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床に散らばるガラスの破片が、シャンデリアの光を反射してキラキラと輝いている。
まるで、打ちひしがれた悲劇のヒロインを照らし出すスポットライトのようだ。
(完璧ですわ…! この舞台演出、満点です!)
アリアは、冷たい床の上で蹲りながら、内心で自分の演技に酔いしれていた。
周囲からは、同情的な視線や、好奇の視線、そしてわずかな侮蔑の視線が突き刺さる。悪役令嬢の末路としては、これ以上ないほど理想的な状況だった。
「うぅ……うぅ……」
アリアは、か細くしゃくりあげる。
さあ、ここからがクライマックスだ。婚約を破棄された令嬢の、悲痛な叫びを聞かせてあげよう。
「ああ……なんということでしょう……わたくしの、わたくしの血と汗と涙の結晶であった、あの日々が……!」
声を震わせ、アリアは天を仰ぐ。
「毎朝5時に起きて歴史学を学び、午前中は大陸経済論と馬術の訓練、午後は刺繍にダンスレッスン、夜は外交儀礼の暗記……!」
アリアは、思い出すだけでも身の毛がよだつ王妃教育のスケジュールを、悲しみの声に乗せて朗々と語り始めた。
「あんなにも、あんなにも過酷なスケジュールを……わたくしは耐え抜いてきたというのに……! それが、こんな形で……!」
(無に帰してくれて、本当にありがとうございまぁす!)
心の中では感謝のサンバカーニバルが開催されていたが、もちろん表情は悲壮感に満ちている。
しかし、アリアの熱演とは裏腹に、会場の空気はどこか奇妙なものに変わりつつあった。
「……え?」
「今、悲しむべきはそこなのかしら……?」
「どちらかというと、過酷な日々からの解放を喜んでいるように聞こえなくも……」
ひそひそと交わされる囁きの内容が、少しずつアリアの想定からズレていく。
壇上で勝ち誇った表情を浮かべていたエリオットとリリアナでさえ、アリアの謎の嘆きにポカンとしていた。
「アリア……君は、何を言っているんだ……?」
エリオットが困惑の声を漏らす。
(あら? おかしいですわね。もっとわたくしを罵倒なさいな。「そんなもの、君の自業自得だ!」くらい言ってくれてもいいのに)
アリアは、シナリオ通りに進まない展開に少しだけ焦りを覚えた。
もしかして、悲しみの表現が足りなかったのかもしれない。
(仕方ありませんわね。もっと分かりやすく、絶望を表現してさしあげましょう)
アリアはすっくと立ち上がると、よろよろとおぼつかない足取りで壇上へと近づいた。
「エリオット様……! わたくしは、これからどうすれば良いのですか……!?」
潤んだ瞳で王子を見上げる。完璧なヒロインムーブだ。
「有り余るほどの自由な時間……! それを、一体何に使えと……!」
「えっ」
「朝は好きなだけ眠ることができ、昼は庭で薬草を育て、午後は厨房で心ゆくまでお菓子を焼ける……! そんな、そんな地獄のような日々を、わたくしに送れと仰るのですか!?」
アリアの悲痛な叫びに、会場は完全に沈黙した。
貴族たちは、目の前で繰り広げられる光景が理解できず、ただただ固まっている。
「……あの、アリア様?」
リリアナがおずおずと口を開く。
「それは、その……地獄、なのでしょうか……?」
「当たり前ではありませんか!」
アリアはリリアナをキッと睨みつける。
「あなたに分かりますの!? 膨大な課題と責務から解放された、この虚無感が! ああ、神よ! これからわたくしは、何を目標に生きていけば……! なんて不幸なのでしょう!」
「「「(どう見ても幸せそうだ…)」」」
その場にいた全員の心の声が、綺麗に一つになった瞬間だった。
エリオットは、もはやアリアに言葉をかける気力もないのか、こめかみを押さえて俯いている。
リリアナに至っては、自分が用意した「アリアを断罪し、悲劇のヒロインとして王子に寄り添う」という最高の舞台が、目の前の奇妙な女によって台無しにされていくのを呆然と見ているしかなかった。
「アリア」
その時、低く威厳のある声が会場に響いた。
声の主は、アリアの父親であるクライネルト公爵。いつの間にか彼は娘のすぐそばまで来ていた。
「お父様!」
アリアは待ってましたとばかりに父親に駆け寄る。
「ご覧くださいまし! わたくし、こんなにも酷い仕打ちを……!」
娘の茶番に、しかし公爵は眉一つ動かさない。
彼は大きなため息を一つ吐くと、アリアの脇にすっと腕を入れた。
「ひょい」
「えっ」
次の瞬間、アリアの体は、まるで小脇に抱えられた荷物のように、軽々と持ち上げられていた。
「みっともないぞ。帰る」
「ちょ、お待ちになってお父様! わたくしまだ悲劇のヒロインの演技が…! あっ、ドレスが! ドレスがはだけてしまいますわ!」
アリアの情けない抗議も虚しく、クライネルト公爵は娘を担いだまま、騒然とする会場を悠然と横切り去っていく。
その背中は、あまりにも手慣れていた。
残されたのは、主役を失った壇上の二人と何とも言えない微妙な空気に包まれた貴族たちだけ。
誰もが思った。
――あの悪役令嬢、思ったよりずっと残念な人だった、と。
リリアナが思い描いていた華麗な勝利の瞬間は、こうして一人の大根役者のせいで、締まらないコメディ劇のように幕を閉じたのだった。
まるで、打ちひしがれた悲劇のヒロインを照らし出すスポットライトのようだ。
(完璧ですわ…! この舞台演出、満点です!)
