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朝食を終えた私を待っていたのは、目も眩むような「お姫様体験」だった。
案内されたのは、離宮の一画にある私専用の更衣室。
そこには、私の実家の全財産を叩いても一着買えるかどうかというレベルのドレスが、虹のように並んでいた。
「ナジャ様、こちらなどは、本日のお顔色によく映えるかと」
控えていた三人の侍女たちが、手際よく私を「解体」し、「洗浄」し、「再構築」していく。
朝からバラの香りがするお風呂に入れられ、肌がふやけるほど磨かれた。
実家では、お湯を沸かすのも薪がもったいないと節約していたというのに。
「……あの、そんなに引っ張らないでください。ウエストが、ウエストが悲鳴を上げています!」
「何を仰いますか。これだけ食べて、この細さ。まさに王家のために誂えたようなお体ですわ」
侍女さんの褒め言葉が、微妙に「たくさん食べる個体」として評価されている気がしてならない。
ようやく完成した私は、鏡の中の自分を見て絶句した。
そこにいたのは、口の周りに砂糖をつけた揚げパン少女ではなく、どこからどう見ても「高貴な深窓の令嬢」だった。
中身は相変わらず、おやつ時をカウントダウンしている食いしん坊なのだが。
一息つこうと、離宮のテラスへ出た時のことだ。
そこには、私の平穏を乱す不穏な足音が響いていた。
「――いたわ! この、泥棒猫!」
キンキンと響く高い声。
振り返ると、そこには昨夜の「真実の愛(自称)」のヒロイン、ルルさんが立っていた。
彼女は護衛の騎士を二人も従え、真っ赤な顔をして私を指差している。
私は手に持っていた、侍女さんが差し入れてくれたスコーンをそっと皿に戻した。
「……おはようございます、ルルさん。朝からお元気ですね。喉、枯れませんか?」
「ふん、余裕ぶっていられるのも今のうちよ! あなたが殿下を何か卑怯な術でたぶらかしたことは分かっているんだから!」
卑怯な術。
……揚げパンを無心で食べるという術のことだろうか。だとしたら、かなり高度な秘術だったのかもしれない。
「ルルさん、誤解です。私はただ、お腹が空いていただけなんです。殿下が勝手に私を拉致しただけで……」
「言い訳は見苦しいわ! いい? 殿下は一時的に、ユーフェミア様との堅苦しい関係に疲れて、あなたのような『珍獣』に興味を持っただけ。すぐに飽きられて捨てられるに決まっているわ」
珍獣。
昨日から、私の尊厳がじわじわと削り取られている気がする。
「そうなったら、私はあなたの実家を潰して、二度とパンが食べられないようにしてやるんだから!」
「……なんですって?」
私は、ルルさんの暴言を右から左へ受け流していたが、今の言葉だけは見逃せなかった。
実家を潰すのは、まあ、うちの家計は元から潰れかけだから百歩譲るとしても。
二度とパンが食べられないようにする、だと?
私はゆっくりと立ち上がり、ルルさんを一歩、追い詰めた。
「ルルさん。今、なんて言いました?」
「えっ……な、なによ。二度とパンが食べられないようにって……」
「それは、クロワッサンも含まれるのですか? それとも、食パンやバゲットだけを指しているのですか?」
「はあ!? 全部に決まっているじゃない!」
その瞬間、私の中で何かが弾けた。
食べ物の恨みは、国家存亡の危機よりも重い。
私はルルさんの目をまっすぐに見つめ、静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「いいですか、ルルさん。私は王妃になりたいわけでも、殿下と恋をしたいわけでもありません。でも、私のパンのある生活を脅かすというのなら――」
私は、テーブルの上にあったスコーンを一つ手に取ると、彼女の目の前で真っ二つに割った。
サクッという良い音が響く。
「――私は全力で、この地位にしがみつきますよ。パンのために」
「な、なによそれ……! 食べ物のために王太子妃になろうっていうの!?」
「そうです。愛よりも食欲の方が、よほど持続力があるんです。覚えておいてください」
ルルさんは私の迫力に押されたのか、ヒッと短い悲鳴を上げて後退した。
そこへ、背後から聞き慣れた冷ややかな声がした。
「……何をしている、騒々しい」
アリステア様だ。
彼はいつの間にいたのか、腕を組んでこちらを眺めていた。
「あ、アリステア様! 聞いてください、この女、パンのために王太子妃になるなんて不純なことを……!」
ルルさんが縋り付こうとするが、殿下は彼女を無視して、私の手にあるスコーンをじっと見た。
「ナジャ。そのスコーン、焼きたてか?」
「はい、まだ温かいです。……あ、半分いかがですか? クロテッドクリームもついてますよ」
「……頂こう」
殿下は当然のように私の隣に座り、スコーンを口にした。
放置されたルルさんが、顔を真っ青にして震えている。
「ルル。君はまだ、ここにいたのか。私の婚約者候補を脅迫する暇があるなら、自分の実家の不正調査の結果でも待っているんだな」
「え……? ふ、不正……?」
「君の父親が、小麦の流通を独占しようと画策していた件だ。ナジャのパンを奪おうとした報いだよ」
……殿下、仕事が早すぎる。
というか、その理由は建前ですよね? そうですよね?
