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「リコ様、マリエッタはもう、一歩も動けませんわ……。この頭の上に乗っている厚い本が、マリエッタの頭蓋骨を砕こうとしていますの……!」
王宮の一室、優雅なはずのティーサロンは今、戦場と化していた。
マリエッタは頭の上に三冊の分厚い法律書を積み上げ、膝に生卵を挟んだ状態で、プルプルと震えながら立っている。
「あら、たった三冊で骨が砕けるなんて、あなたの頭はメレンゲでできているのかしら?」
リコはソファに深く腰掛け、最高級のクッキーを口に運びながら冷たく言い放った。
「マリエッタ様、顎が上がっております! 背筋は剣のように真っ直ぐ、視線は慈愛に満ちた聖母のように! さあ、その状態でティーポットを持ち上げなさい!」
マリエッタの目の前に立つのは、王国一厳格なマナー講師として知られる、通称『鋼鉄の貴婦人』ことグリゼルダ男爵夫人だ。
彼女の手には、指揮棒のような細長い鞭(指示棒)が握られている。
「ひぃっ……重い、重いですわ! ポットの中身が、マリエッタの業火のように熱い愛で沸騰しています!」
「やかましいわね。ただのお湯ですわよ、それは」
リコが扇子をパチンと閉じると、グリゼルダ夫人の鋭い指摘が飛んだ。
「お喋りをする余裕があるということは、まだ負荷が足りないようですわね。セバス、彼女の足首に砂袋を追加して」
「承知いたしました」
「待って、セバスさん! それ以上重くしたら、マリエッタ、地面に埋まってしまいますわ!」
セバスが淡々とマリエッタの足首に重りを括り付ける。マリエッタの膝がガクガクと音を立てた。
「マリエッタさん。あなたがレオン様の隣に立つということは、常に世界中の貴族から『値踏み』されるということなのよ」
リコは立ち上がり、マリエッタの周りをゆっくりと歩いた。
「もし、あなたが公式の晩餐会でスープを啜る音を立ててみなさい。翌日の新聞には『王子の恋人は、礼儀も知らない野良犬だった』と書かれますわ。それはレオン様の顔に泥を塗るのと同じこと。それが、あなたの言う『愛』の形かしら?」
「それは……そんなの、悲しすぎますわ……」
マリエッタの大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちそうになる。
「泣いてもいいけれど、頭の上の本を落としたら、最初からやり直しよ。……さあ、その状態で私に紅茶を淹れてごらんなさい」
「リコ様に……紅茶を……」
マリエッタは必死に精神を統一した。愛するレオン様を、自分のせいで辱めたくない。その一念が、彼女の華奢な体に力を込める。
プルプルと震える手で、重厚な銀のティーポットを掴んだ。
「……っ、ふんぬぅぅぅ!」
「声が淑女ではありませんわよ、マリエッタ様!」
グリゼルダ夫人の声が飛ぶが、マリエッタは必死だった。
トトト……と、細く、美しい曲線を描いて紅茶がリコのカップに注がれる。最後の一滴まで、一滴もこぼすことなく。
「……ふぅ。……い、いかがでしょうか、リコ様」
マリエッタが息を弾ませながら尋ねる。
リコは無言でカップを手に取り、その香りを楽しみ、一口啜った。
「……温度、淹れ方、所作。及第点ですわ」
「! 本当ですか!?」
「ですが、お茶菓子を出す時の指先が、まるでお肉を掴む野獣のようでしたわね。……グリゼルダ夫人、次は『指先の残像すら美しい扇捌き』の特訓をお願いします」
「喜んで、リコ様」
「ええぇぇ!? まだやるんですの!? もうマリエッタの指、感覚がありませんわ!」
絶望するマリエッタを尻目に、リコは窓の外に目を向けた。
そこでは、庭園の隅で必死に重い荷物を運び、再び計算ドリルに取り組もうとしているレオン王子の姿があった。
「……セバス。二人とも、少しは『飾り物』を卒業できそうかしら」
「お嬢様が最も厳しい『飾り』になられているおかげで、原石が磨かれつつあるようですな」
「私はただ、埃を払っているだけよ。……さあ、次は二人に『物理的な危機』を乗り越えてもらいましょうか」
リコの瞳に、次なる悪巧み……もとい、教育的指導の光が宿る。