アリアは、冷たい床の上で蹲りながら、内心で自分の演技に酔いしれていた。
周囲からは、同情的な視線や、好奇の視線、そしてわずかな侮蔑の視線が突き刺さる。悪役令嬢の末路としては、これ以上ないほど理想的な状況だった。
「うぅ……うぅ……」
アリアは、か細くしゃくりあげる。
さあ、ここからがクライマックスだ。婚約を破棄された令嬢の、悲痛な叫びを聞かせてあげよう。
「ああ……なんということでしょう……わたくしの、わたくしの血と汗と涙の結晶であった、あの日々が……!」
声を震わせ、アリアは天を仰ぐ。
「毎朝5時に起きて歴史学を学び、午前中は大陸経済論と馬術の訓練、午後は刺繍にダンスレッスン、夜は外交儀礼の暗記……!」
アリアは、思い出すだけでも身の毛がよだつ王妃教育のスケジュールを、悲しみの声に乗せて朗々と語り始めた。
「あんなにも、あんなにも過酷なスケジュールを……わたくしは耐え抜いてきたというのに……! それが、こんな形で……!」
(無に帰してくれて、本当にありがとうございまぁす!)
心の中では感謝のサンバカーニバルが開催されていたが、もちろん表情は悲壮感に満ちている。
しかし、アリアの熱演とは裏腹に、会場の空気はどこか奇妙なものに変わりつつあった。
「……え?」
「今、悲しむべきはそこなのかしら……?」
「どちらかというと、過酷な日々からの解放を喜んでいるように聞こえなくも……」
ひそひそと交わされる囁きの内容が、少しずつアリアの想定からズレていく。
壇上で勝ち誇った表情を浮かべていたエリオットとリリアナでさえ、アリアの謎の嘆きにポカンとしていた。
「アリア……君は、何を言っているんだ……?」
エリオットが困惑の声を漏らす。
(あら? おかしいですわね。もっとわたくしを罵倒なさいな。「そんなもの、君の自業自得だ!」くらい言ってくれてもいいのに)
アリアは、シナリオ通りに進まない展開に少しだけ焦りを覚えた。
もしかして、悲しみの表現が足りなかったのかもしれない。
(仕方ありませんわね。もっと分かりやすく、絶望を表現してさしあげましょう)
アリアはすっくと立ち上がると、よろよろとおぼつかない足取りで壇上へと近づいた。
「エリオット様……! わたくしは、これからどうすれば良いのですか……!?」
潤んだ瞳で王子を見上げる。完璧なヒロインムーブだ。
「有り余るほどの自由な時間……! それを、一体何に使えと……!」
「えっ」
「朝は好きなだけ眠ることができ、昼は庭で薬草を育て、午後は厨房で心ゆくまでお菓子を焼ける……! そんな、そんな地獄のような日々を、わたくしに送れと仰るのですか!?」
アリアの悲痛な叫びに、会場は完全に沈黙した。
貴族たちは、目の前で繰り広げられる光景が理解できず、ただただ固まっている。
「……あの、アリア様?」
リリアナがおずおずと口を開く。
「それは、その……地獄、なのでしょうか……?」
「当たり前ではありませんか!」
アリアはリリアナをキッと睨みつける。
「あなたに分かりますの!? 膨大な課題と責務から解放された、この虚無感が! ああ、神よ! これからわたくしは、何を目標に生きていけば……! なんて不幸なのでしょう!」
「「「(どう見ても幸せそうだ…)」」」
その場にいた全員の心の声が、綺麗に一つになった瞬間だった。
エリオットは、もはやアリアに言葉をかける気力もないのか、こめかみを押さえて俯いている。
リリアナに至っては、自分が用意した「アリアを断罪し、悲劇のヒロインとして王子に寄り添う」という最高の舞台が、目の前の奇妙な女によって台無しにされていくのを呆然と見ているしかなかった。
「アリア」
その時、低く威厳のある声が会場に響いた。
声の主は、アリアの父親であるクライネルト公爵。いつの間にか彼は娘のすぐそばまで来ていた。
「お父様!」
アリアは待ってましたとばかりに父親に駆け寄る。
「ご覧くださいまし! わたくし、こんなにも酷い仕打ちを……!」
娘の茶番に、しかし公爵は眉一つ動かさない。
彼は大きなため息を一つ吐くと、アリアの脇にすっと腕を入れた。
「ひょい」
「えっ」
次の瞬間、アリアの体は、まるで小脇に抱えられた荷物のように、軽々と持ち上げられていた。
「みっともないぞ。帰る」
「ちょ、お待ちになってお父様! わたくしまだ悲劇のヒロインの演技が…! あっ、ドレスが! ドレスがはだけてしまいますわ!」
アリアの情けない抗議も虚しく、クライネルト公爵は娘を担いだまま、騒然とする会場を悠然と横切り去っていく。
その背中は、あまりにも手慣れていた。
残されたのは、主役を失った壇上の二人と何とも言えない微妙な空気に包まれた貴族たちだけ。
誰もが思った。
――あの悪役令嬢、思ったよりずっと残念な人だった、と。
リリアナが思い描いていた華麗な勝利の瞬間は、こうして一人の大根役者のせいで、締まらないコメディ劇のように幕を閉じたのだった。
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