悪役令嬢? 上等です。婚約破棄につき慰謝料を一括払いで請求します!

夏乃みのり

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辺境伯領に、待望の収穫祭の日がやってきた。


例年であれば、貧しさゆえに細々と行われるだけの寂しい行事だったらしい。


しかし、今年は違う。


悪代官ボルスの隠し財産没収と、『クリスタル・ジンジャー(旧・雑草大根)』の爆発的なヒットにより、領地はかつてない活気に満ちていた。


「いらっしゃい、いらっしゃい! これが王都で話題の『閣下の愛した味』だよ!」


「焼き串はいかが! ジンジャーソースかけ放題だ!」


広場には屋台が立ち並び、香ばしい匂いが漂っている。


領民たちの顔には笑顔が溢れ、あちこちで笑い声が聞こえる。


その光景を、私は領主館のテラスから見下ろしていた。


「……ふむ」


私の手には、当然ながら魔導計算機が握られている。


「屋台の出店料、売り上げの五%ロイヤリティ、観光客の宿泊費……。現時点での概算収益、金貨三百枚を突破しました」


チャリーン!


私の脳内で心地よい音が鳴る。


「予想以上の経済効果ですね。これなら、冬越しの燃料備蓄も十分に確保できそうです」


「……お前は、祭りを楽しもうという気はないのか」


背後から、呆れたような声がした。


振り返ると、そこには普段の軍服ではなく、少しラフなシャツ姿のジルベール様が立っていた。


前髪を下ろし、いつもの殺気も消している(当社比)。


その姿に、近くにいたメイドたちが「きゃあ……閣下、素敵……」「私服の破壊力が……」と顔を赤らめて囁き合っている。


確かに、黙っていればモデル並みの美丈夫だ。黙っていれば。


「楽しんでいますよ、閣下。数字が増えていく様子を見るのは、何よりのエンターテインメントですから」


「……そうかよ」


ジルベール様はため息をつき、私の隣に立った。


「だが、せっかくの祭りだ。少しは降りて見て回らないか? 領民たちも、お前の顔を見たがっている」


「視察ですね。いいでしょう。屋台の衛生管理状況もチェックしておきたいですし」


私は手帳をポケットにしまい、立ち上がった。


「エスコートをお願いします、閣下」


「……御意」


ジルベール様が少し嬉しそうに腕を差し出す。


私はその腕に手を添え、私たちは賑わう広場へと繰り出した。





広場に降り立つと、すぐに私たちは注目の的となった。


「あ! 領主様だ!」
「リーリン様ー! ありがとうー!」
「こっちの焼きとうもろこし食べてって!」


領民たちが次々と声をかけてくる。


かつては「氷の閣下」と恐れられていたジルベール様だが、あの『微笑みポスター』が出回って以来、領民たちの彼を見る目も変わってきていた。


「閣下! いい笑顔のポスターでしたぜ! あれ見て俺、嫁さんに優しくしようって決めました!」


「閣下、意外と甘党なんですね! クレープサービスしますよ!」


「……う、うむ」


ジルベール様は、突然の親愛の情に戸惑いながらも、まんざらでもなさそうに頷いている。


「よかったですね、閣下。イメージアップ戦略は成功です」


私が小声で囁くと、彼は「……お前の掌の上で転がされている気がしてならん」と苦笑した。


屋台を巡りながら、私たちは少し離れた川沿いのベンチで休憩することにした。


ここからは祭りの喧騒が少し遠くに聞こえ、静かな時間が流れている。


「……リーリン」


不意に、ジルベール様が改まった声を出した。


「はい?」


彼は懐から、小さな包みを取り出した。


綺麗な包装紙に包まれた、掌サイズの箱だ。


「これ、やる」


彼はぶっきらぼうに、それを私に押し付けた。


「なんですか、これ? 新商品のサンプルですか?」


「違う。……贈り物だ」


「贈り物?」


私は箱を受け取り、首を傾げた。


「誕生日でもありませんし、ボーナス支給日でもありませんが」


「……日頃の礼だ。お前が来てから、領地は救われた。俺も救われた。だから……その、感謝の気持ちだ」


ジルベール様が、そっぽを向いて鼻の頭を指で擦る。耳が赤い。


(……あら)


