天才すぎる王子様を愛でるには、婚約者の座は邪魔なのです!

夏乃みのり

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「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」

王宮のテラス。

夜風が吹き抜ける静かな空間で、私はドレスの裾を乱暴に掴みながら肩で息をしていた。

失敗した。

完敗だ。

あんなに練習した「高笑い」も、夜なべして考えた「パラパラ漫画の罪」も、すべてサヴァラン様という巨大な才能の前では無力だった。

「どうして……どうしてこうなるのよぉぉぉ!」

私は手すりをバン!と叩いた。

痛い。

手が痺れたけど、心の痛みに比べれば蚊に刺されたようなものだ。

「ブリオッシュ。手すりが可哀想だよ」

背後から、憎らしいほど落ち着いた声が聞こえた。

振り返ると、サヴァラン様がグラスを二つ持って立っている。

月の光を浴びたその姿は、神々しいほど美しい。

悔しいけれど、やっぱり顔が良い。

「……サヴァラン様。わたくし、放っておいてくださいと言いましたわよね?」

「君が面白い動きをしているのに、放っておけるわけがないだろう。ほら、喉が渇いただろう?」

彼は優雅な手つきで、私にグラスを差し出した。

中身は最高級の葡萄ジュースだ。

私の好みを完璧に把握しているあたりが、さらに腹立たしい。

「……いただきます」

毒が入っているわけでもなし、私はふてくされながらグラスを受け取り、一気に飲み干した。

「ぷはっ! ……で、何のご用ですか? わたくしの滑稽な姿を笑いにいらしたんですか?」

「まさか。賞賛しに来たんだ」

「賞賛?」

「ああ。あの『クッション材』の発想は素晴らしい。人間工学に基づいた疲労軽減のアイデアだ。すぐに軍靴に応用させるよう手配したよ」

「軍事利用しないでくださいまし!?」

私は素っ頓狂な声を上げた。

ただの嫌がらせが、なぜ国の軍事力強化に繋がるのよ。

天才の連想ゲーム、怖すぎる。

「それに、パラパラ漫画だ。あれは動画技術の基礎になり得る。君は天才だよ、ブリオッシュ」

サヴァラン様は真剣な眼差しで私を見つめた。

その碧眼には、一点の曇りもない。

本気だ。

この人、本気で私を褒めている。

「……違います」

私は首を振った。

「違います、サヴァラン様。わたくしは天才などではありません。ただの、性格の悪い、卑屈で、あなたの隣にふさわしくないゴミ屑です!」

「自己評価が低いな」

「低いのではありません! 客観的事実です!」

私はグラスをサイドテーブルに置き、彼に詰め寄った。

この際だ。

私の熱い想い(という名の狂気)をぶつけて、彼に引いてもらうしかない。

「いいですか、サヴァラン様。あなたは太陽なのです。完全無欠の恒星なのです!」

「……ほう?」

「対してわたくしは、その辺の石ころ! いえ、石ころについた苔! 太陽の隣に苔があったらどうなります? 干からびて美観を損ねるだけですわ!」

私は両手を広げ、熱弁を振るう。

「あなたの完璧な経歴には、『完璧な王妃』が必要なのです。タルト様のような素朴で可愛らしい女性こそが、あなたの癒やしになるんです! わたくしのようなノイズは、速やかに排除されるべきなんです!」

「ふむ」

サヴァラン様は顎に手を当て、私の演説を聞いている。

「つまり君は、僕のためを思って、自ら悪役を演じて身を引こうとしたと?」

「そうです!」

「僕の隣にいることが、僕にとって不利益だと?」

「その通りです! 理解していただけましたか!?」

私は期待を込めて彼を見上げた。

さあ、天才なら分かるはずだ。

損益分岐点を計算して。

リスク管理をして。

私という不良債権を切り捨てるのが合理的だと判断して!

