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翌朝、私は天蓋付きの豪華すぎるベッドの中で目を覚ました。
あまりの寝心地の良さに、「ここは天国か、あるいは揚げパンの中か」と寝ぼけたことを考えてしまった。
しかし、現実は非情である。
枕元には、昨夜の残骸である空のバスケットが寂しく置かれていた。
「……夢じゃ、なかったのね」
鏡を見れば、寝癖で爆発した頭の男爵令嬢がそこにいた。
昨夜の騒動が嘘のように静かな朝だが、私の心臓は朝食への期待と将来への不安でバクバクといっている。
そこへ、遠慮のないノックの音が響いた。
「失礼するわよ! 起きてるかしら、揚げパン……じゃなくて、ナジャ様!」
返事をする間もなく扉が勢いよく開き、一人の女性が風のように入ってきた。
昨夜、婚約を破棄されたばかりの公爵令嬢、ユーフェミア様だ。
彼女はなぜか、昨日までのひらひらしたドレスではなく、動きやすそうな細身の乗馬服のような格好をしていた。
そしてその手には、ずっしりと重そうな鉄の塊が握られている。
「ご、ごきげんよう、ユーフェミア様。……その手に持っていらっしゃる不穏なものは何ですか?」
「これ? これは特注の鉄アレイよ。昨夜、殿下から解放された瞬間に、自分の中に眠る『筋肉への渇望』に気づいたの!」
ユーフェミア様は、私の目の前でぐっと拳を握り、見事な上腕二頭筋を披露しようとした。
残念ながら服の上からはよく分からなかったが、彼女の瞳はかつてないほど輝いている。
「ナジャ様、本当にありがとう! あなたがあの場に現れて、美味しそうにパンを食べてくれたおかげで、私は自由になれたわ!」
彼女は鉄アレイを床に置くと(ドンッという物凄い音がした)、私の両手をがっしりと掴んだ。
「……痛っ、ユーフェミア様、力が、力が強いです!」
「あら、ごめんなさい。これでもセーブしているつもりなのだけど。いい、ナジャ様。あなたには今日から、私の後任として頑張ってもらわなきゃ困るわ」
ユーフェミア様は、私の手を握ったままぶんぶんと上下に振った。
握手というより、もはやプロレスの試合開始前の儀式のようだ。
「あの、私、殿下に拉致されただけで……。正式な婚約者になったわけでは……」
「アリステア様が一度言い出したら、テコでも動かないわよ。あの方はね、見た目は麗しいけれど、中身は筋金入りの変人なんですもの。普通の令嬢じゃ三日ももたないわ」
元婚約者の言葉には、重みがある。
「変人……やっぱりそうですよね。だって、揚げパン食べてる女を指差して『婚約者だ』なんて、正気の沙汰じゃありません」
「そう! あの方は合理主義が行き過ぎて、情緒というものが欠落しているの。でも、ナジャ様。あなたなら大丈夫よ」
ユーフェミア様は、なぜか自信満々に頷いた。
「どうしてですか?」
「だって、あなた、今この状況で『朝食は何が出るのかしら』って考えてるでしょ?」
「……どうしてバレたんですか」
「顔に書いてあるわ。その図太さ……失礼、その純粋な生命力こそが、あの捻くれ王子に対抗できる唯一の武器よ」
ユーフェミア様は私の肩をパシパシと叩いた。
公爵令嬢とは思えない豪快さだ。
「さあ、いつまでも寝癖をつけていないで。今日はこれから、アリステア様と一緒に朝食を摂る予定になっているわよ」
「殿下と、朝食……。毒見とか必要ですかね?」
「あはは! 面白い冗談ね! ……あ、でも、あの人は自分の嫌いな野菜をこっそり君の皿に移してくるかもしれないから、そこだけは気をつけて」
それは毒よりもタチが悪いかもしれない。
「私はこれから領地へ発つわ。最強の肉体を手に入れたら、また遊びに来るわね。ナジャ様、死なない程度に頑張って!」
ユーフェミア様は再び鉄アレイを軽々と持ち上げると、嵐のように去っていった。
後に残されたのは、圧倒された私と、少しだけ歪んだ私の手首。
そして、お腹の虫が「ぐぅ」と盛大に鳴り響いた。
嵐の前の静けさは終わりだ。
