天才すぎる王子様を愛でるには、婚約者の座は邪魔なのです!

夏乃みのり

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王宮からの帰り道。

ガタゴトと揺れる馬車の中で、私はふかふかのシートに顔を埋めていた。

「うぅぅ……死にたい……」

うめき声が漏れる。

今夜の失態が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

パラパラ漫画。

中敷きクッション。

そして、サヴァラン様のあの楽しそうな笑顔。

『君は天才だよ、ブリオッシュ』

「違うのよぉぉぉ! 私は嫌われたいの! ゴミを見るような目で見下されたいのよぉぉ!」

ジタバタと足を暴れさせると、向かいの席から冷ややかな声が降ってきた。

「お嬢様。馬車が揺れますので、暴れるのはお控えください」

顔を上げると、そこには私の専属執事、クロワッサンが座っていた。

黒の執事服を完璧に着こなし、銀縁眼鏡の奥から冷静な瞳でこちらを見ている。

私の幼馴染であり、公爵家の筆頭執事であり、そして私の奇行の数々を知り尽くしている唯一の人物だ。

「クロワッサン! 聞いてよ! 作戦失敗よ!」

「はい、存じております。王宮の従僕ネットワークから速報が入りました。『ブリオッシュ嬢、王太子殿下とテラスで熱い抱擁。婚約は継続』と」

「情報が早すぎるわよ! しかも『熱い抱擁』って何!? あれは捕獲されただけよ!」

「世間ではそれを抱擁と呼びます」

クロワッサンは手元の水筒から、慣れた手つきで温かい紅茶を注いでくれた。

湯気とともに、ハーブの香りが漂う。

胃薬入りの特製ハーブティーだ。

最近、これを飲むのが日課になってしまっている。

「……で、どうしてあんな斜め上の結果になったのですか? リハーサルでは完璧だったはずでしょう」

「そうなのよ! 私の演技は完璧だったわ。タルト様をいじめる悪役令嬢、そのものだったはずよ」

私は紅茶を受け取りながら、悔しそうに唇を尖らせた。

「でも、サヴァラン様の解釈が天才すぎたのよ! 嫌がらせを『支援』と受け取るなんて、凡人の私には想像もつかないわ!」

「まあ、殿下ですからね」

「そう、殿下だから仕方ないの! あの方の思考回路は宇宙レベルなんだから!」

私は興奮して身を乗り出した。

「いい? クロワッサン。サヴァラン様はこの国の宝なのよ。一秒たりとも無駄な時間を使わせてはいけないの」

「はい」

「なのに、私ごときとの婚約なんて、人生の浪費でしかないわ! だから私が悪役になって、彼を解放してあげなきゃいけないの!」

「……お嬢様」

クロワッサンが深いため息をついた。

その表情には、隠しきれない疲労の色が滲んでいる。

「その『推し活』とやらの理屈、何度聞いても理解に苦しみます」

「あら、単純明快よ」

私は指を一本立てて、熱弁を振るう。

「推しには幸せになってほしい。これは真理よね?」

「ええ、まあ」

「サヴァラン様にとっての幸せとは、その才能を遺憾なく発揮できる環境に身を置くこと。つまり、優秀で、お淑やかで、彼の邪魔をしない聖女のような女性と結ばれることよ!」

「はあ」

「対して私はどう? お菓子作りと食べ歩きが趣味の、ただの公爵令嬢よ? 何の役にも立たないわ!」

「お嬢様は領地経営の補佐もなさっていますし、語学も堪能ですが」

「そんなの公爵令嬢なら標準装備よ! サヴァラン様の隣に立つには、スペックが足りなさすぎるの!」

私は拳を握りしめた。

「だからこそ、私は彼に『最高の別れ』をプレゼントしたいの。ただの婚約破棄じゃダメ。彼が『やれやれ、とんだ性悪女だったな』と笑い話にできるような、エンターテインメント性あふれる別れをね!」

「……その結果が、あの中敷きクッションですか」

「そうよ! ……まあ、軍事利用されるとは思わなかったけど」

クロワッサンは眼鏡の位置を直しながら、呆れたように言った。

「お嬢様。一つ確認してもよろしいですか」

「何?」

「お嬢様ご自身は、殿下のことがお嫌いなのですか?」

ドキリとした。

私は紅茶のカップを持つ手を止めた。

嫌い?

まさか。

「……嫌いなわけ、ないじゃない」

私は小さな声で答えた。

「大好きよ。世界で一番、愛しているわ」

初めて彼を見たあの日から。

幼い私が迷子になって泣いていた時、彼が魔法で光る蝶を出して慰めてくれたあの日から。

私はずっと、彼に恋焦がれている。

「でも……だからこそよ」

私は俯いた。

「好きだからこそ、邪魔になりたくないの。私の存在が、彼の輝かしい未来のノイズになるなんて、耐えられないわ」

重苦しい沈黙が流れた。

馬車の車輪の音だけが、ゴトゴトと響いている。

やがて、クロワッサンが静かに口を開いた。

「……難儀な性分ですね」

「うるさいわね」

「ですが、お嬢様。殿下も相当な変わり者です。もしかしたら、お嬢様が思っている以上に、殿下はお嬢様のことを……」

「ないないない!」

私はかぶりを振った。

「天才の気まぐれよ! 珍獣珍しさに構っているだけ! 飽きたらすぐに捨てられるわ。……だから、捨てられる前に、こちらから華々しく散るのよ!」

クロワッサンは「はぁ」と、本日二度目の深いため息をついた。

「分かりました。お嬢様の気が済むまでお付き合いしますよ。……で、明日は何をするおつもりで?」

「ふふん、聞いて驚きなさい」

私はニヤリと笑った。

今日の失敗を踏まえて、すでに次のプランは練ってある。

サヴァラン様は「物理的な嫌がらせ」を「発明」と捉えてしまった。

ならば、次は精神的なダメージを与えるしかない。

「明日は、王都の視察と称して街へ出るわ」

「街へ?」

「ええ。そこで『悪役令嬢らしい』振る舞いをして、民衆からの評判を地に落とすのよ!」

「……具体的には?」

「パン屋のパンを買い占める!」

私は高らかに宣言した。

「庶民の主食であるパンを独占し、飢えに苦しむ人々を見て高笑いするの! どう!? これぞ悪女の所業でしょう!」

クロワッサンは無表情のまま、手帳を取り出してメモを取り始めた。

「パンの買い占め……ですか。承知しました。では、明日の朝までに王都の人気ベーカリーをリストアップしておきます」

「えっ、手伝ってくれるの?」

「お嬢様がお一人で実行されると、計算を間違えて店ごと買い取りかねませんからね。私が管理します」

「さすがクロワッサン! 有能!」

「お褒めに預かり恐縮です。……ただし」

彼は眼鏡をキラリと光らせた。

「予算には限りがありますので、くれぐれも無駄遣いはなさらぬよう」

「分かってるわよ! これは必要経費だもの!」

私は残りの紅茶を飲み干し、復活した気力で拳を突き上げた。

「待っていらっしゃい、サヴァラン様! 明日こそ、私の悪名を轟かせて、あなたに『民衆の敵とは結婚できない』と言わせてみせますから!」

馬車の窓の外には、王都の夜景が広がっている。

その輝きの一つ一つが、明日の私のステージの照明に見えた。

(……ちなみにこの時、私はまだ知らなかった)

(パンを買い占めるという行為が、まさかあんな結末を招くことになるなんて)

向かいの席で、クロワッサンがこっそりと胃薬を追加で飲んでいるのを、私は気づかないフリをした。
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