サヴァラン様はしばしの沈黙の後、ふっ、と短く笑った。

そして、夜空を見上げながら呟くように言った。

「……なるほど。君の理論は分かった」

「!」

「確かに、君の言う通りかもしれない。僕は完璧を求められている。ならば、妻となる女性もまた、完璧な経歴であるべきかもしれないな」

きた。

きたきたきた!

論理が通じた!

私は心臓が早鐘を打つのを感じながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「そ、そうでしょう? ならば……」

「ああ」

サヴァラン様は私に向き直り、これ以上ないほど冷徹で、無表情な顔をした。

その瞳から、感情の色が消える。

背筋がゾクリとするような、王者の覇気。

彼は低い声で告げた。

「分かった。そこまで言うなら、望み通りにしてやろう」

「えっ……」

「婚約は破棄だ。ブリオッシュ」

時が止まった。

世界から音が消えた。

聞こえたのは、私の頭の中でファンファーレが鳴り響く音だけ。

やった。

やったああああああああ!

ついに!

ついに言わせた!

あの天才王子の口から、言質を取った!

私の完全勝利だ!

私は歓喜のあまり、危うくその場でブレイクダンスを踊りそうになるのを必死で堪えた。

顔がにやける。

口元が緩む。

いけない、悲しむフリをしなきゃ。

「そ、そうですか……残念ですが……サヴァラン様の……ご決断なら……ぐふっ」

ダメだ、笑いが漏れる。

私は両手で顔を覆い、震える声(笑いを堪えているだけ)で言った。

「うぅ……謹んで、お受けいたしますわ……!」

「……」

「これでわたくしは自由……いえ、追放される身……。さようなら、サヴァラン様。お元気で……!」

私は踵を返し、一目散に立ち去ろうとした。

早く実家に帰って、赤飯を炊かなくちゃ!

しかし。

ガシッ。

私の手首が、背後から掴まれた。

「……どちらへ?」

「え? いえ、婚約破棄されたので、実家に帰ろうかと」

振り返ると、そこには――。

ニヤニヤと楽しそうに笑う、悪魔のようなサヴァラン様の顔があった。

「――なんて言うとでも思ったかい?」

「……はい?」

私は瞬きをした。

思考が追いつかない。

今、なんて?

「冗談だよ、ブリオッシュ。僕が君を手放すわけないだろう」

サヴァラン様は私の手首を引き寄せ、そのまま私の腰を抱き寄せた。

至近距離。

鼻先が触れそうな距離で、彼は甘く囁く。

「君が今、心の中で『やったー!』と叫んでガッツポーズをしたのが手に取るように分かったよ。本当に分かりやすいね、君は」

「なっ……!?」

読まれていた!?

「君のその『推し活』とやらの情熱。そして、僕のために身を引こうとする歪んだ献身。……最高に面白いじゃないか」

「お、面白がらないでください!」

「無理だね。君は僕の最高の玩具(おもちゃ)……じゃなかった、最愛の婚約者だ。一生、僕の暇つぶしに付き合ってもらうよ」

彼は私の額に、チュッと音を立てて口づけをした。

私は真っ赤になって硬直する。

「さあ、夜も遅い。今日はもう帰りなさい。……次また、僕を楽しませる『悪事』を思いついたら、いつでも披露しに来てくれ。楽しみに待っているから」

サヴァラン様は満足げに手を離すと、ヒラヒラと手を振って広間の方へと戻っていった。

テラスに残されたのは、真っ白に燃え尽きた私だけ。

「……あ、あの……嘘つき……」

力が抜けて、その場にへたり込む。

婚約破棄は?

私の自由は?

全部、彼の手のひらの上?

「……キィーーーーッ!!」

私は夜空に向かって叫んだ。

「覚えてらっしゃいサヴァラン様! 今回は負けましたけど、次は負けませんからね! 絶対、絶対にあなたに『もう無理、別れてくれ』って泣いて頼ませてやりますわーーーっ!」

私の絶叫は、虚しく王宮の庭園に吸い込まれていった。

天才王子との攻防戦。

その第一ラウンドは、私の完膚なきまでの敗北で幕を閉じたのである。
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