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「……しっ! 声を出すなと言っただろう、マリエッタ」
草木も眠る丑三つ時。王宮の北側に位置する、人通りの途絶えた通用門の影で、二人の人影がひっそりと蠢いていた。
一人は、ボロボロの麻袋を羽織ったレオン王子。もう一人は、頭に本を乗せすぎて首が凝り固まったマリエッタである。
「だってレオン様……マリエッタ、暗いところは怖いですわ。それに、この大きな荷物……重すぎて肩が外れそうですの」
「我慢しろ。この門の向こうには、リコの監視も、あの鬼軍曹の鞭も、地獄の計算ドリルもない『自由』が待っているんだ」
レオンは、昼間にこっそり市場でくすねてきた(正確には捨てられていた)古びたロープを、高い塀の突起に引っ掛けた。
「さあ、まずは私が登る。マリエッタ、君は下で待っていろ。私が上から引き上げてやるからな」
「レオン様……素敵! やっぱり、いざという時は王子様なんですのね!」
レオンは必死に塀にしがみついた。日頃の荷運びで鍛えられた筋肉が、意外なところで役に立っている。
「ぬぐっ、おおおぉぉ……! あともう少し……あと少しで、私の自由が……!」
壁の頂上に手をかけ、レオンが勝利の笑みを浮かべたその瞬間。
「お困りでしょうか、レオン様。足場を固定するお手伝いが必要でしたら、遠慮なく仰ってください」
耳元で、冷徹なまでに澄んだ声が響いた。
「ひぎゃあああぁぁぁ!?」
レオンは驚きのあまり、壁から手を離して落下した。
ドサッ、という鈍い音と共に、彼は下で待っていたマリエッタの上に直撃する。
「ぐえっ!? レ、レオン様……マリエッタが……マリエッタが潰れますわ……!」
「マリエッタ! す、すまない! ……それより、今、誰かいた! 壁の上に、誰か……!」
二人が恐る恐る壁の上を見上げると、そこには月明かりを背負って直立する、漆黒の燕尾服を纏った老紳士の姿があった。
「夜風は体に障りますよ。特にお二人とも、薄着でいらっしゃいますから」
セバスが、重力を無視したような身軽さで壁から飛び降り、二人の前に着地した。その手には、なぜか巨大な「虫取り網」のようなものが握られている。
「セ、セバス……! 貴様、なぜここに……!」
「お嬢様から仰せつかっております。……『夜中にゴミが動き出したら、速やかに回収して地下室へ戻せ』と」
「誰がゴミだ! 私は王子だぞ! どけ、セバス! これは私の意思だ、愛するマリエッタを守るための決断だ!」
レオンは震える足で立ち上がり、腰に差していた(これまた拾い物の)木の枝を構えた。
「どかないというのなら、力ずくで……」
「……左様でございますか。では、少々荒っぽくなりますが、ご容赦を」
セバスの姿が、一瞬で消えた。
「え……?」
レオンが瞬きをする間もなかった。
「ふんっ」
「ぶべっ!?」
セバスが振るった「虫取り網」……もとい、捕獲用特殊ネットが、レオンを完璧に包み込んだ。彼はまるで網にかかった巨大な魚のように、地面でのたうち回る。
「レオン様ー!? ひっ、マリエッタも、マリエッタも逃げなきゃ……!」
マリエッタが全速力で逃げ出そうとしたが、セバスの指先が彼女の襟首を優しく、かつ鋼のような力強さで掴んだ。
「マリエッタ様。淑女の夜遊びは、お嬢様の許可が必要です」
「いやぁぁー! 離してくださいまし! マリエッタ、まだ計算ドリルを三百枚も残しているんですのー!」
「それは重畳。では、戻って続きを始めましょうか」
セバスは、網の中で暴れるレオンを軽々と肩に担ぎ、もう片方の手でマリエッタを小脇に抱えた。その様子は、まるで深夜の不法投棄を回収する清掃員のようであった。
そこへ、暗闇からゆっくりと人影が現れる。
「あら。随分と活きのいいゴミが捕まったものですわね」
扇子を優雅に広げたリコが、冷ややかな笑みを湛えて立っていた。
「リ、リコ……! 卑怯だぞ! セバスを使うなんて!」
「卑怯? 王城のセキュリティを確認するのは、婚約者としての当然の義務ですわ。それにしても……レオン様。逃げ足だけは速くなったようですけれど、詰めが甘すぎますわね」
リコは、網の中にいるレオンの額を、指示棒でツンと突いた。
「いいですか。愛の逃避行というものは、少なくとも追手を撒く知恵と、壁を乗り越える体力、そして逃げた先で暮らすための資金があって初めて成立するものですわ。今のあなたたちは、ただの『徘徊する無能』です」
「徘徊……! ひどすぎますわ、リコ様!」
「黙りなさい、マリエッタさん。あなたも、レオン様の足を引っ張るだけで、自分では壁の一枚も登れないくせに。……セバス、彼らを地下室へ。今夜は特別メニューですわ」
「特別メニュー、でございますか?」
リコは月を見上げて、サディスティックに微笑んだ。
「ええ。逃亡未遂の罰として、今日から三日間、『不眠不休のペア・ダンス特訓』を追加します。お互いの足を踏んだら、そのたびに最初からやり直し。……愛があれば、三日三晩踊り続けるくらい、余裕でしょう?」
「三日……三晩……!?」
レオンとマリエッタの絶望の叫びが、深夜の王宮に虚しく響き渡った。
リコはその悲鳴を心地よい音楽のように聞き流しながら、優雅に自室へと戻っていった。
