天才すぎる王子様を愛でるには、婚約者の座は邪魔なのです!

夏乃みのり

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「オーッホッホッホ! さあ、震え上がりなさい、王都の愚民ども!」

翌日の正午。

私は王都の目抜き通りにある、人気ベーカリー『こんがり小麦堂』の前に仁王立ちしていた。

通行人たちがギョッとしてこちらを見ている。

いいわ、その調子よ。

もっと私を見て。

そして恐れおののくがいいわ。

「お嬢様、声が大きすぎます。近所迷惑です」

隣で日傘をさしているクロワッサンが、冷めた声で注意してくる。

「何言ってるのクロワッサン! 近所迷惑こそ悪役令嬢の嗜みでしょう?」

「はあ。それで、この店でよろしいのですか?」

「ええ! 事前の調査によると、この店は王都で一番人気のパン屋。ここのパンを買い占めれば、ランチ難民になった王都民が飢えに苦しみ、私を恨むはずよ!」

完璧な作戦だ。

サヴァラン様だって、国民を飢えさせるような女とは結婚できないはず。

私は意気揚々と店のドアを開け放った。

カランカラン、と軽やかなベルが鳴る。

「ごめんください! 店長はいて!?」

店内には、香ばしい焼きたてパンの香りが充満……していなかった。

あれ?

棚にはパンが山積みにされているけれど、お客さんが一人もいない。

店長らしき恰幅の良いおじさんが、カウンターで頭を抱えていた。

「い、いらっしゃいませ……」

なんだか元気がない。

まあいいわ、悪党に情けは無用よ。

私は扇子をバサリと広げ、高慢ちきなポーズを決めた。

「あなた、この店の責任者ね? わたくしは公爵令嬢ブリオッシュ! 単刀直入に言うわ!」

「は、はい……」

「ここにあるパン、すべて買い占めますわ! 一つ残らずね!」

言った!

言ってやったわ!

さあ、どう出る?

『そんな横暴な!』と怒るか、『他のお客様が困ります!』と拒否するか。

どちらにしても、私は強引に金を叩きつけて商品を奪うつもりよ!

店長のおじさんは、ぽかんと口を開けて私を見た。

そして次の瞬間。

ダバァーッ!

滝のような涙を流して、カウンターから飛び出してきた。

「あ、ありがとうございまぁぁぁすッ!!」

「……はい?」

おじさんは私の手を取り、ブンブンと激しく握手をしてきた。

「助かった! 本当に助かりましたお嬢様! いや女神様!」

「ちょ、ちょっと! 何よこれ! わたくしは嫌がらせをしに来たのよ!?」

「嫌がらせ!? とんでもない! 見てくださいよ、外を!」

おじさんが窓の外を指差す。

そこには、激しい通り雨(ゲリラ豪雨)が降った形跡があり、地面がぬかるんでいた。

「さっきまでとんでもない大雨が降ってましてねぇ……。おかげで客足はゼロ! 大量に焼いたパンが全部廃棄処分になるところだったんです!」

「えっ」

「借金して仕入れた高級小麦だったんで、今日売れ残ったら首を吊るしかないと覚悟していたんですが……まさか全部買い取ってくださるなんて!」

店長は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、私を拝み始めた。

「うぅ……ブリオッシュ様バンザイ! 公爵家バンザイ! これで家族を養えますぅぅ!」

「ち、違う……」

私は引きつった笑みを浮かべた。

「違うのよ……私は、民衆を困らせたくて……」

「さあさあ! すぐに袋詰めしますね! おい、みんな! 女神様がいらっしゃったぞ! 総出で包めー!」

奥から店員たちがワラワラと出てきて、「女神様!」「救世主様!」と連呼しながらパンを包み始めた。

なんで?

なんでこうなるの?

「……お嬢様」

クロワッサンが耳元で囁く。

「……計算外でしたね。あの大雨のせいで、むしろ『フードロスを救った慈善事業』になってしまいました」

「なんでピンポイントで大雨が降るのよぉぉぉ!」

私は頭を抱えた。

数十分後。

店の前には、山のようなパンの袋が積み上げられていた。

バゲット、クロワッサン、デニッシュ、総菜パン。

その数、およそ五百個。

「……ねえ、クロワッサン。これ、どうするの?」

「お嬢様が『全て』とおっしゃったので、全て買いました。馬車には載り切りませんね」

「持って帰れないじゃない!」

どうしよう。

このままここに置いていく?

