婚約破棄? 上等です! 悪役令嬢は、断罪よりも限定タルトが気になる!

夏乃みのり

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「キャラメルを、よこせ」


男が低い声で言った。


その言葉は、まるで「命をよこせ」と同義の重みを持って響いた。


私の背筋に冷たいものが走る。


やはり、この男は山賊だ。


しかも、ただの山賊ではない。


砂糖の価値を知る、高度な知能を持ったスイーツ強盗に違いない。


「お、お断りします! これは私が旅の疲れを癒やすために作った、命のキャラメルです!」


私は鍋を抱きかかえ、一歩後ずさった。


男の眉間の皺が、さらに深くなる。


まるで彫刻刀で刻み込まれたかのような、見事な不機嫌面だ。


「……貴様、状況が分かっていないようだな」


男が一歩踏み出す。


長身の影が、私をすっぽりと覆い尽くした。


威圧感がすごい。


普通の令嬢なら、この時点で気絶しているレベルだ。


「この森で、俺に逆らって無事でいられると思っているのか?」


「うっ……」


確かに、ここは人里離れた森の中。


叫んでも誰も来ない。ハンスもいない。


力ずくで奪われたら、私に勝ち目はない。


(でも……悔しい!)


このキャラメルは、火加減が完璧だったのだ。


ほろ苦さと甘さの絶妙なバランス。


これを奪われるくらいなら、宝石箱を差し出した方がマシだ。


私は決死の覚悟で、トランクを指差した。


「わ、分かりました。取引をしましょう」


「……取引だと?」


「あそこのトランクに、私の全財産が入っています。現金と、多少の宝石類です。それを差し上げますので、このキャラメルだけは見逃してください!」


私は必死だった。


しかし、男の反応は予想外のものだった。


彼はトランクに見向きもせず、鼻を鳴らしたのだ。


「金などいらん」


「え?」


「俺が用があるのは、その甘い匂いの発生源だけだ」


「っ……!? なんて強欲な!」


金品よりもスイーツを優先するなんて。


この男、相当な食通(グルマン)と見た。


男は私の抵抗など意に介さず、ズカズカと近づいてくる。


そして、私の手から鍋をひょいと取り上げた。


「あっ! 返して!」


「……黙っていろ」


男は鍋の中を覗き込むと、スプーンですくい、そのまま口へと運んだ。


(ああっ! 私の最高傑作が!)


私は絶望で目を覆いたくなった。


野蛮な山賊に、繊細なキャラメルの味が分かるはずがない。


どうせ「甘ったるい」とか文句を言って、鍋ごとひっくり返すに決まっている。


そう思った、次の瞬間だった。


「……!」


男の動きが止まった。


恐る恐る顔を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。


あの、鬼のように険しかった眉間の皺が。


消えていたのだ。


それどころか、こわばっていた表情筋が緩み、まるで幼子のような無防備な表情になっている。


「……うまい」


ぽつりと、低い声が漏れた。


「え?」


「苦味が効いている。ただ甘いだけじゃない。焦がし具合が絶妙だ。それに、この香り……バニラビーンズを惜しみなく使っているな?」


「……は、はい。マダガスカル産の最高級品ですけど」


「やはりか。砂糖も、精製度の高いものを使っている。雑味がない」


男はもう一口、スプーンを口に運んだ。


そして、ほうっと感嘆の息を吐く。


「……五臓六腑に染み渡る」


その姿は、もはや山賊ではなかった。


ただの「スイーツ好きのお兄さん」だった。


(あれ? この人、もしかして……)


