私が本当に好きなのは、元婚約者の完璧すぎる兄上なんです

夏乃みのり

文字の大きさ
28 / 28

28

しおりを挟む
「……ああああ、もう無理ですわ! これ以上の歴史年表暗記は、私の脳細胞に対する虐待ですわよ!」

 成婚を数ヶ月後に控えたある日。王宮の一室で、私は机の上に突っ伏して絶叫した。

 目の前には、広辞苑三冊分はあろうかという分厚い「王妃の心得・歴史編」が鎮座している。

「お嬢様、弱音を吐かないでください。歴史の試験に合格しない限り、アラルク殿下との夜の『特別補習』は中止だそうですよ」

 冷たくお茶を淹れ直しながら、マーサが容赦ない宣告を下す。

「なんですって!? あの御方、私の唯一の楽しみ(推しとの密着時間)を人質に取るなんて、相変わらず冷酷非道な暴君だわ……! 好き!」

「はいはい、好きならさっさとペンを動かしてください」

 私は泣く泣く顔を上げ、再び羽根ペンを握りしめた。

 悪役令嬢として婚約破棄を勝ち取ったあの日、私は確かに「自由」を手に入れたはずだった。

 けれど、その先に待っていたのは、大好きなアラルク様の隣に立つための、想像を絶するスパルタ王妃教育だったのだ。

 その時、部屋の扉がノックもなしに開かれた。

「――ルルノ。手が止まっているぞ。やはり君には、言葉での説明よりも『実技』による教育が必要か?」

 そこに立っていたのは、執務服のボタンを少しだけ外し、色気と威圧感を撒き散らしているアラルク様だった。

(ぎゃああああ! お疲れアラルク様! 首筋のラインが芸術的! その実技、今すぐお願いします!)

「あ、アラルク様! サボっていたわけではございませんわ。あまりの難解さに、知恵熱が出ていただけですの!」

「ふ。……熱があるなら、俺が直接確かめてやろう」

 アラルク様は私の背後に回り込み、耳元で低く囁いた。

 首筋に触れる彼の指先が、歴史の勉強で干からびていた私の心に火をつける。

「……殿下、いけませんわ。マーサが見ております……」

「……マーサ、席を外せ」

「かしこまりました。……お嬢様、試験は明日ですからね」

 マーサが音もなく部屋を出ていく。……有能すぎるわ、私の侍女。

 二人きりになった室内。アラルク様は私を抱き上げ、そのまま自分の膝の上へと座らせた。

「……セドリックの方は、マリアンヌ嬢のおかげで何とか『王族』の体裁を保てるようになってきた。……君の方はどうだ、ルルノ。俺の妃として、覚悟は固まったか?」

「……覚悟なら、あの卒業パーティーの夜に決めておりますわ。……私は、世界一美しくて意地悪なあなたの隣で、世界一幸せな悪女になって差し上げますの」

 私はアラルク様の首に腕を回し、挑発的に微笑んだ。

「おーっほっほっほ! アラルク様、私を甘く見ないでくださいまし。……王妃教育なんて、あなたの愛という名のスパイスがあれば、いくらでも飲み込んでみせますわ!」

「……ふ。……やはり君は、最高に強欲な女だな」

 アラルク様は満足げに笑うと、私の唇を深く、奪うように塞いだ。

 前世の因縁も、運命の導きも、そんなものはこの恋には必要ない。

 私は、自分の意志で悪役を演じ、自分の足でこの男の隣を勝ち取ったのだから。

「……愛しているぞ、ルルノ。……俺の、誇り高き悪女よ」

「……私も、心からお慕いしておりますわ。アラルク様」

 窓の外からは、今日も元気に丸太を担いで「マリアンヌへの愛の筋肉詩」を絶叫するセドリック様の声が聞こえてきたが。

 そんな騒がしささえも、今の私たちには最高の祝福の合図のように思えた。

 悪役令嬢ルルノ・エルバート。

 彼女の「本当の物語」は、まだ始まったばかり。

 これからも、彼女の高笑いは、王宮の至るところで響き渡るに違いない。

 ……もちろん、大好きなアラルク様の腕の中で。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

いちゃつきを見せつけて楽しいですか?

四季
恋愛
それなりに大きな力を持つ王国に第一王女として生まれた私ーーリルリナ・グランシェには婚約者がいた。 だが、婚約者に寄ってくる女性がいて……。

知らぬが花

鳥柄ささみ
恋愛
「ライラ・アーデ嬢。申し訳ないが、キミとの婚約は破棄させてもらう」 もう何度目かわからないやりとりにライラはショックを受けるも、その場では大人しく受け入れる。 これでもう婚約破棄と婚約解消あわせて十回目。 ライラは自分に非があるのではと自分を責めるも、「お義姉様は何も悪くありません。相手の見る目がないのです」と義弟であるディークハルトにいつも慰められ、支えられていた。 いつもライラに親身になって肯定し、そばにいてくれるディークハルト。 けれど、ある日突然ディークハルトの訃報が入ってくる。 大切な義弟を失い、泣き崩れて塞ぎ込むライラ。 そんなライラがやっと立ち直ってきて一年後、とある人物から縁談の話がやってくるのだった。

(完結)元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・(5話完結)

青空一夏
恋愛
私(エメリーン・リトラー侯爵令嬢)は義理のお姉様、マルガレータ様が大好きだった。彼女は4歳年上でお兄様とは同じ歳。二人はとても仲のいい夫婦だった。 けれどお兄様が病気であっけなく他界し、結婚期間わずか半年で子供もいなかったマルガレータ様は、実家ノット公爵家に戻られる。 マルガレータ様は実家に帰られる際、 「エメリーン、あなたを本当の妹のように思っているわ。この思いはずっと変わらない。あなたの幸せをずっと願っていましょう」と、おっしゃった。 信頼していたし、とても可愛がってくれた。私はマルガレータが本当に大好きだったの!! でも、それは見事に裏切られて・・・・・・ ヒロインは、マルガレータ。シリアス。ざまぁはないかも。バッドエンド。バッドエンドはもやっとくる結末です。異世界ヨーロッパ風。現代的表現。ゆるふわ設定ご都合主義。時代考証ほとんどありません。 エメリーンの回も書いてダブルヒロインのはずでしたが、別作品として書いていきます。申し訳ありません。 元お姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれどーエメリーン編に続きます。

(完)イケメン侯爵嫡男様は、妹と間違えて私に告白したらしいー婚約解消ですか?嬉しいです!

青空一夏
恋愛
私は学園でも女生徒に憧れられているアール・シュトン候爵嫡男様に告白されました。 図書館でいきなり『愛している』と言われた私ですが、妹と勘違いされたようです? 全5話。ゆるふわ。

『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

処理中です...