草木も眠る丑三つ時。王宮の北側に位置する、人通りの途絶えた通用門の影で、二人の人影がひっそりと蠢いていた。
一人は、ボロボロの麻袋を羽織ったレオン王子。もう一人は、頭に本を乗せすぎて首が凝り固まったマリエッタである。
「だってレオン様……マリエッタ、暗いところは怖いですわ。それに、この大きな荷物……重すぎて肩が外れそうですの」
「我慢しろ。この門の向こうには、リコの監視も、あの鬼軍曹の鞭も、地獄の計算ドリルもない『自由』が待っているんだ」
レオンは、昼間にこっそり市場でくすねてきた(正確には捨てられていた)古びたロープを、高い塀の突起に引っ掛けた。
「さあ、まずは私が登る。マリエッタ、君は下で待っていろ。私が上から引き上げてやるからな」
「レオン様……素敵! やっぱり、いざという時は王子様なんですのね!」
レオンは必死に塀にしがみついた。日頃の荷運びで鍛えられた筋肉が、意外なところで役に立っている。
「ぬぐっ、おおおぉぉ……! あともう少し……あと少しで、私の自由が……!」
壁の頂上に手をかけ、レオンが勝利の笑みを浮かべたその瞬間。
「お困りでしょうか、レオン様。足場を固定するお手伝いが必要でしたら、遠慮なく仰ってください」
耳元で、冷徹なまでに澄んだ声が響いた。
「ひぎゃあああぁぁぁ!?」
レオンは驚きのあまり、壁から手を離して落下した。
ドサッ、という鈍い音と共に、彼は下で待っていたマリエッタの上に直撃する。
「ぐえっ!? レ、レオン様……マリエッタが……マリエッタが潰れますわ……!」
「マリエッタ! す、すまない! ……それより、今、誰かいた! 壁の上に、誰か……!」
二人が恐る恐る壁の上を見上げると、そこには月明かりを背負って直立する、漆黒の燕尾服を纏った老紳士の姿があった。
「夜風は体に障りますよ。特にお二人とも、薄着でいらっしゃいますから」
セバスが、重力を無視したような身軽さで壁から飛び降り、二人の前に着地した。その手には、なぜか巨大な「虫取り網」のようなものが握られている。
「セ、セバス……! 貴様、なぜここに……!」
「お嬢様から仰せつかっております。……『夜中にゴミが動き出したら、速やかに回収して地下室へ戻せ』と」
「誰がゴミだ! 私は王子だぞ! どけ、セバス! これは私の意思だ、愛するマリエッタを守るための決断だ!」
レオンは震える足で立ち上がり、腰に差していた(これまた拾い物の)木の枝を構えた。
「どかないというのなら、力ずくで……」
「……左様でございますか。では、少々荒っぽくなりますが、ご容赦を」
セバスの姿が、一瞬で消えた。
「え……?」
レオンが瞬きをする間もなかった。
「ふんっ」
「ぶべっ!?」
セバスが振るった「虫取り網」……もとい、捕獲用特殊ネットが、レオンを完璧に包み込んだ。彼はまるで網にかかった巨大な魚のように、地面でのたうち回る。
「レオン様ー!? ひっ、マリエッタも、マリエッタも逃げなきゃ……!」
マリエッタが全速力で逃げ出そうとしたが、セバスの指先が彼女の襟首を優しく、かつ鋼のような力強さで掴んだ。
「マリエッタ様。淑女の夜遊びは、お嬢様の許可が必要です」
「いやぁぁー! 離してくださいまし! マリエッタ、まだ計算ドリルを三百枚も残しているんですのー!」
「それは重畳。では、戻って続きを始めましょうか」
セバスは、網の中で暴れるレオンを軽々と肩に担ぎ、もう片方の手でマリエッタを小脇に抱えた。その様子は、まるで深夜の不法投棄を回収する清掃員のようであった。
そこへ、暗闇からゆっくりと人影が現れる。
「あら。随分と活きのいいゴミが捕まったものですわね」
扇子を優雅に広げたリコが、冷ややかな笑みを湛えて立っていた。
「リ、リコ……! 卑怯だぞ! セバスを使うなんて!」
「卑怯? 王城のセキュリティを確認するのは、婚約者としての当然の義務ですわ。それにしても……レオン様。逃げ足だけは速くなったようですけれど、詰めが甘すぎますわね」
リコは、網の中にいるレオンの額を、指示棒でツンと突いた。
「いいですか。愛の逃避行というものは、少なくとも追手を撒く知恵と、壁を乗り越える体力、そして逃げた先で暮らすための資金があって初めて成立するものですわ。今のあなたたちは、ただの『徘徊する無能』です」
「徘徊……! ひどすぎますわ、リコ様!」
「黙りなさい、マリエッタさん。あなたも、レオン様の足を引っ張るだけで、自分では壁の一枚も登れないくせに。……セバス、彼らを地下室へ。今夜は特別メニューですわ」
「特別メニュー、でございますか?」
リコは月を見上げて、サディスティックに微笑んだ。
「ええ。逃亡未遂の罰として、今日から三日間、『不眠不休のペア・ダンス特訓』を追加します。お互いの足を踏んだら、そのたびに最初からやり直し。……愛があれば、三日三晩踊り続けるくらい、余裕でしょう?」
「三日……三晩……!?」
レオンとマリエッタの絶望の叫びが、深夜の王宮に虚しく響き渡った。
リコはその悲鳴を心地よい音楽のように聞き流しながら、優雅に自室へと戻っていった。
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