ルルさんは泣き叫びながら騎士に連行されていった。
嵐が去ったテラスで、私と殿下は並んでスコーンを食べる。
「……殿下、ありがとうございます。パンの仇を討ってくださって」
「礼には及ばん。小麦の価格が上がれば、私の食卓にも影響が出るからな」
どこまでも合理的な殿下。
でも、少しだけ。
彼が私の「パンを守りたい」という気持ちを尊重してくれたようで、ほんのりスコーンの甘さが増した気がした。
案内されたのは、離宮の一画にある私専用の更衣室。
そこには、私の実家の全財産を叩いても一着買えるかどうかというレベルのドレスが、虹のように並んでいた。
「ナジャ様、こちらなどは、本日のお顔色によく映えるかと」
控えていた三人の侍女たちが、手際よく私を「解体」し、「洗浄」し、「再構築」していく。
朝からバラの香りがするお風呂に入れられ、肌がふやけるほど磨かれた。
実家では、お湯を沸かすのも薪がもったいないと節約していたというのに。
「……あの、そんなに引っ張らないでください。ウエストが、ウエストが悲鳴を上げています!」
「何を仰いますか。これだけ食べて、この細さ。まさに王家のために誂えたようなお体ですわ」
侍女さんの褒め言葉が、微妙に「たくさん食べる個体」として評価されている気がしてならない。
ようやく完成した私は、鏡の中の自分を見て絶句した。
そこにいたのは、口の周りに砂糖をつけた揚げパン少女ではなく、どこからどう見ても「高貴な深窓の令嬢」だった。
中身は相変わらず、おやつ時をカウントダウンしている食いしん坊なのだが。
一息つこうと、離宮のテラスへ出た時のことだ。
そこには、私の平穏を乱す不穏な足音が響いていた。
「――いたわ! この、泥棒猫!」
キンキンと響く高い声。
振り返ると、そこには昨夜の「真実の愛(自称)」のヒロイン、ルルさんが立っていた。
彼女は護衛の騎士を二人も従え、真っ赤な顔をして私を指差している。
私は手に持っていた、侍女さんが差し入れてくれたスコーンをそっと皿に戻した。
「……おはようございます、ルルさん。朝からお元気ですね。喉、枯れませんか?」
「ふん、余裕ぶっていられるのも今のうちよ! あなたが殿下を何か卑怯な術でたぶらかしたことは分かっているんだから!」
卑怯な術。
……揚げパンを無心で食べるという術のことだろうか。だとしたら、かなり高度な秘術だったのかもしれない。
「ルルさん、誤解です。私はただ、お腹が空いていただけなんです。殿下が勝手に私を拉致しただけで……」
「言い訳は見苦しいわ! いい? 殿下は一時的に、ユーフェミア様との堅苦しい関係に疲れて、あなたのような『珍獣』に興味を持っただけ。すぐに飽きられて捨てられるに決まっているわ」
珍獣。
昨日から、私の尊厳がじわじわと削り取られている気がする。
「そうなったら、私はあなたの実家を潰して、二度とパンが食べられないようにしてやるんだから!」
「……なんですって?」
私は、ルルさんの暴言を右から左へ受け流していたが、今の言葉だけは見逃せなかった。
実家を潰すのは、まあ、うちの家計は元から潰れかけだから百歩譲るとしても。
二度とパンが食べられないようにする、だと?
私はゆっくりと立ち上がり、ルルさんを一歩、追い詰めた。
「ルルさん。今、なんて言いました?」
「えっ……な、なによ。二度とパンが食べられないようにって……」
「それは、クロワッサンも含まれるのですか? それとも、食パンやバゲットだけを指しているのですか?」
「はあ!? 全部に決まっているじゃない!」
その瞬間、私の中で何かが弾けた。
食べ物の恨みは、国家存亡の危機よりも重い。
私はルルさんの目をまっすぐに見つめ、静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「いいですか、ルルさん。私は王妃になりたいわけでも、殿下と恋をしたいわけでもありません。でも、私のパンのある生活を脅かすというのなら――」
私は、テーブルの上にあったスコーンを一つ手に取ると、彼女の目の前で真っ二つに割った。
サクッという良い音が響く。
「――私は全力で、この地位にしがみつきますよ。パンのために」
「な、なによそれ……! 食べ物のために王太子妃になろうっていうの!?」
「そうです。愛よりも食欲の方が、よほど持続力があるんです。覚えておいてください」
ルルさんは私の迫力に押されたのか、ヒッと短い悲鳴を上げて後退した。
そこへ、背後から聞き慣れた冷ややかな声がした。
「……何をしている、騒々しい」
アリステア様だ。
彼はいつの間にいたのか、腕を組んでこちらを眺めていた。
「あ、アリステア様! 聞いてください、この女、パンのために王太子妃になるなんて不純なことを……!」
ルルさんが縋り付こうとするが、殿下は彼女を無視して、私の手にあるスコーンをじっと見た。
「ナジャ。そのスコーン、焼きたてか?」
「はい、まだ温かいです。……あ、半分いかがですか? クロテッドクリームもついてますよ」
「……頂こう」
殿下は当然のように私の隣に座り、スコーンを口にした。
放置されたルルさんが、顔を真っ青にして震えている。
「ルル。君はまだ、ここにいたのか。私の婚約者候補を脅迫する暇があるなら、自分の実家の不正調査の結果でも待っているんだな」
「え……? ふ、不正……?」
「君の父親が、小麦の流通を独占しようと画策していた件だ。ナジャのパンを奪おうとした報いだよ」
……殿下、仕事が早すぎる。
というか、その理由は建前ですよね? そうですよね?
ルルさんは泣き叫びながら騎士に連行されていった。
嵐が去ったテラスで、私と殿下は並んでスコーンを食べる。
「……殿下、ありがとうございます。パンの仇を討ってくださって」
「礼には及ばん。小麦の価格が上がれば、私の食卓にも影響が出るからな」
どこまでも合理的な殿下。
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