5 / 28
5
しおりを挟む
「完璧だわ! 見てちょうだい、アンナ。この床の輝きを! これなら転んで顔を打っても、自分の絶望した顔が綺麗に映るはずよ!」
掃除開始から三日。
死霊の館と呼ばれた領主館は、見違えるほどの変貌を遂げていた。
埃まみれのカーテンは引き剥がされて、私が持ち込んだ純白のレースに。
黒ずんでいた床は、使用人たちが血の滲むような努力で磨き上げ、窓から差し込む光を反射している。
「お嬢様、使用人たちの半分が筋肉痛で動けなくなっておりますが、確かに見栄えは良くなりましたね」
アンナが冷静に、湿布薬を配りながら報告する。
「いいのよ、筋肉痛は頑張った証、いわば美の勲章よ。さて、館の中が整ったら次は外ね。この辺境にはどんなお宝が眠っているのかしら。アンナ、少し散策に出かけますわよ!」
私は動きやすいライディングドレスに着替え、勝手知ったる足取りで館の裏手に広がる森へと向かった。
領民たちは「あの森には魔物が出る」と怯えていたけれど、センスの欠片もない館に閉じこもっているよりは、野生の美しさを探す方がよっぽど健康的だわ。
「あら……? アンナ、あそこを見て。なんだか大きな荷物が落ちているわ」
森の入り口、大きな樫の木の根元に、何かが倒れていた。
近づいてみると、それは荷物ではなく、一人の男だった。
「お嬢様、人間です。それも、かなり上等な服を着た男性ですね。死んでいるのでしょうか?」
「ちょっと、アンナ。縁起の悪いことを言わないで。……でも確かに、この泥だらけの惨状はいただけないわね」
私は泥の中に顔を突っ伏している男の背中を、持っていた日傘の先でツンツンと突いてみた。
「もしもし、そこの行き倒れさん? そんなところで寝ていると、ナメクジの這った跡が背中のデザインの一部になってしまいますわよ。起きてちょうだい」
「……う、……うう……」
男が呻き声を上げ、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、私は思わず息を呑んだ。
……いいえ、驚いたのは彼の美貌にではない。その、絶望的なコンディションにだ。
「……助けて、……くれ……。……空腹で、……もう……」
「まあ! アンナ、見て! この人、顔打ちは完璧なのに、肌がガサガサだわ! おまけにこの服、最高級の生地を使っているのに、ボタンが一つ取れかかっている。なんていうアンバランス! 私の美意識が悲鳴を上げているわ!」
「お嬢様、そこはまず命の心配をして差し上げてください。明らかに衰弱しています」
男は銀髪を振り乱し、深い青色の瞳で私をぼんやりと見上げた。
整った鼻筋、薄い唇。泥を拭えば王都でもそうそう拝めないレベルの美男子だろう。
だが、今の彼から漂うのは、漂流者のような悲壮感だけだ。
「……君は、……天使……か……?」
「天使? いいえ、私はキキ・フォン・ボルドー。あなたの美意識を叩き直しに来た、辺境の救世主ですわ。ほら、シャキッとなさい!」
私は持っていた水魔法の魔石を起動させ、彼の顔にバシャリと水を浴びせた。
「ぶはっ!? な、何を……!」
「あら、目が覚めたようね。アンナ、この男を館へ運びなさい。とりあえず、そのボタンの取れかかった服を脱がせて、まともな格好にさせないと、私の視力が落ちてしまうわ」
「……承知いたしました。警備の者に運ばせます」
銀髪の男は、困惑と驚きが混ざったような表情で私を見つめている。
私は彼を指さし、満面の笑みで告げた。
「感謝なさい。あなたが今日拾われたのは、この国で一番『美』に厳しい女の目の前だった。あなたの人生、今日から強制的にリフォームしてあげますわ!」
「……リフォーム……? ……待ってくれ、私は……」
男が何かを言いかけたが、そのまま再び意識を失い、アンナが呼んできた屈強な護衛たちの腕の中に収まった。
「アンナ、楽しみが増えたわね。あんな極上の素材、どう料理してくれようかしら。まずはあのガサガサの肌を、保湿の魔法でプルプルに仕上げることから始めましょう!」
「お嬢様、彼が何者であるか、身元を確認するのが先だと思いますが」
「そんなの、後でいいわ。顔がいい男は、それだけで存在理由があるもの。さあ、帰るわよ! 辺境ライフがますます愉快になってきたわ!」
私は鼻歌を歌いながら、意気揚々と館へと引き返した。
運ばれていく男が、実は隣国の大公レオナルトであることなど、この時の私は一ミリも想像していなかったのである。
掃除開始から三日。
死霊の館と呼ばれた領主館は、見違えるほどの変貌を遂げていた。