私は意を決して、戦場……もとい、王宮の食堂へと向かう準備を始めた。
あまりの寝心地の良さに、「ここは天国か、あるいは揚げパンの中か」と寝ぼけたことを考えてしまった。
しかし、現実は非情である。
枕元には、昨夜の残骸である空のバスケットが寂しく置かれていた。
「……夢じゃ、なかったのね」
鏡を見れば、寝癖で爆発した頭の男爵令嬢がそこにいた。
昨夜の騒動が嘘のように静かな朝だが、私の心臓は朝食への期待と将来への不安でバクバクといっている。
そこへ、遠慮のないノックの音が響いた。
「失礼するわよ! 起きてるかしら、揚げパン……じゃなくて、ナジャ様!」
返事をする間もなく扉が勢いよく開き、一人の女性が風のように入ってきた。
昨夜、婚約を破棄されたばかりの公爵令嬢、ユーフェミア様だ。
彼女はなぜか、昨日までのひらひらしたドレスではなく、動きやすそうな細身の乗馬服のような格好をしていた。
そしてその手には、ずっしりと重そうな鉄の塊が握られている。
「ご、ごきげんよう、ユーフェミア様。……その手に持っていらっしゃる不穏なものは何ですか?」
「これ? これは特注の鉄アレイよ。昨夜、殿下から解放された瞬間に、自分の中に眠る『筋肉への渇望』に気づいたの!」
ユーフェミア様は、私の目の前でぐっと拳を握り、見事な上腕二頭筋を披露しようとした。
残念ながら服の上からはよく分からなかったが、彼女の瞳はかつてないほど輝いている。
「ナジャ様、本当にありがとう! あなたがあの場に現れて、美味しそうにパンを食べてくれたおかげで、私は自由になれたわ!」
彼女は鉄アレイを床に置くと(ドンッという物凄い音がした)、私の両手をがっしりと掴んだ。
「……痛っ、ユーフェミア様、力が、力が強いです!」
「あら、ごめんなさい。これでもセーブしているつもりなのだけど。いい、ナジャ様。あなたには今日から、私の後任として頑張ってもらわなきゃ困るわ」
ユーフェミア様は、私の手を握ったままぶんぶんと上下に振った。
握手というより、もはやプロレスの試合開始前の儀式のようだ。
「あの、私、殿下に拉致されただけで……。正式な婚約者になったわけでは……」
「アリステア様が一度言い出したら、テコでも動かないわよ。あの方はね、見た目は麗しいけれど、中身は筋金入りの変人なんですもの。普通の令嬢じゃ三日ももたないわ」
元婚約者の言葉には、重みがある。
「変人……やっぱりそうですよね。だって、揚げパン食べてる女を指差して『婚約者だ』なんて、正気の沙汰じゃありません」
「そう! あの方は合理主義が行き過ぎて、情緒というものが欠落しているの。でも、ナジャ様。あなたなら大丈夫よ」
ユーフェミア様は、なぜか自信満々に頷いた。
「どうしてですか?」
「だって、あなた、今この状況で『朝食は何が出るのかしら』って考えてるでしょ?」
「……どうしてバレたんですか」
「顔に書いてあるわ。その図太さ……失礼、その純粋な生命力こそが、あの捻くれ王子に対抗できる唯一の武器よ」
ユーフェミア様は私の肩をパシパシと叩いた。
公爵令嬢とは思えない豪快さだ。
「さあ、いつまでも寝癖をつけていないで。今日はこれから、アリステア様と一緒に朝食を摂る予定になっているわよ」
「殿下と、朝食……。毒見とか必要ですかね?」
「あはは! 面白い冗談ね! ……あ、でも、あの人は自分の嫌いな野菜をこっそり君の皿に移してくるかもしれないから、そこだけは気をつけて」
それは毒よりもタチが悪いかもしれない。
「私はこれから領地へ発つわ。最強の肉体を手に入れたら、また遊びに来るわね。ナジャ様、死なない程度に頑張って!」
ユーフェミア様は再び鉄アレイを軽々と持ち上げると、嵐のように去っていった。
後に残されたのは、圧倒された私と、少しだけ歪んだ私の手首。
そして、お腹の虫が「ぐぅ」と盛大に鳴り響いた。
嵐の前の静けさは終わりだ。
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