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リリアナが放った悪意ある噂は、本来ならば一人の令嬢の評判を地に堕とすには十分すぎる威力を持っていた。
しかし、その相手がアリア・フォン・クライネルトであった場合、話は大きく変わってくる。
貴族たちが集う華やかなサロンでは、今、その噂が格好の娯楽として消費されていた。
「聞いたかい? クライネルト公爵令嬢の、新しい伝説を」
「ああ、リリアナ嬢を脅迫したという、あの話か。実にアリア様らしくない、月並みな手口だとは思わんかね?」
葉巻を燻らせながら、一人の伯爵が退屈そうに言う。
それに、隣に座っていた貴婦人が、扇を優雅に揺らしながら応じた。
「ええ、本当に。あのアリア様ですもの。もし本気でリリアナ様を疎ましく思われたなら、もっとこう……芸術的な方法をお取りになるはずですわ」
「ほう、芸術的とは?」
「例えば、リリアナ様が主催するお茶会の日を狙って、最高級の蜂蜜を積んだ馬車を暴走させ、会場の庭を蜂だらけにするとか」
「はっはっは! それは面白い! だが私なら、リリアナ嬢の実家の領地にしかないという珍しい蝶を根こそぎ捕獲し、隣国に高値で売りさばく、という方に賭けるな!」
もはや、それはゴシップですらない。
『もしもアリア様が悪役令嬢だったら』という、一種の思考遊戯、大喜利のようなものだった。
リリアナの涙の告白は、皮肉にも、アリアの奇人変人としての名声を、さらに確固たるものにしてしまったのだ。
◇
一方、そんな噂の中心人物であるアリア本人は、そんな騒動が巻き起こっていることなど露知らず、クライネルト公爵家の広大な庭の一角で、土と戯れていた。
「うふふ、うふふふ……! もう少しですわ……!」
泥だらけの顔で、アリアは恍惚の表情を浮かべている。
目の前には、彼女が愛情を込めて耕した、新しい薬草畑が広がっていた。
「ここに、先日手に入れた『月光茸』の菌床を植えれば……わたくしの『不眠解消ポーション・コレクション』が、また一つ充実しますわね!」
そこへ、一人の侍女が心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「お嬢様! 大変でございます! また街で、お嬢様に関する良からぬ噂が……!」
「まあ!」
アリアはぱっと顔を上げた。その瞳は期待に満ちて輝いている。
「わたくしの悪役令嬢としての名声が、また上がってしまったということですのね!」
「えっ、あの、そういうことでは……」
侍女は、噂の内容――脅迫事件についておずおずと報告する。
それを聞いたアリアは、ぽかんとした後、きゃっきゃっと声を上げて笑い出した。
「脅迫ですって!? なんてことでしょう! わたくし、そんな恐ろしいこと、これまで一度も思いつきもしませんでしたわ!」
彼女は感心したように、うんうんと頷いている。
「皆様、わたくしのことを買いかぶりすぎですわ! わたくしには、そんな高度な悪役ムーブはできませんことよ!」
噂の内容を、自分の悪役としての潜在能力が高く評価されたと、見事にポジティブ変換してしまう。
彼女にとって、リリアナに流された噂は、悩むどころか、むしろ少し名誉なことだったのだ。
◇
時を同じくして、王国騎士団の詰め所。
ゼノンの執務室にも、その噂は届いていた。
「団長、聞きましたか? 例のクライネルト公爵令嬢が、今度はエリオット殿下の新しいお相手を脅迫したとかで、もっぱらの噂ですよ」
副官が、面白くてたまらないといった様子で報告する。
しかし、ゼノンは山積みの書類から顔を上げることなく、冷たく一蹴した。
「……あの女に、そんな回りくどい真似ができるとは思えん」
「あはは! ですよねー!」
副官は腹を抱えて笑う。
「あの方なら、脅迫なんて面倒なことするより先に、手が、いえ、足が出てそうですもんね。チンピラを投げ飛ばした時のように!」
ゼノンは、何も答えずに深いため息を一つだけついた。
最近、彼の頭痛の種は、九割九分、アリア・フォン・クライネルトという存在によって引き起こされていた。
もちろん、その噂はエリオット王子の耳にも入っていた。
リリアナは、彼の前でここぞとばかりに涙を流し、アリアの非道を訴えた。
「エリオット様、聞いてくださいまし……! アリア様が、わたくしを……!」
だが、エリオットの反応は、彼女が期待したものとは違っていた。
彼の脳裏には、卒業パーティーで奇妙な嘆き節を披露したアリアの姿や、後日アカデミーで見せた、一点の曇りもない晴れやかな笑顔が焼き付いて離れない。
(アリアが……脅迫? あの、私との婚約がなくなって、心の底から嬉しそうにしていたアリアが、今さらリリアナに嫉妬など……するのだろうか?)
