悪役令嬢? 上等です。婚約破棄につき慰謝料を一括払いで請求します!

夏乃みのり

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「……行ったか」


私は窓から、遠ざかっていく郵便馬車を見送った。


荷台には、ジェラルド王子への返信――『手紙の燃えカス(灰)』と『処理費用請求書』が載せられている。


「ええ。追跡番号付きの書留で送りましたから、不達の言い訳はさせません」


私は振り返り、執務机に座るジルベール様に報告した。


「これでしばらくは、王都からの騒音(ノイズ)も止むでしょう」


「……だといいがな」


ジルベール様は書類にサインをしながら、どこか不機嫌そうにペンを走らせている。


「どうしました? 眉間のシワが深すぎて、峡谷ができそうですよ」


「……なんでもない」


彼はフンと鼻を鳴らした。


実は、昨夜の手紙事件以来、彼の機嫌が妙に悪い。


王子への怒りは収まったはずなのに、何か別のことで苛立っているようだ。


「カルシウム不足ですか? 干し小魚を経費で購入しましょうか」


「いらん」


会話が続かない。


その時、セバスチャンが困惑した顔で入ってきた。


「旦那様、リーリン様。……またしても、お客様でございます」


「王都の使者か? なら塩を撒いて追い返せ」


ジルベール様が即答する。


「いえ、それが……隣領の商業都市からお越しの、ハリー商会長とおっしゃる方で……」


「ハリー?」


私の耳がピクリと反応した。


「ハリー・マッケンジーですか? 若くして一代で財を成した、あの『物流の麒麟児』?」


「はい。リーリン様にぜひ商談をしたいと」


「通してください! VIP待遇で!」


私は椅子から飛び上がった。


ハリー商会といえば、大陸全土に物流網を持つ巨大企業だ。『クリスタル・ジンジャー』を国外へ輸出するには、彼らのコネクションが喉から手が出るほど欲しい。


「……チッ」


背後で、ジルベール様が舌打ちをした気がしたが、私は聞こえないふりをして髪を整えた。





応接室に現れたハリー氏は、噂通りの爽やかな美青年だった。


仕立ての良いスーツを着こなし、甘いマスクに知的な眼鏡。まさに「できる男」のオーラを纏っている。


「お初にお目にかかります、アークライト公爵令嬢……いや、今は辺境伯夫人のリーリン様ですね」


ハリー氏はスマートに挨拶し、私の手に口づけを落とそうとした。


ガシッ!!


その手が、私の手に触れる直前で、横から伸びてきた剛腕に掴まれた。


「……挨拶は言葉だけで十分だ」


ジルベール様だった。


彼はハリー氏の手首をギリギリと締め上げながら、ゼロ距離で睨みつけている。


「い、痛い……! 閣下、骨が……!」


「あら、閣下。握力トレーニングは後にしてください。商品(商会長の手)が破損します」


私が腕をペシッと叩くと、ジルベール様は不満げに手を離し、私の隣にドカッと座った。


その座り方は、まるで「ここは俺の縄張りだ」と主張する番犬のようだ。


「して、ご用件は? ジンジャーの取引でしょうか?」


私が切り出すと、ハリー氏は痛む手首をさすりながら、眼鏡の位置を直した。


「ええ、その件もありますが……本題は別です」


彼は懐から一枚の書類を取り出した。


「リーリン様。あなたをスカウトしに来ました」


「……はい?」


「噂はかねがね聞いております。破綻寸前だったこの領地を、わずか数週間で立て直したその手腕……まさに『黄金の女神』だ」


ハリー氏は熱っぽい視線を私に向けた。


「単刀直入に言います。我が商会の『最高財務責任者(CFO)』になっていただきたい」


「……!」


「年俸は金貨一千枚。さらにストックオプションとして自社株を5%譲渡します。勤務地は都会の真ん中、オフィスは最上階。もちろん、福利厚生も完備です」


金貨一千枚。


その提示額に、私の脳内のそろばんが高速回転を始めた。


(現在の私の報酬は、領地再建の成功報酬20%。しかし、これは不確定要素が大きい。対して、固定給で一千枚……しかも株付き……!)


「……悪くない条件ですね」


私がポツリと漏らすと、隣でジルベール様がビクッと反応した。


「り、リーリン……?」


「さらに」


ハリー氏は畳み掛けた。


「こんなド田舎……失礼、辺境での暮らしは不便でしょう? 我が街には劇場もオペラハウスもあります。最新のファッションもスイーツも手に入る。何より……」


彼はチラリとジルベール様を見た。


「野蛮な魔物退治に明け暮れる生活より、知的なビジネスの世界の方が、あなたにはお似合いだ」


その言葉は、明らかに挑発だった。


ジルベール様のこめかみに青筋が浮かぶ。


しかし、私は冷静に計算を続けていた。


「……ふむ。確かに文化的な生活レベルの向上は魅力的です。オペラの鑑賞は感性を磨く投資になりますし」


「でしょう? さあ、この契約書にサインを。違約金があれば私が肩代わりします」


ハリー氏がペンを差し出す。


私がそのペンに手を伸ばした、その時。


バンッ!!


