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王宮の聖堂は、これまでにないほど華やかな装飾に包まれていた。
ステンドグラスから差し込む七色の光、鳴り響くパイプオルガンの音。
そして何より、参列した貴族たちの度肝を抜いたのは、祭壇の横に積み上げられた「クロカンブッシュ」ならぬ「揚げパンタワー」であった。
「……ナジャ。誓いの言葉の最中に、あのタワーの頂上を狙うような目で見るのはやめろ。公務執行妨害で私が君を逮捕しなければならなくなる」
正装に身を包み、まばゆいばかりの美貌を放つアリステア様が、隣で小声に囁いた。
私も純白のドレスに身を包んでいるが、頭の中は先ほどから「どのタイミングでパンを口に運ぶか」というシミュレーションで一杯だ。
「殿下、無理を仰らないでください。あのきな粉の香りは、どんな高貴な香油よりも私の魂を揺さぶるのです。……あ、お父様と母様がもう三つ目を食べていますわ!」
客席の最前列では、ローレル男爵夫妻が感極まった様子で、用意された軽食を全速力で平らげていた。
もはや王宮の「食欲の守護聖人」として一部のシェフから崇められている二人だ。
「……君の血筋には恐れ入るな。……さあ、大司教がこちらを見ているぞ。覚悟を決めろ」
かつて私を鑑定しようとして逃げ出した大司教様が、震える手で聖書を開いた。
彼は私の「黄金の欲望」を知っているためか、心なしか声が上ずっている。
「……アリステア・ヴァン・ダルマスカ。あなたはナジャ・ローレルを妻とし、健やかなる時も、病める時も……そして、彼女の食欲が国庫を脅かす時も、慈しみ、守ることを誓いますか?」
……誓いの言葉に、不穏な一節が混じった気がする。
「誓おう。彼女の胃袋が満たされる限り、この国の平和は約束される。……私は彼女を、一生甘やかし、一生食べさせ、一生私の隣で笑わせ続けることを誓う」
アリステア様が、私の手を取り、その指先に誓いのキスを落とした。
その瞳には、かつての冷徹さは微塵もなく、ただ深い、とろけるような愛情だけが宿っている。
「……では、ナジャ・ローレル。あなたは、アリステアを夫とし、彼の愛を……そして、彼が用意する全ての献立を、残さず平らげることを誓いますか?」
「誓います! たとえメニューが百ページに及ぼうとも、私は一滴のソースすら残さず、完食してみせますわ!」
私の力強い宣言に、聖堂内にどっと歓声が上がった。
これほどまでに「完食」という言葉が似合う結婚式が、かつてあっただろうか。
誓いのキスの瞬間。
アリステア様は私の耳元で、そっと囁いた。
「ナジャ。……実は、この後のパレード用の馬車の中に、こっそり揚げパンの予備を隠しておいたぞ」
「……っ!? 殿下、あなたはやはり私の運命の人です!」
私たちは、祝福の拍手の中、手を取り合って聖堂を後にした。
馬車に乗り込んだ瞬間、扉が閉まると同時に、私たちはドレスも正装も構わずに、用意されていた秘密のバスケットを開けた。
「……あぁ、これです。この油と砂糖の暴力的なまでの幸福感……!」
「……ふっ。王太子妃になって最初の一口が揚げパンとはな。君らしい」
私たちは、豪華な馬車の中で、こっそりと揚げパンを頬張った。
サクッ、じゅわっ。
窓の外からは、国民たちの「ナジャ様万歳!」「揚げパン万歳!」という熱狂的な声が聞こえてくる。
「アリステア様。私、本当に幸せです。……美味しいものを、大好きな人と一緒に食べられる。これ以上の贅沢って、この世にありませんわね」
口の周りを砂糖だらけにした私を見て、アリステア様は優しく、そして少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「ああ、そうだな。……だが、私の贅沢はこれからだ。君が私の隣で、一生をかけて私の胃袋……ではなく、心を満足させてくれるのだから」
アリステア様は、私の口元についていた砂糖を指で掬い取ると、それを自分の口へ運んだ。
「……甘いな。君の幸せの味がする」
「……殿下、今の台詞、デザートの後のエスプレッソくらい効きましたわ」
私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
婚約破棄から始まった、ドタバタな私の「巻き込まれ」人生。
筋肉痛の日々も、毒入りの不味いお茶も、今ではすべてが最高のフルコースの一部のように思える。
これからの毎日が、どんな味になるのかは分からないけれど。
この人と一緒なら、きっとどんな困難も「おかわり」したくなるような、素晴らしい冒険になるに違いない。
「さあ、ナジャ。パレードが終わったら、披露宴の本番だ。料理長が腕によりをかけた、全四十八品の『ナジャ専用コース』が待っているぞ」
「四十八品!? ……受けて立ちますわ、殿下! 私の胃袋に不可能はありません!」
黄金色に輝く未来へ向かって、私たちの馬車は走り出した。
愛と食欲。
