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「……ここが、噂の港町ですか」
王都を出発して数日。
私たちは王国の東端にある港町、ポルト・ロッサに到着していた。
本来ならば、貿易船が行き交い、活気に満ちているはずの場所だ。
しかし、今のポルト・ロッサは死に絶えたように静まり返っていた。
港には船が一隻もなく、市場は閉鎖され、街の人々は怯えたように家に引きこもっている。
空はどんよりと曇り、生温かい風が不気味な音を立てて吹き抜けていた。
「……酷いな」
隣に立つジルベール様が、眉をひそめた。
「活気がないどころか、生気がない。まるでゴーストタウンだ」
「ゴーストタウン、ですか。……まさに文字通りですね」
私は眼鏡の位置を直し、手帳を取り出した。
「事前の情報によれば、三ヶ月前から『幽霊船』が出没し、商船を襲っているとか。そのせいで物流が完全にストップし、関税収入は前年比九五%減。……壊滅的な赤字です」
「九五%減か。……よく暴動が起きないな」
「暴動を起こす気力も奪われているのでしょう。あるいは、『呪い』を恐れているか」
私は海の方を見た。
灰色の海面には霧が立ち込め、視界が悪い。
「……おい、リーリン」
ジルベール様が私の肩を引き寄せた。
「あまり海に近づくな。何が出るか分からん」
「出るとしたら幽霊でしょう? 実体のないエネルギー体に、何を恐れる必要がありますか」
「お前な……。物理攻撃が効かない相手だぞ? 俺の剣でも斬れないかもしれないんだ」
「物理がダメなら、論理(ロジック)で斬るまでです」
私は鼻を鳴らした。
その時、背後から声をかけられた。
「あ、あの……もしかして、王都から派遣された『特使様』でしょうか?」
振り返ると、やつれ果てた顔の中年男性が立っていた。
身なりは良いが、服は潮風で汚れ、目の下には濃いクマがある。
「初めまして。今回の『トラブルシューティング』を請け負いました、リーリン・アークライトです」
「こ、これはご丁寧に……。私はこの街の町長、ベルナルドと申します」
ベルナルド町長は、すがるような目で私たちを見た。
「お待ちしておりました! もう限界なんです! 幽霊船のせいで船乗りたちは逃げ出し、商品は倉庫で腐り、街の経済は破綻寸前で……!」
「落ち着いてください。そのために私が来ました」
私はニッコリと笑った。
「まずは現状把握(アセスメント)から始めましょう。幽霊船が出現する時間、場所、そして『被害内容』の詳細なデータをいただけますか?」
「は、はい。役場の方へご案内します……」
◇
役場の会議室にて。
机の上に広げられた地図と被害報告書を見ながら、私は眉を寄せた。
「……奇妙ですね」
「何がだ?」
ジルベール様が覗き込む。
「被害報告を見てください。幽霊船に襲われた商船は、積荷を奪われていますが……奪われているのは『高価な宝石』や『美術品』ばかり。食料や日用品には手をつけていません」
「……幽霊が宝石を欲しがるのか?」
「一般的(オカルト的)な解釈では、生前の執着心などが考えられますが……それにしても効率的すぎます」
私は地図上の襲撃ポイントにピンを刺した。
「出現ポイントは、必ず潮の流れが緩やかになる入江の近く。しかも、霧が濃くなる夜間に集中しています」
「……待ち伏せに適した場所だな」
ジルベール様が鋭い指摘をする。
「ええ。まるで、商船の航路とスケジュールを完全に把握しているかのような動きです」
「つまり……?」
「幽霊にしては、随分と『計画的』で『知能犯』だということです」
私はペンを回した。
「町長。幽霊船の目撃証言は?」
「は、はい。生き残った船乗りたちの話では、ボロボロの帆を張った巨大なガレオン船で、甲板には青白い人魂が飛び交い、不気味な笑い声が聞こえてくるそうです……。『宝を置いていけぇ……命が惜しくばなぁ……』と」
「……テンプレート通りの演出ですね」
