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王都に到着したマリアンは、公爵家の紋章が入った馬車を降り、すぐさま庶民の足である辻馬車に乗り換えた。
向かった先は、王都の商業地区と職人街の境にある、清潔だが目立たない一軒の宿屋。ここが、彼女の当面の活動拠点となる。
「ふぅ……。まずは上々の滑り出し、かしら」
質素だが掃除の行き届いた部屋で一息ついていると、コンコン、と控えめなドアのノック音がした。
「どなた?」
「アルトハイム公爵閣下のご紹介で参りました、カイと申します。少し、よろしいでしょうか?」
ドアを開けると、そこには人の良さそうな笑みを浮かべた、そばかす顔の青年が立っていた。茶色の髪を無造作に後ろで束ね、服装もラフで、とても公爵家から遣わされた人間には見えない。
「あなたがカイ……。話は聞いています。入ってちょうだい」
部屋に通されたカイは、物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回した。
「いやあ、驚きました。てっきり豪華なホテルにでも滞在されるのかと。公爵閣下から『娘を頼む』なんて言われたときは、どんな我儘なお嬢様かと思いましたけど、案外、庶民的なんですねぇ」
悪気のない、しかし少し侮りを含んだ物言いに、マリアンは小さくため息をついた。
「わたくしはもう、公爵令嬢ではありません。ただのマリアンです。それで、仕事の話をしてもよろしくて?」
マリアンが本題を切り出すと、カイは「へいへい」と軽い調子で椅子に腰かけた。
マリアンは、公爵家から運び出してきた荷物の中から、ひときわ大きなトランクをいくつも開けてみせた。中から現れたのは、光り輝く絹やレースでできたドレスの数々、そしてベルベットの箱に収められた、まばゆい宝飾品だった。
「これを、売りさばきたいのです」
カイは、その豪華な品揃えに目を丸くした。
「……本気ですかい? これ、一つ一つが家一軒分くらいの価値はありますぜ」
「ええ、本気よ。お父様からいただいた資金だけでは、理想のカフェを作るには足りませんから。それに……」
マリアンは、あるドレスを手に取り、そっと撫でた。
「過去の遺物と決別する、儀式のようなものですわ」
そう言うと、彼女はカイに向き直り、きっぱりとした口調で言った。
「名付けて、『元・王太子妃候補の訳ありワードローブ、涙の(?)処分市』よ!」
内心で名付けたその作戦名を口にすると、カイはぽかんとした後、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! 面白い! あんた、面白い人だ! いいですぜ、乗っかりましょう!」
そこからのマリアンの指示は、的確かつ迅速だった。
「カイ、あなたの情報網で、口が堅く、見栄っ張りで、金払いの良い貴族のリストを作りなさい。特に、わたくしに同情的だった方や、逆にライバル視していたような方が望ましいわ」
「へい!」
「招待状はこちらで用意します。日時は三日後。場所は、王都の外れにある貸サロンを押さえてちょうだい。あくまで『口コミだけの秘密のセール』という形を取ります」
てきぱきと計画を語るマリアンの姿に、カイはすっかり彼女への評価を改めていた。この人は、ただの箱入りお嬢様じゃない。相当な切れ者だ。
◇
そして三日後。
カイが巧みに流した噂と、美しいカリグラフィーで書かれた招待状の効果は絶大だった。
貸サロンには、好奇心とほんの少しの同情、そして下世話な野次馬根性を胸に秘めた貴族の令嬢や夫人たちが、続々と集まってきた。
会場はマリアン自身が飾り付け、ドレスは美しくハンガーにかけられ、宝石は黒い布の上に並べられて、それぞれの輝きを最大限に放っている。
「まあ、マリアン様。このような形でお会いするなんて……。昨夜の夜会では、本当に大変でしたわねぇ」
猫なで声で近づいてきた伯爵夫人に、マリアンは完璧な淑女の笑みで応じる。
「ええ、ご覧の通りですわ。ですから、思い出の品々もこうして手放すしかなくて……。もしよろしければ、見ていってくださいませんこと?」