どうしても、信じることができない。
エリオットは、自分がアリアという人間を、全く何一つ理解していなかったという事実に今更ながら気づき始めていた。
結局、リリアナが仕掛けた渾身の悪評工作は、誰一人として本気にすることなく、ただアリアの「奇人変人伝説」に新たな逸話を加えるだけで空しく終わった。
当のアリアは、そんなこととはつゆ知らず、畑で収穫したばかりの薬草を手に目を輝かせていた。
「さあ、今夜はこれを調合して、団長様に差し入れする『疲労回復クッキー・バージョン2』をお作りしませんとね!」
ゼノンの新たな受難が、すぐそこまで迫っていることをまだ誰も知らなかった。
しかし、その相手がアリア・フォン・クライネルトであった場合、話は大きく変わってくる。
貴族たちが集う華やかなサロンでは、今、その噂が格好の娯楽として消費されていた。
「聞いたかい? クライネルト公爵令嬢の、新しい伝説を」
「ああ、リリアナ嬢を脅迫したという、あの話か。実にアリア様らしくない、月並みな手口だとは思わんかね?」
葉巻を燻らせながら、一人の伯爵が退屈そうに言う。
それに、隣に座っていた貴婦人が、扇を優雅に揺らしながら応じた。
「ええ、本当に。あのアリア様ですもの。もし本気でリリアナ様を疎ましく思われたなら、もっとこう……芸術的な方法をお取りになるはずですわ」
「ほう、芸術的とは?」
「例えば、リリアナ様が主催するお茶会の日を狙って、最高級の蜂蜜を積んだ馬車を暴走させ、会場の庭を蜂だらけにするとか」
「はっはっは! それは面白い! だが私なら、リリアナ嬢の実家の領地にしかないという珍しい蝶を根こそぎ捕獲し、隣国に高値で売りさばく、という方に賭けるな!」
もはや、それはゴシップですらない。
『もしもアリア様が悪役令嬢だったら』という、一種の思考遊戯、大喜利のようなものだった。
リリアナの涙の告白は、皮肉にも、アリアの奇人変人としての名声を、さらに確固たるものにしてしまったのだ。
◇
一方、そんな噂の中心人物であるアリア本人は、そんな騒動が巻き起こっていることなど露知らず、クライネルト公爵家の広大な庭の一角で、土と戯れていた。
「うふふ、うふふふ……! もう少しですわ……!」
泥だらけの顔で、アリアは恍惚の表情を浮かべている。
目の前には、彼女が愛情を込めて耕した、新しい薬草畑が広がっていた。
「ここに、先日手に入れた『月光茸』の菌床を植えれば……わたくしの『不眠解消ポーション・コレクション』が、また一つ充実しますわね!」
そこへ、一人の侍女が心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「お嬢様! 大変でございます! また街で、お嬢様に関する良からぬ噂が……!」
「まあ!」
アリアはぱっと顔を上げた。その瞳は期待に満ちて輝いている。
「わたくしの悪役令嬢としての名声が、また上がってしまったということですのね!」
「えっ、あの、そういうことでは……」
侍女は、噂の内容――脅迫事件についておずおずと報告する。
それを聞いたアリアは、ぽかんとした後、きゃっきゃっと声を上げて笑い出した。
「脅迫ですって!? なんてことでしょう! わたくし、そんな恐ろしいこと、これまで一度も思いつきもしませんでしたわ!」
彼女は感心したように、うんうんと頷いている。
「皆様、わたくしのことを買いかぶりすぎですわ! わたくしには、そんな高度な悪役ムーブはできませんことよ!」
噂の内容を、自分の悪役としての潜在能力が高く評価されたと、見事にポジティブ変換してしまう。
彼女にとって、リリアナに流された噂は、悩むどころか、むしろ少し名誉なことだったのだ。
◇
時を同じくして、王国騎士団の詰め所。
ゼノンの執務室にも、その噂は届いていた。
「団長、聞きましたか? 例のクライネルト公爵令嬢が、今度はエリオット殿下の新しいお相手を脅迫したとかで、もっぱらの噂ですよ」
副官が、面白くてたまらないといった様子で報告する。
しかし、ゼノンは山積みの書類から顔を上げることなく、冷たく一蹴した。
「……あの女に、そんな回りくどい真似ができるとは思えん」
「あはは! ですよねー!」
副官は腹を抱えて笑う。
「あの方なら、脅迫なんて面倒なことするより先に、手が、いえ、足が出てそうですもんね。チンピラを投げ飛ばした時のように!」
ゼノンは、何も答えずに深いため息を一つだけついた。
最近、彼の頭痛の種は、九割九分、アリア・フォン・クライネルトという存在によって引き起こされていた。
もちろん、その噂はエリオット王子の耳にも入っていた。
リリアナは、彼の前でここぞとばかりに涙を流し、アリアの非道を訴えた。
「エリオット様、聞いてくださいまし……! アリア様が、わたくしを……!」
だが、エリオットの反応は、彼女が期待したものとは違っていた。
彼の脳裏には、卒業パーティーで奇妙な嘆き節を披露したアリアの姿や、後日アカデミーで見せた、一点の曇りもない晴れやかな笑顔が焼き付いて離れない。
(アリアが……脅迫? あの、私との婚約がなくなって、心の底から嬉しそうにしていたアリアが、今さらリリアナに嫉妬など……するのだろうか?)
どうしても、信じることができない。
エリオットは、自分がアリアという人間を、全く何一つ理解していなかったという事実に今更ながら気づき始めていた。
結局、リリアナが仕掛けた渾身の悪評工作は、誰一人として本気にすることなく、ただアリアの「奇人変人伝説」に新たな逸話を加えるだけで空しく終わった。
当のアリアは、そんなこととはつゆ知らず、畑で収穫したばかりの薬草を手に目を輝かせていた。
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