私は呆れた。
「さて、閣下。どう思いますか?」
「……臭うな」
ジルベール様が腕組みをする。
「死人の執念にしては、俗物的すぎる。俺が戦場で見た怨霊たちは、もっと無差別に襲ってきたぞ」
「同感です。……これは現地調査(フィールドワーク)が必要ですね」
私は立ち上がった。
「今夜、船を出しましょう」
「はぁ!? し、正気ですか!?」
ベルナルド町長が叫んだ。
「夜の海に出るなんて自殺行為です! 幽霊船に遭遇したら、生きては帰れませんよ!」
「遭遇するために行くのです。相手の正体(ビジネスモデル)を確認しないことには、対策も立てられませんから」
「で、でも、船乗りたちは誰も協力しませんよ! みんな怖がって……」
「報酬は金貨十枚。先着一名」
私が指を一本立てると、会議室のドアの隙間から聞き耳を立てていたらしい若い漁師が、勢いよく飛び込んできた。
「俺が行きます!!」
「……現金なものですね」
私は苦笑した。
「交渉成立です。では閣下、準備をお願いします。対霊装備……ではなく、いつもの『威圧』をお願いしますね」
◇
その夜。
私たちは小さな漁船に乗り込み、霧の立ち込める海へと漕ぎ出した。
「……寒いな」
ジルベール様が、私の肩に自分のマントをかけてくれる。
「ありがとうございます。でも、この寒気……単なる気温の低下ではありませんね」
確かに、肌にまとわりつくような不快な冷気がある。
「魔力のようなものを感じる。……リーリン、俺の後ろにいろ」
ジルベール様が剣の柄に手をかける。
漁師の青年――トニオというらしい――は、ガチガチと震えながら舵を握っている。
「ほ、本当に出るんですよ……。俺の親父も、あの船を見てから寝込んじまって……」
「大丈夫です。出たら私が請求書を叩きつけますから」
船はゆっくりと沖へ進む。
一時間ほど経過した頃。
急に霧が濃くなった。
そして。
ヒュゥゥゥゥ……。
風の音が変わり、どこからか、低い呻き声のような音が響いてきた。
『……うらめしやぁ……』
『……たからを……よこせぇ……』
「で、出たぁぁぁ!!」
トニオが悲鳴を上げる。
霧の向こうから、巨大な影がぬっと姿を現した。
ボロボロの帆、朽ち果てた船体。マストには青白い火の玉がいくつも浮かび、甲板には透き通った人影のようなものがゆらゆらと動いている。
間違いなく、噂の幽霊船だ。
「……デカいな」
ジルベール様が身構える。
「リーリン、下がるんだ。俺が……」
「待ってください」
私は魔導計算機(バックライト付きの夜間仕様)を取り出し、冷静に相手を観察した。
「……変ですね」
「何がだ?」
「あの青白い火の玉。燃焼パターンが一定すぎます。魔法による持続的な光源か、あるいは特殊な可燃性ガスを使っていますね」
「……は?」
「それに、あの呻き声。音源が船体の一部に固定されています。おそらく、風を利用して音を増幅させる『笛』のような仕掛けがあるのでしょう」
私はさらに目を凝らした。
「そして何より……あの船の喫水線(水に浸かっているライン)」
「喫水線?」
「ええ。幽霊船にしては、随分と『沈んで』います。つまり、船内にかなりの重量物を積んでいる証拠です」
私はニヤリと笑った。
「幽霊に重さはありません。あるとしたら……生身の人間と、略奪した物資の重さです」
「……なるほど」
ジルベール様が、獰猛な笑みを浮かべた。
「つまり、斬れる相手ってことだな?」
「ええ。物理攻撃有効(フィジカル・アタック・オーケー)です」
「よし」
ジルベール様が立ち上がり、マントを脱ぎ捨てた。
「トニオ! 船を寄せろ! 乗り込むぞ!」
「えええっ!? 無理ですっ! 死にますっ!」
「金貨二十枚!」
「寄せます!!」
トニオが神速で舵を切る。
漁船は波を蹴立てて幽霊船へと突っ込んでいく。
『……くるなぁぁ……のろうぞぉぉ……』
幽霊船から、必死な感じの呻き声が聞こえる。
「呪い? 上等だ!」
ドンッ!