埃まみれのカーテンは引き剥がされて、私が持ち込んだ純白のレースに。
黒ずんでいた床は、使用人たちが血の滲むような努力で磨き上げ、窓から差し込む光を反射している。
「お嬢様、使用人たちの半分が筋肉痛で動けなくなっておりますが、確かに見栄えは良くなりましたね」
アンナが冷静に、湿布薬を配りながら報告する。
「いいのよ、筋肉痛は頑張った証、いわば美の勲章よ。さて、館の中が整ったら次は外ね。この辺境にはどんなお宝が眠っているのかしら。アンナ、少し散策に出かけますわよ!」
私は動きやすいライディングドレスに着替え、勝手知ったる足取りで館の裏手に広がる森へと向かった。
領民たちは「あの森には魔物が出る」と怯えていたけれど、センスの欠片もない館に閉じこもっているよりは、野生の美しさを探す方がよっぽど健康的だわ。
「あら……? アンナ、あそこを見て。なんだか大きな荷物が落ちているわ」
森の入り口、大きな樫の木の根元に、何かが倒れていた。
近づいてみると、それは荷物ではなく、一人の男だった。
「お嬢様、人間です。それも、かなり上等な服を着た男性ですね。死んでいるのでしょうか?」
「ちょっと、アンナ。縁起の悪いことを言わないで。……でも確かに、この泥だらけの惨状はいただけないわね」
私は泥の中に顔を突っ伏している男の背中を、持っていた日傘の先でツンツンと突いてみた。
「もしもし、そこの行き倒れさん? そんなところで寝ていると、ナメクジの這った跡が背中のデザインの一部になってしまいますわよ。起きてちょうだい」
「……う、……うう……」
男が呻き声を上げ、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、私は思わず息を呑んだ。
……いいえ、驚いたのは彼の美貌にではない。その、絶望的なコンディションにだ。
「……助けて、……くれ……。……空腹で、……もう……」
「まあ! アンナ、見て! この人、顔打ちは完璧なのに、肌がガサガサだわ! おまけにこの服、最高級の生地を使っているのに、ボタンが一つ取れかかっている。なんていうアンバランス! 私の美意識が悲鳴を上げているわ!」
「お嬢様、そこはまず命の心配をして差し上げてください。明らかに衰弱しています」
男は銀髪を振り乱し、深い青色の瞳で私をぼんやりと見上げた。
整った鼻筋、薄い唇。泥を拭えば王都でもそうそう拝めないレベルの美男子だろう。
だが、今の彼から漂うのは、漂流者のような悲壮感だけだ。
「……君は、……天使……か……?」
「天使? いいえ、私はキキ・フォン・ボルドー。あなたの美意識を叩き直しに来た、辺境の救世主ですわ。ほら、シャキッとなさい!」
私は持っていた水魔法の魔石を起動させ、彼の顔にバシャリと水を浴びせた。
「ぶはっ!? な、何を……!」
「あら、目が覚めたようね。アンナ、この男を館へ運びなさい。とりあえず、そのボタンの取れかかった服を脱がせて、まともな格好にさせないと、私の視力が落ちてしまうわ」
「……承知いたしました。警備の者に運ばせます」
銀髪の男は、困惑と驚きが混ざったような表情で私を見つめている。
私は彼を指さし、満面の笑みで告げた。
「感謝なさい。あなたが今日拾われたのは、この国で一番『美』に厳しい女の目の前だった。あなたの人生、今日から強制的にリフォームしてあげますわ!」
「……リフォーム……? ……待ってくれ、私は……」
男が何かを言いかけたが、そのまま再び意識を失い、アンナが呼んできた屈強な護衛たちの腕の中に収まった。
「アンナ、楽しみが増えたわね。あんな極上の素材、どう料理してくれようかしら。まずはあのガサガサの肌を、保湿の魔法でプルプルに仕上げることから始めましょう!」
「お嬢様、彼が何者であるか、身元を確認するのが先だと思いますが」
「そんなの、後でいいわ。顔がいい男は、それだけで存在理由があるもの。さあ、帰るわよ! 辺境ライフがますます愉快になってきたわ!」
私は鼻歌を歌いながら、意気揚々と館へと引き返した。
運ばれていく男が、実は隣国の大公レオナルトであることなど、この時の私は一ミリも想像していなかったのである。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
魔の森に捨てられた伯爵令嬢は、幸福になって復讐を果たす
三谷朱花
恋愛
ルーナ・メソフィスは、あの冷たく悲しい日のことを忘れはしない。
ルーナの信じてきた世界そのものが否定された日。