それは、世界を救う最強の調味料なのだから。
ステンドグラスから差し込む七色の光、鳴り響くパイプオルガンの音。
そして何より、参列した貴族たちの度肝を抜いたのは、祭壇の横に積み上げられた「クロカンブッシュ」ならぬ「揚げパンタワー」であった。
「……ナジャ。誓いの言葉の最中に、あのタワーの頂上を狙うような目で見るのはやめろ。公務執行妨害で私が君を逮捕しなければならなくなる」
正装に身を包み、まばゆいばかりの美貌を放つアリステア様が、隣で小声に囁いた。
私も純白のドレスに身を包んでいるが、頭の中は先ほどから「どのタイミングでパンを口に運ぶか」というシミュレーションで一杯だ。
「殿下、無理を仰らないでください。あのきな粉の香りは、どんな高貴な香油よりも私の魂を揺さぶるのです。……あ、お父様と母様がもう三つ目を食べていますわ!」
客席の最前列では、ローレル男爵夫妻が感極まった様子で、用意された軽食を全速力で平らげていた。
もはや王宮の「食欲の守護聖人」として一部のシェフから崇められている二人だ。
「……君の血筋には恐れ入るな。……さあ、大司教がこちらを見ているぞ。覚悟を決めろ」
かつて私を鑑定しようとして逃げ出した大司教様が、震える手で聖書を開いた。
彼は私の「黄金の欲望」を知っているためか、心なしか声が上ずっている。
「……アリステア・ヴァン・ダルマスカ。あなたはナジャ・ローレルを妻とし、健やかなる時も、病める時も……そして、彼女の食欲が国庫を脅かす時も、慈しみ、守ることを誓いますか?」
……誓いの言葉に、不穏な一節が混じった気がする。
「誓おう。彼女の胃袋が満たされる限り、この国の平和は約束される。……私は彼女を、一生甘やかし、一生食べさせ、一生私の隣で笑わせ続けることを誓う」
アリステア様が、私の手を取り、その指先に誓いのキスを落とした。
その瞳には、かつての冷徹さは微塵もなく、ただ深い、とろけるような愛情だけが宿っている。
「……では、ナジャ・ローレル。あなたは、アリステアを夫とし、彼の愛を……そして、彼が用意する全ての献立を、残さず平らげることを誓いますか?」
「誓います! たとえメニューが百ページに及ぼうとも、私は一滴のソースすら残さず、完食してみせますわ!」
私の力強い宣言に、聖堂内にどっと歓声が上がった。
これほどまでに「完食」という言葉が似合う結婚式が、かつてあっただろうか。
誓いのキスの瞬間。
アリステア様は私の耳元で、そっと囁いた。
「ナジャ。……実は、この後のパレード用の馬車の中に、こっそり揚げパンの予備を隠しておいたぞ」
「……っ!? 殿下、あなたはやはり私の運命の人です!」
私たちは、祝福の拍手の中、手を取り合って聖堂を後にした。
馬車に乗り込んだ瞬間、扉が閉まると同時に、私たちはドレスも正装も構わずに、用意されていた秘密のバスケットを開けた。
「……あぁ、これです。この油と砂糖の暴力的なまでの幸福感……!」
「……ふっ。王太子妃になって最初の一口が揚げパンとはな。君らしい」
私たちは、豪華な馬車の中で、こっそりと揚げパンを頬張った。
サクッ、じゅわっ。
窓の外からは、国民たちの「ナジャ様万歳!」「揚げパン万歳!」という熱狂的な声が聞こえてくる。
「アリステア様。私、本当に幸せです。……美味しいものを、大好きな人と一緒に食べられる。これ以上の贅沢って、この世にありませんわね」
口の周りを砂糖だらけにした私を見て、アリステア様は優しく、そして少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「ああ、そうだな。……だが、私の贅沢はこれからだ。君が私の隣で、一生をかけて私の胃袋……ではなく、心を満足させてくれるのだから」
アリステア様は、私の口元についていた砂糖を指で掬い取ると、それを自分の口へ運んだ。
「……甘いな。君の幸せの味がする」
「……殿下、今の台詞、デザートの後のエスプレッソくらい効きましたわ」
私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
婚約破棄から始まった、ドタバタな私の「巻き込まれ」人生。
筋肉痛の日々も、毒入りの不味いお茶も、今ではすべてが最高のフルコースの一部のように思える。
これからの毎日が、どんな味になるのかは分からないけれど。
この人と一緒なら、きっとどんな困難も「おかわり」したくなるような、素晴らしい冒険になるに違いない。
「さあ、ナジャ。パレードが終わったら、披露宴の本番だ。料理長が腕によりをかけた、全四十八品の『ナジャ専用コース』が待っているぞ」
「四十八品!? ……受けて立ちますわ、殿下! 私の胃袋に不可能はありません!」
黄金色に輝く未来へ向かって、私たちの馬車は走り出した。
愛と食欲。
それは、世界を救う最強の調味料なのだから。
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