マリエッタの叫び声が響くティーサロンで、リコは優雅に二杯目のお茶を待つのだった。
王宮の一室、優雅なはずのティーサロンは今、戦場と化していた。
マリエッタは頭の上に三冊の分厚い法律書を積み上げ、膝に生卵を挟んだ状態で、プルプルと震えながら立っている。
「あら、たった三冊で骨が砕けるなんて、あなたの頭はメレンゲでできているのかしら?」
リコはソファに深く腰掛け、最高級のクッキーを口に運びながら冷たく言い放った。
「マリエッタ様、顎が上がっております! 背筋は剣のように真っ直ぐ、視線は慈愛に満ちた聖母のように! さあ、その状態でティーポットを持ち上げなさい!」
マリエッタの目の前に立つのは、王国一厳格なマナー講師として知られる、通称『鋼鉄の貴婦人』ことグリゼルダ男爵夫人だ。
彼女の手には、指揮棒のような細長い鞭(指示棒)が握られている。
「ひぃっ……重い、重いですわ! ポットの中身が、マリエッタの業火のように熱い愛で沸騰しています!」
「やかましいわね。ただのお湯ですわよ、それは」
リコが扇子をパチンと閉じると、グリゼルダ夫人の鋭い指摘が飛んだ。
「お喋りをする余裕があるということは、まだ負荷が足りないようですわね。セバス、彼女の足首に砂袋を追加して」
「承知いたしました」
「待って、セバスさん! それ以上重くしたら、マリエッタ、地面に埋まってしまいますわ!」
セバスが淡々とマリエッタの足首に重りを括り付ける。マリエッタの膝がガクガクと音を立てた。
「マリエッタさん。あなたがレオン様の隣に立つということは、常に世界中の貴族から『値踏み』されるということなのよ」
リコは立ち上がり、マリエッタの周りをゆっくりと歩いた。
「もし、あなたが公式の晩餐会でスープを啜る音を立ててみなさい。翌日の新聞には『王子の恋人は、礼儀も知らない野良犬だった』と書かれますわ。それはレオン様の顔に泥を塗るのと同じこと。それが、あなたの言う『愛』の形かしら?」
「それは……そんなの、悲しすぎますわ……」
マリエッタの大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちそうになる。
「泣いてもいいけれど、頭の上の本を落としたら、最初からやり直しよ。……さあ、その状態で私に紅茶を淹れてごらんなさい」
「リコ様に……紅茶を……」
マリエッタは必死に精神を統一した。愛するレオン様を、自分のせいで辱めたくない。その一念が、彼女の華奢な体に力を込める。
プルプルと震える手で、重厚な銀のティーポットを掴んだ。
「……っ、ふんぬぅぅぅ!」
「声が淑女ではありませんわよ、マリエッタ様!」
グリゼルダ夫人の声が飛ぶが、マリエッタは必死だった。
トトト……と、細く、美しい曲線を描いて紅茶がリコのカップに注がれる。最後の一滴まで、一滴もこぼすことなく。
「……ふぅ。……い、いかがでしょうか、リコ様」
マリエッタが息を弾ませながら尋ねる。
リコは無言でカップを手に取り、その香りを楽しみ、一口啜った。
「……温度、淹れ方、所作。及第点ですわ」
「! 本当ですか!?」
「ですが、お茶菓子を出す時の指先が、まるでお肉を掴む野獣のようでしたわね。……グリゼルダ夫人、次は『指先の残像すら美しい扇捌き』の特訓をお願いします」
「喜んで、リコ様」
「ええぇぇ!? まだやるんですの!? もうマリエッタの指、感覚がありませんわ!」
絶望するマリエッタを尻目に、リコは窓の外に目を向けた。
そこでは、庭園の隅で必死に重い荷物を運び、再び計算ドリルに取り組もうとしているレオン王子の姿があった。
「……セバス。二人とも、少しは『飾り物』を卒業できそうかしら」
「お嬢様が最も厳しい『飾り』になられているおかげで、原石が磨かれつつあるようですな」
「私はただ、埃を払っているだけよ。……さあ、次は二人に『物理的な危機』を乗り越えてもらいましょうか」
リコの瞳に、次なる悪巧み……もとい、教育的指導の光が宿る。
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