婚約破棄? 上等です! 悪役令嬢は、断罪よりも限定タルトが気になる!

夏乃みのり

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「ただいま戻りました、お父様、お母様」


私が公爵邸の玄関をくぐると、そこには既に仁王立ちしたお父様と、扇子で口元を隠したお母様が待ち構えていた。


「ジンジャー! これはどういうことだ!」


お父様の手には、王家の紋章が入った書状が握られている。


早馬だろうか。私が馬車で優雅にマロングラッセを味わっている間に、先回りして届いていたらしい。


「どういうこと、とは?」


「とぼけるな! 婚約破棄だ! しかも国外追放処分だと!? 一体夜会で何をやらかしたんだ!」


お父様の顔が赤い。血圧が心配だ。


私はとりあえず、落ち着かせようと努めた。


「まあまあ、お父様。立ち話もなんですし、とりあえずお茶にしません? 美味しいマドレーヌを焼かせたんです」


「お茶など飲んでいる場合か! この書状を見ろ! 『ジンジャー嬢の罪状一覧』と書いてあるぞ!」


「あら、わざわざリストアップしてくださったの? アラン殿下も几帳面ね」


私は感心しながら書状を受け取った。


羊皮紙には、達筆な文字で私の「悪行」が箇条書きにされている。


リビングへ移動し、ソファーに腰掛けながら、私はその内容を読み上げた。


「ええと……罪状その一。『ミント嬢への暴行未遂』」


「暴行だと!?」


お母様が悲鳴を上げる。


「落ち着いてください、お母様。続きがあります。『凶器となり得る硬度の物体を振り回し、ミント嬢を威嚇した』」


「凶器……? ジンジャー、あなた夜会にモーニングスターでも持ち込んだの?」


「いいえ。あれはフランスパンです」


「は?」


両親の声が重なった。


私は記憶を補足説明する。


「先月の茶話会ですわ。焼き立てのバゲットがあまりにも良い香りだったので、ミントさんにもお勧めしようとしたんです。『これ、外側がカリカリで最高なのよ!』って、つい熱が入ってしまって」


