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「……草だ」
翌朝。
陽光が降り注ぐテラスでの朝食。
シズルは目の前に置かれた皿を見て、心底うんざりした声を上げた。
そこには、瑞々しいレタス、キュウリ、ルッコラ、そして色鮮やかなパプリカが山盛りにされた、特大のサラダボウルが鎮座していた。
「セバス。私はいつからウサギになったんだ? この屋敷には肉がないのか?」
「旦那様、栄養バランスを考えませんと……」
執事のセバスが困り顔で諌めるが、シズルはフォークを持とうともしない。
「下げろ。緑色は見るだけで食欲が減退する」
「待ったぁぁぁ!!」
またしても、食卓に衝撃音が響く。
メモリーである。
彼女は今、焼きたてのクロワッサンをリスのように頬張っている最中だったが、シズルの暴言を聞き逃さなかった。
「シズル様! 野菜を『草』呼ばわりするとは何事ですか! 彼らは太陽の光を浴びて育った、大地の宝石ですよ!?」
「宝石は食べられないだろう。それに、この青臭さがどうも気に食わん」
シズルが不機嫌そうに顔を背ける。
メモリーは「やれやれ」と首を振り、自分のサラダボウルを引き寄せた。
「いいですか? 野菜が青臭いのは、調理法が間違っているか、食べ合わせを知らないだけです。……セバスさん、アレを持ってきて」
「は、はい。こちらに」
セバスが恭しく差し出したのは、小瓶に入った琥珀色の液体だった。
メモリーが昨晩、厨房の片隅で密かに調合していた『特製ドレッシング』である。
「これを……こうして、たっぷりとかけます!」
とろ~り。
炒めたタマネギの甘み、醤油の香ばしさ、そして隠し味のリンゴ酢が混ざり合った芳醇な香りが、テラスの空気を支配する。
「そして、こうやって野菜とカリカリに焼いたベーコンを、パンに挟んで……ガブッといきます!」
メモリーは大きく口を開け、豪快にサンドイッチにかぶりついた。
シャキッ! パリッ! ジュワッ!
野菜の小気味良い食音と、ベーコンの脂が弾ける音が重奏を奏でる。
「ん~っ!! シャキシャキのレタスが、ベーコンの塩気を中和して……口の中が爽やか! これなら無限に食べられますわ!」
「…………」
シズルが、じっとその光景を見つめている。
彼が見ているのはサンドイッチではない。
あまりにも幸せそうに、口の端にドレッシングをつけながら頬張る、メモリーの顔だ。
「……そんなに美味いか?」
「美味しいに決まっています! ほら、シズル様も騙されたと思って一口!」
メモリーは新しく作ったサンドイッチを、迷いなくシズルの口元へ差し出した。
昨日のお返しと言わんばかりの、強引な餌付けである。
シズルは一瞬ためらったが、メモリーの瞳があまりにも真っ直ぐで、拒否権がないことを悟った。
観念して口を開ける。
ザクッ。
「……む」
シズルの目がわずかに見開かれる。
「……青臭くない」
「でしょう? ドレッシングのタマネギが野菜のクセを消して、逆に甘みを引き立てているんです。野菜は脇役じゃありません。お肉を引き立てる最高の相棒なんです!」
「相棒、か……」
シズルは咀嚼を続け、やがてゴクリと飲み込んだ。
胸焼けも吐き気もしない。
それどころか、もっと食べたいという欲求が胃の底から湧き上がってくる。
「……君の言う通りだ」
シズルはナプキンで口を拭うと、不意に柔らかく微笑んだ。
それはいつもの冷笑ではない。
氷が溶け、春の水面が揺れるような、甘やかな微笑みだった。
「君が食べているのを見ると、毒草ですら珍味に見えてくるから不思議だ」
「へ? 毒草?」
「ああ。君が『美味しい』と言えば、世界中のどんなゲテモノでも極上の料理に変わる気がする。……これは一種の魔法だな」
シズルはテーブル越しに身を乗り出し、メモリーの頬についたパン屑を指先で取った。
そして、それを自分の口へと運ぶ。
「契約して正解だったよ、私の『味見役』」
ドキン。
心臓が跳ねた。
しかし、メモリーの思考回路は即座に『恋愛』ではなく『食欲』へと変換を行う。
「(……い、今の言葉はつまり、『もっとたくさん食べて、僕に食欲を分けてくれ』という意味ですね!? 了解です、任せてください!)」
「褒めていただき光栄です! では、遠慮なくおかわりをいただきますね!」
「……くくっ、そうこなくてはな」
色気より食い気。
シズルの熱っぽい視線にも気づかず、メモリーは二つ目のクロワッサンへと手を伸ばした。
その様子を遠巻きに見ていた使用人たちが、「旦那様が笑った……!」「野菜を完食された……!」「明日からサラダ記念日にしよう」と涙ぐんでいるのを、二人はまだ知らない。
こうして。
偏食家の公爵と、健啖家の悪役令嬢。
奇妙な主従関係は、胃袋という最強の絆で結ばれたのだった。
だが、平和な食事の時間は長くは続かない。
王都では、プライドをズタズタにされた「あの男」が、次なる嫌がらせの準備を進めていたからだ。
