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嘆きの森を抜けてから丸一日、馬車に揺られ続けた私たちの目の前についに隣国アークライトの王都がその姿を現した。
「……まあ……!」
私は、思わず感嘆の声を漏らした。
私の故郷であるエルクハルトの王都が、古き良き伝統と華やかさを誇る都だとすれば、アークライトの王都は、質実剛健ながらも、洗練された機能美に満ちた都だった。どこまでも高くそびえる白亜の城壁、規則正しく区画整理された美しい街並み、そして、その道を活き活きと行き交う人々。
馬車が王都の正門をくぐると、沿道に集まっていた民衆から、割れんばかりの歓声が上がった。
「ゼノン様だ! 騎士団長がお帰りになられたぞ!」
「団長、万歳!」
ゼノンさんは、民衆の熱狂的な歓迎に、馬上から静かに手を振って応えている。その姿は、英雄そのものだった。やがて、人々の視線は、彼の隣で馬を進める、見慣れぬ異国の女性――つまり、私へと注がれる。
「あの方が、騎士団長様が直々にエスコートされているという賓客か」
「なんてお美しい方だ……」
好奇心と歓迎の入り混じった視線に、私は少しだけ緊張しながらも、背筋を伸ばし、穏やかに微笑んでみせた。
私が滞在することになったのは、王城に隣接する、まるで小さな宮殿のような壮麗な貴賓館だった。案内された部屋の、天蓋付きのベッドや、美しい調度品の数々に、私はただただ目が丸くなるばかり。テーブルの上には、歓迎の意を示す色とりどりの花々と、心のこもった贈り物が山のように置かれていた。
旅の疲れを癒すため、侍女が淹れてくれたハーブティーを飲んでいると、別の侍女が、少し慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「お客様! 大変にございます! アークライト公爵様ご一家が、お客様へのご挨拶にと、ただいまこちらへお見えになられました!」
「えっ!?」
アークライト公爵家。それは、ゼノンさんのご実家であり、この国で王家に次ぐ、最も高貴な家門だ。心の準備もできていない突然の訪問に、私は慌てて立ち上がり、身支度を整えた。
貴賓館の豪奢な応接室へ通されると、そこには、ゼノンさんと、三人の見知らぬ方々が待っていた。
ゼノンさんによく似た、厳格な面差しと鋭い瞳を持つ壮年の男性。きっと、お父君のアークライト公爵様だろう。その隣には、穏やかで気品のある、美しいご婦人。そして、ゼノンさんの後ろに隠れるようにして、好奇心に満ちた大きな瞳で、こちらをじっと見つめている、可憐な少女。
私は、一瞬、息をのむほどの緊張を感じたが、ここで臆するわけにはいかない。私はクライン公爵家の娘なのだから。
ゆっくりと部屋の中央まで進み、淑女の最高礼である、完璧なカーテシーをとる。
「この度は、お招きいただき、誠にありがとうございます。わたくし、エルクハルト王国より参りました、アルカ・フォン・クラインと申します。アークライト公爵閣下、並びに皆様におかれましては、ますますご健勝のことと、心よりお慶び申し上げます」
私の堂々とした挨拶に、アークライト公爵が、ほう、と感心したように息を漏らしたのがわかった。
場の緊張をほぐすように、穏やかな声で話しかけてくれたのは、公爵夫人だった。
「まあ、アルカ様。どうぞ、お顔を上げてちょうだい。ゼノンから、あなたのことを、それはもう、たくさん伺っておりましたのよ。長旅、お疲れになったでしょう」
夫人の優しい言葉に、私はようやく顔を上げた。
「それに、素晴らしいお菓子をお作りになるのですって? この国は、主人も、この子も、そしてゼノンも、皆甘いものが大好きですの。あなたのいらっしゃるのを、家族みんなで、それはもう楽しみにしておりましたのよ」
「お母様、そのようなことまで……」
ゼノンさんが、少し困ったように頬を掻いている。騎士団長としてではない、ただの息子としての一面を垣間見て、私の緊張も、少しだけ解けていく。
