私が本当に好きなのは、元婚約者の完璧すぎる兄上なんです

夏乃みのり

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「……ああああ、もう無理ですわ! これ以上の歴史年表暗記は、私の脳細胞に対する虐待ですわよ!」

 成婚を数ヶ月後に控えたある日。王宮の一室で、私は机の上に突っ伏して絶叫した。

 目の前には、広辞苑三冊分はあろうかという分厚い「王妃の心得・歴史編」が鎮座している。

「お嬢様、弱音を吐かないでください。歴史の試験に合格しない限り、アラルク殿下との夜の『特別補習』は中止だそうですよ」

 冷たくお茶を淹れ直しながら、マーサが容赦ない宣告を下す。

「なんですって!? あの御方、私の唯一の楽しみ(推しとの密着時間)を人質に取るなんて、相変わらず冷酷非道な暴君だわ……! 好き!」

「はいはい、好きならさっさとペンを動かしてください」

 私は泣く泣く顔を上げ、再び羽根ペンを握りしめた。

 悪役令嬢として婚約破棄を勝ち取ったあの日、私は確かに「自由」を手に入れたはずだった。

 けれど、その先に待っていたのは、大好きなアラルク様の隣に立つための、想像を絶するスパルタ王妃教育だったのだ。

 その時、部屋の扉がノックもなしに開かれた。

「――ルルノ。手が止まっているぞ。やはり君には、言葉での説明よりも『実技』による教育が必要か?」

 そこに立っていたのは、執務服のボタンを少しだけ外し、色気と威圧感を撒き散らしているアラルク様だった。

(ぎゃああああ! お疲れアラルク様! 首筋のラインが芸術的! その実技、今すぐお願いします!)

「あ、アラルク様! サボっていたわけではございませんわ。あまりの難解さに、知恵熱が出ていただけですの!」

「ふ。……熱があるなら、俺が直接確かめてやろう」

 アラルク様は私の背後に回り込み、耳元で低く囁いた。

 首筋に触れる彼の指先が、歴史の勉強で干からびていた私の心に火をつける。

「……殿下、いけませんわ。マーサが見ております……」

「……マーサ、席を外せ」

「かしこまりました。……お嬢様、試験は明日ですからね」

 マーサが音もなく部屋を出ていく。……有能すぎるわ、私の侍女。

 二人きりになった室内。アラルク様は私を抱き上げ、そのまま自分の膝の上へと座らせた。

「……セドリックの方は、マリアンヌ嬢のおかげで何とか『王族』の体裁を保てるようになってきた。……君の方はどうだ、ルルノ。俺の妃として、覚悟は固まったか?」

「……覚悟なら、あの卒業パーティーの夜に決めておりますわ。……私は、世界一美しくて意地悪なあなたの隣で、世界一幸せな悪女になって差し上げますの」

 私はアラルク様の首に腕を回し、挑発的に微笑んだ。

「おーっほっほっほ! アラルク様、私を甘く見ないでくださいまし。……王妃教育なんて、あなたの愛という名のスパイスがあれば、いくらでも飲み込んでみせますわ!」

「……ふ。……やはり君は、最高に強欲な女だな」

 アラルク様は満足げに笑うと、私の唇を深く、奪うように塞いだ。

 前世の因縁も、運命の導きも、そんなものはこの恋には必要ない。

 私は、自分の意志で悪役を演じ、自分の足でこの男の隣を勝ち取ったのだから。

「……愛しているぞ、ルルノ。……俺の、誇り高き悪女よ」

「……私も、心からお慕いしておりますわ。アラルク様」

 窓の外からは、今日も元気に丸太を担いで「マリアンヌへの愛の筋肉詩」を絶叫するセドリック様の声が聞こえてきたが。

 そんな騒がしささえも、今の私たちには最高の祝福の合図のように思えた。

 悪役令嬢ルルノ・エルバート。

 彼女の「本当の物語」は、まだ始まったばかり。

 これからも、彼女の高笑いは、王宮の至るところで響き渡るに違いない。

 ……もちろん、大好きなアラルク様の腕の中で。
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