テーブルが真っ二つに割れそうな音を立てて、ジルベール様が立ち上がった。


「……帰れ」


地獄の底から響くような声。


「え?」


「今すぐ帰れと言っているんだ、この詐欺師野郎」


ジルベール様は、ハリー氏の胸倉を掴み上げた。


「ひぃっ!? な、何を……私は正当なビジネスの話を……!」


「ビジネスだと? ふざけるな。リーリンは渡さん」


「か、閣下!?」


私が止めに入ろうとするが、ジルベール様は止まらなかった。


「年俸一千枚? はした金だな。俺なら……俺なら……!」


彼は一瞬言葉に詰まり、そして叫んだ。


「俺の全財産をやる! 将来稼ぐ分も含めてだ! だからこいつは俺のものだ!」


「……えっ」


私は思わず瞬きをした。


(全財産……? 将来分も含めて? それはつまり、無期限の独占契約ということ?)


「それに、福利厚生だと? 俺だって……俺だって、毎日マッサージくらいしてやる! 肩も揉む! 足も揉む! スイーツが必要なら、俺が王都まで走って買ってきてやる!」


ジルベール様は必死だった。


その顔は怒っているようで、どこか泣きそうな、迷子のような表情をしていた。


「……だから、行くな。俺のそばで計算してろ」


部屋に静寂が落ちた。


ハリー氏は白目を剥いて気絶寸前だ。


私は……私は、胸の奥がキュッとなるのを感じていた。


(……バカね。交渉術としては最悪よ)


「全財産を差し出す」なんて、相手に足元を見られるだけの愚策だ。


でも。


なぜだろう。金貨一千枚の提示より、今の滅茶苦茶な暴論の方が、私の心(ハート)の勘定科目を揺さぶっていた。


「……閣下。手を離してください。ハリー氏が窒息します」


私は静かに言った。


ジルベール様はハッとして、手を離した。ハリー氏が床に崩れ落ち、ゼーハーと息をする。


「……リーリン。サイン、するのか?」


ジルベール様が不安そうに私を見る。


私はため息をつき、ハリー氏に差し出された契約書を手に取った。


そして。


ビリッ。


真っ二つに破り捨てた。


「あ」


「……条件は魅力的ですが、お断りします」


私は破れた紙をテーブルに置いた。


「な、なぜです!? 条件が悪かったですか!? なら一千五百枚でも……!」


ハリー氏が食い下がる。


「金額の問題ではありません」


私はジルベール様を見上げた。


「こちらのクライアント(閣下)は、経営者としては未熟で、数字にも弱く、すぐに暴力を振るう問題児です」


「うっ……」


ジルベール様が呻く。


「ですが……『全財産を預ける』と言ってくれるほど、私を信頼してくれるバカな経営者は、世界中探しても彼くらいでしょう」


私はニッと笑った。


「それに、私は『建て直し』が趣味なんです。完成された大企業で椅子に座っているより、このボロボロの屋敷で、毎日怒鳴り合いながら借金を減らしていく方が、性分に合っています」


「リーリン……」


ジルベール様の顔が、パァァァッと明るくなる。


「……というわけで、ハリー様。お引き取りを。あ、でもジンジャーの流通契約だけは結んでいってくださいね。ここまで来た交通費だと思って」


私はすかさず別の契約書(流通のみ)を差し出した。


「……は、はい。分かりました……完敗です」


ハリー氏はフラフラと立ち上がり、流通契約書にサインをして、逃げるように去っていった。


「二度と来るな!」


ジルベール様がその後ろ姿に向かって威嚇する。


部屋に二人きりになると、ジルベール様はバツが悪そうに私を見た。


「……悪かったな。良い話を潰して」


「本当にね。金貨一千枚、惜しいことをしました」


「……その分は、俺が働く。魔獣をもっと狩る。だから……」


彼は一歩近づき、不器用に私の手を握った。


「契約期間、延長してくれるか?」


「契約書には『再建完了まで』とあります」


私は彼の手を握り返した。


その手は大きくて、ゴツゴツしていて、とても温かかった。


「ですが、特約条項を追加しましょう。『当主の精神安定(メンタルケア)』のために、私がそばにいること。……報酬は、そうですね」


私は少し悪戯っぽく笑った。


「先ほど仰っていた『毎日のマッサージ』で手を打ちましょうか」


「……ああ。任せろ。指圧には自信がある」


ジルベール様が嬉しそうに笑う。


こうして、ヘッドハンティング騒動は幕を閉じた。


私の市場価値が確認できたのは収穫だったが、それ以上に……この不器用な魔王様が、私の想像以上に私に執着していることが判明したのが、一番の収穫だったかもしれない。


(……やれやれ。これじゃあ、当分逃げ出せそうにないわね)


私は内心で苦笑しつつ、なぜか満更でもない気分で、彼に肩を揉ませる準備をするのだった。
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