その時だった。今までお兄様の後ろに隠れていた妹君――リゼット様が、ぱたぱたと私に駆け寄ってきた。
「アルカ様! わたくし、リゼットと申します! あの、本当ですの!? お兄様が、お手紙で……」
「リゼット!」
ゼノンさんの慌てたような制止の声も聞かず、リゼット様は、目をきらきらと輝かせながら、一気にまくしたてた。
「お兄様が、お手紙で、あなたのことを『聡明で、芯が強く、そして何より、彼女の作る菓子は、食べた者を幸せにする魔法がかかっている』なんて書くものですから、わたくし、どんな素敵な魔法使いの方かと思っておりましたの!」
「……え?」
「リゼット! 余計なことを言うなとあれほど言っただろう!」
ゼノンさんが、顔を真っ赤にして妹を叱っている。
私は私で、リゼット様の爆弾発言に耳まで熱くなるのを感じていた。聡明で芯が強く幸せにする魔法……。彼が私のことをそんな風に……。
アークライト公爵は、そんな私たち三人の様子を厳しいながらもどこか面白そうな生暖かい目で見守っていた。そして、ごほんと一つ咳払いをすると私に向き直った。
「……ふん。息子が、随分と世話になったようだな。建国祭での働き期待しているぞクライン公爵令嬢」
それは、ぶっきらぼうなしかし確かに私を認める温かさのこもった言葉だった。
その夜。
一人になった部屋の、広すぎるベッドに身を横たえ、私は今日一日を振り返っていた。
騎士団長としての、英雄の顔。そして、家族に見せるただの息子ただの兄としての少しだけ不器用な素顔。
彼の様々な面を知るたびに、どうしようもなく彼に惹かれていく自分に私はもう気づかないふりはできなかった。
明日から、いよいよ建国祭が始まる。私に与えられたデザート監修という大役。
(見ていてくださいな、ゼノンさん。あなたの国をあなたの愛する人たちを。私の魔法でもっともっと幸せにしてさしあげますわ)
私は胸に込み上げる温かい決意と共に、アークライトでの最初の夜の深い眠りへと落ちていった。
「……まあ……!」
私は、思わず感嘆の声を漏らした。
私の故郷であるエルクハルトの王都が、古き良き伝統と華やかさを誇る都だとすれば、アークライトの王都は、質実剛健ながらも、洗練された機能美に満ちた都だった。どこまでも高くそびえる白亜の城壁、規則正しく区画整理された美しい街並み、そして、その道を活き活きと行き交う人々。
馬車が王都の正門をくぐると、沿道に集まっていた民衆から、割れんばかりの歓声が上がった。
「ゼノン様だ! 騎士団長がお帰りになられたぞ!」
「団長、万歳!」
ゼノンさんは、民衆の熱狂的な歓迎に、馬上から静かに手を振って応えている。その姿は、英雄そのものだった。やがて、人々の視線は、彼の隣で馬を進める、見慣れぬ異国の女性――つまり、私へと注がれる。
「あの方が、騎士団長様が直々にエスコートされているという賓客か」
「なんてお美しい方だ……」
好奇心と歓迎の入り混じった視線に、私は少しだけ緊張しながらも、背筋を伸ばし、穏やかに微笑んでみせた。
私が滞在することになったのは、王城に隣接する、まるで小さな宮殿のような壮麗な貴賓館だった。案内された部屋の、天蓋付きのベッドや、美しい調度品の数々に、私はただただ目が丸くなるばかり。テーブルの上には、歓迎の意を示す色とりどりの花々と、心のこもった贈り物が山のように置かれていた。
旅の疲れを癒すため、侍女が淹れてくれたハーブティーを飲んでいると、別の侍女が、少し慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「お客様! 大変にございます! アークライト公爵様ご一家が、お客様へのご挨拶にと、ただいまこちらへお見えになられました!」
「えっ!?」
アークライト公爵家。それは、ゼノンさんのご実家であり、この国で王家に次ぐ、最も高貴な家門だ。心の準備もできていない突然の訪問に、私は慌てて立ち上がり、身支度を整えた。