漁船が幽霊船の側面に接触した瞬間、ジルベール様が跳んだ。
人間離れした跳躍力で、一気に甲板へと飛び移る。
「お邪魔するぜ、ゴーストの諸君!」
ドガァァン!
着地の衝撃で甲板の一部が吹き飛ぶ。
「うわぁっ!?」
「な、なんだコイツ!?」
甲板にいた「幽霊」たちが、驚いて声を上げた。
彼らはボロボロの布を被り、顔を白く塗っていたが、その下からは明らかに生きている人間の足が見えていた。
「……なんだ。やっぱりただの仮装パーティか」
ジルベール様がつまらなそうに剣を抜く。
「お前ら、驚かせて悪かったな。……俺の方が、よっぽど『魔王』らしいだろう?」
赤い瞳がギロリと光る。
「ひ、ひぃぃっ! 本物の化け物だぁぁ!」
「逃げろぉぉ!」
「幽霊」たちがパニックになって逃げ惑う。
私はトニオに手伝ってもらい、縄梯子を使って甲板に上がった。
「お疲れ様です、閣下。制圧完了ですか?」
「ああ。弱すぎる。手応えがない」
ジルベール様は、捕まえたリーダー格の男(船長のような帽子を被っている)を足元に転がしていた。
「さて、船長さん」
私は男の前にしゃがみ込み、電卓を弾いた。
「この大掛かりな舞台装置(セット)、維持費がかかったでしょう? 特殊メイク代、音響効果費、それにこの船の改造費……。ざっと見積もっても金貨三千枚は下りませんね」
「ぐぬぬ……」
「これだけの投資をして、回収(ペイ)できていますか? 最近は商船も減って、赤字続きなんじゃないですか?」
「う、うるせぇ! 俺たちのビジネスモデルにケチをつけるな!」
男が吠える。
「ビジネスモデル、ね。……残念ですが、あなたの事業は今日で『倒産』です」
私は冷酷に告げた。
「罪状は、海賊行為、詐欺罪、および……私の大切な『関税収入』を減らした営業妨害罪です」
「くそっ……! こうなったら……!」
男は懐から何かを取り出し、空に向かって投げた。
ヒュルルル……パンッ!
赤い信号弾が打ち上がった。
「……増援か?」
ジルベール様が空を見上げる。
「へへっ……俺たちはただの『囮』だ! 本隊は海の中にいるんだよ!」
男が叫んだ、その時。
ザバァァァッ!!
海面が大きく盛り上がり、巨大な触手が何本も飛び出してきた。
「うわっ!? なんだあれ!?」
トニオが腰を抜かす。
現れたのは、船よりも巨大な、タコのような魔獣――クラーケンだった。
「……なるほど。これが『幽霊船』の正体(バックボーン)ですか」
私は冷静に分析した。
「海賊たちがクラーケンを手懐け、あるいは操って、商船を襲わせていた。幽霊船は目くらまし兼、恐怖を煽るための演出……」
「グォォォォォ!!」
クラーケンが咆哮し、巨大な触手を振り下ろしてくる。
「おい、リーリン! 分析してる場合か! デカすぎるぞ!」
ジルベール様が私を抱きかかえて回避する。
バキィッ!!
甲板が粉砕される。
「物理攻撃は効くが……あのサイズだと、切り刻むのに時間がかかるぞ!」
「時間は金なり(タイム・イズ・マネー)です。一瞬で終わらせましょう」
私は懐から、小瓶を取り出した。
「閣下。あれを覚えていますか?」
「あれ?」
「『クリスタル・ジンジャー』の濃縮エキスです。商品化の過程で抽出された、辛味成分一〇〇〇%の劇薬です」
「……お前、そんな危険なものを持ち歩いていたのか」
「護身用です。これを……クラーケンの口、あるいはエラに投げ込んでください!」
「……鬼だな」
ジルベール様はニヤリと笑った。
「だが、名案だ! 激辛タコ料理にしてやる!」
ジルベール様は小瓶を受け取ると、マストを駆け上がり、空高く跳躍した。
「食らえ! 特製スパイスだ!」
彼はクラーケンの巨大な口めがけて、小瓶を全力で投擲した。
パリーン!
