婚約破棄前におバカな王子たちを根性叩き直しコースに強制入会

夏乃みのり

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「……なんだ、これは。新手の拷問か?」

レオン王子は、目の前にそびえ立つ「紙の塔」を見上げて呆然と呟いた。

そこは、王宮の一角にある静かな図書室。普段なら優雅に読書を楽しむ場所だが、今の机の上には殺風景な書類の束が、それこそ王子の身長に届かんばかりに積み上がっている。

「拷問だなんて人聞きの悪い。これは『愛の計算ドリル』ですわ。あ、タイトルは今私が決めました」

リコは、特注の細長い指示棒で、一番上の書類をコンコンと叩いた。

「レオン様。あなたが昨日、泥にまみれて稼いだ銅貨二十二枚。それが国全体で動くとき、どのような数字に化けるか……想像したことはありますの?」

「想像……? いや、それは会計官の仕事だろう。私はただ、その結果を聞いて頷くだけで……」

「だからおバカなんですわ。頷く先が『崖っぷち』だったらどうするおつもり?」

リコは、ドサリと一冊の分厚い台帳を広げた。

「これは、あなたが将来治めるはずの、北部領土の直近三年の収支報告書です。一言で言えば、真っ赤っか。血の海ですわね」

「血の海……!? 誰か怪我をしたのか!」

「財政が怪我をして死にかけてるんですわよ! この数字の羅列を見てください。無駄な街灯の設置、効果のないお祭りの主催、そして極め付けは――あなたの『趣味の馬券代』が雑費として紛れ込んでいますわ」

レオン王子の肩がビクッと跳ねた。

「リコ様、そんなに数字ばかり追っていては、心が乾いてしまいますわ! 愛は数字では測れないものですもの!」

傍らで、マリエッタがお茶を淹れようとしながら口を挟む。ちなみに彼女も、リコの指示で「一滴もこぼさず、音も立てない完璧な給仕」という名の苦行の最中だ。

「マリエッタさん。愛で税率が変わるなら、今すぐこの国をバラ色に染めて差し上げますわ。ですが、現実は非情です。パンを買うのも、兵士を雇うのも、すべてはこの『数字』にかかっているの」

リコは、冷酷な笑みを浮かべてレオンに羽根ペンを突きつけた。

「さあ、王子。この千枚の書類、すべて計算し直していただきます。一円の誤差も許しませんわよ。もし間違えたら、そのページは最初からやり直しです」

「せ、千枚……!? 終わる頃には私は老人になっているぞ!」

「大丈夫ですわ。人間、死ぬ気で計算すれば、脳が活性化して若返りますから。……あ、マリエッタさん」

「は、はいっ!」

「あなたは王子の隣で、彼が計算を間違えないように見張っていなさい。もし王子が寝落ちしたら、この冷たい氷水を彼の首筋に流し込むのが、あなたの今回のお仕事です」

リコが差し出したのは、キンキンに冷えた銀のピッチャーだった。

「ひ、氷水!? そんな、レオン様が風邪を引いてしまったらどうするんですの!」

「愛があるなら、王子の熱量で氷を溶かしてみせなさいな。……では、私はサロンで最新の経済紙を読んできますわ。セバス、監視をお願いね」

「畏まりました。……レオン様、羽根ペンが止まっております。早くしないと、夕食の時間はあっという間に過ぎ去りますよ」

リコが部屋を出ていくと、図書室には「カリカリ……」という羽根ペンの音と、王子の絶望的な溜息だけが響いた。

数時間後。

「ぐわぁぁ! 桁が! 桁が合わない! なぜだ、なぜあと銅貨三枚分だけ足りないんだ!」

「レオン様、しっかりしてください! ほら、この行の計算が……ああっ、マリエッタもわからなくなってきましたわ!」

「お二人とも、集中してください。……おや、レオン様、今、一瞬だけ瞼が閉じましたね?」

「待て、セバス! それは瞬きだ! 睡眠ではない!」

「容赦はいたしません。マリエッタ様、どうぞ」

「ご、ごめんなさいレオン様! えいっ!」

「ぎゃあああぁぁぁ! 冷たい! 心臓が止まる!」

冷水による強制再起動。図書室の窓からは、王子の悲鳴が夜の闇に吸い込まれていくのが見えた。

その様子を、外の廊下で聞いていたリコは、壁に背を預けて小さく息を吐いた。

「……お嬢様。やはり、ただの嫌がらせにしか見えませんよ、今の王子には」

背後から現れたセバスが、皮肉げに微笑む。

「いいのよ。彼は今まで、自分がサインする書類が『誰の人生』を決めているのか、考えたこともなかった。千枚の計算を終える頃には、その一枚一枚の重みが、嫌でも体に刻まれるはずだわ」

リコは、手に持った指示棒をぎゅっと握りしめた。

「無知は罪。そして、無関心は悪ですわ。……彼を、ただの『顔がいいだけの飾り物』で終わらせるわけにはいかないのよ」

彼女の瞳には、厳しさの裏に隠された、この国に対する切実な想いが宿っていた。

だが、部屋の中から聞こえてくる「マリエッタ、もう一杯氷水をくれ! 眠気が、眠気が来る……!」という王子の叫びを聞くと、やはり少しだけ、口角が吊り上がるのを抑えきれないリコであった。
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