺が直々に叩き直してやる」
(……きゃああああ! 叩き直される! アラルク様に! これは事実上の、個人的な専属指導の契約締結じゃない!?)
「楽しみにしておりますわ、アラルク様」
私が頬を染めて答えると、彼は満足げに鼻で笑い、部屋を去っていった。
嵐のような訪問者がいなくなった後、私はその場に崩れ落ちた。
「マーサ……聞いた? 『直々に叩き直す』って。これ、愛のムチよね!? 絶対そうよね!?」
「……お嬢様、もう手遅れかもしれませんが、一度教会でお祓いを受けてきたほうがいいと思います」
マーサの呆れ声さえも、今の私には祝福の鐘のように聞こえていた。
私は自室で、血が滲むような努力を続けていた。
「……違うわ。この角度じゃない。アラルク様の瞳の輝きを表現するには、もっと繊細な運針が必要なのよ……!」
手に持っているのは、アラルク様に「下手だ」と一蹴されたバラの刺繍。
悔しさをバネに、私は寝食を忘れて刺繍の特訓に励んでいた。もちろん、謹慎中なので時間は腐るほどある。
「お嬢様、顔が怖いです。それに、その刺繍……もはやバラというよりは、獲物を狙う肉食獣の口に見えますが」
マーサが紅茶を注ぎながら、冷淡なツッコミを入れる。
「失礼ね! これは情熱の赤よ! 殿下の心臓を射抜くための……」
その時、階下から尋常ではない騒がしさが伝わってきた。
執事の慌てふためく声、そして重厚な足音。
何事かと思って立ち上がろうとした瞬間、私の部屋の扉がノックもなしに勢いよく開かれた。
「――謹慎中の身にしては、ずいぶんと熱心なことだな、ルルノ嬢」
そこに立っていたのは、まばゆいばかりの陽光を背負った、第一王子アラルク様その人だった。
私は持っていた刺繍針を、危うく自分の指に刺しそうになった。
「あ、あ、アラルク様!? な、なぜ私の部屋に……!? ここは乙女の聖域ですわよ!」
「聖域というわりには、壁一面に俺の公務予定表が貼ってあるようだが?」
アラルク様の視線が、私が急いで隠し忘れた「アラルク様・追っかけマップ」に注がれる。
(……詰んだ。公爵令嬢としてのプライドが、今、音を立てて崩れ去ったわ!)
「……これは、その、王家の動向を把握することで、自らの過ちを省みるための、いわば反省の地図でして……!」
「ほう。俺が昨日、立ち寄ったカフェの店名まで書いてあるのが、どう反省に繋がるのか詳しく聞きたいものだ」
アラルク様は、私を追い詰めるように一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
彼の纏う冷たい、けれど情熱的な空気感に、私の思考回路は完全にショートした。
「そ、それで! 今日はどのような御用でしょうか!? わざわざ謹慎中の悪女に会いに来るなんて、殿下も物好きですわね!」
私は精一杯の悪役令嬢スマイルで誤魔化した。
アラルク様は私の机の上に置かれた、例の「肉食獣のようなバラ」の刺繍をひょいと持ち上げた。
「君の言う『風水』とやらを確かめに来た。……この部屋、妙に熱気がこもっているが、これも風水のせいか?」
「……私の情熱が、部屋の温度を上げているのかもしれませんわ」
「ふっ、相変わらず口だけは達者だな」
アラルク様はソファに無造作に腰掛けると、私にも座るよう促した。
その自然な仕草に、私の心臓はまたしても爆走を始める。
「……遊びに来たわけではない。セドリックの件だ」
アラルク様の表情から、微かに余裕が消えた。
「弟とマリアンヌ嬢だが……。君がいなくなった途端、セドリックが目に見えて腑抜けている。マリアンヌ嬢も、何やら困惑している様子だ」
(あら。あのバカ……失礼、セドリック様、早くもマリアンヌちゃんの良さに気づけなくなったのかしら?)
「あら、それは喜ばしいことですわ。二人の愛が試されているのでしょう?」
「他人事のように言うな。君が裏で手を引いていたんだろう? 彼らが次にどう動くべきか、君なりの見解を聞かせろ」
アラルク様の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
これは「試練」の進捗確認。そして、私の知性を試しているのだ。
私は扇子を広げ、ゆっくりと口角を上げた。
「アラルク様。男という生き物は、手に入れた瞬間に価値を忘れるものですわ。……セドリック様が必要としているのは、『守るべきヒロイン』ではなく、『立ち向かうべき困難』です」
「……困難、だと?」
「はい。ですから私、マリアンヌちゃんにアドバイスしておきましたの。――『たまには他の男性と仲良くする姿を、殿下に見せつけてあげなさい』って」
アラルク様は、一瞬呆然とした後、片手で顔を覆った。
「……君は、本当に悪女だな」
「最高の褒め言葉ですわ、殿下」
「……だが、その策。……嫌いではない」
アラルク様が顔を上げた時、その瞳には明らかな「愉悦」の色が混じっていた。
彼は立ち上がり、私の耳元に顔を寄せた。
「面白い。……一ヶ月の謹慎が終わったら、正式に王宮へ来い。君のその腐った性格、俺が直々に叩き直してやる」
(……きゃああああ! 叩き直される! アラルク様に! これは事実上の、個人的な専属指導の契約締結じゃない!?)
「楽しみにしておりますわ、アラルク様」
私が頬を染めて答えると、彼は満足げに鼻で笑い、部屋を去っていった。
嵐のような訪問者がいなくなった後、私はその場に崩れ落ちた。
「マーサ……聞いた? 『直々に叩き直す』って。これ、愛のムチよね!? 絶対そうよね!?」
「……お嬢様、もう手遅れかもしれませんが、一度教会でお祓いを受けてきたほうがいいと思います」
マーサの呆れ声さえも、今の私には祝福の鐘のように聞こえていた。
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