婚約破棄された悪役令嬢、沈黙を破って絶叫する。

夏乃みのり

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「まあ、なんて立派なお城……! これが『悪魔の巣窟』と呼ばれるナイトメア・パレスですの?」

馬車から降り立ったミナは、目の前にそびえ立つ壮麗な城を見上げて、わざとらしく感嘆の声を漏らした。

その隣で、ギルバート殿下が唖然とした顔で口を開けている。

「……話が違うぞ。ここはもっと薄暗くて、カビ臭くて、ドクロが転がっている不気味な廃墟だと聞いていたが」

無理もない。

かつては確かにそうだったらしいから。

でも今のこの城は、私の『超音波洗浄ボイス』によって、新築物件のようにピカピカに磨き上げられている。

窓ガラスは一点の曇りもなく輝き、黒曜石の壁は鏡のように周囲の風景を映し出し、庭園の草花(主に食虫植物だが)も手入れが行き届いている。

「ふふっ、きっとローレライ様が必死にお掃除なさったんですわ。元公爵令嬢だというのに、雑巾掛けをさせられているなんて……可哀想に」

ミナがハンカチで口元を隠して笑う。

その瞳には、侮蔑と優越感が滲んでいた。

「ギルバート様、早く助けて差し上げましょう。きっと今頃、ボロボロの服を着て、地下牢で泣いていますわ」

「そうだな。行くぞミナ。……魔王公爵め、我が国の元婚約者を虐げるとは許せん」

二人は意気揚々と城門をくぐった。

その様子を、私は2階のテラスから優雅に見下ろしていた。

「……来たわね、バカップル」

私は手にしたグラス(中身は高級ブドウジュース)を揺らした。

今日の私は、クラウスが見立てた最高級のドレスを纏っている。

深紅のシルクに黒いレースをあしらった、大人の魅力全開のデザインだ。

髪も専属メイドによって完璧にセットされ、肌は連日のハチミツ摂取でツヤツヤ。

ボロボロ?

地下牢?

残念ながら、今の私はこの城の『裏番長』として君臨しているのよ。

「準備はいいか、ローレライ」

隣に立ったクラウスが、不機嫌そうに眉を寄せた。

「あの男、また髪をテカテカにしているな。光の反射が眩しくて目障りだ」

「サングラスでもかければ? それより、作戦通りにお願いね」

「わかっている。……しかし、あの女」

クラウスの視線がミナに向けられる。

「なんだあの奇妙な動きは。足が悪いのか?」

「あれは『内股』よ。可愛く見せようとしてるの」

「理解不能だ。関節がおかしいとしか思えん」

クラウスの辛辣なコメントに、私は思わず吹き出しそうになる。

「さあ、行きましょう。感動の再会よ」

***

謁見の間。

ギルバート殿下とミナは、玉座に座るクラウスと、その横に立つ私を見て、石像のように固まっていた。

「……な、……ロ、ローレライ……?」

殿下の目が点になっている。

無理もない。

彼の知っている私は、地味な色のドレスを着て、常に俯いて黙っている女だったはずだ。

今の私は、自信に満ち溢れ、魔王の隣で堂々と腕を組んでいる。

「久しぶりね、殿下。それにミナさんも。わざわざこんな辺境までご苦労様」

私が余裕の笑みで声をかけると、殿下はハッと我に返った。

「き、貴様……その格好は何だ! 囚われの身ではないのか!?」

「誰がいつ囚われたって言ったの? 私はここで、再就職して楽しくやってるわよ」

「さ、再就職だと……? まさか、魔王に体を売って……!」

「発想が貧困ね。私は『声』を売ってるの」

私が鼻で笑うと、ミナが一歩前に出てきた。

彼女は、私とクラウスを交互に見て、計算高い瞳を光らせた。

(……あら? この魔王様、凄くイケメンじゃない?)

ミナの心の声が聞こえてきそうだ。

彼女は頬を染め、小首を傾げてクラウスに近づいた。

「初めましてぇ、魔王様ぁ♡」

出た。

必殺の猫なで声。

語尾にハートマークが見えるような、砂糖を煮詰めたような甘ったるい声だ。

「わたくしぃ、男爵家のミナと申しますぅ。ローレライお姉様がご迷惑をおかけしてぇ、本当にごめんなさいぃ……」

ミナは上目遣いでクラウスを見つめ、パチパチと瞬きをした。

「お姉様ったら乱暴でぇ、わたくしもたくさんいじめられたんですぅ。でもぉ、わたくしはそんなお姉様も許してあげたいなって……」

彼女は一歩、また一歩と玉座に近づく。

その体からは、香水の匂いがプンプンと漂ってくる。

(狙いはクラウスか。節操なしね)

私は冷めた目で見ていた。

普通なら、男はデレデレするところだ。

ギルバート殿下なんかは、後ろで「なんて慈悲深いミナなんだ!」と感動している。

だが、相手はクラウスだ。

超聴覚過敏で、不眠症の魔王様だ。

クラウスの眉間の皺が、刻一刻と深くなっていく。

「……おい」

クラウスが低く唸った。

「はいぃ? なんでしょうかぁ?」

ミナがさらに声を高くして、媚びるように答える。

その瞬間。

バンッ!!