小瓶が砕け、赤い液体が魔獣の口内に広がる。
一瞬の静寂。
そして。
「ギュルルルルルァァァァァァ!!!!!!」
クラーケンが、この世のものとは思えない絶叫を上げた。
全身を真っ赤にして、のたうち回る。
あまりの刺激に、目玉が飛び出しそうだ。
「効いた! 効果てきめんです!」
「撤収だ! 暴れるぞ!」
ジルベール様が甲板に戻り、私と捕虜(海賊船長)を抱えて漁船に飛び移る。
クラーケンは、あまりの辛さに海水をガブ飲みしようと暴れまわり、その余波で幽霊船(海賊船)を粉々に破壊してしまった。
「あーあ……。証拠物件が沈んでしまいましたね」
私は残念そうに言った。
「まあ、主犯格は確保しましたし、海賊ビジネスは廃業でしょう」
「……お前を敵に回すと、魔獣さえも憐れに思えてくるな」
ジルベール様が、少し引いた顔で私を見る。
「勝てば官軍です。さあ、戻りましょう。町長に成功報酬を請求しに行きますよ」
「……たくましい奴だ」
私たちは、沈みゆく幽霊船と、海中で悶絶する巨大タコを背に、意気揚々と港へ戻った。
これで、港町の平和と物流は守られた。
私の懐に入るはずの「関税収入一割」も、これで安泰だ。
しかし、この事件が、さらなる大きな陰謀の入り口に過ぎないことを、私たちはまだ知らなかった。
海賊たちが使っていた「クラーケンを操る技術」。
それが、単なる海賊の知恵ではなく、ある組織から提供されたものだということに――。
王都を出発して数日。
私たちは王国の東端にある港町、ポルト・ロッサに到着していた。
本来ならば、貿易船が行き交い、活気に満ちているはずの場所だ。
しかし、今のポルト・ロッサは死に絶えたように静まり返っていた。
港には船が一隻もなく、市場は閉鎖され、街の人々は怯えたように家に引きこもっている。
空はどんよりと曇り、生温かい風が不気味な音を立てて吹き抜けていた。
「……酷いな」
隣に立つジルベール様が、眉をひそめた。
「活気がないどころか、生気がない。まるでゴーストタウンだ」
「ゴーストタウン、ですか。……まさに文字通りですね」
私は眼鏡の位置を直し、手帳を取り出した。
「事前の情報によれば、三ヶ月前から『幽霊船』が出没し、商船を襲っているとか。そのせいで物流が完全にストップし、関税収入は前年比九五%減。……壊滅的な赤字です」
「九五%減か。……よく暴動が起きないな」
「暴動を起こす気力も奪われているのでしょう。あるいは、『呪い』を恐れているか」
私は海の方を見た。
灰色の海面には霧が立ち込め、視界が悪い。
「……おい、リーリン」
ジルベール様が私の肩を引き寄せた。
「あまり海に近づくな。何が出るか分からん」
「出るとしたら幽霊でしょう? 実体のないエネルギー体に、何を恐れる必要がありますか」
「お前な……。物理攻撃が効かない相手だぞ? 俺の剣でも斬れないかもしれないんだ」
「物理がダメなら、論理(ロジック)で斬るまでです」
私は鼻を鳴らした。
その時、背後から声をかけられた。
「あ、あの……もしかして、王都から派遣された『特使様』でしょうか?」
振り返ると、やつれ果てた顔の中年男性が立っていた。
身なりは良いが、服は潮風で汚れ、目の下には濃いクマがある。
「初めまして。今回の『トラブルシューティング』を請け負いました、リーリン・アークライトです」
「こ、これはご丁寧に……。私はこの街の町長、ベルナルドと申します」
ベルナルド町長は、すがるような目で私たちを見た。
「お待ちしておりました! もう限界なんです! 幽霊船のせいで船乗りたちは逃げ出し、商品は倉庫で腐り、街の経済は破綻寸前で……!」
「落ち着いてください。そのために私が来ました」
私はニッコリと笑った。