少し伏せられた翠色の瞳が、悲しみに濡れているように見える。見事な演技だった。
「あら、このドレス、素敵ですわね。たしか、殿下の誕生日の夜会でお召しになっていた……」
一人の令嬢が、空色のドレスを手に取って言う。
「ええ、よくご記憶で。そのドレスは、わたくしにとって幸運の一着でしたの。これを着ていると、不思議と良いことが舞い込んできたものですわ。……まあ、わたくしの幸運は、どうやら別の方向に向かっていたようですけれど」
自虐を交えた軽妙なセールストークに、令嬢は「まあ、不謹慎だわ」と言いつつも、まんざらでもない顔でドレスを体に当てている。
「こちらのルビーのネックレスは、情熱的な愛を実らせる石言葉がございますの。わたくしには、少し情熱が強すぎたのかもしれませんわね」
「この真珠のイヤリングは、清純な花嫁にこそふさわしい品。残念ながら、わたくしはその機会を失ってしまいましたけれど」
マリアンの巧みな話術と、「元・王太子妃候補の持ち物」という最高のブランド力、そして何より、品物そのものが超一流であるという事実。
この三つの要素が組み合わさり、商品は飛ぶように売れていった。
セールが終わり、がらんとしたサロンで売上を計算し終えたカイは、もはや呆れるのを通り越して感服していた。
「……お嬢様。いや、マリアン様。あんた、一体何者ですかい? 正直、ここまでやるとは思ってませんでした」
積み上げられた金貨の袋を見て、マリアンは満足げに微笑んだ。
「さあ、どうかしら? でも、わたくしは昔から、どうすれば物が一番魅力的に見えるか、そして人の心がどう動くのか、考えるのが好きでしたの」
その額は、父から援助された資金に匹敵するほどだった。これで、理想のカフェを作るための軍資金は、十二分に集まった。
カイは、目の前の元公爵令嬢に、深く頭を下げた。
「マリアン様。俺、あんたに本気で協力させてもらいます。こんなに面白い雇い主、他にいませんからね!」
力強い相棒を得て、マリアンのカフェ開業計画は、大きな一歩を踏み出したのだった。
向かった先は、王都の商業地区と職人街の境にある、清潔だが目立たない一軒の宿屋。ここが、彼女の当面の活動拠点となる。
「ふぅ……。まずは上々の滑り出し、かしら」
質素だが掃除の行き届いた部屋で一息ついていると、コンコン、と控えめなドアのノック音がした。
「どなた?」
「アルトハイム公爵閣下のご紹介で参りました、カイと申します。少し、よろしいでしょうか?」
ドアを開けると、そこには人の良さそうな笑みを浮かべた、そばかす顔の青年が立っていた。茶色の髪を無造作に後ろで束ね、服装もラフで、とても公爵家から遣わされた人間には見えない。
「あなたがカイ……。話は聞いています。入ってちょうだい」
部屋に通されたカイは、物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回した。
「いやあ、驚きました。てっきり豪華なホテルにでも滞在されるのかと。公爵閣下から『娘を頼む』なんて言われたときは、どんな我儘なお嬢様かと思いましたけど、案外、庶民的なんですねぇ」
悪気のない、しかし少し侮りを含んだ物言いに、マリアンは小さくため息をついた。
「わたくしはもう、公爵令嬢ではありません。ただのマリアンです。それで、仕事の話をしてもよろしくて?」
マリアンが本題を切り出すと、カイは「へいへい」と軽い調子で椅子に腰かけた。
マリアンは、公爵家から運び出してきた荷物の中から、ひときわ大きなトランクをいくつも開けてみせた。中から現れたのは、光り輝く絹やレースでできたドレスの数々、そしてベルベットの箱に収められた、まばゆい宝飾品だった。
「これを、売りさばきたいのです」
カイは、その豪華な品揃えに目を丸くした。
「……本気ですかい? これ、一つ一つが家一軒分くらいの価値はありますぜ」
「ええ、本気よ。お父様からいただいた資金だけでは、理想のカフェを作るには足りませんから。それに……」
マリアンは、あるドレスを手に取り、そっと撫でた。