クラウスが玉座の肘掛けを叩き、不快そうに手を振った。

「セバスチャン! 殺虫剤を持ってこい!」

「……は?」

ミナの笑顔が凍りついた。

「さ、殺虫剤……?」

「ああ。さっきから耳元で蚊が飛んでいる。プゥ~ン、プゥ~ンと、不快な羽音がしてたまらん」

クラウスは本気で嫌そうに、ミナの方に向かって手をシッシッと振った。

「ほら、そこだ。ピンク色の服を着たあたりにいるぞ。耳障りだ、叩き潰せ」

「……っ!?」

ミナの顔が真っ赤になる。

「か、蚊……!? わたくしのことですかぁ!?」

「ん? なんだ、喋れるのかこの虫は」

クラウスは冷酷な目でミナを見下ろした。

「おい女。さっきからお前の口から出ているその音はなんだ。人間なら腹から声を出せ。空気が漏れるようなスカスカした音を出すな。鼓膜が痒くなる」

「ス、スカスカ……ッ!?」

ミナがショックで後ずさる。

彼女の武器である『ウィスパーボイス』が、クラウスにとっては『蚊の羽音』にしか聞こえていないらしい。

これは痛快だ。

私は笑いを堪えるのに必死で、腹筋が攣りそうだった。

「お、お待ちください魔王公爵!」

見かねた殿下が割って入った。

「ミナのこの声は、癒やしの声だぞ! 守ってあげたくなるような、可憐な響きではないか! それを虫扱いとは無礼な!」

「癒やし? これが?」

クラウスは鼻で笑った。

「俺にとっては、黒板を爪で引っ掻く音と同レベルの不快音だ。それに比べて……」

クラウスは私の腰を引き寄せ、ドヤ顔で言った。

「ローレライの声を聞け。あの腹の底に響く重低音。窓ガラスを割り、魔獣を気絶させる破壊力。あれこそが至高の『美声』だ」

「はあああ!? 何言ってるんだお前は!?」

殿下が叫ぶ。

「あんな騒音女のどこがいいんだ! 耳がおかしいんじゃないのか!?」

「おかしいのは貴様の感性だ。……ああ、また耳鳴りがしてきた」

クラウスがこめかみを押さえる。

殿下の大声と、ミナの高周波ボイスのダブルパンチで、彼の限界が近いようだ。

「ローレライ、頼む。……薬をくれ」

「薬?」

「お前の声だ」

クラウスは縋るような目で私を見た。

私は仕方なく、ため息をついた。

「しょうがないわね。……お客様の前だけど、一曲歌う?」

「頼む。バラードではなく、ロックで」

「りょうかーい」

私は一歩前に出た。

そして、呆気にとられる殿下とミナに向かって、ニッコリと笑った。

「ねえ、二人とも。歓迎の歌をプレゼントしてあげるわ」

「は? 歌……?」

「耳の穴かっぽじって、よーく聞きなさいよ!!」

私は大きく息を吸い込んだ。

「よぉこそぉぉぉぉぉぉぉッ!!! ここへぇぇぇぇぇぇッ!!!」

ドォォォォォン!!

「遊ぼうよぉぉぉぉぉ! パラダイスゥゥゥゥゥッ!!!!」

バリバリバリバリッ!!

謁見の間の窓ガラスが、またしても粉砕された。

「ぐわあああああッ!!」

「キャアアアアアッ!!」

殿下とミナが、衝撃波で吹き飛び、赤い絨毯の上を転がっていく。

「素晴らしい……!」

背後でクラウスが恍惚の表情で拍手している。

「これだ……この振動だ……。頭の中の蚊も、耳鳴りも、すべて吹き飛んだ……」

「胸のぉぉぉ! 鼓動がぁぁぁ! うなるぜェェェェェェッ!!!」

私はさらにボリュームを上げた。

ミナは髪を振り乱し、必死でカツラ(!)を押さえている。

殿下は剣を抜こうとしたが、音圧で鞘から抜けずにアタフタしている。

「帰れぇぇぇぇ! この虫ケラ共ォォォォォッ!!!」

最後のシャウトと共に、私は二人を扉の外へと音圧で押し出した。

ドスン! バタン!

扉が閉まる。

静寂が戻った。

「ふぅ……」

私は額の汗を拭った。

「どう? 少しはスッキリした?」

「ああ、最高だ」

クラウスは立ち上がり、私を抱きしめた。

「やはり君は最高だ、ローレライ。あの蚊のような女の声など、君の足元にも及ばない」

「当然でしょ。あんな作り声、100年早いわよ」

私はふん、と鼻を鳴らした。

扉の向こうからは、「覚えていろー!」「髪が、髪が乱れたぁ!」という捨て台詞が聞こえてくる。

どうやら、まだ懲りていないようだ。

「……まだ帰らないつもりかしら」

「だろうな。あの王子、諦めが悪そうだ」

クラウスは冷ややかに扉を見据えた。

「まあいい。何度来ようと、俺たちが返り討ちにするだけだ。……そうだろ? 俺の歌姫」

「誰が歌姫よ」

私は照れ隠しに彼を押しのけた。

しかし、心の中では確信していた。

あのミナという女。

ただのブリっ子ではない。

あのカツラの下に、まだ何か隠し玉を持っていそうだ。

(……面白くなってきたじゃない)

私はニヤリと笑った。

この城の平和(と私の高待遇)を脅かす奴は、誰であろうとデスメタルで沈めてやる。

戦いのゴングは、まだ鳴ったばかりだ。
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