悪役令嬢(志望)、婚約破棄? はい、お先に失礼しますわ!

夏乃みのり

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王都、エドワード王子の私室。
その空気は、張り詰めていた。

使者が、王宮に転がり込むように帰還したのは、日の出と同時だった。
彼は、王子の前まで這うように進むと、青ざめた顔で、床に額をこすりつけた。

「(はあっ、はあっ…!)王子! エドワード王子!」

「来たか! 遅い!」

エドワードは、カレン姫の寝台の脇から、鬼の形相で振り向いた。
彼の目には、睡眠不足による赤い筋が走っている。

カレンの呼吸は、昨日よりも、さらに浅く、弱々しくなっていた。
時折、ひゅっ、と喉を鳴らす音が、エドワードの焦りを、極限まで高めていた。

「それで! 薬は!? ルーシュは、どうした! 連れてきたのか!」

「(ひぃっ…!)」

使者は、震えながら、かぶりを振った。

「も、申し訳…ございません…!」

「(な…!?)」

「ルーシュ様は…王命を…」

「(なんだ!)」

「…拒否、なさいました…!」

「(…………は?)」

エドワードの、血走った目が、使者を射抜く。

「…拒否? …拒否、だと? わたくしの、この、王子の命令を、拒否したと、いうのか?」

「は、はい…!」

「(ゲホッ…ゴホン…!)」

その時、カレンが、苦しそうに、また咳き込んだ。
その音は、まるで、エドワードの理性を焼き切る、導火線のようだった。

「理由を言え!!!」

エドワードの、甲高い怒号が、部屋に響いた。

「なぜだ! 王都が、これほどの危機だというのに! カレンが、死にかけているというのに! あの女は、なぜ、戻らん!」

「(はっ…!)」

使者は、信じられない、という顔で、言葉を絞り出した。

「そ、それが…ルーシュ様は…」

「(なんだ!)」

「『今、大変、お忙しい』と…!」

「(…忙しい…?)」

エドワードは、耳を疑った。
謹慎中の身で、荒れ地を耕している以外に、一体、何の「多忙」があるというのだ。

「(ゴクリ…)…『毛根が元気になる薬』の、開発の、最終段階である、と…」

「……………は?」

エドワードは、数秒間、完全に、思考が停止した。

「…もうこん…?」

「は、はい…『長老の毛根は、カレン姫の命より、大事かもしれない』と、おっしゃって…!」

「(き、気でも、狂ったのか…!!!)」

エドワードは、わなわなと震え始めた。
王都が! 国が! この危機に瀕しているというのに!
カレンが! 死にかけているというのに!
毛根だと!?

「ふ、ふざけるな…! ふざけるな、あの女! わたくしを、愚弄するにも、ほどがある!」

「(お、王子、お鎮まりを…!)」

「だが、辺境伯はどうした! アラン・クライストだ!」

エドワードは、使者に、掴みかからんばかりの勢いだ。

「あいつは、監視役だろう! なぜ、あの、狂った女(ルーシュ)を、力ずくでも、引きずって、連れてこなかった!」

「(ひぃっ…!)」

使者の顔が、恐怖で、さらに引きつった。

「…クライスト辺境伯も、です…!」

「何!?」

「辺境伯も…『王子の、私情ごときで、契約は曲げられん』と、ご命令を、拒否いたしました!」

「(なっ…! あの、氷の堅物が…! わたくしに、逆らっただと!?)」

エドワードの、全身の血が、頭に上っていくのがわかった。

「はっ…! そして、わたくしが『反逆と見なす』と、申し上げたところ…!」

「(…(ゴクリ)…)」

「…辺境伯は、剣を抜き…!」

「(剣を…!? わたくしの、使者に対してか!?)」

「は、はい…! そして…こう、おっしゃいました…!」

使者は、思い出すだけでも、恐ろしい、というように、声を震わせる。

「『ルーシュ様は、俺の、庇護下にある』と…!」

「(………………………………)」

エドワードの頭の中で、何かが、プツリ、と切れる音がした。

(…俺の、庇護下にある、だと…?)

エドワードの顔から、カレンを心配する「焦り」が消え失せ、冷たい、冷酷な「怒り」が、その表面を覆い尽くした。

(あの、ルーシュが…)
(わたくしが、捨ててやった、あの女が…!)
(わたくしの命令を『毛根』ごときで、拒否した)

(そして、あの、アラン・クライストが…!)
(わたくしが、監視役として、送ってやった、ただの辺境伯が…!)
(わたくしの命令を『私情』と断じ、あまつさえ、わたくしの元・婚約者を『俺の庇護下』と、抜かした…!)

「……………許さん」

地を這うような、低い声が、エドワードの口から漏れた。

「王子…?」

「許さんぞ…! ルーシュ・フォン・ヴァインベルグ! アラン・ディーク・フォン・クライスト!」

エドワードの、青い瞳が、憎悪に、燃えていた。

(わたくしを…! このわたくしを、コケにした…!)
(あいつらは、二人して、辺境の地で、わたくしを、嘲笑っているんだ!)
(わたくしから逃げ切り、二人で、仲睦まじく、やっているとでも、いうのか!?)

「(ゲホッ…! ゲホッ…!)」

カレンの、苦しそうな咳が、エドワードを、現実に引き戻す。

(そうだ…カレンだ。カレンが、死んでしまう)
(あいつらが、あの『薬』を、出さないせいで!)

「(くそっ…!)」

プライド(Pride)。
元・婚約者への、意地。
現・婚約者への、愛。
そして、カレンを失うことへの、恐怖。

それら、すべてが、ぐちゃぐちゃに混ざり合い、エドワードの、か細い理性を、破壊した。

「…そうか。来ない、というのか」

エドワードは、不気味なほど、静かに、立ち上がった。

「ならば」

「王子…? まさか…」

「わたくしが、自ら、行く」

「(なっ…!?)お、お待ちください! 危険です! 辺境伯は、反逆の意志を、明確に…!」

「反逆者か! 上等だ!」

エドワードは、壁にかかっていた、自らの儀礼用の剣を、乱暴に、引き抜いた。

「わたくし自らが、軍を率いて、あの、反逆者どもを、討伐する!」

「(ぐ、軍を…!?)」

使者が、息を呑む。

「あの女(ルーシュ)を、力ずくで、王都(ここ)へ、引きずり出し、カレンの薬を、作らせる!」
「そして、わたくしに逆らった、アラン・クライストを、反逆者として、処刑台に送ってやる!」

「お、王子! ご早計を! 国王陛下の、許可も、なしに…!」

「うるさい! わたくしの、私兵(しへい)を集めろ! 今すぐにだ!」

エドワードは、もはや、誰の言葉も、耳に入っていなかった。

(待っていろ、ルーシュ…! アラン…!)
(わたくしに、恥をかかせた罪! その身をもって、償わせてやる!)
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