私は瞬きをした。


恐怖心が、急速に親近感へと変わっていく。


「あの……もっと食べます?」


私が尋ねると、男はハッとして我に返ったようだった。


一瞬で眉間に皺が戻る。


「……いや、すまない。空腹だったものでな。つい取り乱した」


「いえ、いいんです。私の作ったものを美味しいと言っていただけるのは、パティシエ冥利……じゃなくて、令嬢冥利に尽きますから」


「令嬢?」


男が怪訝な顔で私の服装を見た。


確かに、今の私は簡素なワンピース姿。泥もついている。


とても貴族の令嬢には見えないだろう。


「あはは、これには事情がありまして。実は私、婚約破棄されまして」


「……は?」


「それで国外追放になりまして、実家も追い出されまして、今は森の狩猟小屋に向かう途中なんです」


私はあっけらかんと説明した。


男は呆気にとられた顔をしている。


「婚約破棄で、追放……? 貴様、公爵家の娘か?」


「あら、どうして分かったんですか?」


「この辺りの森を所有しているのは、ローフ公爵家だけだからだ。それに……」


男は私の顔をまじまじと見つめた。


「その髪の色。珍しい蜂蜜色だ。社交界の噂で聞いたことがある。『スイーツ狂いの変人令嬢』とな」


「変人とは失礼な。求道者と呼んでください」


私がむっとすると、男は喉の奥でくっくと笑った。


先ほどの凶悪な笑みとは違う。


どこか面白がるような、人間味のある笑い方だった。


「なるほど。噂以上の変わり者のようだな」


男は鍋を私に返すと、マントを翻した。


「ついて来い」


「え? どこへ?」


「狩猟小屋に向かうのだろう? 送ってやる」


「ええっと、あなたは……?」


私は今更ながら尋ねた。


山賊ではないことは分かったが、一体何者なのか。


男は立ち止まり、月明かりの下で振り返った。


その顔は、やはり怖かったけれど、どこか気品に満ちていた。


「俺の名はキース・ビター。隣国の公爵だ」


「ビター様……?」


その名前を聞いた瞬間、私の脳内データベースが検索結果を弾き出した。


キース・ビター。


隣国の若き公爵にして、冷徹無比な切れ者。


外交の場では決して笑顔を見せず、相手を威圧するその姿から、ついたあだ名は『氷の城壁』あるいは『笑わない死神』。


(……大物じゃない!)


私は驚愕した。


そんな大物が、なぜこんな森の中に?


「どうした? 来ないなら置いていくぞ」


「い、行きます! 待ってください!」


私は慌ててトランクを引きずろうとした。


すると、キース様が無言で私の手からトランクを奪い取った。


軽々と二つのトランクを持ち上げる。


「……重いな。何が入っているんだ」


「小麦粉と砂糖と調理器具です」


「……服は?」


「着ているので十分です」


キース様が、またしても呆れたような、それでいて感心したような顔をした。


「徹底しているな」


「当然です。人生において、優先順位は明確にすべきですから」


「フン、違いない」


彼は短く笑うと、スタスタと歩き出した。


私は小走りでその後を追う。


「あの、キース様! 助けていただいたお礼に、このキャラメル、全部差し上げます!」


「……本当か?」


ピクリ。


キース様の足が止まった。背中越しでも、彼が耳をそばだてたのが分かった。


「はい! あと、トランクの中にはラズベリーのクッキーもありますよ」


「……ほう」


「マドレーヌも焼いてあります」


「…………」


振り返ったキース様の顔から、完全に「公爵の威厳」が消え失せていた。


その瞳は、ショーケースの前で目を輝かせる子供のようにキラキラしていた。


「案内しよう。我が城へ」


「え? 狩猟小屋ではなく?」


「あんなボロ屋に住めるわけがないだろう。それに……」


彼は視線を逸らし、咳払いをした。


「その……もっと、色々な菓子を作れるのか?」


「ええ、もちろん! 材料さえあれば、ケーキでもタルトでも!」


「なら、決まりだ」


キース様は力強く宣言した。


「貴様を保護する。俺の城でな」


「ええーっ!?」


こうして。


私の逃亡生活は、始まって数時間で終了した。


そして代わりに、とんでもない「甘い契約」が結ばれようとしていたのである。


(でも、お城ならオーブンも立派よね……?)


私の頭の中は、既に新しいキッチンのことでいっぱいだった。


恐怖の冷徹公爵?


いいえ、私にとっては「最高のお客様」の発見だった。
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