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「では、明日の朝に迎えを寄越す。それまでに身の回りの整理をしておけ」
「はい、シズル様! 朝食のメニューを楽しみにしています!」
シズルの豪華な馬車から降りたメモリーは、大きく手を振って彼を見送った。
場所は、王都の一等地にあるガストロ侯爵邸。
時刻は深夜だが、屋敷の窓からは煌々と明かりが漏れている。
「(ふふ、まだ起きていますわね、お父様)」
メモリーは慣れた足取りで玄関をくぐると、執事の挨拶もそこそこに食堂へと直行した。
予想通り、そこには恰幅の良い初老の男性――ガストロ侯爵が鎮座していた。
テーブルには、深夜とは思えない量の料理が並んでいる。
ローストチキン、チーズの盛り合わせ、そして山盛りのフライドポテト。
「ただいま戻りました、お父様」
「おお、メモリーか。お帰り。……で、どうだった? 王宮の料理は」
父は娘の顔を見るなり、第一声でメニューを確認した。
「婚約者とどうだったか」ではない。「料理はどうだったか」である。
この父にしてこの娘あり、だ。
「それが、最悪でしたの。前菜の途中で退席してしまいました」
「なんと! それは由々しき事態だな。……して、理由は?」
侯爵がチキンを齧りながら問う。
メモリーはドレスを脱ぎ捨てて(侍女が空中でキャッチした)、テーブルのポテトをつまみながら淡々と報告した。
「アラン殿下に婚約破棄されました」
「ぶふっ!!」
侯爵が盛大にワインを吹き出した。
「こ、婚約破棄だと!? あの王子、ついにやりおったか!」
「はい。私の食い意地が気に入らなかったようです」
「馬鹿者め! よく食べる女性こそ、家庭の太陽ではないか!」
侯爵はダンッとテーブルを叩いて憤慨した。
しかし、その怒りの方向性は少しズレていた。
「婚約破棄ということは……つまり、来月の結婚式で振る舞われるはずだった『幻の七色ウェディングケーキ』が食べられないということか!?」
「そうなりますね」
「あああああ! なんてことだ! ワシはあのケーキのために、先週から胃の調整をしていたというのに!」
父は頭を抱えて絶望した。
娘が王族になれないことや、家門の不名誉など、彼の頭の中には1ミリも存在していないようだ。
「お父様、気を落とさないでください。捨てる神あれば拾う神あり、です」
メモリーはニヤリと笑い、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
先ほど、別れ際にシズルから渡された『雇用契約書』である。
「実は、新しい就職先が決まりました」
「就職? 修道院ではなくか?」
「隣国のクリムゾン公爵家です。『味見役』として雇われました」
「クリムゾン……? あの、海沿いの領地を持つ?」
侯爵の涙がピタリと止まる。
「はい。新鮮な魚介類が豊富で、専属シェフは世界中から集められた精鋭だそうです。契約条件は『三食おやつ付き、おかわり自由』。さらに、実家への『季節の贈り物』として、毎月新鮮なカニとウニが送られてくるそうです」
「カニとウニ!!!!」
侯爵がガタッと椅子から立ち上がった。
その瞳は、先ほどの絶望が嘘のように輝いている。
「でかしたぞメモリー! さすがワシの娘だ! 王子などという偏食家より、グルメな公爵の方が100倍良いに決まっておる!」
「でしょう? 私もそう思いました」
「よし、直ちに荷造りだ! 嫁入り道具はいらん、胃薬だけ持っていけ!」
父娘が固い握手(とハイタッチ)を交わしていると、執事が恭しく入室してきた。
「旦那様、クリムゾン公爵家より、早馬で使いの方がいらっしゃいました」
「なんと早い! 入れて差し上げろ!」
現れたのは、燕尾服を着た初老の従者だった。
彼はうやうやしく一礼すると、巨大な木箱を二つ、ドンと床に置いた。
「夜分遅くに失礼いたします。我が主、シズル・ド・クリムゾンより、メモリー様への『手付金』をお持ちいたしました」
「手付金?」
メモリーと父が顔を見合わせる。
従者が木箱の蓋を開けると――。
そこには、氷の上に鎮座する、見たこともないほど巨大な伊勢海老と、瓶詰めの高級キャビアがぎっしりと詰まっていた。
「ひょええええええ!!」
ガストロ家の食堂に、父娘の歓喜の悲鳴が響き渡る。
「こ、これは……北方海域でしか獲れない『エンペラー・ロブスター』!?」
「キャビアも粒が大きい! 宝石箱ですわ!」
従者は微笑みながら、一枚の手紙を侯爵に差し出した。
そこには、流麗な筆記体でこう書かれていた。
『娘さんの胃袋は、私が責任を持って引き受けた。
今後、彼女の食費は全て当家が負担する。
追伸:このロブスターは刺身が美味い』
「…………」
侯爵は震える手で手紙を読み終えると、厳かに頷いた。
「……メモリーよ」
「はい、お父様」
「行ってこい。いや、もう帰ってこなくていい。骨を埋める覚悟で食べてくるのだ」
「はい! 任せてください!」
こうして。
「婚約破棄された娘がどうなるか」という世間一般的な悲劇の夜は、ガストロ家においては「ロブスターの刺身パーティー」へと変貌を遂げた。
翌朝。
アラン王子から「昨夜のニンジンはどういう意味だ! 説明に来い!」という怒りの使者が到着したが、その頃にはすでにメモリーは屋敷にいなかった。