伯爵令嬢としての身分も、温かい我が家も奪われた。そして信じていた人たちも、それが幻想だったのだと知った。
そして、告げられた両親の死の真相。
家督を継ぐために父の異母弟である叔父が、両親の死に関わっていた。そして、メソフィス家の財産を独占するために、ルーナの存在を不要とした。
絶望しかなかった。
涙すら出なかった。人間は本当の絶望の前では涙がでないのだとルーナは初めて知った。
雪が積もる冷たい森の中で、この命が果ててしまった方がよほど幸福だとすら感じていた。
そもそも魔の森と呼ばれ恐れられている森だ。誰の助けも期待はできないし、ここに放置した人間たちは、見たこともない魔獣にルーナが食い殺されるのを期待していた。
ルーナは死を待つしか他になかった。
途切れそうになる意識の中で、ルーナは温かい温もりに包まれた夢を見ていた。
そして、ルーナがその温もりを感じた日。
ルーナ・メソフィス伯爵令嬢は亡くなったと公式に発表された。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで
越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。
国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。
孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。
ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――?
(……私の体が、勝手に動いている!?)
「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」
死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?
――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!
「いらない」と捨てられた令嬢、実は全属性持ちの聖女でした
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約は破棄する。もう用済み
そう言い放ったのは、五年間想い続けた婚約者――王太子アレクシスさま。
広間に響く冷たい声。貴族たちの視線が一斉に私へ突き刺さる。
「アレクシスさま……どういう、ことでしょうか……?」
震える声で問い返すと、彼は心底嫌そうに眉を顰めた。
「言葉の意味が理解できないのか? ――お前は“無属性”だ。魔法の才能もなければ、聖女の資質もない。王太子妃として役不足だ」
「無……属性?」
平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」
その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。
王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。
――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。
学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。
「殿下、どういうことでしょう?」
私の声は驚くほど落ち着いていた。
「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」
第一王子と見捨てられた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
アナトール公爵令嬢のマリアは婚約者である第一王子のザイツからあしらわれていた。昼間お話することも、夜に身体を重ねることも、なにもなかったのだ。形だけの夫婦生活。ザイツ様の新しい婚約者になってやろうと躍起になるメイドたち。そんな中、ザイツは戦地に赴くと知らせが入った。夫婦関係なんてとっくに終わっていると思っていた矢先、マリアの前にザイツが現れたのだった。
お読みいただきありがとうございます。こちらの話は24話で完結とさせていただきます。この後は「第一王子と愛された公爵令嬢」に続いていきます。こちらもよろしくお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる