婚約破棄? 上等です! 悪役令嬢は、断罪よりも限定タルトが気になる!

夏乃みのり

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「うん、美味しい!」


ガタゴトと揺れる馬車の中、私の弾んだ声が響いた。


膝の上には、ナプキンを広げた即席のテーブル。


そこには、王都を出る直前に老舗店『銀の匙』で買い占めた、ラズベリーのサンドクッキーが並んでいる。


サクサクのクッキー生地と、甘酸っぱいジャムのハーモニー。


紅茶がないのが悔やまれるが、水筒に入れたレモン水でも十分なマリアージュだ。


「お嬢様……あの、お加減は?」


御者台から、年配の御者・ハンスが心配そうに声をかけてきた。


小窓を開けて、顔を覗かせる。


「絶好調よ、ハンス! あなたもクッキー食べる?」


「い、いえ。喉を通りませんので……」


ハンスは沈痛な面持ちだ。


それもそうだろう。


主人の娘が婚約破棄され、実家を追い出され、辺境の森へ送られるのだ。


普通の従者なら、涙で前が見えない状況かもしれない。


「お嬢様、あまり無理をしてはいけません。泣きたい時は、泣いてもよろしいのですよ」


「無理なんてしてないわ。見て、この素晴らしい景色!」


私は車窓を指差した。


王都の石造りの街並みはとうに消え、目の前には鬱蒼とした森が広がっている。


「木がいっぱいあるわ!」


「ええ、森ですから」


「あれだけの木材があれば、オーブンの薪には困らないわね!」


「……え?」


「それに見て、あの赤い実! たぶん野イチゴよ。あっちの茂みはヘーゼルナッツの木かもしれない。宝の山だわ!」


「は、はぁ……」


ハンスが困惑している。


私の視点は、常に「お菓子に使えるか否か」でフィルターがかかっているのだ。


この森は「追放先」ではなく「巨大な食材庫」にしか見えない。


「ああ、空気が美味しい。王都の排気ガスとは大違いね」


私は大きく深呼吸をした。


コルセットも緩め、ドレスではなく動きやすい木綿のワンピース姿。


誰の目も気にしなくていい。


これこそが自由だ。


「さて、次はパウンドケーキにしようかしら……」


私が二つ目の包みに手を伸ばそうとした、その時だった。


ガタンッ!!


突然、馬車が大きく跳ね上がった。


「きゃっ!?」


私はとっさにクッキーの箱を抱きかかえ、衝撃に備えた。


馬車は激しく傾き、不快な音を立てて停止する。


「ハ、ハンス! 大丈夫!?」


「申し訳ありませんお嬢様! 車輪が! 車輪が泥濘(ぬかるみ)に取られました!」


私は箱を置いて、馬車から飛び降りた。


地面は昨日の雨でぬかるんでおり、右の後輪が半分ほど埋まってしまっている。


さらに悪いことに、車軸から嫌な音がしていた。


ハンスが青ざめた顔で点検する。


「……だめだ。車軸にヒビが入っています。無理に動かせば折れてしまうでしょう」


「そんな……」


ここから目的地の狩猟小屋までは、まだ距離がある。


日は傾き始めており、森の中は急速に薄暗くなりつつあった。


「どうします、お嬢様。私が歩いて最寄りの村まで助けを呼びに行きますが……戻る頃には夜になります」


「私一人でここで待つの?」


「申し訳ありません。ですが、このままでは……」


ハンスが悔しそうに拳を握る。


私は周囲を見渡した。


鳥の声も止み、不気味なほどの静寂。


時折、ガサガサと何かが動く音がする。


普通の令嬢なら「熊が出たらどうしよう」と震える場面だ。


しかし、私は違った。


(待って。ここで一晩野宿ということは……)


私はトランクの中身を脳内で検索した。


調理器具はある。食材もある。


そして目の前には、手頃な石と枯れ木。


(焚き火でお菓子パーティーができるんじゃない?)


私の思考回路は、ポジティブを通り越して暴走気味だった。


「いいわ、ハンス。行ってきてちょうだい。私はここで留守番をしているから」


「しかし、危険です! 狼や熊が出るかもしれません!」


「大丈夫よ。熊が出たら、蜂蜜を分けてもらう交渉をするわ」


「お嬢様、冗談を言っている場合では……」


「とにかく急いで。暗くなるとあなたが危ないわ」


私はハンスを説得し、送り出した。


彼は何度も振り返りながら、街道を走っていった。


一人残された私。


静寂な森。傾いた馬車。


心細さは……不思議となかった。


むしろ、ワクワクしていた。


「さてと」


私はトランクから小さな鍋とコンロ代わりの鉄枠を取り出した。


「助けが来るまで、即席のキャラメリゼでも作って待っていましょうか」


そう、私は甘い匂いを漂わせていれば、獣も寄ってこないと本気で思っていたのだ。


あるいは、甘い匂いに釣られて「何か」がやってくるとも知らずに。


私は鼻歌交じりで、砂糖を鍋に投入した。


パチパチと薪が燃える音。


砂糖が溶け、香ばしいカラメルの香りが森に漂い始める。


「ん~、いい香り。焦がしすぎないのがポイントよね」


その時だった。


背後の茂みが、ガサリと大きく揺れた。


「え?」


風ではない。


明らかに、大きな質量を持った何かが近づいてくる気配。


(ハンスが戻ってきた? ううん、早すぎる)


(もしかして、本当に熊?)


私はスプーンを握りしめ、振り返った。


「だ、誰!?」


夕闇の中、茂みを踏み越えて現れたのは、熊ではなかった。


しかし、熊よりもさらに威圧感のある存在だった。


漆黒のマント。


長身のシルエット。


そして、月明かりに照らされたその顔は、この世の終わりのように不機嫌だった。


鋭い眼光。


眉間の深い皺。


整った顔立ちだが、殺気が凄まじい。


(ひっ……山賊!? それとも死神!?)


男は私を見下ろし、低い声で唸った。


「……おい」


「は、はいっ!」


「いい匂いがするな」


「……はい?」


「この匂いだ。甘くて、焦げたような……どこから流している」


男の視線が、私の手元の鍋に向けられる。


私はとっさに鍋を背後に隠した。


命乞いをするべき場面かもしれない。


「お金ならありません!」と言うべきかもしれない。


でも、私の口から出たのは、全く別の言葉だった。


「あげませんよ! これは私が今から食べるんですから!」


食い意地は、恐怖を凌駕する。


男は一瞬きょとんとした後、さらに眉間の皺を深くした。


「……貴様、俺を知らないのか?」


「存じませんが、私のキャラメルを狙う強盗だということは分かります!」


「強盗……ふっ」


男が低く笑った。


その笑顔が、あまりにも凶悪に見えて、私は今度こそ「終わった」と思った。


これが、私と「冷徹公爵」キース・ビター様との、最悪で最高に甘い出会いだった。
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