彼女はすでに、シズルの用意した馬車の中で、朝食のサンドイッチ(具材3倍増量)を頬張っていたのである。
「はい、シズル様! 朝食のメニューを楽しみにしています!」
シズルの豪華な馬車から降りたメモリーは、大きく手を振って彼を見送った。
場所は、王都の一等地にあるガストロ侯爵邸。
時刻は深夜だが、屋敷の窓からは煌々と明かりが漏れている。
「(ふふ、まだ起きていますわね、お父様)」
メモリーは慣れた足取りで玄関をくぐると、執事の挨拶もそこそこに食堂へと直行した。
予想通り、そこには恰幅の良い初老の男性――ガストロ侯爵が鎮座していた。
テーブルには、深夜とは思えない量の料理が並んでいる。
ローストチキン、チーズの盛り合わせ、そして山盛りのフライドポテト。
「ただいま戻りました、お父様」
「おお、メモリーか。お帰り。……で、どうだった? 王宮の料理は」
父は娘の顔を見るなり、第一声でメニューを確認した。
「婚約者とどうだったか」ではない。「料理はどうだったか」である。
この父にしてこの娘あり、だ。
「それが、最悪でしたの。前菜の途中で退席してしまいました」
「なんと! それは由々しき事態だな。……して、理由は?」
侯爵がチキンを齧りながら問う。
メモリーはドレスを脱ぎ捨てて(侍女が空中でキャッチした)、テーブルのポテトをつまみながら淡々と報告した。
「アラン殿下に婚約破棄されました」
「ぶふっ!!」
侯爵が盛大にワインを吹き出した。
「こ、婚約破棄だと!? あの王子、ついにやりおったか!」
「はい。私の食い意地が気に入らなかったようです」
「馬鹿者め! よく食べる女性こそ、家庭の太陽ではないか!」
侯爵はダンッとテーブルを叩いて憤慨した。
しかし、その怒りの方向性は少しズレていた。
「婚約破棄ということは……つまり、来月の結婚式で振る舞われるはずだった『幻の七色ウェディングケーキ』が食べられないということか!?」
「そうなりますね」
「あああああ! なんてことだ! ワシはあのケーキのために、先週から胃の調整をしていたというのに!」
父は頭を抱えて絶望した。
娘が王族になれないことや、家門の不名誉など、彼の頭の中には1ミリも存在していないようだ。
「お父様、気を落とさないでください。捨てる神あれば拾う神あり、です」
メモリーはニヤリと笑い、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
先ほど、別れ際にシズルから渡された『雇用契約書』である。
「実は、新しい就職先が決まりました」
「就職? 修道院ではなくか?」
「隣国のクリムゾン公爵家です。『味見役』として雇われました」
「クリムゾン……? あの、海沿いの領地を持つ?」
侯爵の涙がピタリと止まる。
「はい。新鮮な魚介類が豊富で、専属シェフは世界中から集められた精鋭だそうです。契約条件は『三食おやつ付き、おかわり自由』。さらに、実家への『季節の贈り物』として、毎月新鮮なカニとウニが送られてくるそうです」
「カニとウニ!!!!」
侯爵がガタッと椅子から立ち上がった。
その瞳は、先ほどの絶望が嘘のように輝いている。
「でかしたぞメモリー! さすがワシの娘だ! 王子などという偏食家より、グルメな公爵の方が100倍良いに決まっておる!」
「でしょう? 私もそう思いました」
「よし、直ちに荷造りだ! 嫁入り道具はいらん、胃薬だけ持っていけ!」
父娘が固い握手(とハイタッチ)を交わしていると、執事が恭しく入室してきた。
「旦那様、クリムゾン公爵家より、早馬で使いの方がいらっしゃいました」
「なんと早い! 入れて差し上げろ!」
現れたのは、燕尾服を着た初老の従者だった。
彼はうやうやしく一礼すると、巨大な木箱を二つ、ドンと床に置いた。
「夜分遅くに失礼いたします。我が主、シズル・ド・クリムゾンより、メモリー様への『手付金』をお持ちいたしました」
「手付金?」
メモリーと父が顔を見合わせる。
従者が木箱の蓋を開けると――。
そこには、氷の上に鎮座する、見たこともないほど巨大な伊勢海老と、瓶詰めの高級キャビアがぎっしりと詰まっていた。
「ひょええええええ!!」
ガストロ家の食堂に、父娘の歓喜の悲鳴が響き渡る。
「こ、これは……北方海域でしか獲れない『エンペラー・ロブスター』!?」
「キャビアも粒が大きい! 宝石箱ですわ!」
従者は微笑みながら、一枚の手紙を侯爵に差し出した。
そこには、流麗な筆記体でこう書かれていた。
『娘さんの胃袋は、私が責任を持って引き受けた。
今後、彼女の食費は全て当家が負担する。
追伸:このロブスターは刺身が美味い』
「…………」
侯爵は震える手で手紙を読み終えると、厳かに頷いた。
「……メモリーよ」
「はい、お父様」
「行ってこい。いや、もう帰ってこなくていい。骨を埋める覚悟で食べてくるのだ」
「はい! 任せてください!」
こうして。
「婚約破棄された娘がどうなるか」という世間一般的な悲劇の夜は、ガストロ家においては「ロブスターの刺身パーティー」へと変貌を遂げた。
翌朝。
アラン王子から「昨夜のニンジンはどういう意味だ! 説明に来い!」という怒りの使者が到着したが、その頃にはすでにメモリーは屋敷にいなかった。
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