「まずは現状把握(アセスメント)から始めましょう。幽霊船が出現する時間、場所、そして『被害内容』の詳細なデータをいただけますか?」
「は、はい。役場の方へご案内します……」
◇
役場の会議室にて。
机の上に広げられた地図と被害報告書を見ながら、私は眉を寄せた。
「……奇妙ですね」
「何がだ?」
ジルベール様が覗き込む。
「被害報告を見てください。幽霊船に襲われた商船は、積荷を奪われていますが……奪われているのは『高価な宝石』や『美術品』ばかり。食料や日用品には手をつけていません」
「……幽霊が宝石を欲しがるのか?」
「一般的(オカルト的)な解釈では、生前の執着心などが考えられますが……それにしても効率的すぎます」
私は地図上の襲撃ポイントにピンを刺した。
「出現ポイントは、必ず潮の流れが緩やかになる入江の近く。しかも、霧が濃くなる夜間に集中しています」
「……待ち伏せに適した場所だな」
ジルベール様が鋭い指摘をする。
「ええ。まるで、商船の航路とスケジュールを完全に把握しているかのような動きです」
「つまり……?」
「幽霊にしては、随分と『計画的』で『知能犯』だということです」
私はペンを回した。
「町長。幽霊船の目撃証言は?」
「は、はい。生き残った船乗りたちの話では、ボロボロの帆を張った巨大なガレオン船で、甲板には青白い人魂が飛び交い、不気味な笑い声が聞こえてくるそうです……。『宝を置いていけぇ……命が惜しくばなぁ……』と」
「……テンプレート通りの演出ですね」
私は呆れた。
「さて、閣下。どう思いますか?」
「……臭うな」
ジルベール様が腕組みをする。
「死人の執念にしては、俗物的すぎる。俺が戦場で見た怨霊たちは、もっと無差別に襲ってきたぞ」
「同感です。……これは現地調査(フィールドワーク)が必要ですね」
私は立ち上がった。
「今夜、船を出しましょう」
「はぁ!? し、正気ですか!?」
ベルナルド町長が叫んだ。
「夜の海に出るなんて自殺行為です! 幽霊船に遭遇したら、生きては帰れませんよ!」
「遭遇するために行くのです。相手の正体(ビジネスモデル)を確認しないことには、対策も立てられませんから」
「で、でも、船乗りたちは誰も協力しませんよ! みんな怖がって……」
「報酬は金貨十枚。先着一名」
私が指を一本立てると、会議室のドアの隙間から聞き耳を立てていたらしい若い漁師が、勢いよく飛び込んできた。
「俺が行きます!!」
「……現金なものですね」
私は苦笑した。
「交渉成立です。では閣下、準備をお願いします。対霊装備……ではなく、いつもの『威圧』をお願いしますね」
◇
その夜。
私たちは小さな漁船に乗り込み、霧の立ち込める海へと漕ぎ出した。
「……寒いな」
ジルベール様が、私の肩に自分のマントをかけてくれる。
「ありがとうございます。でも、この寒気……単なる気温の低下ではありませんね」
確かに、肌にまとわりつくような不快な冷気がある。
「魔力のようなものを感じる。……リーリン、俺の後ろにいろ」
ジルベール様が剣の柄に手をかける。
漁師の青年――トニオというらしい――は、ガチガチと震えながら舵を握っている。
「ほ、本当に出るんですよ……。俺の親父も、あの船を見てから寝込んじまって……」
「大丈夫です。出たら私が請求書を叩きつけますから」
船はゆっくりと沖へ進む。
一時間ほど経過した頃。
急に霧が濃くなった。
そして。
ヒュゥゥゥゥ……。
風の音が変わり、どこからか、低い呻き声のような音が響いてきた。
『……うらめしやぁ……』
『……たからを……よこせぇ……』
「で、出たぁぁぁ!!」
トニオが悲鳴を上げる。
霧の向こうから、巨大な影がぬっと姿を現した。
