婚約破棄? 上等です! 悪役令嬢は、断罪よりも限定タルトが気になる!

夏乃みのり

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「……痛くはないか」


「はい、ピンピンしています」


「腹は減っていないか」


「先ほどクレープを食べましたので」


「……そうか」


帰りの馬車の中。


キース様は私の隣に座り、私の右手を両手で包み込むように握りしめていた。


その力は強く、そして微かに震えていた。


馬車は夜の王都を走っている。


窓の外には街灯の明かりが流れていくが、車内は静まり返っていた。


いつものような、「今日の晩御飯は何にするか」という能天気な会話はない。


キース様は黙って、私の手を温め続けている。


(……怒っているのかしら)


私はキース様の横顔を盗み見た。


眉間の皺は深いままだが、その表情は怒りというよりは、何か痛みに耐えているようにも見える。


「あの、キース様。無断で誘拐されてしまい、申し訳ありませんでした」


私が謝ると、キース様はハッとして私を見た。


「なぜ貴様が謝る。守れなかったのは俺だ」


「でも、おやつタイムを二回もすっぽかしてしまいましたし……」


「そんなことはどうでもいい!」


キース様が声を荒げた。


私は驚いて肩をすくめる。


「おやつはどうでもよくないでしょう? キース様の生命線ですのに」


「……違う」


キース様は強く首を振った。


そして、握っていた私の手を引き寄せ、自身の額に押し当てた。


「怖かったのだ」


「え?」


「貴様がいなくなったと知った時……俺の目の前が真っ暗になった。砂糖が切れた時の頭痛など比較にならん。心臓が凍りついたように冷たくなって……息ができなくなった」


キース様の声が震えている。


「二度と貴様の声が聞けないかもしれない。二度と貴様の焼いた菓子を食べられないかもしれない。そう思ったら……俺は、俺自身を保てなくなった」


「キース様……」


「ただのパティシエを失う恐怖ではない。……俺は、貴様そのものを失うのが怖かったのだ」


その言葉は、私の胸の奥に深く突き刺さった。


ドクン。


心臓が大きく跳ねた。


これは糖分の過剰摂取による動悸ではない。


カフェインのせいでもない。


(……あれ?)


私は自分の胸に手を当てた。


熱い。


顔が熱い。


目の前のキース様が、どうしようもなく愛おしく感じる。


これまで私は、彼のことを「最高のお客様」であり「スポンサー」であり「スイーツ仲間」だと思っていた。


でも、今のこの感情は、そんな実利的な枠には収まりきらない。


「……キース様」


「なんだ」


「私、今、変なんです」


「どこか痛むのか!?」


キース様が慌てて顔を上げる。


私は首を横に振った。


「いいえ。ただ……今、キース様のお顔を見ていたら、すごく胸がいっぱいで」


「胸が?」


「はい。まるで、焼きたてのフォンダンショコラを食べた時のような……いいえ、それ以上に、甘くて切なくて、溶けてしまいそうな気分なんです」


私は素直な感覚を言葉にした。


「お菓子を食べていないのに、こんなに満たされた気持ちになるなんて……私、病気でしょうか?」


キース様は瞬きをした。


そして、徐々にその顔を赤く染めていった。


「……それは、病気ではない」


「では、なんでしょう?」


「……恋、だ」


キース様が掠れた声で言った。


「恋?」


私がオウム返しにすると、彼は照れくさそうに視線を逸らし、ボソリと言った。


「俺も同じ症状だからな。……貴様を見てると、胸焼けするほど甘い気分になる」


「……まあ」


私たちは顔を見合わせた。


そして、どちらからともなく吹き出した。


「ふふっ、私たち、重症ですね」


「ああ。治療法は一生見つからんだろうな」


キース様は再び私の手を引き寄せると、今度はその手の甲に、そっと口づけを落とした。


触れた唇の熱さが、指先から全身に伝播する。


(ああ……勝てないわ)


私は認めるしかなかった。


どんな高級なチョコレートも、どんなに美しいケーキも、今のキース様の温もりには敵わない。


私の中で、優先順位の革命が起きた瞬間だった。


『スイーツ < キース様』


いや、せめて同率一位くらいにしておこう。


「……おい、いい雰囲気のところ悪いが」


その時、馬車の隅から呻き声が聞こえた。


足元に転がされていたセージ補佐官だ。


彼は手足を縛られたまま(今度はガストン特製の強固な縛り方で)、涙目で私たちを見上げていた。


「いちゃつくなら、私を降ろしてからにしてくれないか……? 胃が……胃が痛い……」


「……チッ。起きたか」


キース様が瞬時に冷徹モードに戻り、セージ補佐官を靴先で小突いた。


「生きていただけありがたいと思え。貴様はこれから、重要な『証人』になってもらうのだからな」


「しょ、証人?」


「ああ。アラン王子が『不正行為(誘拐)』を働いたという、動かぬ証拠だ」


キース様がニヤリと笑った。


私もそれに乗っかる。


「そうですよ、セージ様。あなたが証言してくだされば、今回の勝負、アラン殿下は戦わずして失格です」


「そ、そんな……! それでは私の出世が……!」


「ですが」


私は人差し指を立てた。


「もし、あなたが私たちの『協力者』になってくれるなら、話は別です」


「きょ、協力者?」


「ええ。アラン殿下の好みの味、当日の審査員の買収工作の有無、それからミントさんの逃亡先……全て洗いざらい吐いてください」


「そ、それを話せば、助けてくれるのか?」


「命は保証します。あと……」


私はポケットから、先ほどのクレープの残りを取り出した。


「この『特製ポテトクレープ』のレシピも差し上げましょう。お夜食に最適ですよ?」


セージ補佐官の目が揺らいだ。


彼は空腹と、キース様の殺気と、そして私の甘い(?)誘惑の板挟みになっていた。


数秒の沈黙の後。


「……分かった。協力しよう」


セージ補佐官がガクリと項垂れた。


「殿下には悪いが……私も生きねばならん。それに、あのクレープの味が忘れられないんだ……」


「交渉成立ですね」


私はニッコリと笑った。


キース様も満足げに頷く。


「よくやった、ジンジャー。これで勝負のカードは揃った」


「はい。あとは本番で、最高のお菓子を作るだけです」


馬車は別邸に到着した。


扉が開くと、夜風と共に、ガストンたちの出迎える声が聞こえる。


「お帰りなさいませー! 師匠、ご無事で!」


「心配したぞお嬢!」


私はキース様にエスコートされて馬車を降りた。


その手はまだ、しっかりと繋がれたままだった。


私は空を見上げた。


満天の星空。


明日はきっと晴れる。


そして、決戦の日も、きっと最高の「お菓子日和」になるだろう。


「行きましょう、キース様。最後の仕上げです!」


「ああ。……その前に、夜食のケーキを頼むぞ。二日分な」


「もちろんです! 倍返しでお作りします!」


私たちは笑い合いながら、温かい光の漏れる屋敷へと足を踏み入れた。


恋心を自覚したパティシエ令嬢は、もう無敵だ。


アラン王子よ、震えて待つがいい。
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