ざまぁ不要の悪役令嬢!婚約破棄は想定内、むしろご褒美ですわ!

夏乃みのり

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貴族令嬢たちが逃げるように去っていった後、カフェ・アルケミスタは、それまで以上に和やかで温かい空気に包まれていた。

「いやあ、スカッとしたぜ!」
「マスター、気にするこたあねえよ!」

常連客たちの励ましの声に、マリアンは胸がいっぱいになるのを感じた。

「皆様、本当にありがとうございました。お詫びと言っては何ですが、今夜はわたくしから、特別な焼き菓子を皆様にご馳走させてくださいませ」

そう言ってマリアンが厨房から運んできたのは、焼きたてのアップルパイだった。店内は、甘酸っぱいりんごとシナモンの香りで満たされる。客たちは歓声をあげ、その夜はささやかな宴会のように賑わった。

マリアンは、この店を開いて本当に良かったと、心の底から思った。



その頃、騎士団屯所の執務室では。

アレクシス・フォン・ヴァイスが、ペンを置き、じっと目を閉じていた。

彼の脳裏に浮かんでいたのは、先ほどのカフェでの騒動だ。あの令嬢たちの、わざとらしい言いがかり。その背後に、誰かの明確な悪意があることは明らかだった。

(あの令嬢たちは、確かベル男爵令嬢……リリアナ嬢と親しい派閥の者たちだったな)

彼の持つ情報網は、貴族社会の人間関係など、とうに把握している。

(元王太子の婚約者であった彼女が、王都で評判の店を開く。それを快く思わない人間……。答えは、考えるまでもないか)

原因がリリアナの幼稚な嫉妬心であると、アレクシスはほぼ確信していた。問題は、今後も同様の、あるいはもっと悪質な嫌がらせが続く可能性があるということだ。

あの店は、今や彼にとっても、そして多くの部下たちにとっても、束の間の安らぎを得られる、かけがえのない場所となりつつあった。それを、くだらない嫉妬心で荒らされるのは、我慢がならなかった。

アレクシスは、目を開くと、執務室のベルを鳴らした。

「お呼びでしょうか、団長」

入ってきたのは、恰幅のいい、人の良さそうな笑顔を浮かべた副団長のダグラスだ。

「ダグラス。少し、気になることがある」

アレクシスの深刻な声色に、副団長は「はっ」と背筋を伸ばした。

「最近、この屯所周辺の治安が、少し緩んでいるように思う」

「はぁ? ご冗談を。この辺り一帯が、王都で最も安全な地区であることは、スリや置き引きの類ですら知っておりますが……」

副団長の至極もっともな返答を、アレクシスは冷たい視線で黙らせた。

「万が一、ということがあると言っている。特に、隣にできたあの新しい飲食店。民間人が多く集まる場所だ。何らかのトラブルに巻き込まれる可能性も否定できん」

アレクシスは、あくまで職務上の懸念であるという体で、言葉を続けた。

「よって、本日より、屯所周辺の巡回警備を現在の倍に増やす。特に、あの店に近づく不審な人物がいないか、厳重に監視するように。これは、全部隊に通達しろ。いいな」

「は、はぁ……。かしこまりました」

副団長は、敬礼しながらも、その口元はニヤニヤと緩んでいた。

(なるほど、なるほど。団長がえらく隣のカフェをご贔屓にされていると思ったら、そういうことですかい。いやはや、春ですなぁ)

もちろん、そんな内心はおくびにも出さず、彼は「直ちに手配いたします!」と力強く返事をすると、執務室を下がっていった。



翌日から、カフェ・アルケミスタの周辺では、奇妙な光景が見られるようになった。

「……カイ。なんだか最近、店の周りを巡回する騎士の方々が、やけに多くないかしら?」

「気のせいじゃないですぜ、マスター。昨日なんて、店の角と向かいの路地で、一日中騎士様が見張り……いや、警備してましたからね。何か大きな事件でもあったんですかねぇ?」

マリアンとカイは、首をかしげるばかりだった。

何も知らないマリアンは、店の前で警備に立つ騎士たちに、「皆様、いつも国の為にご苦労様です。よろしければ、休憩に一杯いかがですか?」と、温かいコーヒーを差し入れたりした。

騎士たちは、「い、いえ、我々は職務中ですので!」と恐縮しながらも、「……団長には、くれぐれも内密に……」と、実に嬉しそうにその申し出を受けるのだった。

そして、その日の夕方。

カラン、とベルの音と共に、噂の張本人が、いつもと変わらぬ無表情で店にやってきた。

「いらっしゃいませ、騎士団長様」

いつもの席に着いたアレクシスに、マリアンはコーヒーを出しながら、思い切って尋ねてみた。

「あの、騎士団長様。最近、この辺りの警備が大変厳重になったように思うのですが、何か事件でもあったのですか? わたくし、少し心配で……」

アレクシスは、マリアンの顔を見もせず、目の前のカップに視線を落としたまま、静かに答えた。

「……気のせいだろう」

「え……?」

「異常はない。万が一に備えるのが、我々の仕事だ。それだけのことだ」

マリアンは、(気のせいであんなに騎士の数が増えるものかしら)と腑に落ちない顔をしたが、彼がそれ以上話す気がないことを察し、追及するのはやめた。

しかし、彼女は気づいていた。

あのいちゃもん事件以来、店の周りで怪しい噂を流したり、じろじろと中を覗き込んだりするような不審な人物の姿を、ぱったりと見かけなくなったことに。

そして、目の前の男の、ぶっきらぼうな言葉の裏に隠された、不器用で、けれど確かな配慮に。

(……本当に、敵わない人だわ)

マリアンは、ふっと笑みをこぼすと、厨房から小さな皿を一枚持ってきた。

「こちらは、新作のチョコレートです。ビターなコーヒーによく合うかと」

それは、感謝の気持ちを込めて、彼のためだけに作った特別な一粒だった。

アレクシスは何も言わず、そのチョコレートを口に運ぶ。その横顔が、ほんの少しだけ和らいだように見えたのは、きっと気のせいではないだろうと、マリアンは思った。
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