貴賓館の豪奢な応接室へ通されると、そこには、ゼノンさんと、三人の見知らぬ方々が待っていた。
ゼノンさんによく似た、厳格な面差しと鋭い瞳を持つ壮年の男性。きっと、お父君のアークライト公爵様だろう。その隣には、穏やかで気品のある、美しいご婦人。そして、ゼノンさんの後ろに隠れるようにして、好奇心に満ちた大きな瞳で、こちらをじっと見つめている、可憐な少女。
私は、一瞬、息をのむほどの緊張を感じたが、ここで臆するわけにはいかない。私はクライン公爵家の娘なのだから。
ゆっくりと部屋の中央まで進み、淑女の最高礼である、完璧なカーテシーをとる。
「この度は、お招きいただき、誠にありがとうございます。わたくし、エルクハルト王国より参りました、アルカ・フォン・クラインと申します。アークライト公爵閣下、並びに皆様におかれましては、ますますご健勝のことと、心よりお慶び申し上げます」
私の堂々とした挨拶に、アークライト公爵が、ほう、と感心したように息を漏らしたのがわかった。
場の緊張をほぐすように、穏やかな声で話しかけてくれたのは、公爵夫人だった。
「まあ、アルカ様。どうぞ、お顔を上げてちょうだい。ゼノンから、あなたのことを、それはもう、たくさん伺っておりましたのよ。長旅、お疲れになったでしょう」
夫人の優しい言葉に、私はようやく顔を上げた。
「それに、素晴らしいお菓子をお作りになるのですって? この国は、主人も、この子も、そしてゼノンも、皆甘いものが大好きですの。あなたのいらっしゃるのを、家族みんなで、それはもう楽しみにしておりましたのよ」
「お母様、そのようなことまで……」
ゼノンさんが、少し困ったように頬を掻いている。騎士団長としてではない、ただの息子としての一面を垣間見て、私の緊張も、少しだけ解けていく。
その時だった。今までお兄様の後ろに隠れていた妹君――リゼット様が、ぱたぱたと私に駆け寄ってきた。
「アルカ様! わたくし、リゼットと申します! あの、本当ですの!? お兄様が、お手紙で……」
「リゼット!」
ゼノンさんの慌てたような制止の声も聞かず、リゼット様は、目をきらきらと輝かせながら、一気にまくしたてた。
「お兄様が、お手紙で、あなたのことを『聡明で、芯が強く、そして何より、彼女の作る菓子は、食べた者を幸せにする魔法がかかっている』なんて書くものですから、わたくし、どんな素敵な魔法使いの方かと思っておりましたの!」
「……え?」
「リゼット! 余計なことを言うなとあれほど言っただろう!」
ゼノンさんが、顔を真っ赤にして妹を叱っている。
私は私で、リゼット様の爆弾発言に耳まで熱くなるのを感じていた。聡明で芯が強く幸せにする魔法……。彼が私のことをそんな風に……。
アークライト公爵は、そんな私たち三人の様子を厳しいながらもどこか面白そうな生暖かい目で見守っていた。そして、ごほんと一つ咳払いをすると私に向き直った。
「……ふん。息子が、随分と世話になったようだな。建国祭での働き期待しているぞクライン公爵令嬢」
それは、ぶっきらぼうなしかし確かに私を認める温かさのこもった言葉だった。
その夜。
一人になった部屋の、広すぎるベッドに身を横たえ、私は今日一日を振り返っていた。
騎士団長としての、英雄の顔。そして、家族に見せるただの息子ただの兄としての少しだけ不器用な素顔。
彼の様々な面を知るたびに、どうしようもなく彼に惹かれていく自分に私はもう気づかないふりはできなかった。
明日から、いよいよ建国祭が始まる。私に与えられたデザート監修という大役。
(見ていてくださいな、ゼノンさん。あなたの国をあなたの愛する人たちを。私の魔法でもっともっと幸せにしてさしあげますわ)
私は胸に込み上げる温かい決意と共に、アークライトでの最初の夜の深い眠りへと落ちていった。
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