ボロボロの帆、朽ち果てた船体。マストには青白い火の玉がいくつも浮かび、甲板には透き通った人影のようなものがゆらゆらと動いている。
間違いなく、噂の幽霊船だ。
「……デカいな」
ジルベール様が身構える。
「リーリン、下がるんだ。俺が……」
「待ってください」
私は魔導計算機(バックライト付きの夜間仕様)を取り出し、冷静に相手を観察した。
「……変ですね」
「何がだ?」
「あの青白い火の玉。燃焼パターンが一定すぎます。魔法による持続的な光源か、あるいは特殊な可燃性ガスを使っていますね」
「……は?」
「それに、あの呻き声。音源が船体の一部に固定されています。おそらく、風を利用して音を増幅させる『笛』のような仕掛けがあるのでしょう」
私はさらに目を凝らした。
「そして何より……あの船の喫水線(水に浸かっているライン)」
「喫水線?」
「ええ。幽霊船にしては、随分と『沈んで』います。つまり、船内にかなりの重量物を積んでいる証拠です」
私はニヤリと笑った。
「幽霊に重さはありません。あるとしたら……生身の人間と、略奪した物資の重さです」
「……なるほど」
ジルベール様が、獰猛な笑みを浮かべた。
「つまり、斬れる相手ってことだな?」
「ええ。物理攻撃有効(フィジカル・アタック・オーケー)です」
「よし」
ジルベール様が立ち上がり、マントを脱ぎ捨てた。
「トニオ! 船を寄せろ! 乗り込むぞ!」
「えええっ!? 無理ですっ! 死にますっ!」
「金貨二十枚!」
「寄せます!!」
トニオが神速で舵を切る。
漁船は波を蹴立てて幽霊船へと突っ込んでいく。
『……くるなぁぁ……のろうぞぉぉ……』
幽霊船から、必死な感じの呻き声が聞こえる。
「呪い? 上等だ!」
ドンッ!
漁船が幽霊船の側面に接触した瞬間、ジルベール様が跳んだ。
人間離れした跳躍力で、一気に甲板へと飛び移る。
「お邪魔するぜ、ゴーストの諸君!」
ドガァァン!
着地の衝撃で甲板の一部が吹き飛ぶ。
「うわぁっ!?」
「な、なんだコイツ!?」
甲板にいた「幽霊」たちが、驚いて声を上げた。
彼らはボロボロの布を被り、顔を白く塗っていたが、その下からは明らかに生きている人間の足が見えていた。
「……なんだ。やっぱりただの仮装パーティか」
ジルベール様がつまらなそうに剣を抜く。
「お前ら、驚かせて悪かったな。……俺の方が、よっぽど『魔王』らしいだろう?」
赤い瞳がギロリと光る。
「ひ、ひぃぃっ! 本物の化け物だぁぁ!」
「逃げろぉぉ!」
「幽霊」たちがパニックになって逃げ惑う。
私はトニオに手伝ってもらい、縄梯子を使って甲板に上がった。
「お疲れ様です、閣下。制圧完了ですか?」
「ああ。弱すぎる。手応えがない」
ジルベール様は、捕まえたリーダー格の男(船長のような帽子を被っている)を足元に転がしていた。
「さて、船長さん」
私は男の前にしゃがみ込み、電卓を弾いた。
「この大掛かりな舞台装置(セット)、維持費がかかったでしょう? 特殊メイク代、音響効果費、それにこの船の改造費……。ざっと見積もっても金貨三千枚は下りませんね」
「ぐぬぬ……」
「これだけの投資をして、回収(ペイ)できていますか? 最近は商船も減って、赤字続きなんじゃないですか?」
「う、うるせぇ! 俺たちのビジネスモデルにケチをつけるな!」
男が吠える。
「ビジネスモデル、ね。……残念ですが、あなたの事業は今日で『倒産』です」
私は冷酷に告げた。
「罪状は、海賊行為、詐欺罪、および……私の大切な『関税収入』を減らした営業妨害罪です」
「くそっ……! こうなったら……!」
男は懐から何かを取り出し、空に向かって投げた。
ヒュルルル……パンッ!