私は少し驚いた。


この不器用な魔王様が、わざわざプレゼントを用意するなんて。


「開けても?」


「ああ」


私はリボンを解き、箱を開けた。


中に入っていたのは――。


「……!」


大粒のサファイアがあしらわれた、銀のブローチだった。


デザインはシンプルだが、石の質は極上。深い青色が、月明かりの下で神秘的に輝いている。


「綺麗……」


思わず本音が漏れた。


「お前の瞳の色に似ていると思ってな。……王都の商人が来た時に、こっそり注文しておいたんだ」


ジルベール様が、私の反応を伺うようにチラリとこちらを見る。


「どうだ? 気に入ったか?」


私はブローチを光にかざし、じっと見つめた。


そして、おもむろに口を開いた。


「……素晴らしい透明度です。クラリティはVVSクラス、カットもエクセレント。台座もプラチナですね」


私は魔導計算機を取り出し、カタカタと叩いた。


「推定市場価格、金貨三百五十枚……いえ、デザイン料込みで四百枚は下らないでしょう」


「……おい」


ジルベール様の顔が引きつり始める。


私は真剣な顔で彼に向き直った。


「閣下。この資金源はどこから? 領の経費ではありませんよね? 監査で見落とした裏金がまだあったのですか?」


「違う! 俺のポケットマネーだ! 昔、魔獣討伐の報奨金で貯めていたやつを崩したんだ!」


「なるほど、個人資産ですか。それなら法的には問題ありません」


私はホッと息をつき、ブローチを箱に戻した。


そして、その箱をジルベール様に突き返した。


「では、これを換金してきてください」


「は?」


ジルベール様が固まった。


「ですから、返品(リファンド)です。四百枚あれば、北の川にかかる老朽化した橋を修繕できます」


「……」


「あの橋は物流の要です。あそこが崩落すれば、ジンジャーの出荷に三日の遅れが生じ、年間で約二割の機会損失が発生します。アクセサリー一つでそのリスクを回避できるなら、安い投資です」


私は淡々と説明した。


ロマンチックの欠片もない。


しかし、私にとってはこれが最大の「誠意」なのだ。


「閣下の感謝の気持ちは十分に受け取りました。その気持ちを、形ある石ではなく、領地のインフラという『未来』に変えましょう。それが私たちにとって最良の選択です」


私はニッコリと笑った。


完璧な提案だと思った。


しかし。


ジルベール様は、深い深いため息をついた。


「はぁぁぁ…………」


その溜息は、祭りの賑わいをかき消すほど重く、長かった。


「閣下? どうしました? 胃もたれですか?」


「……違う。心がもたれたんだ」


彼はガックリと肩を落とし、ブローチの箱を握りしめた。


「……お前という女は、本当にブレないな」


「ブレていたら計算を間違えますから」


「普通の令嬢なら、『嬉しい! 一生大事にします!』とか言って胸に着けるところだぞ」


「胸に着けても一円の利益も生みませんが、橋になれば永続的な利益を生みます。比較優位は明らかです」


「……くくっ」


突然、ジルベール様が笑い出した。


肩を震わせて、可笑しそうに。


「あははは! そうか、橋か! 俺の贈り物は、橋になるのか!」


「笑い事ではありませんよ。見積もりは早急に取る必要があります」


「分かった、分かったよ」


彼は涙を拭いながら、私を見た。


その目は、呆れを含んでいたが、それ以上に温かい光を宿していた。


「負けたよ、リーリン。お前の言う通りにしよう」


彼はブローチを懐にしまった。


「だが、換金はしない」


「え? なぜです? 橋が……」


「橋の修繕費は、俺がまた魔獣を狩って稼いでくる。このブローチは……いつかお前が、数字よりも感情を優先する日が来るまで、俺が預かっておく」


彼は立ち上がり、私の頭をポンと撫でた。


「いつになるか分からんがな。……気長に待つさ」


「……非効率的ですね」


「愛というのは、得てして非効率なものらしいぞ」


彼はニヤリと笑い、歩き出した。


「さあ、戻るぞ。祭りの締めくくりの花火が上がる時間だ」


私は少しだけ呆然として、彼の背中を見送った。


(……非効率。無駄。生産性ゼロ)


私の辞書にはない言葉だ。


けれど。


頭を撫でられた感触が、なぜか消えずに残っていた。


胸の奥が、計算違いを起こしたみたいに、少しだけ騒がしい。


(……調子が狂うわね)


私は小さく呟き、慌てて彼の後を追った。


「待ちたまえ、閣下! 花火の経費についても一言申し上げたいことが……!」


「今夜くらい、仕事の話はやめろ!」


夜空に、大輪の花火が打ち上がった。


色とりどりの光が、私たちの凸凹な影を照らし出していた。


その横顔を見上げながら、私は(橋にはならなかったけど、悪くない投資だったかもしれない)と、密かに思ったのだった。
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