いや、それは単なる不法投棄だわ。悪役令嬢というより、ただの非常識な人よ。

それに、せっかくの美味しいパンを無駄にするのは、パン好きの私のプライドが許さない。

「……仕方ないわね」

私は溜息をついた。

「広場に運びなさい。……そこで、民衆に見せびらかしてやるのよ」

「見せびらかす、ですか?」

「そうよ! 『お前たちには一口もやらないわ! 私が全部食べるんだから!』って自慢して、悔しがらせてやるの!」

「五百個を一人で食べるつもりですか? お嬢様の胃袋はブラックホールですか?」

「比喩よ、比喩! とにかく広場へGOよ!」

   ◇

中央広場。

雨上がりの青空の下、私はパンの山の上に腰かけていた(行儀が悪いけど、悪役だからいいの)。

周囲には、雨宿りをしていた人々や、お腹を空かせた子供たちが集まってきている。

さあ、ここからが挽回のチャンスよ。

私は一番高いバゲットを手に取り、高らかに叫んだ。

「お聞きなさい、愚民ども! この素晴らしいパンの山は、すべてわたくしの物よ!」

群衆がざわつく。

「わー、すごい量だ……」

「美味しそう……」

「いいでしょー! 羨ましいでしょー! でもあげないわよ! これは私が一人で優雅に……」

グゥゥゥゥ……。

近くにいた男の子のお腹が、盛大に鳴った。

痩せこけた頬。

つぎはぎだらけの服。

彼は私の持っているバゲットを、穴が開くほど見つめている。

「……」

「……」

「……あー、もう!」

私は叫んだ。

「見てるんじゃないわよ! 食べにくいでしょ! ほら、これあげるからあっちへ行きなさい!」

私はバゲットを男の子に放り投げた。

男の子は慌ててキャッチし、目を丸くする。

「えっ、いいの……?」

「勘違いしないでよね! あんまりじろじろ見られると気分が悪いから、手切れ金として渡しただけよ!」

「ありがとうお姉ちゃん!」

男の子がかぶりつくのを見て、周囲の子供たちも集まってきた。

「僕も!」「私もお腹空いた!」

「ええい、うるさいわね! 近寄らないで! ……ほら、持ってきなさいよ! シッシッ!」

私は次々とパンを投げ渡した。

「あんたはカレーパンね! 熱いから気をつけなさいよ!」

「そっちの子はメロンパン! 皮がボロボロ落ちるから皿の上で食べなさい!」

「お婆さんには柔らかいクリームパンよ! 喉に詰まらせないようにね!」

気づけば、私はパン配りのボランティアスタッフみたいになっていた。

「ありがとうございます、ブリオッシュ様!」

「なんて慈悲深い方なんだ……!」

「公爵令嬢万歳!」

広場は感謝の合唱に包まれている。

違う。

私はただ、食べるのを見られるのが恥ずかしかったのと、五百個も食べきれないから在庫処分をしただけで……!

「そこまでだ」

群衆を割って、凛とした声が響いた。

白馬に跨った、キラキラ輝く王子様。

サヴァラン様だ。

「げっ」

「やあ、ブリオッシュ。また奇抜なことをしているね」

彼は馬から降りると、パンを頬張る子供たちの頭を撫でながら、私に近づいてきた。

「サ、サヴァラン様! これは違いますの! わたくしは民衆を支配しようと、食糧を独占して……」

「独占して、再分配したのか?」

「え?」

サヴァラン様は感心したように頷いた。

「なるほど。大雨で打撃を受けたパン屋を救済しつつ、余剰在庫を飢えた民衆に還元する。経済を回し、福祉も充実させる。……まさに『ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)』の極みだね」

「はいいいい!?」

「しかも、ただ配るのではなく『悪役』を演じることで、民衆に『施しを受けた』という惨めさを感じさせない配慮までしている。……君の思慮深さには、心が震えるよ」

サヴァラン様は私の手を取り、うっとりとした瞳で見つめてきた。

「君は、僕が目指す理想の王妃そのものだ」

「ち、ちが……!」

「民衆も見てごらん。彼女こそが、未来の国母だ!」

「おおおおーーっ! ブリオッシュ様バンザイ!」

「聖女様ー!!」

広場中が大歓声に包まれる。

拍手の嵐。

キラキラした視線。

そして、私の計画がまたしても粉々に砕け散る音。

私は引きつった笑顔のまま、小声でクロワッサンに話しかけた。

「……ねえ、クロワッサン」

「はい」

「私、今すぐここから消えたいんだけど」

「残念ながら、殿下が手を離してくれませんので不可能です」

サヴァラン様は満面の笑みで、私の手を握りしめている。

その力は、絶対に逃がさないという意思を感じさせるほど強かった。

「素晴らしいよ、ブリオッシュ。君の『悪行』は、本当に国を豊かにするね」

「……褒めてないですよね? それ、皮肉ですよね?」

「本心だよ。……さあ、城へ行こう。この画期的な『富の再分配システム』について、詳しく聞かせてほしい」

「嫌だぁぁぁ! 帰してぇぇぇ!」

私の心の叫びは、民衆の歓声にかき消された。

パン買い占め作戦。

結果:パン屋の倒産を防ぎ、貧困層への食料支援に成功。王太子からの好感度、さらに上昇。

なぜなの。

どうして神様は、私を悪役にしてくれないのよぉぉぉ!!
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