赤い信号弾が打ち上がった。
「……増援か?」
ジルベール様が空を見上げる。
「へへっ……俺たちはただの『囮』だ! 本隊は海の中にいるんだよ!」
男が叫んだ、その時。
ザバァァァッ!!
海面が大きく盛り上がり、巨大な触手が何本も飛び出してきた。
「うわっ!? なんだあれ!?」
トニオが腰を抜かす。
現れたのは、船よりも巨大な、タコのような魔獣――クラーケンだった。
「……なるほど。これが『幽霊船』の正体(バックボーン)ですか」
私は冷静に分析した。
「海賊たちがクラーケンを手懐け、あるいは操って、商船を襲わせていた。幽霊船は目くらまし兼、恐怖を煽るための演出……」
「グォォォォォ!!」
クラーケンが咆哮し、巨大な触手を振り下ろしてくる。
「おい、リーリン! 分析してる場合か! デカすぎるぞ!」
ジルベール様が私を抱きかかえて回避する。
バキィッ!!
甲板が粉砕される。
「物理攻撃は効くが……あのサイズだと、切り刻むのに時間がかかるぞ!」
「時間は金なり(タイム・イズ・マネー)です。一瞬で終わらせましょう」
私は懐から、小瓶を取り出した。
「閣下。あれを覚えていますか?」
「あれ?」
「『クリスタル・ジンジャー』の濃縮エキスです。商品化の過程で抽出された、辛味成分一〇〇〇%の劇薬です」
「……お前、そんな危険なものを持ち歩いていたのか」
「護身用です。これを……クラーケンの口、あるいはエラに投げ込んでください!」
「……鬼だな」
ジルベール様はニヤリと笑った。
「だが、名案だ! 激辛タコ料理にしてやる!」
ジルベール様は小瓶を受け取ると、マストを駆け上がり、空高く跳躍した。
「食らえ! 特製スパイスだ!」
彼はクラーケンの巨大な口めがけて、小瓶を全力で投擲した。
パリーン!
小瓶が砕け、赤い液体が魔獣の口内に広がる。
一瞬の静寂。
そして。
「ギュルルルルルァァァァァァ!!!!!!」
クラーケンが、この世のものとは思えない絶叫を上げた。
全身を真っ赤にして、のたうち回る。
あまりの刺激に、目玉が飛び出しそうだ。
「効いた! 効果てきめんです!」
「撤収だ! 暴れるぞ!」
ジルベール様が甲板に戻り、私と捕虜(海賊船長)を抱えて漁船に飛び移る。
クラーケンは、あまりの辛さに海水をガブ飲みしようと暴れまわり、その余波で幽霊船(海賊船)を粉々に破壊してしまった。
「あーあ……。証拠物件が沈んでしまいましたね」
私は残念そうに言った。
「まあ、主犯格は確保しましたし、海賊ビジネスは廃業でしょう」
「……お前を敵に回すと、魔獣さえも憐れに思えてくるな」
ジルベール様が、少し引いた顔で私を見る。
「勝てば官軍です。さあ、戻りましょう。町長に成功報酬を請求しに行きますよ」
「……たくましい奴だ」
私たちは、沈みゆく幽霊船と、海中で悶絶する巨大タコを背に、意気揚々と港へ戻った。
これで、港町の平和と物流は守られた。
私の懐に入るはずの「関税収入一割」も、これで安泰だ。
しかし、この事件が、さらなる大きな陰謀の入り口に過ぎないことを、私たちはまだ知らなかった。
海賊たちが使っていた「クラーケンを操る技術」。
それが、単なる海賊の知恵ではなく、ある組織から提供されたものだということに――。
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「承知いたしました。では――契約を終了いたします」
その一言が、すべての始まりだった。
公爵家による融資、貿易、軍需支援。
王国を支えていたすべてが、静かに停止する。
財務は崩壊し、軍は止まり、商人は離反。
王都は混乱に包まれていく。
やがて明らかになる義妹の嘘。
そして王太子の責任。
すべてが暴かれたとき、二人を待っていたのは――
完全な破滅だった。
一方アデリーナは、隣国で静かな紅茶の時間を過ごしていた。
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