「過去の遺物と決別する、儀式のようなものですわ」
そう言うと、彼女はカイに向き直り、きっぱりとした口調で言った。
「名付けて、『元・王太子妃候補の訳ありワードローブ、涙の(?)処分市』よ!」
内心で名付けたその作戦名を口にすると、カイはぽかんとした後、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! 面白い! あんた、面白い人だ! いいですぜ、乗っかりましょう!」
そこからのマリアンの指示は、的確かつ迅速だった。
「カイ、あなたの情報網で、口が堅く、見栄っ張りで、金払いの良い貴族のリストを作りなさい。特に、わたくしに同情的だった方や、逆にライバル視していたような方が望ましいわ」
「へい!」
「招待状はこちらで用意します。日時は三日後。場所は、王都の外れにある貸サロンを押さえてちょうだい。あくまで『口コミだけの秘密のセール』という形を取ります」
てきぱきと計画を語るマリアンの姿に、カイはすっかり彼女への評価を改めていた。この人は、ただの箱入りお嬢様じゃない。相当な切れ者だ。
◇
そして三日後。
カイが巧みに流した噂と、美しいカリグラフィーで書かれた招待状の効果は絶大だった。
貸サロンには、好奇心とほんの少しの同情、そして下世話な野次馬根性を胸に秘めた貴族の令嬢や夫人たちが、続々と集まってきた。
会場はマリアン自身が飾り付け、ドレスは美しくハンガーにかけられ、宝石は黒い布の上に並べられて、それぞれの輝きを最大限に放っている。
「まあ、マリアン様。このような形でお会いするなんて……。昨夜の夜会では、本当に大変でしたわねぇ」
猫なで声で近づいてきた伯爵夫人に、マリアンは完璧な淑女の笑みで応じる。
「ええ、ご覧の通りですわ。ですから、思い出の品々もこうして手放すしかなくて……。もしよろしければ、見ていってくださいませんこと?」
少し伏せられた翠色の瞳が、悲しみに濡れているように見える。見事な演技だった。
「あら、このドレス、素敵ですわね。たしか、殿下の誕生日の夜会でお召しになっていた……」
一人の令嬢が、空色のドレスを手に取って言う。
「ええ、よくご記憶で。そのドレスは、わたくしにとって幸運の一着でしたの。これを着ていると、不思議と良いことが舞い込んできたものですわ。……まあ、わたくしの幸運は、どうやら別の方向に向かっていたようですけれど」
自虐を交えた軽妙なセールストークに、令嬢は「まあ、不謹慎だわ」と言いつつも、まんざらでもない顔でドレスを体に当てている。
「こちらのルビーのネックレスは、情熱的な愛を実らせる石言葉がございますの。わたくしには、少し情熱が強すぎたのかもしれませんわね」
「この真珠のイヤリングは、清純な花嫁にこそふさわしい品。残念ながら、わたくしはその機会を失ってしまいましたけれど」
マリアンの巧みな話術と、「元・王太子妃候補の持ち物」という最高のブランド力、そして何より、品物そのものが超一流であるという事実。
この三つの要素が組み合わさり、商品は飛ぶように売れていった。
セールが終わり、がらんとしたサロンで売上を計算し終えたカイは、もはや呆れるのを通り越して感服していた。
「……お嬢様。いや、マリアン様。あんた、一体何者ですかい? 正直、ここまでやるとは思ってませんでした」
積み上げられた金貨の袋を見て、マリアンは満足げに微笑んだ。
「さあ、どうかしら? でも、わたくしは昔から、どうすれば物が一番魅力的に見えるか、そして人の心がどう動くのか、考えるのが好きでしたの」
その額は、父から援助された資金に匹敵するほどだった。これで、理想のカフェを作るための軍資金は、十二分に集まった。
カイは、目の前の元公爵令嬢に、深く頭を下げた。
「マリアン様。俺、あんたに本気で協力させてもらいます。こんなに面白い雇い主、他にいませんからね!」
力強い相棒を得て、マリアンのカフェ開業計画は、大きな一歩を踏み出したのだった。
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