「見ていろメモリー……! 私の愛(という名の支配)からは逃げられんぞ……!」
翌朝。
陽光が降り注ぐテラスでの朝食。
シズルは目の前に置かれた皿を見て、心底うんざりした声を上げた。
そこには、瑞々しいレタス、キュウリ、ルッコラ、そして色鮮やかなパプリカが山盛りにされた、特大のサラダボウルが鎮座していた。
「セバス。私はいつからウサギになったんだ? この屋敷には肉がないのか?」
「旦那様、栄養バランスを考えませんと……」
執事のセバスが困り顔で諌めるが、シズルはフォークを持とうともしない。
「下げろ。緑色は見るだけで食欲が減退する」
「待ったぁぁぁ!!」
またしても、食卓に衝撃音が響く。
メモリーである。
彼女は今、焼きたてのクロワッサンをリスのように頬張っている最中だったが、シズルの暴言を聞き逃さなかった。
「シズル様! 野菜を『草』呼ばわりするとは何事ですか! 彼らは太陽の光を浴びて育った、大地の宝石ですよ!?」
「宝石は食べられないだろう。それに、この青臭さがどうも気に食わん」
シズルが不機嫌そうに顔を背ける。
メモリーは「やれやれ」と首を振り、自分のサラダボウルを引き寄せた。
「いいですか? 野菜が青臭いのは、調理法が間違っているか、食べ合わせを知らないだけです。……セバスさん、アレを持ってきて」
「は、はい。こちらに」
セバスが恭しく差し出したのは、小瓶に入った琥珀色の液体だった。
メモリーが昨晩、厨房の片隅で密かに調合していた『特製ドレッシング』である。
「これを……こうして、たっぷりとかけます!」
とろ~り。
炒めたタマネギの甘み、醤油の香ばしさ、そして隠し味のリンゴ酢が混ざり合った芳醇な香りが、テラスの空気を支配する。
「そして、こうやって野菜とカリカリに焼いたベーコンを、パンに挟んで……ガブッといきます!」
メモリーは大きく口を開け、豪快にサンドイッチにかぶりついた。
シャキッ! パリッ! ジュワッ!
野菜の小気味良い食音と、ベーコンの脂が弾ける音が重奏を奏でる。
「ん~っ!! シャキシャキのレタスが、ベーコンの塩気を中和して……口の中が爽やか! これなら無限に食べられますわ!」
「…………」
シズルが、じっとその光景を見つめている。
彼が見ているのはサンドイッチではない。
あまりにも幸せそうに、口の端にドレッシングをつけながら頬張る、メモリーの顔だ。
「……そんなに美味いか?」
「美味しいに決まっています! ほら、シズル様も騙されたと思って一口!」
メモリーは新しく作ったサンドイッチを、迷いなくシズルの口元へ差し出した。
昨日のお返しと言わんばかりの、強引な餌付けである。
シズルは一瞬ためらったが、メモリーの瞳があまりにも真っ直ぐで、拒否権がないことを悟った。
観念して口を開ける。
ザクッ。
「……む」
シズルの目がわずかに見開かれる。
「……青臭くない」
「でしょう? ドレッシングのタマネギが野菜のクセを消して、逆に甘みを引き立てているんです。野菜は脇役じゃありません。お肉を引き立てる最高の相棒なんです!」
「相棒、か……」
シズルは咀嚼を続け、やがてゴクリと飲み込んだ。
胸焼けも吐き気もしない。
それどころか、もっと食べたいという欲求が胃の底から湧き上がってくる。
「……君の言う通りだ」
シズルはナプキンで口を拭うと、不意に柔らかく微笑んだ。
それはいつもの冷笑ではない。
氷が溶け、春の水面が揺れるような、甘やかな微笑みだった。
「君が食べているのを見ると、毒草ですら珍味に見えてくるから不思議だ」
「へ? 毒草?」
「ああ。君が『美味しい』と言えば、世界中のどんなゲテモノでも極上の料理に変わる気がする。……これは一種の魔法だな」
シズルはテーブル越しに身を乗り出し、メモリーの頬についたパン屑を指先で取った。
そして、それを自分の口へと運ぶ。
「契約して正解だったよ、私の『味見役』」
ドキン。
心臓が跳ねた。
しかし、メモリーの思考回路は即座に『恋愛』ではなく『食欲』へと変換を行う。
「(……い、今の言葉はつまり、『もっとたくさん食べて、僕に食欲を分けてくれ』という意味ですね!? 了解です、任せてください!)」
「褒めていただき光栄です! では、遠慮なくおかわりをいただきますね!」
「……くくっ、そうこなくてはな」
色気より食い気。
シズルの熱っぽい視線にも気づかず、メモリーは二つ目のクロワッサンへと手を伸ばした。
その様子を遠巻きに見ていた使用人たちが、「旦那様が笑った……!」「野菜を完食された……!」「明日からサラダ記念日にしよう」と涙ぐんでいるのを、二人はまだ知らない。
こうして。
偏食家の公爵と、健啖家の悪役令嬢。
奇妙な主従関係は、胃袋という最強の絆で結ばれたのだった。
だが、平和な食事の時間は長くは続かない。
王都では、プライドをズタズタにされた「あの男」が、次なる嫌がらせの準備を進めていたからだ。
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