「……それで?」


「ミントさんが『ひっ、殴らないで!』と悲鳴を上げて逃げ出したのです。確かにあのバゲットは、人を気絶させられるくらい良い焼き加減で硬かったですけれど」


「……」


お父様がこめかみを揉み始めた。


私は気にせず次を読み上げる。


「罪状その二。『ミント嬢への精神的ハラスメント』」


「今度は何だ」


「『ミント嬢の体型を執拗に凝視し、無言の圧力をかけた』」


「……心当たりは?」


「あります」


私は即答した。


「彼女、その時に手にしていたのが限定のイチゴ大福だったんです。私が食べたかった最後の一個を、彼女が持っていた。だから見ていました。大福を」


「ミント嬢ではなく?」


「ええ、大福を。あんこが透けて見える薄皮の具合が最高で……『一口くれないかな』という念を送っていたのは事実です」


「それを『圧力をかけた』と受け取られたのか……」


お父様の溜息が深くなる。


「まだありますわ。罪状その三。『王族への不敬罪』」


「おい、これが一番まずいじゃないか!」


「『アラン王子が演説している最中、ジンジャー嬢は心ここにあらずといった様子で、あろうことかよだれを垂らしていた』」


「よだれ!?」


お母様が白目を剥きかけた。


公爵令嬢としてあるまじき失態だ。


しかし、これには海よりも深い事情がある。


「誤解です。あの時、殿下の背後に飾られていた絵画……あれが『最後の晩餐』だったのです」


「絵画?」


「はい。テーブルに並べられた料理の描写があまりにリアルで。特にローストチキンの照りが素晴らしくて、つい……」


「……」


リビングに重苦しい沈黙が流れた。


お父様は書状をひったくると、続きを目で追い始めた。


そして、わなわなと震えだす。


「罪状その四……『図書室での器物損壊(ハニートースト事件)』……罪状その五……『ドレス汚損(カシスソース事件)』……なんだこれは。なんだこれは!!」


「アラン殿下が一生懸命思い出して書いた作文ですね」


「くだらん!!」


お父様がテーブルをバンと叩いた。


「すべて食べ物絡みではないか! 我が娘の食い意地が張っているのは認めるが、これを『悪逆非道』と呼ぶのは無理がある!」


「あら、お父様。私の食い意地は『健康的な食欲』と言っていただきたいわ」


「黙りなさい」


一喝された。


お父様は書状をテーブルに投げ出した。


「しかし、王命は王命だ。婚約破棄はともかく、国外追放となれば無視するわけにはいかん。……とはいえ、こんなふざけた理由で娘を路頭に迷わせるわけには……」


苦悩するお父様。


私はここぞとばかりに提案した。


「お父様、ご心配なく。私、ほとぼりが冷めるまで田舎で静養いたします」


「田舎? 当家の別荘か?」


「いいえ。王都から離れた北の森……あそこにある、古い狩猟小屋をお借りできませんか?」


「北の森? あそこは隣国との国境に近いぞ。しかも何もない、ただの山奥だ。お前のような贅沢に慣れた娘が暮らせる場所ではない」


「暮らせます!」


私は身を乗り出した。


「北の森といえば、特産品は『クルミ』と『ハチミツ』! さらに隣国から流れてくる『極上のミルク』が手に入りやすい場所です! 大自然の中で、新鮮な素材を使ったお菓子作り三昧……想像しただけで胸が高鳴ります!」


「……お前、反省という言葉を知っているか?」


「存じております。辞書で引いたことはありますので」


「はぁ……」


お父様は天を仰いだ。


しかし、王都にいても針のむしろだ。


噂好きな貴族たちの格好の餌食になるよりは、人里離れた場所の方が安全だという判断もあったのだろう。


「……わかった。北の森の狩猟小屋を使えばいい。管理人もいないボロ屋だが、雨風はしのげるだろう」


「ありがとうございます!」


「ただし! 追放処分である以上、派手な荷物は持ち出せんぞ。馬車一台、荷物はトランク二つまでだ。ドレスや宝石は置いていけ」


「もちろんです。ドレスなんてかさばるだけですもの」


私はニッコリと微笑んだ。


「では、早速準備に取り掛かりますわね!」


「待ちなさいジンジャー。本当に行くの? お母様、寂しいわ……」


お母様が涙ぐむ。


私は優しくお母様の手を握った。


「大丈夫ですよ、お母様。落ち着いたら、特製の『森の木の実タルト』を送りますから」


「……あら、美味しそう。楽しみにしているわね」


「あなたも絆されるんじゃない!」


お父様のツッコミを背中で受け流し、私は自室へと駆け上がった。


さあ、時間がない。


夜明けとともに出発だ。


私はクローゼットを開け放ち、豪華なドレスたちを一瞥した。


「さようなら、シルク。さようなら、レース。今の私に必要なのは、あなたたちじゃない」


私は部屋の隅に積み上げてあった「秘密の備蓄」に手を伸ばした。


トランクを開ける。


まず底に敷き詰めるのは、小麦粉の袋だ。これがなくては始まらない。


その隙間を埋めるように、最高級の砂糖、バニラビーンズ、製菓用のクーベルチュールチョコレートを詰め込んでいく。


「ええと、あとは泡立て器と、ボウルと、愛用の麺棒……」


服?


そんなものは着ているもの一枚と、予備の簡素なワンピースが一着あれば十分だ。


空いたスペースには、乾燥フルーツの瓶詰めをねじ込む。


「完璧ね」


二つのトランクは、物理的に持ち上がらないほどの重量になっていたが、愛の力(食欲)があれば軽く感じるものだ。


窓の外を見る。


東の空が白み始めていた。


新しい朝が来る。


甘い香りに満ちた、私だけの自由な朝が。


「待っててね、北の森の食材たち。今、私が美味しくしてあげるから!」


私は重たいトランクを引きずりながら、足取り軽く部屋を出た。


これから向かう先で、私の運命を大きく変える(主に胃袋的な意味で)出会いが待っているとも知らずに。


こうして、「冤罪の内容がショボすぎる」という伝説を残し、私は王都を後にしたのだった。
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